夏の日を望んで──アバドのブラームスの交響曲第4番── その2

 先日から気になり始めたブラームスの交響曲第4番。初めて聴いたのは、ショルティがシカゴ交響楽団を振った音源で、おそらくは中学か高校の夏だったはずです。

 特に昨日からは第二楽章を聴くのが心地よく感じます。静謐な田園の風景という感じで、冒頭のホルンと木管の掛け合いが、これもまたなにか夜明けの風景で、まだ皆が寝静まっているなかを、ひとりで歩く愉しみ、という感じ。もしかするとそういう日々が訪れるのではないか、そういう愉しみ。季節はやはり夏で、山と海があって、薔薇色の朝日と飴色の夕日が見えるところで、朝と晩に、光を浴びながら散歩をするという日々。おそらくは木々が地面に落とす影を愉しみ、草の匂いを含んだ風につつまれつつ、海岸の方へ降りると、潮風と波音のなかで群青色の波面を第二楽章を聴いてそんなことを思いました。

 音源はいつものアバドが振るベルリンフィル。アバドの指揮は、この場で何度も書いていますが、しなやかな緩急で、まるで佇み感じるそよぐ風に似た温かみがあるものです。近頃はアバドなしには生きていけません。

  さしあたり今日の仕事は終えて、自分を労らないと。労働は労りながらでないと。

 それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。