仕事また始まり。なんかこう砂をかむ思い。
今日は珍しく音源紹介です。
完全にバイアスかかった見方なのはわかっていますが、どうもデュ・プレを聴くとこの映画を思い出してしまいます。10年前に観たので、かなり記憶が薄くなっていますが。
「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ(1998)」です。
デュ・プレの姉はヒラリーという名のフルート奏者なんですが、ジャクリーヌほどの激しいセンスを持ち合わせているわけではありません。田舎で音楽を教える静謐な暮らしを送ります。ですが、ジャクリーヌは違います。もちろんダンナのバレンボイムもしかり。二人はアーティストなので、かなりぶっ飛んでいる。で、ぶっ飛んで行き着く先が。。。というお話だったと記憶しています。ジャクリーヌの病的でもろくあやうい精神状況をエミリー・ワトソンが演じていました。
この1963年の録音ですが、ジャクリーヌ・デュ・プレが18歳ごろの演奏です。高校生が弾いているということですね。でも、その後病気でチェロを引けなくなってしまうというアクシデント。1973年に引退してしまいます。
天才もラクじゃないです。余程の楽天家でなければ、みんな同じかな、などと。
デュ・プレのチェロは、ディストーション、つまり、エレキギターを歪ませるエフェクターですが、そのディストーションがかかったような激しく荒々しい音です。その鋭い激しさは音源を聴いてこれですから、実演ですと計り知れないものがあったのでしょう。エルガーのチェロ協奏曲も有名ですが、こちらもそれに劣らず激しさに満ちています。
ここで、「悲しみ」とか書いてしまうと改善に、映画のイメージに影響されている事になりますね。反省。
明日はエルガー?
ジャクリーヌ・デュ・プレのシューマンチェロ協奏曲
少し遅いですが、7月と8月のプレミアムシアター
すっかり夏本番で、今日は海の日ということですが、朝から晩まで本を読んで音楽を聞いてプログラム作って過ごしました。インドア生活でしたが、頭の中身は19世紀から20世紀前半のドイツでした。目からウロコが落ちることばかり。
で、インドアだけでは体を壊すので、散歩がてら写真を取りに行きました。近所のひまわり。ちょうどいい塩梅にミツバチが飛んできました。
少し遅いですが、7月のプレミアムシアター。本当は6月後半にアップする予定でしたが、なかなかNHKのウェブにアップされなかったので、見過ごしてしまいました。すいません。
ではどうぞ。
7月22日(21日深夜)
ベルリン・フィル ワルトビューネ・コンサート
- バイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 (メンデルスゾーン)
- 交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」 (ベートーベン)
※ ラトル指揮 ベルリン・フィルです。
ウィーン・フィル シェーンブルン夏の夜のコンサート2013
)
※ロリン・マゼール指揮 ウイーンフィルです。
7月29日(28日深夜)
ポリーニ&ティーレマンによるブラームスのピアノ協奏曲 第2番&交響曲 第2番
- 喜劇序曲 作品38 (ブゾーニ)
- ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83 (ブラームス)
- 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 (ブラームス)
ポリーニ&ティーレマン指揮 ドレスデン国立管弦楽団演奏会
- 悲劇的序曲 作品81 (ブラームス)
- ロマンチックな組曲 作品125 (レーガー)
- ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15 (ブラームス)
8月19日(18日深夜)
グラインドボーン音楽祭2013 歌劇『イポリットとアリシー』
歌劇「イポリットとアリシー」(ラモー)
※ ウィリアム・クリスティーです!
