Opera

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縁あって上野にて東京二期会公演「こうもり」を。

実に楽しい三時間半でした。

日本語の歌詞が以外にもフィットしたので驚きました。これまでは原語主義者でしたが、考えを改めました。

日本語も楽しい。というか、贅沢な話です。ありがたいことです。

歌手の方々

まずは、アデーレを歌った坂井田さん、素晴らしいです!

傷のないピッチと豊かな声で、独唱のところは何処もすごかったです。二幕の公爵様、のところは、特に。涙出ました。

どこかでみたことがあると思ったら、2010年の東京春祭パルジファルに出演しておられましたね。この方は本当に楽しみです。このすこし深みのある声はオクタヴィアンだ!と思いました。ケルビーノを歌ったこともあるようですので、なくもないでしょう。楽しみです。

あとは、イーダの井関さんもさんももちろん素晴らしかったです。坂井田さんと組んでいるところ、良かったです。

小貫さん、三戸さんも素晴らしかった。二人の体を張った(?)演技が、素晴らしくて素晴らしくて。もちろん歌も!

歌手の方々、みんな振りがすごくそれっぽく、つまり、本場っぽい身のこなしで、雰囲気がずいぶん伝わってきました。

ここ、実は少し不安だったのです。でも、予想を遙かに超えて、とても楽しめました。

おもしろかったのは

おもしろかったのは、第三幕で「誰も寝てはならぬ」が出たところかなあ。大喝采でした。みんな大好きプッチーニ。

第一幕では「椿姫」が引用されたはずです。悪のりして「乾杯の歌」でもでないかなあ、と思いましたが、さすがにそこまでは行かなかったです。

指揮者大植さん

大植さんの指揮をみるのははじめてでしたが、あそこまでのアクションは、かえって圧巻です。きっとああいう感じでオケや歌手を乗せるんでしょうね。

私の印象ではもっと重くなるかなあ、と思いましたが、さすがに「こうもり」ですので、ドライブさせるところはドライブさせて、貯めるところは貯めて、締めるところは締めて、というところで、メリハリのあるわかりやすい指揮でした。

個人的には、これからエア・大植を練習しようと思います。

それにしても

日本人キャストだけでここまで楽しい時間を作れるとは、と思います。ドイツ人が日本語で歌舞伎か吉本新喜劇をやるようなものと思えば、その偉大さがよくわかります。

このあと書く予定なのですが、幕前に国立西洋美術館に行って、西欧にどれだけ日本がコミットしたのか、その凄まじいエネルギーを認識したあとだけに、日本の西洋音楽もここまで凄いのか、という驚愕と尊敬と畏怖を感じました。

ただですね、これが泡沫ではないか、という恐れもあるのですよ。

今の日本が置かれているのは、第一次世界大戦前夜にもまだウィナーワルツに酔いしれたウィーンなのではないかとも思ったり。

昨今の日本をめぐる暗雲立ち込める国際情勢を思うと、この煌めきが刹那的に思うのです。砂上の楼閣のように一瞬で崩れ落ちてしまうのではないか、という悪い予感。

なんだか戦前の東京をみるようで。。

今日のお昼に聴いた「ラ・ヴァルス」でも感じたことです。

というか、今日の体験がすべて連関していて恐ろしいです。

私の予感が現実にならないように願います。何も出来ないのがもどかしいですが。

参考CD

こちらなどいかがでしょう。こういうのはクライバーがやっぱりうまいです。

それではまた明日。次は国立西洋美術館のことを書く予定です。

BelinerPhilharmoniker

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若かりし頃のアバド。

1996年のジルヴェスターコンサートです。

ベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールにて。

FBで勧められていたので、夏休みで時間があるのでついつい見入ってしまいました。

 

ハンガリー舞曲、なんか、漆黒のサラブレットが駆けているような。脈打つ筋肉の波動が見える気がします。あとは洒脱さ。微妙にテンポを動かして

 

それで、めちゃ若いシュテファン・ドール。いやー巧い。

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コンマスは安永さん。オーボエにはシェレンベルガーが入っています。こんなかんじで吹いておられたのですね。

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その後のラ・ヴァルスもすごい。この官能の波。19世紀への惜別。

アバドの指揮は、テンポを微妙に動かして、ためとか遊びを作り出しています。指揮棒も流れるように、なめらかな弧線を描いています。弦のポルタメントもなんか享楽的で泡沫的な風情をよく表しています。

 

なんだか、この曲を聞くと、来るべきオーストリア帝国の没落なんて夢にも見ないで芸術をめでた世紀末ウィーンの儚さに思いいたってしまいます。これってなんだか今の日本に似ているのかも。

この映像、感動したんですが、逆に落ち込んだ気もします。。これを映像でしか見られないなんて。。これって、日のささない地下室で南国の太陽を夢見るのと似ているので。。

Anton Bruckner,Concert,Symphony

行ってきました、下野竜也指揮読売日響でブルックナー交響曲第5番。

みんな大好きブルックナー。

私も大好きです。でも、さすがにみんなに聞こえるぐらい大きな音で、ブル5第二楽章を鼻歌を歌う方がいるのには驚きました。

 

