「なぜ腹がたつの? これが世の中なのに」
さまざま、巧く行かないことが多い最近だなあ、と。まあ、面白いぐらいに本当に巧く行かないのですが、しぶとくやってます。周りに迷惑をかけているのなら申し訳ないなあ、とも思いながら。
まあ、人生いい時も悪い時もあるのかなあ、と。
とにかく、悪い時は、身を低くしてでも粘り強く生き続けないと、と思います。スランプの時ほど作家は机について書き続けると言いますし。
これまで何度も修羅場のような場面をくぐり抜けましたが(それすら修羅場ではないのかもしれませんが)、まだなお生きてますので、まだまだ粘らないと、と思います。
今日もばらの騎士。ハイティンク盤を聴いています。
人生の儚さを歌うマルシャリン、つまり元帥夫人のモノローグ。
2年ほど前に新国立劇場でばらの騎士を観た時、この言葉にガツンとやられたのでした。
「なぜ腹がたつの? これが世の中なのに」
以来冒頭言にしています。
静かに歌われる、過ぎ行く時間とままならぬ人生。それを雄々しく受け入れ手放す心意気,。これこそが、大人の粋な生き方だなあ。
あえて怒ることはあろうとも、それは別になにか空虚なもののように思います。本当はどんなにいきどおろうとも、なにも変わらないのですから。
昔は、第二幕、ばらの献呈のシーンが一番好きでした。次に、第三幕終幕の場が好きになりました。今は、第一幕最後の元帥夫人のモノローグが一番好きだなあ、と思います。
それでもなお、元帥夫人も人間です。早くに返してしまった恋人のオクタヴィアンへの未練がまだある。そうした、非合理もまた大人の粋でしょうか。
ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
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