8月26日(25日深夜)
バイロイト音楽祭2013 歌劇『さまよえるオランダ人』
※ 今年はオランダ人。ティーレマン指揮です。
バイロイトは当然として、グラインドボーンのラモーも楽しみです。実は、私、ラモーが好きなんですよね。マゼールとウィーンフィルのコンビのワーグナー・ヴェルディガラも面白そうです。というか、観る時間いつなんだ。。
編集後記
オペラログをつけているのですが、随分と多くなりました。初めてオペラを観たのが2002年ですので、10年以上観ているようです。が、まだまだわからないことだらけです。奥深すぎます。
夏なんで、バイロイトやプロムスがあります。METライブ・ビューイングのアンコール上映もあります。頼まれている仕事もあるし、試験もあるし。どこまで追随できるかなあ。でも楽しいので忙しくてもぜんぜん大丈夫です。
現代オペラ演出の源流をみた──新国立劇場地域招聘公演《三文オペラ》
今日は、新国立劇場地域招聘公演「三文オペラ」を聴いてきました。というより、観てきました、というべきでしょうか。
私が予習していたのはこの盤でしたが、当然CDなので、音楽中心にまとめられていますが、今日は完全版ということで、劇もきちんと観ることが出来ました。
それにしても《三文オペラ》は本当に毒に満ち溢れた作品です。いろいろ考えてしまいました。それもそのはず。以下に述べる通り、それを目指しているのがこの《三文オペラ》なのですから。
ブレヒトと現代のオペラ
今朝、とある雑誌を思い出しました。1998年に事実上廃刊されてしまった音楽之友社の「音楽芸術です。廃刊直前の1998年10月号の特集が『ブレヒト/ヴァイル─現代社会を照射する』でした。
当時、私はこの雑誌の記事について、自分のウェブサイトに記事を載せた記憶があります。
現代の政治社会的テーマを取り上げる舞台劇
「ブレヒトが今日を照射するもの」という岩渕達治さんの論文が乗っているのですが、その冒頭部分にこのような記載があります。
それはブレヒトの演劇の方向自体が基本的に現代の政治的社会的なテーマを討論する場と考えたことから来るのであろう。ブレヒト/ヴァイルの共同作業も極言すればオペラにそのような機能を持ち込もうとした試みということができる。(中略)現代的な読み込みによるオペラ演出が登場したのは戦後のことであり、そういう新傾向の原点は二〇年代にあったのではないかと思われる。
先だって出版された森岡実穂さんの「オペラハウスから世界を見る」において、劇場が「直接に世界の現実とつながり、実際の事件から思想的な大きな流れまで、さまざまな事象がそこに反映されていく場所」とされているように、オペラは現代を考える場所でもあるのです。その源流が、ブレヒト/ヴァイルにある、ということになります。
ナッハデンケン=熟考
また、ブレヒト演劇におけるナッハデンケンNachdenken=熟考という言葉も、昨今、私が思っているオペラの観方によくフィットします。これは、劇を見た後になって内容を熟考するという意味です。これはブレヒト演劇の特徴で、作品の中に違和感を残して、劇が終わった後も、観客がその内容がきになって仕方がない、という状況にするものです。
たとえば、《三文オペラ》も、あまりにも唐突に女王の恩赦がくだり、終身貴族に列せられ、年金が支払われる、という、突拍子もないハッピーエンドです。それ自体が、ご都合主義的台本への批判になっていて、観客は、なんでこうなるのか、と頭を捻らなければならない、ということになります。
観客を挑発するために、観客の大半が属している社会階級を批判してみたり、余韻を残して考えさせたり、といった仕掛けが、《三文オペラ》にも満ち溢れていて、観客はいちいち引っかかって、幕の後も、何かしら考えずにはいられなくなります。
しかし、これは、今では当たり前となっていることではないでしょうか。《夜叉ケ池》を観ても、《ナブッコ》を観ても、あるいは、《コジ・ファン・トゥッテ》を観ても、《マクベス》を観ても、幕の後何かを考えずに入られません。このウェブログ自体がそうした場でもあるので。
