Giacomo Puccini,Opera

新国立劇場の「トスカ」行って参りました。最近、だいぶんと追い込まれているのですが、なんとか、という感じ。しかし、ここまで凄いとは思いもよりませんでしたよ。

ちょっと箇条書き風で。

トスカ役のイアーノ・タマーはグルジア出身の実力ソプラノ。憂愁を帯びた深い色のソプラノ。パワーと迫力も兼ね備えている。場数を踏んだ方だけが見せることの出来る揺るぎない自信を感じました。パワフルといっても、ワーグナー歌いとはちょっと違うのでしょうか。それは甘みとかふくよかさがあるから。でもこの方は、ブリュンヒルデ的ソプラノのはまり役といわれるトゥーランドットもちゃんと歌えると思います。アムネリスなんかがはまり役かしら。遠目に見た雰囲気がカラスに似ていて少し驚きました。

カヴァラドッシ役のカルロ・ヴェントレはウルグアイ生まれのイタリア人。ドミンゴを彷彿とさせる歌い回しに冷たい情熱を帯びた力強さ。この方のロングトーンには感動しました。ビブラートが実に綺麗。第一幕から飛ばしていて、冒頭部ではピッチに少し苦労していたけれど、暖まるにつれて安定感を取り戻していました。

スカルピア役のジョン・ルンドグレンはスウェーデンの方。僕のスカルピアのイメージは痩身で冷酷なイメージ。でも、この方のスカルピアは恰幅がよくてギラギラとした欲望をいくつも侍らしたような人間味のあるスカルピアでした。声質には幾分か甘みがある感じ。ピッチは終始良好だったと思います。

いずれにせよ、三人とも終始安定していらして不安感を感じることもありませんでした。この三人の強力な牽引力が大きな感興を読んだことは間違いありません。この方々が東京にいらしたことが凄いことなのだ、と思いました。

特筆すべきは、音楽を引っ張った指揮のシャスラン。額の形がグスタフ・マーラーにそっくりなのですが、作り出す音楽は迫力とパワーに満ち満ち溢れています。「トスカ」のスコアに含まれるうま味を十全に引き出すシェフ的職人芸だと思いました。シノポリが振る「トスカ」も相当凄いと思いましたが、実演でのシャスランの指揮はこれを上回る圧力でして、僕はもう最後まで圧倒され続けました。幸せな体験を今日もさせてもらいました。

今日初めて気づいたのですが、新国の「オペラパレス」の音は結構デッドですね。シノポリの「トスカ」のリヴァーヴ感が気持ちよかったのですが、今日の演奏の音は実にストレートに感じられました。昔からリヴァーヴ大好きな人間ですので、ちと物足りないかも。シノポリの「トスカ」は、ロンドンのAll Saint’ Churchです。教会のリヴァーヴは本当に素敵。

2003年に観たときは、左側のバルコニー席だったのですが、このときは舞台の右端しか見えない感じでした。カヴァラドッシが描いているマグダラのマリアも見えずじまい。第一幕の最後のテ・デウムの場面も全く見えませんでした。今日は二階の正面でしたので(しかも最前列! S席ではないですけれど)、舞台の様子がよく見えました。これは本当にお金のかかった舞台だと思いました。 当時のブログ。しかし生意気な記事で、赤面です。

http://shuk.s6.coreserver.jp/MS/2003/11/09232044.html

テ・デウムの場面、キリスト教の祭式をゴージャスに再現していて、これはもうただただ凄かったです。舞台装置もローマの建築をイメージしていてなんだか郷愁を覚えました。またローマに行ってみたいのですが、いつになることか……。

しかしこのパフォーマンスを日本で観ることが出来るのは本当に幸福なことかも知れません。この幸福が将来も約束されたものではないがゆえに、なんともいとおしい経験となりました。

Miscellaneous

先日の講演会で以下のような話がありました。虚構かもしれませんが真実を含んだ虚構だと思いましたので、ちょっと書いてみますと、 ひとつは映画のプロットなのだそうですが、第二次大戦中の欧州戦線で、戦場に取り残された詩人の処遇の問題。指揮官である大隊長は、詩人に一個小隊をつけて後背地へと護送しようと計画しました。詩人は、私ごときに一個小隊という貴重な戦力を割いてもらうのは申し訳ない。一人で、後背地へ退きます、と大隊長に申し入れる。すると大隊長は詩人にこういう。あなたは平和な時代に欠くべからず方なのです。本来なら私は一個中隊さきたいぐらいなのです。一個小隊しかさけなくて申し訳ないと思っているのです。戦争が終わればあなたが今度は恩返ししてくれなくちゃいけません。

最後のほうは私の創作ですが、まあこういう感じのプロット。

次のプロット。

やはり戦時中ですが、舞台は日本です。空襲の危機が迫り、美術品を地方へと疎開しなければならない事態に陥りました。美術館が貨物列車の手配をお願いするのですが、軍部はにべもなく拒否する。あんた、こんな非常時に、美術品だのなんだのといっている暇はないのだ。貨物列車は、兵士を運び軍需品を運ぶことを最優先にするべきなのだ。それでもなお、貨物列車の手配を求めるのは、この時局にあって非国民的であり、言語道断である、と。

講師の先生がおっしゃるに、美術芸術文化は役に立たないかもしれないけれど、それを守れば必ず街や国は繁栄するのだ。人間が食べて寝るだけの動物であればそうしたものは必要ない。だが、人間はそれ以上のものであるべきであり、そうしたいわば人間性のようなものを保つために美術芸術文化がとても重要なのだ、と。

