たまにはジャズの話を。
何度か触れましたが、私はサクソフォニストでした。これも何度か書いたことがありますが、耳が肥えてきましたので、自分の演奏にまったく良いところを見出せなくなっていて、封印しているところ。まあ、時間や体力があれば、なんのこれしき! と練習しまくるんでしょうけれど、学生ころのようの練習時間は持っていませんので。悲しいものです。
とはいえ、今でもジャズは良く聴いているのかもしれません。「リング」に疲れたときには、例のシャカタクを聞いたり、マイケル・ブレッカーを聴いたり。私のジャズ嗜好は異端ですので、ほかの方から見たら、なんじゃい、という話になりましょうけれど。
本日は来年度の人事発表の話ということで、来年度はこれまで以上にずいぶん大変な年になりそうで、朝から少々気分が悪かったのですが、ブレッカーブラザーズの「サムスカンクファンク」と、チック・コリアの「ハンプティ・ダンプティ」に癒されました。いずれの曲も学生時代にお世話になりながらバンドで演奏しました。
特に「ハンプティ・ダンプティ」は思い出深い。後輩のベーシストのバンドでテナーを吹くはずだった方が、ライヴの日にちを間違っておられて、来られなくなってしまったのです。途方にくれる後輩。それで、私にお鉢が回ってきました。急遽、後輩のテナーを借りて、「ハンプティ・ダンプティ」と「インプレッションズ」を吹きましたねえ。1997年冬のことだと思います。
「ハンプティ・ダンプティ」とは、「不思議の国のアリス」に登場するキャラクターですが、ピアニストのチック・コリアが、「マッド・ハッター」というすばらしいアルバムの中で、実に複雑な転調を含みながらも、ドライヴ感のあるスタイリッシュな曲に仕上げています。「ハンプティ・ダンプティ」は、コード進行の難しさもさることながら、テーマフレーズも少々難しいのです。ちょうど楽譜はなくて、(あっても初見でふけませんし)、出番寸前までCD聞いてコピーして、なんとか本番に間に合わせました。
この演奏、ピアノがチック・コリア、ベースがエディ・ゴメス、ドラムがスティーヴ・ガッド、テナーがジョー・ファレルという、私にとって理想ともいえるカルテットです。ジョー・ファレルのインプロヴァイズは、複雑なコード進行をメロディアスに処理する実にすばらしいもので、これ、ほとんど一緒に歌えるぐらいまで聞き込みました。
さて、今日気づいたのは、ベースのエディ・ゴメスのピッチのこと。ベースはフレットレスですので、ピッチの正確さが要求されます。同輩のベーシストは、修正ペンでネックにしるしをつけてましたからね。ゴメスのピッチ、必ずしもいいとは思えないのですが、なぜだか違和感を感じない。この感覚、ディートリヒ=フィッシャー・ディースカウ氏の歌を聴くときの感覚に似ているんですね。ピッチの微妙なずれすら計算されているのではないか、という感覚です。
そういえば、マイケル・ブレッカーとランディ・ブレッカー兄弟は「トランペットとテナーのピッチは必ずしも正確に一致させる必要はない」とインタビューに答えていたのを思い出しました。ピッチのずれすらも美的価値に高めることができている、ということでしょうか。
とある録音の「ヴァルキューレ」と「ジークフリート」を聞いたのですが、とある方のピッチが狂っていて(そんなに激しくはないのですが)、違和感を覚えた後だけに、そうじゃない場合もあることを再認識した次第。ピッチがずれるとはどういうことなのか、そうそう簡単に結論が出るものではないのだなあ、と考えています。
チック・コリア「マッド・ハッター」にみるエディ・ゴメスのピッチなどなど