とある原稿を脱稿しました。今回は楽しく書けました。
また明日から、《椿姫》とフォーレを再開します。
取り急ぎおやすみなさい。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
久々の新国立劇場でした。今回の《椿姫》は新しい演出でした。これまでのオーソッドックスな演出から、時代を意識しながらも新しい要素を取り入れた演出でした。
演出について印象にのこっていることをいくつかかいてみます。
舞台には、左側の袖から舞台中央に向かって巨大な鏡面の壁となっており、右側の袖から中央に向けて、舞台背景が描かれた壁面が設えられていました。ですので、舞台はV字型になっているような状況です。
鏡がありますので、奥行きがあるようにおもえます。合唱が入ってくる場面だと、実際の人数よりも多く見えますし、照明の反射光がさまざまな模様を壁に投げかけていて、たとえば合唱が歌っているシーンでは、壁に合唱の方々の影がうつりこんで、幻想的な雰囲気を醸し出していたように思います。
特に、第二幕では、パラソルが虚空に浮かんでいて、壁の模様は鳥が列になって飛んでいるシーンが描かれていたところは幻想的でした。列に鳴って飛ぶ鳥は、まるで乱視でみたかのように、ダブって見えるような描かれ方がされていて、それがなにか立体感を持つように見えたのもなかなか興味深いものでした。
全ての幕において、茶色い古いグランドピアノが使われていて、あるときはテーブルであり、あるときはヴィオレッタが横たわるベッドだったり、と活躍していました。
衣装はオーソドクスな19世紀風なものでした。女性の衣装はずいぶんと美しく、特に第二幕第二場のフローラの衣装は、レース編みのような細かい花の飾りが美しく、ないかアール・ヌーヴォー風でもあり、アートアンドクラフト的でもあり、という風に思いました。
それからもっとも効果的だったのは、膜というか幕というか、薄地のカーテンが第一幕の冒頭と、ヴィオレッタ病床の場面で使われていたことです。
特に病床の場面では、ヴィオレッタの横たわるピアノと、アルフレードやジェルモンの間に、天井から垂れ下がる薄地のカーテンがあって、手を触れたり、手を握ろうとしても、その薄地のカーテン越しになってしまうわけです。
すでに、ヴィオレッタとアルフレード達の間にはなにかしらの壁がある、ということを示しているもので、その壁というのが、たとえば、ヴィオレッタの朦朧とした意識が創り出すもの、ということも言えるでしょうし、ヴィオレッタが臨死体験に際して現実と乖離している、ともとれますし、あるいは死を前にしたヴィオレッタの人間性と、世間一般の人間性の壁、というようにもとれるわけで、なかなか興味深い仕掛けだったと思います。
第三幕の最後のシーン、舞台と客席の間には、巨大な円形の穴があいた壁があって、上部だけ劇場の赤いカーテンのような絵が描かれています。第三幕の演技は円形の穴ごしに見えるようになっています。
ヴィオレッタの最期のシーンで、一瞬、病気が回復したかのような錯覚を覚えてから、息を引き取るシーンで、ヴィオレッタは円形の枠を乗り越えて客席側に来て、赤い布地を右手に掲げて立ったまま幕切れ、となります。
このポーズが、私には自由の女神のようにみえて、ああ、ヴィオレッタは死んでやっと自由になったのか、などと思いました。
枠を乗り越えて客席側に来るというのも、なにか死に際して三途の川のような境界をこえた、とも思えますし、あるいは当時の抑圧された状況から、比較的自由になった現代へヴィオレッタが到達した、というふうにもとれ、いわゆる「第四の壁」のようなものを意識させる演出だったように思います。
写真なく書くのはなかなか難しいです。ご覧になった方にはわかっていただけるのかもしれませんのであえて書いてみます。
オペラの楽しみのひとつは、現代においては演出家の意図をあれやこれやと想像することにあると思います。これまでもいろいろと妄想しましたが、今回もずいぶんと頭の体操になりました。
それでは取り急ぎグーテナハトです。
