PMFオケを聴いて、音楽も良かったんですが、それ以外でもちょっと感銘を受けました。音楽家たちがこうやって若者を育てるのは、音楽的な理由だけではないのかもね、と性善説ぶった解釈をしてしまいました。甘っちょろい考えですが、時にはそういうのも必要です。
世界は平和ではありませんが、少なくとも彼らが交流できるほどには平和であるということなのでしょう。一夏とはいえ、若い彼らにはとっては、極めて大きい経験になったはず。羨ましいですね。
異文化交流ほど平和に貢献するものはありません。自分と違う価値観、それも想像を絶する価値観の違いを体験し、それでもなお諦めず投げ出さないで対話を続けるという精神力をにわかにつけることもできないですし、見聞きするだけでもダメなんでしょう。ネットの画面の向こうにあるものでも、本の中にあるものでもないはずです。
もちろん、皆が皆そういうことをできるわけではありません。しかし、少なくてもそうした交流がどこかで常にできていなければなりません。そうした回りくどさ、面倒さを乗り越えなければ、自国の平和ですら維持できないのです。
若い音楽家が屈託なく振る舞うのをみて、目頭が熱くなったのは、どうやら私が齢を重ねたからだけではないようです。
私らにできることは少ないですが、それでもなお、なにかあるかもね、と思ったり。
今日は《風立ちぬ》を見てきました。みんな語りたいことたくさんあるのだろうなあ、と思います。あの横臥療法を映像で初めてみました。
ひとつだけ。
音楽が《行け、わが想いよ、金色の翼に乗って》に似ているのは、意図されているのかな?
ではまた明日。
PMFオケを聴いて思った妄想理想など。
若さ炸裂──準・メルクル&PMFオケのマーラー5番

いつぞや撮った夕暮れです。空はいつみても神々しいです。
先日の準・メルクル指揮PMFオーケストラによるマーラー交響曲第5番の件です。
この曲、トランペットとホルンがポイントなんですが、第一楽章のしょっぱなのトランペット、素晴らしかったですよ。エッジがありかつ太い音で、フレージングもすこしタメをつくりつつ歌い上げる感じでした。
第三楽章のホルンも良かったですね。フレージングとしては、少しだけミスはあったのかもしれませんが、こちらも随分と分厚い音で旋律から旋律へと自在に飛び回っている感じでした。
メルクルの指揮ですが、そんなに派手にテンポを動かしたり、やけにゆっくり振ったり、なんていうことはないのですが、ひとつひとつの仕掛けが適格で、オケがグイグイ引っ張られているのがよくわかります。
オケですが、やはり臨時オケということもあって、音がひとつに溶け込むといったプロのトップレベルのオケのようには行きませんし、ポリリズムになるところで、一瞬クリックが見えなくなるということはありましたが、とにかく巧いので、速い旋律、大音量の部分では若さのパワーが十分に炸裂していたと思います。
特に第二楽章からはかなりノリ始めたという印象でした。
まあ、さすがに第四楽章アダージェットでは、硬さが目立ちましたが、あそこは若者には相当難しいはずですので、特に大きな異論などはありません。
時間を感じず音楽が聞けた感じがしました。また来年行きたいですね。
明日は、「PMFオケが果たす役割はこういうこと?」という記事を書く予定。
では。グーテナハト。
《短信》『若さゆえ、とは何か。──PMFオケ
昨日の続きです。
「若いオケなので、若さゆえの迫力とか勢いがあるよね」という評価は、音楽をを評価したとは言えないと思うのです。
しかし、そこを割り引いいたとしても、PMFオケはすごかったと思うのです。
たしかに、臨時のオケですので、弦の響きが混ざり合っていなくて、居心地の悪さはありました。
ですが、そうであったとしても、マーラー5番をここまで機能的に演奏すること自体素晴らしいと思ったのです。
特に、マーラー5番の第一楽章冒頭のトランペット、第三楽章ホルンのソロ、は筆舌に尽くし難いものでした。
もう少し言いたいことがあります。。
《短信》PMFオケのマーラー5番

ゆえあって短信。くわしくは明日書きます。
準メルクル指揮によるマーラー5番を。あらゆる要素を差し引いても、メルクルの意図がよくわかる快演でした。というか、感動しました。
マーラーの持つ、ユダヤ民謡、軍楽隊、ウィナーワルツといった要素が混ざり合い、万華鏡のような複雑な文様を形作っているのがよくわかりました。プログレロックのようです。
その他、いろいろありますが、きょうは取り急ぎです。
《短信》カラヤンとフルトヴェングラー