この、劇の後にあれやこれやと考える、という行為の源流もやはりブレヒトのオペラにあったということだと言えそうです。
編集後記
というか、今朝、この「音楽芸術」を本棚から取り出した時に、驚きましたよ。実は後半にびわ湖ホールについての若杉さんのインタビューが載っているのです。シンクロニシティ。
明日もすこし続けないと。では。
東京芸術劇場のサウンド──読売日響《アメリカン・プログラム》
ジメジメした一日ですが、今年導入したエアコンのお陰で自室で仕事ができて嬉しいかぎり。スタバに行かなくても済んでいます。
はじめに
今日も、朝からiTunesに入った《シンフォニック・ダンス》を聴いたり、全曲盤《ウェスト・サイド・ストーリー》を聴いたり。
右側のリンク、ホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワのバージョンは、オリジナル編成です。エレキギターがカッコイイ。サウンドもキレがあります。
今日も、昨日の読売日響の《アメリカン・プログラム》の記憶を、さらにたどってみます。
《シンフォニック・ダンス》
ヒュー・ウルフのテンポは、私には中庸から少し遅め、という感覚でした。テンポを大袈裟に動かすことなく、インテンポに徹した演奏だったかと。これは、おそらくはジャズの文脈で捉えるとするなら妥当なものかと思います。 《シンフォニック・ダンス》のMamboのところで、弦にスイングを要求するところ、身体全体を使って
Mamboのところは、オケメンバーが"Mambo!!"と叫ぶんですが、ビオラの最前列のお二人が、身を乗り出して録音用マイクに向かって顔を真赤にして楽しそうに叫んでいたのも印象的。音楽やって楽しい、という感覚が伝わってきて胸が熱くなりました。
《ニュー・イングランドの3つの場所》
アイヴスの《ニュー・イングランドの3つの場所》は実に興味深いです。一曲目"The St. Gaudens in Boston Common"は静謐な音楽。武満の《弦楽のためのレクイエム》を思い出しながら聴きました。
二曲目の Putnum’s Campは、マーチング・バンドの音楽が、少しずつ改鋳されて、無調とポリリズムへと変容していくのが鮮やかで面白いです。さすがに読響メンバーも演奏が終わると汗を拭っていました。難しい曲です。
三曲目は"The Housatonic at Stockbridge"、最初はララバイ。フォスターか黒人霊歌のような旋律なのですが、これも徐々に形が崩れていき、無調とポリリズムという不安の高揚へと至ります。なんだろう、このペシミズムは。。
この曲、"American Tapestry"というアルバムで聞くことができます。
東京芸術劇場のサウンド
音響の評判が良くなかった印象の東京芸術劇場ですが、確かに少し不満はあるものの、総じて音響を楽しめました。
私が座っていた前列正面の音響が今ひとつなのは知っていましたが、これがどうして、今回のプログラムだとすごくハマります。繊細な弦楽器のニュアンスを聞き取れますし、遠くの方から金管群がリバーヴを伴って押し寄せてきます。ホールのリバーヴ感は少し効きすぎに思えましたが、元来リヴァーヴ感が好きなので問題ないです。ただ、リヴァーヴが高音域に偏って聞こえるのが気になる方がいるかもしれません。
個人的には、病みつきになりそうなサウンドです。
おまけ
昨日の《シンフォニック・ダンス》聴いて、無性に楽器が吹きたくなったので、家でこっそりサックスを吹きました。久々すぎるのですが、指は覚えているものです。多分、ですが、指を動かすこと、くわえて旋律を考えて即座に繰り出すこと、譜面を読むこと、を続ければ、脳が活性化する、はず。。
終わりに
明日は、初台で《三文オペラ》です。どんな舞台なのか、楽しみです。