才能というものは、やはりあって、それは、どうしても超えることのできないものなのでしょう。努力しても超える事は出来ません。
おそらく、人生とは、自分の才能探しなのでしょう。どこに生きる場所を見つけるのか。見つけられる人は確かにいます。ですが、見つけられる人ばかりではない。がゆえに、人生は面白いわけです。
辻邦生は「才能の存在を信じない」と言っています。そこには好きか嫌いかがあるだけだ、といいます。
ですが、好きなものを好きなだけやれるのも、才能があるべき場所に落ち着くことができた状態なのでしょう。
もちろん、そのあと、その才能がどれほど花開くか、というプロセスが次に来るのです。そこで、初めて好きを続ける、ということができます。
反対に、才能があるべきところにあるということほど難しいことはありません。
もっとも、気づかないうちに、才能があるべきところにあることもあるのでしょう。まずは、周りを見回してみることが大事です。
では、グーテナハトです。おやすみなさい。
最近興味を持って読んでいるこれらの本。
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルという方の伝記二冊です。この方、フェリクス・メンデルスゾーン=バルトルディの姉に当たる方です。みなさまはご存知でいらっしゃいましたか? 私は最近まで存じませんでした。
ファニーは、80年代以降、見直されつつあるようで、日本語の文献はこちらの二冊があり、フェリクス・メンデルスゾーンの伝記の随所にも登場しているようです。
今日、5月14日は、ファニーのご命日です。ファニーは1847年に41歳の若さで亡くなりました。
じつは、このファニーという方は作曲やピアノに秀でた方で、フェリクスがライバル視していたほどだったようです。
メンデルスゾーンがヴィクトリア女王と謁見したときに、女王が選んだメンデルスゾーンのお気に入りの歌曲は、実は、フェリクスの作ではなく、ファニーが作ったものをフェリクスの曲として出版したものだったとか。(ゴーストライター?)
また、フェリクスの業績として知られるマタイ受難曲の復活公演においてもファニーは重要な役割を果たしたそうです。
噂では、グノーの「アヴェ・マリア」もファニーが作ったという説があるらしいです。。
才能ある女性でしたが、因襲に縛られ、家庭を守る良き主婦としての役割を全うすることを一義として、演奏や作曲で活躍したというわけではありませんでした。19世紀前半で、革命後とはいえ、やはりこうしたモラルがまだあった時代なのですね。
ウテ・ビュヒター=レーマーさんの「ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル:時代に埋もれた女性作曲家の生涯」は、女性からの視点で、女性であるがゆえに、音楽家として活躍できなかったファニーの無念さのようなものが実感できる快作でした。まあ、こうした性別に拠る役割というのは、女性が故に、ということもあるでしょうが、男性故に、ということもあるでしょうから、どなたが読まれてもなにか感じることがあります。
山下剛さんの「もう一人のメンデルスゾーン─ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」は、実にしっかりとした伝記という感じです。編年の記述は実に理性的で、歴史的事実としてのファニーの生涯を俯瞰できる素晴らしい書籍でした。というか、あのグノーが《ファウスト》を書いたのは、ファニーの影響なんですね、なんてことも実に鮮やかに描かれていました。
二冊を読んで、19世紀前半のドイツの空気が少しかいまみえたような気分です。ウィーン会議後の反動のヨーロッパにおいて、失われた理想のようなものを懐かしむようなシーンもあって、なにか胸に迫るものがありました。
楽曲もNMLでいくらか聴けます。あのトリスタン和音を、《トリスタンとイゾルデ》より前に使っていたという話もあり、なかなか興味深いです。
ではグーテナハトです。おやすみなさい。
おそらくはハナミズキの葉。本当に初夏という風情です。
今日もこちら。
あれ、なんじゃこれ?