先日の続き。中川右介さんの「カラヤンとフルトヴェングラー」、面白いですよ。カラヤンがどうやってのし上がったのか、よくわかりますが、それよりももっと興味深いのは戦時中のドイツの音楽事情がよく分かるということです。
音楽は戦争遂行のための宣伝道具にされていたことはもちろん、敗色の濃い状況下においても、演奏会がきちんと催されていた、という事実に心打たれます。
もちろん、音楽が政治利用されているということで、いつにもましてなのでしょうけれど、そこまで音楽が力を持っていたということ自体が不思議なのです。
音楽とは実利には役に立たないものだと思っていましたが、たとえそれがプロバガンダとして政治利用されているものだとしても、力を持つということが改めてわかりました。
いいのか悪いのかわかりませんし、音楽家が望んでいるかどうかもわかりませんけれど。
明日で7月も終わり。早く正月が来ないか、待ち遠しいです。気兼ねなく休めるのは正月ぐらいです。
アンフォルタスで検索したら…競走馬が。──ヤノフスキ《パルジファル》
今日、体調悪くありませんでした?
私は、絶不調。ちゃんと寝たのですが、どうも寝覚めが悪く、体中が痛かったのです。どうも気圧が下がっていたからではないか、と睨んでいます。ですので、今日は早めに帰ってきました。といっても帰宅は22時前ですが。
Googleに頭を覗かれている。。
昨日、アンフォルタス、で検索したら、私が昨年書いた記事が出てきました。
どうやら昨年の今頃は、フィッシャー=ディースカウのアンフォルタスに感動していたようです。
アンフォルタスの画像検索でもフィッシャー=ディースカウがトップに出ていて、私の記事にリンクされている。

グーグルに頭の中を覗かれている気分。
ちなみに二番目の写真はアンフォルタスという名前の競走馬でした。

調べてみると、ワーグナーの登場人物がたくさん登場しています。
ブランゲーネまでいるとは。
アンフォルタス
http://db.netkeiba.com/horse/2011104830/
ローエングリン
http://db.netkeiba.com/horse/1999106738/
ジークフリート
http://db.netkeiba.com/horse/1989101552/
http://db.netkeiba.com/horse/2005100873/
ジークムント
http://db.netkeiba.com/horse/2004102854/
タンホイザー
http://db.netkeiba.com/horse/2005100907/
http://db.netkeiba.com/horse/1989101555/
http://db.netkeiba.com/horse/1981101490/
ヴォータン
http://db.netkeiba.com/horse/2007109102/
トリスタン
http://db.netkeiba.com/horse/1979105879/
ブリュンヒルデ
http://db.netkeiba.com/horse/1985102183/
http://db.netkeiba.com/horse/1995106547/
イゾルデ
http://db.netkeiba.com/horse/000a00df8c/
http://db.netkeiba.com/horse/2001106080/
http://db.netkeiba.com/horse/2012101263/
ジークリンデ
http://db.netkeiba.com/horse/1955104314/
フリッカ
http://db.netkeiba.com/horse/2005100355/
ブランゲーネ
http://db.netkeiba.com/horse/2002106900/
トリスタンのコメントには「風邪薬みたい」との記載が。はい。そうですね。ドリスタン。
逆に探したけれど、いない馬は以下の通りです。そうか。ブランゲーネはいて、クルヴェナールがいない不条理。
テルラムント
オルトルート
ドンナー(ドンナーベルクはいる)
ハーゲン (ハーゲンベックはいる)
クルヴェナール
ヴァルター(ワルター)
グルネマンツ
クリングゾル
ティトレル
ヤノフスキのパルジファル
今日はヤノフスキのパルジファルを聴いています。旧東ドイツから続く伝統のベルリン放送交響楽団です。NMLをMACで聞いているので、評価はしにくいです。