この言葉も私がかなり翻案してしまっています。本来おっしゃっていたこととは違うかもしれませんが、私はこう捉えてしまいました。

2つ目のプロット、これはまさに僕らの周りでいま起きていることと同じだと思います。生きることが最優先なのは確かにそのとおり。けれども、生きるだけでは人間性を保持できないわけです。人間であることをあきらめればいいのかもしれませんが、それはまるで家畜とどこが違うというのか。 けれども、現代日本においては、生きるか死ぬかのところでがんばっている方もおられるわけです。世界レベルの話をすれば、そういう方はあまりにたくさんいらっしゃるでしょうから。それを思うと、無力感というか虚脱感にさいなまれるのですが。

新国立劇場の予算が結局どうなるかは今後の注視ですが、この問題、本当に難しいです。何か戦争下にいるような空気と不安感を感じるのですが。もちろん戦時下を体験していない私には戦争がどういうものなのかわかっていないのですけれど。。。

Japanese Literature

今日は音楽の話しではなく文芸の話し。私は本好きの割には本を読んでいないというコンプレックスがあります。知識量にも読書量にも全く自信がないです。しかも知識はどんどん失われる。失われるだけなら良いですけれど、どんどんすり替わっていくのにはこまったもの。「始めにロゴスありき」という言葉が、創世記の冒頭だと思っていたのですが、今日、とある講演会に行きまして、それがヨハネ伝、ヨハネ福音書であることに気づかされた次第。まったく……。いちおうミッション系の学校にも通っていたんですけれどね。

その講演会、私が尊敬する小説家の先生の講演会でして、お名前を出すと、差し支えますのであまり細かくは書きませんけれど。

その先生とはいつも言っているカフェで知り合ったのですが、最初に声を掛けてくださったのは先生からでして、人見知りの私からは当然声をおかけするなんてことは出来ませんので、まあ当然でございます。

ともかく、今日は暖かい良い天気にも恵まれまして、隣の駅まで出かけて、講演会の会場に。ロビーに入ると、講演会場の館長が入口を気にしておられるので、きっと先生がみえる時間なのだろうなあ、と思って振り返るとやはり。丁度先生が奥様と一緒に入ってこられました。意を決して会釈してみると、先生は私のことを覚えていてくださって、軽く声を掛けてくださる。光栄です。まじで。。

講演会では、作家になった理由や、この街に住むことになった理由、代表作を書かれたときのエピソードなどをお話になりました。

そのなかで特に印象的だったこと。「発展途上である限り人間は青春である」ということ。この言葉、私が翻案していますので、実際に話された言葉とは違うかも知れません。ともかく、未来が未知数であるということや、可能性が無限大である限り青春時代なのである、ということをおっしゃったのです。このイデーは先生が四〇代前半で代表作をものにされたときに思いつかれたのだそうです。確かに年を重ねると、今後どうなるのか、大体予想がついてしまう。だからといってそうした予想に身をおもねてしまうことこそが青春を失ったことにほかならないわけで、逆に常に発展途上にあるということが大事なのです。未来に向かっては、今この瞬間が一番若いわけですから。

最後に今後の活動の予定を話されたのですが、いくつもいくつもアイディアが出てきます。お歳はと言えばもう七〇歳台後半だというのに、あまりに旺盛な意欲でいらして、これはもうまだ先生の年齢の半分にも達していない私が白旗を揚げざるを得ない状態。これではいかんですよ、と思いました。まだ半分も生きていないのに、先生の持っておられる「若さ」を失っているなんて、という感じ。

と言うか、先生の若さは凄いですよ。身のこなし、背筋が伸びておられるし、スマートな体型は五〇歳台といってもいいでしょう。いやいや、日に日に「膨張」し続ける私の体より若いかもしれません。

ちと頑張ろうと思いました。以前にもまして。

最後はサイン会がありまして、私もサインしていただきました。私のことを「僕の喫茶店仲間」とおっしゃってくださって、また感激でございます。

明日から、いやいや今日からまた頑張ります。

Giacomo Puccini,Opera

今月の新国は「トスカ」、ということで、予習中です。「トスカ」は、ほかのプッチーニオペラのなかでも実はあまり好みではないなあ、などと不遜なことを思っておりましたが、先日から意見が変わりました。シノポリ盤の「トスカ」はすごすぎる。このオケの歌わせ方は、私が2003年ごろからお世話になっているシノポリ盤「マノン・レスコー」と同じく、甘く切なく流麗で豊かな音作りで、大感激です。

実は、トスカは某有名指揮者と某有名テノールの演奏を聴いていただけだったのですが、ここまで違うとは本当に思いませんでした。不明に恥じ入るばかり。 ともかく、シノポリのオケの歌わせ方はうまいです。緩急のつけ方が絶妙。全体的にはテンポは抑え目なのですが、心情にグサリと刺さってくるような感じがしてなりません。っつうか、あの有名なアリアもこんなに感動的だったっけ? みたいな再発見な状態です。

カラヴァドッシはドミンゴで、トスカはフレーニです。私の知っているドミンゴはもっと甘みを感じていたはずですが、この録音では甘みは感じられず、あれ、これは本当にドミンゴだろうか、と疑ってしまいました。 フレーニは、私のオペラ体験の最初期に、カラヤンの「ラ・ボエーム」でミミを歌っていましたが、この方は私のデフォルト・ソプラノですよ。この方が私にとってオペラの路を開いてくださった方のひとりなのです。もう一人はドミンゴでけれど。

これで、実演がいっそう楽しみになりました。

さて、このところ、以前より帰りが遅くてちとへこたれてまして、歳食ったなあ、ってかんじ。もっと体が丈夫だといいのですが。毎週ヨガに通っていますが、肩やら肩胛骨が痛くて痛くて。これって○十肩かなあ。。。