私の中では緑色なんですが。。赤いエラートなんて。。レコード屋にあまりいくこともなくなり、レコード芸術も読まないので、知りませんでした。
EMIのマークが張られているバージョンもあるのですが。
ERATOをウィキペディアで調べると以下の様な状況のようです。
ERATOエラートは1953年に設立。1992年にワーナー傘下になります。2001年に一度休眠状態になったのですが、ワーナーがEMI Classicを2013年に買収し、ヴァージンクラシックと統合されレーベルとして復活したそうです。
ワーナー本家のウェブサイトではこうなってます。
あれ、緑だ。
継続調査しないと。。
ではおやすみなさい。
先日撮った初夏の光に映える広葉樹。残念ですが、木の名前を判定する能力はありません。
とはいえ、むかしからこういう樹の枝が空へと伸びる姿を観るのが大好きでした。そればっかり撮る写真家になれればいいなあ、と思ったのを覚えています。ちょうど13年ほど前のこと。通勤電車の車窓から、河川敷に一本だけの広葉樹の姿をみた時にそう思ったのでした。
そうか。
今日、写真を撮りながら、あれ、写真撮ってる意味がよくわからん、と思っていたのでした。何を撮るべきなのかわからないまま写真撮っても意味ないよね、などと。
鉄道写真、航空写真、人間の写真、風景写真、スナップ写真など、写真のジャンルは数多あるんですが、どうもしっくり来なくて。
風景写真ともなると、なにか手遊びの感覚もあり、時間もない中で撮ることなんてできないわけでして。
まあ、写真を撮るのは本当の「趣味」なのでのんびりやりましょう、という感じにしておきます。
さて、今日はこちら。フォーレのヴァイオリン・ソナタ第2番です。
最初に感じるこの晦渋さ。本当に素晴らしいです。なにかヤナーチェクを思い出してしまったのは気のせいでしょうか。しかし、まだ理解が足らず、もう少し聴きたい気分。
今日は樫本大進氏の演奏出来きましたが、次は違う方のヴァイオリンで聴いてみようかと思います。
これは、まだまだ聴き続けないといけないなあ。。
ちなみのこの曲は、1916年から1917年にかけて作曲されています。
ワーグナーはもちろん、マーラーも天に召されています。シュトラウスは、《ナクソス島のアリアドネ》や《影のない女》を作曲しているころです。なんと、ベルクは《ヴォツェック》をこの頃作曲しています。
そうした時代のなかにあっても納得の行く楽曲です。
ウィキペディアの記事にによれば、イザイのために作られた楽曲でもあるようですが、どうもイザイには理解されなかったようです。
(そうなると、イザイのあの「晦渋」なヴァイオリン曲との関連も気になりますが。。)
楽曲としては、ベルギーのエリーザベト王妃に献呈されていますが、この方、スゴイ方なんですね。戦時中にユダヤ人を救ったり、戦後は共産圏を訪問したり、広島にあるイエズス会系の音楽大学であるエリザベト音楽大学の後援者でもあります。
では、みなさまも残り少ないGWの夜をご満喫ください。
おやすみなさい。グーテナハトです。
きょうはみどりの日ですね。今日も夕方にかけて散歩をしました。
まずはトウモロコシ畑。昨日に続いて夏を感じる一枚。ただ、雲の感じはまだまだ夏ではないです。突き抜ける背の高い積乱雲がみえないと。よく考えると、太陽高度は、8月のそれと同じはず。夏を感じるのも然り、です。
来週からは梅雨入りのなのか、雨の予報が続いているようです。
次は、夕日に照らされた神社の境内。夏の日の午後という感じです。
なにか幼い頃を思い出すような。あるいは、原風景的なもの? 現代の日本人にとっての原風景とはなにか? それは親の世代の子どもの時期なのではないか、などとも思います。
ですので、私にとってみると、戦中戦後の感覚があります。ということは今の子どもにとっては? 60年代とか70年代になるのでしょうかね。。
今日もフォーレでした。ただただ聴いています。徐々に輪郭がつかめてきた感覚かも。
それではおやすみなさい。グーテナハトです。
