第2回「トスカ」成立の背景──新国立劇場「トスカ」を聴こう

プッチーニがヴィクトリアン・サルドゥの戯曲「ラ・トスカ」によるオペラ作曲を考え始めたのは1889年頃だった。プッチーニの二番目のオペラ「エドガー」初演の頃で、31歳のことである。

プッチーニは、楽譜出版社リコルディの社主リコルディに宛てた手紙の中で、オペラ化に当たって、サルドゥの許可を得られるよう依頼をしている。しかし、このプッチーニの「トスカ」への思いは、6年後にフィレンツェにおいて「トスカ」の実演に触れるまで封印される。

その間、プッチーニは、「ペレアスとメリザンド」のオペラ化を考え、メーテルリンクに会いに行くのだが、ドビュッシーに先を越されてしまったり、マリー・アントワネットの最期の日々を題材にしたオペラを考えていたりしていた。

だが、プッチーニはフィレンツェで「ラ・トスカ」実演に触れたことで、「ラ・トスカ」のオペラ化を具体的に考えるようになる。

これは、プッチーニが、ライヴァルを意識した結果でもあろう。当時のイタリアでは、レオンカヴァッロおよびマスカーニのヴェリズモオペラ(写実主義的オペラ)の潮流が吹き荒れていた時代であった。

image(写真:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ (1857-1919))

レオンカヴァッロの「道化師」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」などのオペラで知られるこの潮流は、元々は、ゾラやフロベールなどの文学上リアリズムの影響が音楽に現れたものだった。それまでは神話などを題材にしていた台本ではなく、殺人や情事など、現実的あるいは日常的なテーマを扱った台本によるオペラが作られるようになったのである。

プッチーニと、「道化師」を作曲したレオンカヴァッロとは、あの「ボエーム」を巡って、プッチーニとレオンカヴァッロ[i]はミラノの喫茶店で喧嘩をするほど、お互いのライバル意識は少なくなかったのだ。

プッチーニがオペラ化を企図する「ラ・トスカ」には、こうしたヴェリズモオペラの要素が満ちあふれていた。

  • 画家カヴァラドッシと歌手トスカの恋。
  • そして、政治犯を匿ったかどで拷問を受けるカヴァラドッシ。
  • カヴァラドッシを助けるために身を任せるよう警視総監スカルピアに強要されるトスカ。
  • そしてスカルピアを殺害するトスカ。
  • そして図らずも恋人を殺され、サンタンジェロ城から投身自殺するトスカ。

情欲と流血に満ちた素材は、まさに「ヴェリズモ=リアル=写実」である。

つづく

次回は「ヴェルディ翁を感動させた「ラ・トスカ」」です。

 

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

チケットぴあ

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[i]実は、「ラ・ボエーム」にはレオンカヴァッロが作曲したバージョンが存在するのだ。

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ちょっと力入れすぎですが、がんばります。今日も静謐な一日。明日もその予定。