信頼できない語り手
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昨日取り上げた「双生児」を書いたクリストファー・プリーストを調べていくと「信頼できない語り手」という言葉にたどり着きました。
なんだか、フーコーの議論を思い出して、とても興味深かったのですね。
語られていることが、実は真実ではないということで、一人称小説や、精神疾患を患う語り手などが、一貫性のない非論理的で物語世界においても誤った言説を取る、というものと理解しました。
まあ、「双生児」においても、事故などが原因となって、一人称の語りが大きく揺らぐ場面が多々あるわけですが、これが「信頼できない語り手」ということになるわけでしょう。
私が最近思っている、文学における「ズレ」あるいは「不協和音」のような構造・言説が、この「信頼的ない語り手」ということになるのか、と思いました。
かつては、真実を語るべきテクストが、真実を語ることはない、という、古くて新しい出来事が現れている、ということなんだと思います。
これが、多分旧約聖書で出尽くしたと言われる類型的な物語を昇華する仕組みなんだと思います。
それは、まるで、オペラの演出のようなものに思えてなりません。知られたオペラの筋書きをスコアに基づいて読み替えるという営為は、おそらくはいかにも知られた「よくある筋書き」のようなものに、新たな意味を加えるということです。
まあ、少し話は戻りますが、主観というのは本当に何を思うのかわかりませんから、誰しもが信頼できない語り手とも言えるわけで、真実なんてものはどこにもない、という状況の中で、信頼できる語り手こそが、信頼できない、という状況に陥りそうです。
歴史も文学も、真実ではなく解釈ですから、なんてことを思います。かなり悲観的な見方ですけれど。
本当は、フーコーのことなど書いてみようと思いましたが、それはまたにします。
今日はそろそろ休みます。おやすみなさい。グーテナハトです。
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