夏草が生い茂る午後。夏ですね。近所を散歩している時に撮りました。なにか、こういう草を見るのも久々な感じです。むかしはこうした草むらで野球をしたりドッチボールをしたりしていたものです。疲れたら草むらに倒れこみ、草を噛んだり。バッタやカマキリもたくさんいて、カマキリを捕まえた時の嬉しさといったら、という時代でしたね。
今日も午後を中心に頑張ってたくさん動きました。
今日もフォーレ三昧。
ピアノ五重奏曲は咀嚼が難しいです。もちろん、空気感のようなものはあるのですけれど。
昔よく聴いた議論で、博物館に収められている仏像と、寺院に祀られている仏像の違いという話しを思い出しました。
仏像というものは、お香の焚かれた薄暗い堂内で、蝋燭と輝く仏具の光にうっすら照らされているほうが、なにか神々しさとか重みとかを感じるのですが、ガラスケースに収められ、スポットライトが当てられた仏像というものはなにか場違いな、決まりの悪さを感じます。
フォーレをいまここで聞くということはそういうことだったりするのではないか、なんてことを思いました。
そうそう。なぜか上野にフェルメールやクロード・ロランがあったりするんですが、あの時に感じる驚きと居心地のわるさというものも、そういうものだったりするのかもなあ、などと思います。
あるべき空気感というものがあるのかもなあ、と。
そういう意味では、この慌ただしい毎日の中でフォーレを聞くことの難しさのようなことを思ったり。もう少し環境とか気持ちを整えたいなあ、という気分もあった今日1日でした。
でも明日は、静謐な1日のはず。それを楽しみに。
それではグーテナハトです。
写真は先日行った公園で撮った写真。40年前よりもはるかに大きくなったキンモクセイです。
今日は連休1日目です。なにげに早起きをして、まずは仕事に関して頭の整理。随分スッキリしました。随分とプロジェクトを抱えているなあ、という感じですが、まずは敵を知らないと。ですが、まだ整理が不十分なので明日も早起きをして整理することにします。
その後は、フォーレ三昧。というよりフォーレのピアノ五重奏曲第1番三昧でした。
リンクは、ウィキペディアに貼ってありますが、素晴らしい記述です。
1903年から1906年が作曲年となっています。ですが、1890年から1894年にかけても作曲を試みていたようです。ですので、45歳から61歳にかけて、作曲されたものとなりそうです。
ということで、クロニクルを差し替えます。
1890年はマーラーは《復活》を書いていたころ。リヒャルト・シュトラウスは《マクベス》や《死と変容》を。ドビュッシーが《ベルガマスク組曲》を書いています。
一方初演は1906年にブリュッセルにて。マーラーは1906年に交響曲第8番を初演しています。そして、シュトラウスの《サロメ》、ドビュッシーの《海》は前年1905年です。
この曲、この数日何度も聞いていますが、印象的なのが第2楽章の後半部ですかね、弦が、徐々に高揚していく下でピアノが幾何文様のようなフレーズを描き続ける部分です。あそこは、5人の奏者でもって最大限のダイナミズムを発揮するところです。溢れ出る情感がなにを描いていたのか。
今回はCDを2バージョンほど聞いています。1枚目はこちら。ユボーとヴィア・ノヴァ四重奏団のもの。こちらは全体にダイナミックな演奏。
もう1枚はこちら。ジャン・フィリップ・コラールとパレナン四重奏団。緊密な演奏。
聴けば聴くほど味わいが深くなります。これはいい聴き方なのか悪い聴き方なのか。これが複製芸術の聴き方なんでしょうね。
それではお休みなさい。グーテナハトです。
あーあ、来てしまいました。
ですが、なかなか冷静に使っています。というか、本当に抑制された美しさと機能なのです。みなさんにお勧めするということはできないかもしれませんが、楽しんでいます。
というわけで今日はこちらを聞いていますが、時間切れなので、また明日。GWは充実した毎日を過ごしたいものです。
ではお休みなさい。