失神寸前──読売日響《アメリカン・プログラム》
私の上司はメリハリのある勤務を実践しておられるので、私も真似をしようとしましたが、どうも馴れないことはするものではないようです。無理やり仕事終えて後ろ髪を引かれる思いで会社を出て池袋に向かいました。
私は、さる方の影響で、オケを最前列で聴くという悦楽に目覚めましたが、今回もやっぱり最前列。音に包まれて日頃の芥を流れ落としました。
読売日響 第2回読響メトロポリタン・シリーズ
- バーンスタイン:キャンディード序曲
- アイヴズ:ニュー・イングランドの3つの場所
- ガーシュイン:パリのアメリカ人
- バーンスタイン:シンフォニック・ダンス
指揮:ヒュー・ウルフ/読売日本交響楽団
2013年7月12日 19時 東京芸術劇場
アイヴスの曲は未聴でしたが、そのほかはいずれも見に染みこむぐらい聞いている曲なので、本当に楽しかったですよ。
特に後半のシンフォニック・ダンス。
実演は、20年ぐらいまえに、佐渡裕指揮のシエナ・ウインド・オーケストラで聴いたことありましたが、オケ版は初めてかもしれません。
っつうか、プロローグの最後のところ、ドラムがホイッスルを吹いた瞬間、頭に血が上りました。頭がすーっと、後ろにひっぱられるような感じ。これ、失神する瞬間なんだな、と思いました。よく、コンサートで失神するという話を聞きますが、そんなわけないだろ、と思ってましたが、どうやらそういうこともあるみたい。
明日に続きます。
BOSEクワイエットコンフォートイアパッド交換しました。
禁酒6日目。ますます疲れがひどくなります。やはり、アルコールがないと生きていけない体になってしまったのでしょうか。アルコールないのに、眠気がひどくて。。。単純に忙しいだけなのか。。
さて、私の愛用するBoseクワイエットコンフォート15ですが、イヤパッドが壊れました。大体2年から3年でダメになってしまいます。
まったく。だらしのないフォルム。
こちらが新品です。
実は、こういう技を使ってこの新品を手に入れました。2006年ごろ、クワイエットコンフォート2を購入しました。ですが、ヘッドフォン内の部品が外れてしまい、BOSEショップに持って行ったところ、追加料金で最新型のクワイエットコンフォート15に機種交換できることがわかりました。
で、このときの機種交換のときに、イヤパッドを外して持って帰ったのです(お店の人了承済みです)。交換でやって来た新しいクワイエットコンフォート15には新品ですのでもちろんイヤパッドがついています。というわけで、ストックをゲットしたのです。このイヤパッド、購入するとたしか6千円ぐらいするとう代物なので、随分助かりました。
というわけで、明日からはこちらで予習に勤しみます。
明日は赤坂に出張るか?? 仕事次第。
音楽室の作曲家肖像の謎 後編
酷暑です。電車で座っているだけでじっとりと熱くなります。アンチ夏。ビバ冬。
音楽家作曲家肖像画集
昨日の続きで、大貫松三さんの音楽室の肖像画についてです。
ネットの情報では今ひとつでしたので、二次文献にも当たりました。2005年に平塚市美術館で「湘南の洋画家・大貫松三展」が開かれましたが、そちらの展示記録を入手し調べたところ、間違いなく大貫松三さんが書かれたもののようです。
この肖像画は文部省標準学校教材規定に則った「音楽家作曲家肖像画集」というもののようです。
パレストリーナ、ウェーバー、ブラームス、コレッリ、ロッシーニ、サン=サーンス、ヘンデル、シューベルト、チャイコフスキー、バッハ、ベルリオーズ、グリーグ、グルック、メンデルスゾーン、リムスキー・コルサコフ、モーツァルト、リスト、プッチーニ、ベートーヴェン、ヴェルディ、ラベルなどが大貫松三さんのものとされています。
(後述しますが、その後の調査で、ベートーヴェンについては、別人の作品である可能性が高いそうです)
ベートーヴェンは誰が書いた?