あとは、誰だどの訳を歌っているのかが、わかりにくいです。アルバム・タイトルを慣用的順番で考えると、パルジファルがクリスティアン・エルスナー、アンフォルタスは多分エフゲニー・ニキティン。グルネマンツはフランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒこれずーっと聴いてたいんですけどね。
第一幕しか聴いていませんが、ヤノフスキ、飛ばすところは容赦なく飛ばしますね。潔い感じ。
このアンフォルタスを歌っていると思われるエフゲニー・ニキティン。元ヘビーメタルバンドのメンバーで、全身に刺青を入れている。その中にハーケンクロイツがあったそうで、バイロイトを降板したようですよ。ソースはこちら。リンク先の写真ではハーケンクロイツは見えませんが。ご本人なんでしょうか。
http://jp.blouinartinfo.com/news/story/856835/ehugeninikiteinshi-hakenkuroitukagishi-zi-noci-qing-deyin-le
アンフォルタスがハーケンクロイツ。やばすぎるネタです。
明日もお仕事。がんばろう。
苦悩する強さ──1962年バイロイト《パルジファル》におけるジョージ・ロンドンのアンフォルタス
はじめに
メガネを新調しました。今、流行のJ●NSにて。
ですが、色々失敗。
まず、度数調整を失敗。
目が疲れるのでPC用ということにしたので、度数を測るときにiPadを持って行って、距離を測りました。実際に使ってみると、iPadを使う時とPCを使うときは微妙に距離が違います。その差はおおよそ10センチ。その差が致命的。iPadは快適ですが、PCはダメ。肩こりがひどくなってしまいました。
次の失敗。ブルーライトカットなんで、メガネが薄茶色なんですが(すこし予想はしていたんですが)私がかけると、完全にあっち系の人に見えるらしい。これではガードマンに止められて出勤できません(おーげさ)。形はいいのですが。
クナッパーツ・ブッシュのパルジファル
今年の夏は、ワーグナーの研究をしないと。というわけで、今日はパルジファルを聴きました。
クナッパーツブッシュのバイロイトにおけるパルジファルの録音は複数残されていますが、私が聞いているのは1962年の録音。
パルジファルはジェス・トーマス、グルネマンツはハンス・ホッター、そしてアンフォルタスはジョージ・ロンドンです。
ジョージ・ロンドンのアンフォルタス
ジョージ・ロンドンのアンフォルタスには感動しました。
私は、アンフォルタスに一番共感を覚えます。
アンフォルタスは聖杯を守る城主。ですが、「罪」を犯し、槍の傷に苛まれている。
苦悩に耐え、死ぬことも生きることも能わない地獄にいる男。自分の弱さがゆえと知っているからこそ、誰をも責められず、ただ自らを責め続け、自らの責めに苛まれている。
聖杯の守護という重責を担うにはあまりに人間的。全然ヒーローなんかじゃありません。
ジョージ・ロンドンのアンフォルタスは激しい。全然枯れてなくて、苦悩しまくっています。苦悩しているのですが、が、苦悩を続けているからこそ得た強さのものを感じます。多分、普通に生きるには十分に強い王なのです。ですが、生半可に理想を求めてしまったのですね。
パルジファルが第二幕で「アンフォルタス!!!」と絶叫して、アンフォルタスと同じ罠にはまらない箇所がありますが、あそこは、パルジファルを通してアンフォルタスの胸中を見る思いがして、2010年の東京春祭では、あの場面で思いっきり泣いて、浄化された記憶があります。というか、本当に浄化されたんだろうな、と思います。
録音について
私の持っている録音は、1993年7月発売。S/N比は若干高めですが、そんなに気になるまではありません。
クナッパーツブッシュの1962年の録音についてはこちらのサイトが詳しいです。
http://solarisu.sakura.ne.jp/Record/Parsifal-Kna62/Parsifal-Kna62.html
この録音なんですが、第一幕と第二幕に途切れがないように聴こえます。いや、第一幕の最後で拍手がないのはいいのです。それが慣例なので。ですが、休憩なしというのは大丈夫なんですかね。
終わりに
カミさんに駄目だし食らったので原稿はまだ出来上がらない。おっしゃるとおり。それじゃあ書評にならんよ。。締め切りは水曜日。大丈夫か、オレ。
7月29日からの東京オケ事情
