最近の暑さは大変なものです。とはいえ、私は一日中ビルの中に閉じ込められていますので、真昼の暑さを経験するのは自ずと週末になってしまいますが。けれども、そんなのんきなことも言っていられなくなってきました。朝も暑いですよ。。だいたい6時15分過ぎに家を出るのですが、それでもう暑い。なので、納涼音楽を聴かねば。
で、「夏だけのTUBE」と嘉門達夫が歌っていたのが懐かしいですが、私が発見したのはシベリウスの交響曲群です。シベリウスの交響曲は、数年前まで全く受け付けることが出来ませんでした。明らかに独墺系音楽と一線を画しています。フレージングが全く理解できなかったのです。で、これって、ヤナチェクのフレージングを理解するのが難しいのと同じだと思うのです。いきっと言語学的な背景があるに違いない。
北欧といって、ひとくくりには出来ないことは周知の通り。北欧の覇権はフィンランドを除いては、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの順番に覇権が確立したわけですが、フィンランドはそうは簡単にはいかなかった。ロシアの支配下にあって、20世紀初頭に国民意識が高まり、ロシア革命に乗じて独立するも、その後も白軍と赤軍の内線や、第二次大戦での微妙な立ち位置、つまり、反ロシアの立場から枢軸国に味方してしまうというなんとも危険な賭けで、もちろん賭けに敗れてしまうわけです。とはいえ、第二次大戦後はノルディックバランスと呼ばれる、微妙な舵取りで、資本主義を守りつつ、ロシアともうまくやりつつ、という、極めて困難な時代を乗り切ったわけです。
フィンランドの首都はヘルシンキですが、冷戦下にあっては、ヘルシンキの地下には大防空壕が建設されていたとか30年以上前に、NHKスペシャルで観たのを覚えています。
そのフィンランドの国民意識を高めた国民楽派作曲家がシベリウスというわけです。イタリアにヴェルディがいたように、フィンランドにはシベリウスがいたというわけです。
私は、どうにもシベリウスが分からない時代を20年ほど経験して、この数年間でやっと分かるようになってきました。要は、旋律に親和性を覚えるかどうか、が重要なのではないか、と。私の音楽体験と言えば、どうしても独墺系に偏りがちでした。たまに英仏露にも親しみましたが。だから、どうしても分からないのです。
しかし、今日、交響曲を一つ一つ聴き始めると、体に旋律が染み渡ってくるのですねえ。これには本当に驚きましたし、何よりうれしかった。浮かぶ風景は、冬景色ではなく夏景色ばかりなのが面白い。まあ、冬の北欧に行ったことがないから当たり前なのですが。夏の長い太陽の下で、豊かな森と湖と。ああ、夢のようだ。今すぐに渇望北欧。
シベリウスについてもっと書けるようにがんばろう。やっぱりいろいろな音楽を聴かないとなあ。
さて、今日もいろいろあった一日。ローエングリンは録音できずちょっと落ち込んだけれど。苦しいけれど平気。あはは。
暑さを癒すシベリウスな日々