こちらのブログに、「トリビアの泉」でこの話が取り上げられた時の記録が残っています。また肖像画は以下のリンク先でも見られますが、そちらの記載は、手元にある展示記録と少し違います。
http://ameblo.jp/patricia-o/day-20120210.html
リンク先では、大貫松三が、作曲家肖像のカレンダーの原画を手がけたという記載になっていますが、大貫松三が手がける前にすでにカレンダーができていたのだそうです。
そのカレンダーのために描かれたベートーヴェンの肖像が、そのまま音楽家作曲家肖像画集に使われたようです。ですので、この肖像画を描いたのは大貫松三ではなく、ホッタさんという別の方なのだそうです。
その後、カレンダーの評判が良かったため、大貫松三さんによって改めて肖像画が描かれ、音楽家作曲家肖像画集が完成したということのようですね。
たしかに、言われてみれば、ベートーヴェンだけ画風が違うのが納得できます。
おまけ
参考までにグーグル画像検索もどうぞ
編集後記
禁酒5日目。まだ耐えられます。体重は1キロ減りました。ですが、まだまだオーバーウェイト。ですが、睡眠の質がどうにも悪いようです。絶対に眠くならないはずの帰りの電車でも眠気がひどいです。これは、もしかして、アルコールを飲んだほうが生産性が上がるということでしょうか? という悪魔の囁きにさいなまれる今日このごろです。
音楽室の作曲家肖像の謎 前編
はじめに
禁酒4日目。いい感じで耐えています。
ですが、以前になく、夕方睡魔に襲われます。これって、眠れていない、ということ? 通説では、アルコールは睡眠の質を悪化させるものです。禁酒によって、睡眠の質が改善し、翌日のパフォーマンスが向上するはずなんですが。。
もう一つの謎。体重が減らない。予定では、アルコールにより過剰に摂取されているカロリーがなくなるので、体重がどんどん減っていくはずなんですが。。
もう少し様子を見ます。
大貫松三氏の絵
さて、今日の本題です。
二週間ほど前の日曜日、記念日ということで、都内某百貨店にあるレストランにまいりました。
そのレストラン、雰囲気もお味も素晴らしい。なにかあると決まってそこに行くことになってしまうのです。料金も良心的かと。
座った席は壁よりで、横にかけられていた絵が目に止まりました。
セザンヌのような果物の静物画でした。ただ、色合いは全く違います。
目を凝らして見てみると、全くキズがありません。本当のプロでないと、こんなに完璧な絵はかけないのです。これは、少ないながらもこれまで何枚も見た絵から得た暗黙知のようなものかもしれません。
しかもですね。構図がかっこいい。普通に考えると、果物のがあったとして、余白を3分の2ぐらい上にとります。というか、私の月並みな写真だとそういう構図をとってしまうのですが、それは違いました。余白が下にあるのです。
さらに、その余白を埋める色。茶色地なのですが、グラデーションの階調があまりにあまりに滑らかできめ細かいのです。
これはすごい絵だ、と直感しました。
ここまでならば、きっとお店の自慢の一つに違いない、と思い、スタッフの方に聞いてみました。
すると、シェフのお父様の作品だとのこと。
その後ネットで調べに調べたところ、作者のお名前がわかりました。
大貫松三さんです。
で、ネットで調べてみると、クラヲタ、音楽愛好家にとって馴染み深すぎるあの絵が、大貫松三さんの手によるものだと分かったのです!!
続きはコマーシャルのあとで。
明日に続きます。
明日の予告
と思いましたが、ググればわかるので書きます。
音楽室に飾られた作曲家の肖像画を覚えている方が多いと思います。
あの絵が大貫松三さんの手によるものなのだとか。
まさか日本の画家が描いておられたとは!