7月29日からの東京オケ事情。来週はPMFで準・メルクルがサントリーホールに登場ですね。川崎のコンサート、平日なのに昼始まりなのは、夏休みだからですね、はい。羨ましい。
今週は出撃しませんが、来週は一日ぐらい出撃したいものです。
あとは、このページ、PHPで自動化したいです。
| 日 | 場所 | 指揮者 | オケ | 演目 | 開演時間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 7月29日(月) | サントリーホール | チョン・ミョンフン | アジア・フィルハーモニー管弦楽団 |
ワーグナー: オペラ『タンホイザー』序曲 : 楽劇『トリスタンとイゾルデ』から前奏曲と愛の死 ブラームス: 交響曲第4番 ホ短調 op.98 |
19:00:00 |
| ミューザ川崎シンフォニーホール | クリスティアン・アルミンク | 新日本フィルハーモニー交響楽団 |
○三善 晃:ヴァイオリン協奏曲(1965) ○ストラヴィンスキー:バレエ組曲「プルチネッラ」 ○メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア |
19:00:00 | |
| 7月30日(火) | サントリーホール | 準・メルクル | PMFオーケストラ |
ブルッフ: ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26 ベルリオーズ: 幻想交響曲 op.14 |
19:00:00 |
| ミューザ川崎シンフォニーホール | 小林研一郎 | 読売日本交響楽団 |
<オール・チャイコフスキー・プログラム> ○歌劇「エフゲニ・オネーギン」から ポロネーズ ○ピアノ協奏曲第1番 ○交響曲第5番 |
15:00:00 | |
| 7月31日(水) | サントリーホール | 準・メルクル | PMFオーケストラ |
武満徹: ア・ストリング・アラウンド・オータム マーラー: 交響曲第5番 嬰ハ短調 |
19:00:00 |
| オペラパレス | ミシェル・プラッソン | 東京フィルハーモニー交響楽団 |
東京二期会公演 ホフマン物語 |
18:30:00 | |
| 8月1日(木) | オペラパレス | ミシェル・プラッソン | 東京フィルハーモニー交響楽団 |
東京二期会公演 ホフマン物語 |
18:30:00 |
| ミューザ川崎シンフォニーホール | 金聖響 | 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 | マーラー:交響曲第1番「巨人」(花の章付き) | 15:00:00 | |
| 8月2日(金) | すみだトリフォニーホール | クリスティアン・アルミンク | 新日本フィルハーモニー交響楽団 | マーラー/交響曲第3番 ニ短調 | 19:15:00 |
| ミューザ川崎シンフォニーホール | 山下一史 | NHK交響楽団 |
○バーンスタイン:キャンディード序曲 ○J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番から ガボット 第1番、第2番 ○ファリャ:バレエ組曲「三角帽子」から" 隣人の踊り" ○ラヴェル:古風なメヌエット ○J. シュトラウスII :皇帝円舞曲 ○ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)から “カッチェイ王の魔の踊り","子守唄","終曲" |
18:30:00 | |
| 8月3日(土) | オペラパレス | ミシェル・プラッソン | 東京フィルハーモニー交響楽団 |
東京二期会公演 ホフマン物語 |
14:00:00 |
| すみだトリフォニーホール | クリスティアン・アルミンク | 新日本フィルハーモニー交響楽団 | マーラー/交響曲第3番 ニ短調 | 19:15:00 | |
| 8月4日(日) | NHKホール | 山下一史 | NHK交響楽団 |
N響ほっとコンサート オーケストラからの贈りもの |
16:00:00 |
| オペラパレス | ミシェル・プラッソン | 東京フィルハーモニー交響楽団 |
東京二期会公演 ホフマン物語 |
14:00:00 | |
| ミューザ川崎シンフォニーホール | 小泉和裕 | 東京都交響楽団 |
○ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ○ブラームス:交響曲第4番 |
17:00:00 |
※記載は正確なものを心がけますが、万一誤っていた場合、責任はとれませんので、自己責任でご参考にしてください。
《トリスタンとイゾルデ》に《パルジファル》が聞こえる。
時のうつろいゆく流れはいとおかし。
1989年に知り合った高校時代の友人とその友人たち会食。当時はまだソ連があって、ペレストロイカ真っ盛りでした。このまま行けば平和な世界がくるのではないか、と思ったのが懐かしく思えます。お互い違う道を歩いていますし、バックボーンも違うのに。なにはともあれ楽しいひと時でした。
さて、恍惚とした感じのバーンスタインの《トリスタンとイゾルデ》ですが、今週集中的に聞いています。
前にも気づいてことですが、第三幕のマルケ王のモノローグ、erwachenというところ、《パルジファル》のアンフォルタスのモノローグとそっくりなことに思い至りました。和音や旋律が《パルジファル》そっくり。《パルジファル》のほうは、erbarmenだと思いますけれど。
今日はこれ以上深堀りできません。今後研究します。
明日はお仕事が、少し夜更かし気味です。早く眠らないと。
あー、日ユ同祖論って、トンデモだけど、なんか面白い。
ではまた明日。
カラヤン帝国の興亡をたどる──中川右介「カラヤン帝国興亡史」
暑いです。コンクリートジャングルもやはりジャングルなんですか。。今日は外を歩く機会が多かったのでなおさらです。普通はオフィスからでませんので、体はインドア仕様になっていますので。
はじめに
中川右介さんの「カラヤン帝国興亡史」を読みました。
カラヤンの事績を振り返ることで、戦後ヨーロッパ楽壇の見取り図が、ほんとうによくわかります。おすすめです。
ベルリン・フィルは二番手だった
私がクラシックを聴き始めた10歳ごろ、グラモフォンが出していたクラシックベストシリーズのカセットテープは、すべてカラヤンとベルリン・フィルでした。これらが私のデフォルト音源。ですのでカラヤンとくればベルリン・フィルとなるわけです。
ところが、実際には、ベルリンは二番手でしかなかったのですね。カラヤンにとって本当に大事だったのはオペラだったようです。ウルム、アーヘンのオペラ監督を勤めたカラヤンです。また、小澤征爾も、カラヤンがオペラを大事にしていたと言っていました。
そういう意味では、ドイツ・オペラの最高峰であるウィーン国立歌劇場がカラヤンにとっては最高の獲物なわけです。
カラヤンの政治力というものは、自分の芸術のための方法論だったのでしょう。カラヤンにとってはウイーンやベルリンを得て、オペラを振らなければ自分の芸術を表現する事ができないと考えた。であるからこそ、ヒトラー譲りの政治的駆け引きで、ポストを手に入れたということでしょう。
出来る人はこうやって獲物を狩るのですね。
この本では、そうしたカラヤンの狙いと思惑、そしてやり方がよくわかります。ある意味、英雄が戦いに勝利する場面を見る戦史シリーズとでもいえましょう。爽快感すら覚えます。
天才でも失うものはある
実際、ウィーン国立歌劇場でカラヤンは8年にわたって監督職に就きますが、これは平坦なものではありませんでした。
ウィーン的というやり方、つまり、表では微笑み、裏ではあざ笑うといったたぐいの、一筋縄では行かない駆け引きがあったようです。カラヤンはもちろんヒトラー譲りの政治力を持っていて、同時期にベルリン・フィル、ザルツブルク音楽祭、ウィーンフィルを手に入れるのですから。
それでもなお、失うものがあるとは。
どんな天才でもすべてを手に入れることはできない、ということですね。人間誰しも、その場その場でその人なりの悩みを抱える、ということですね。
エーリヒ・クライバーのこと
この本を読むと、エーリヒ・クライバーがウィーンに戻りたくても戻れるわけがない、と思いました。
エーリヒはウィーンのポストが本当に欲しかったと思います。ですが、エーリヒはこうした権謀術数に長けているわけではありません。
エーリヒは芸術を最上のものとする信念の人です。にも関わらず、政治的な動きをしません。伝記には「政治に疎い」とまで書いてあります。筋を通すためであれば、最上のものとするべき芸術でさえ犠牲にしてしまいます。
東ベルリン当局と衝突して、ベルリン国立歌劇場再建目前にして、芸術監督職を辞任するのは、本当にもったいない話です。
おわりに
この本の前編として「カラヤンとフルトヴェングラー」という本があります。こちらも近々読む予定。最近読書が楽しいです。