明日は、具体的な資料を入手しましたので、そちらを紹介します。明日に続きます。
クライバー親子対決──カルロスの《美しく青きドナウ》
禁酒三日目。アルコールの代わりに1リットル100円の炭酸水を飲んでいます。
今日はご令息のカルロスの《美しく青きドナウ》。1989年のニューイヤーコンサートです。
当時、私も元旦の教育テレビでみているはずなのですが、クライバーの偉大さを知らなかったので記憶には残っていません。全く残念なかぎり。
聞いていると、ところどころ、父親のエーリヒとそっくりなフレージングがあって驚きます。
たとえば、前奏からの入りにかけてのもたらせ方とか、絶妙な拍のもたらせ方は、そっくりで驚きます。
このもたらせ方が絶妙な美学なのです。
これは、あれですね。若い二人が初めて一緒に踊ろうかというシーン。
おずおずと手をあわせて、ステップを踏み出すのだけれど、最初はぎこちなく、呼吸も合わずゆっくりとしたステップなのだが、そのうちに互いの呼吸を理解し、音楽のノリにあわせて、スピードをあげてステップを踏む。女は紅潮し微笑み、男は真剣に前を見つめるが、女の背に当てられた手は動くことなく、女を支え続けている。
みたいな。
ただ、1923年から76年間で、世界も音楽もずいぶん変わっていますので、ボルタメントがないのは当然として、速度もずいぶん速いです。時代の必然でしょう。
昨日紹介したエーリヒの演奏のテンポは、チェリビダッケ並みに遅いもので、現代のコンサートなどではうけいれられるのか、と心配になります。
あー指揮してみたい、と四半世紀ぶりに思いました。
明日もトラブル対応。では。
クライバー親子対決──エーリヒの《美しく青きドナウ》
今日の関東地方は熱暑でした。で、当然のように夕方には激しい雷雨がやって来ました。雨粒があまりに大きく、叩きつける様は、スネアドラム100台がロールしているような感じ(大袈裟)。
雨が上がる寸前に、太陽が差し込みましたので、これは! と思い窓の外を眺めると、やはり。虹が出ていました。それもしばらくするとダブルレインボーに。
先日から進めているエーリヒ・クライバーの「研究」ですが、ふと思い立って、親子対決のシリーズを始めます。《美しく青きドナウ》、《運命》などを予定。
まずは《美しく青きドナウ》をお父上のほうから。
エーリヒ・クライバーの《美しく青きドナウ》を。
このアルバム、1923年とありますから、エーリヒ・クライバーが32歳〜33歳の演奏。ベルリン国立歌劇場管弦楽団との演奏です。ベルリン国立歌劇場に着任したのが1923年の8月ですので、秋から冬にかけての録音でしょうか。
当時のベルリンは、大インフレ前夜あるいは、大インフレ開始のころでしょう。第一次世界大戦に敗れた直後です。そんな時代にあって、ワルツだなんて、というところなのでしょう。第一次大戦で古き欧州は崩れ去りました。ドイツは領土を削られ多額の賠償金を課せられました。そんな時代にあって、ウィーンの甘美な記憶は浮世離れしていたものだったはずです。
とにかく、録音の状態はよくありませんが、当時の状況を想像することはできます。
それにしても、ゆったりともたらせ、ポルタメントを使った演奏は、とにかく大きく優雅です。丁寧にゆっくり作りこまれた白磁器のようです。
このポルタメントは、最近の演奏では聴かれないものです。またテンポの落とし方もかなり拡大されています。また、パウゼもかなり長めに取られています。時代なんですね。
昨日取り上げた1954年録音の《ばらの騎士》第二幕最後のオックスのワルツと相通じるテンポ感ですこしつながりが見えた気がします。ただ、《ばらの騎士》のほうが時代が降っていますので、かなりさっぱりとした指揮になっています。
ちなみに以下の本「エーリヒ・クライバー 信念の指揮者、その生涯」、めちゃお勧めです。エーリヒ・クライバー研究には必携。というか日本語で読める唯一の書物かも。エーリヒ・クライバーの事績はもちろん、戦間期のベルリンがよくわかります。
明日からお仕事。
追記:禁酒2日目。まだ大丈夫。