アウフヘーベン

それにしても、今回はこの曲のことをよりいっそう理解できた気がします。

第四楽章の冒頭で、第一楽章と第二楽章のテーマが出ますが、それをクラリネットが否定するんですね。

一語、「否」、みたいな。

で、クラリネットの否定に屈して、弦楽器がフーガを奏で始める、という構造。

ほんと、弁証法的です。

確か、ベートーヴェン第九の四楽章もそんな感じで、止揚していくんですよね。

本当にドイツ的だと思います。

 

論理的

そんな、論理的なドイツ音楽を下野竜也さんは、論理的緻密さで構築しきっていたように思います。もう本当に隙のない論理性で、マチュピチュの石垣のようにナイフが隙間に入らないぐらいぴったりと組まれた石組みの構造でした。

あとは一つ一つの石組みをきちんと見せてくれました。たとえば、ゲネラルパウゼの長さが残響を意識して取られているなど。

そのため、くっきりと鮮やかに個々の構造が見て取れたと思います。

ただ、私の勉強不足なんですが、そうすると全体の流れを捉えるのが難しくなったなあ、と思いました。自分が何処にいるのかはわかりますが、その場所がどういう意味を持つのか、認識するのが難しかったように思います。

テンポはかなり緩く、インテンポ。もちろん、加速するところは加速しますが、過度なテンポチェンジはありませんでした。こういう淡々としたところも論理的に思えた所以と思います。

でも、さすがに最終楽章最終部はみんな熱くなっていて、ビオラの方が凄くうれしそうに弾いていたのが印象的です。

ホールの音

全体の音量、音圧が小さく思えたのは、ホールと私の席のせいでしょう。今日もいつものように一番前で聴いたので、金管の音が頭上を抜けていったように思いました。以下のウェブでもそうしたことが指摘してあります。もうすこし後ろの席にすれば良かったのですね。

http://www.zankyo.com/hall/tokyo_detail.html

ステージから離れる程、両サイドの壁が遠くなって行くため、1・2階の中央席で聴くと音が頭の上を通過するようで落ち着かない。比較的高い壁のある2階の両サイドの席が、音が鮮明で落ち着いて聞こえる。

 

恐怖のエスカレータ

さて、先ほどの記事でも触れたように東京芸術劇場に来るのは久しぶりでした。恐怖の直線エスカレーターは以下のように作り替えられていました。

 

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上から見るとこんな感じでした。やっぱり怖いかも。。

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明日は縁あって上野に出張るかも。。

それではまた。

Miscellaneous

東京芸術劇場は、昨年2012年9月にリニューアルオープンしました。

あの恐怖のエスカレータが二段構えになったそうです。

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120908/enn1209081447002-n1.htm

 

今日は下野竜也指揮の読売日響でブルックナーの5番を聴きます。

会場前にホワイエのカフェで休息中。

平日のコンサートにははあまり行っていないので、ふしぎな気分です。なんか慣れません。

グラスにはサックスをモティーフにしたグラスが。洋物のようです。

 

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それでは後ほど。

Miscellaneous

夏休み一日目。

 

昨夜は会社を出たのが23時半。帰宅は1時過ぎ。ずいぶんと疲れていた模様。さすがに。

今朝は8時頃起床。仕事場はもううごいているので、この時間に起き上がるなんて本当に申し訳ない限りだが、さすがに動き出せないのでやむをえない。

10時過ぎの電車で渋谷へ。

ブルックナー交響曲第七番をチェリビダッケの指揮で聴きながら。第三楽章は本当にすごい楽章だと思う。ベースラインがあって、その上で華麗に金管が踊る。オスティナートなんだろうけれど、商業音楽に近いものが感じられる。これはもしかしたらロックなのだろう。

実家の無線LANルーターを新しくしたいとの要望を受けて、渋谷ビックカメラでゲット。雪がちらついている。そのまま実家へ向かいPC設営へ。夕食を実家で取った後、帰宅。

夜はベートーヴェンの弦楽四重奏を聴きながらしばし一仕事。なかなかうまくいかない。

さしあたり、夏休みの計画を立ててみたところ、あまり日数がないことに改めて気づいてしまいます。本当はもっと長かったんですが、仕事がね。。。

明日はチケットがあれば、どこかのコンサートに行く予定です。

とりいそぎ。

Classical

さしあたり、今日から夏休み。小旅行を幾つか予定中。やりたいことがたくさんあるが、どれだけできるかな?

まずは毎日音楽を聞いてブログの更新をしたいと思います。

こちらは、先日広島の友人にいただいたカキ。大粒で大変美味でした。

 

 

今日聞いているのはシベリウス二番をセーゲルスタムの指揮にて。夏に聞くと涼しい曲ですが、冬に聞いても格別です。ドイツ音楽と語法が違います。逆にドイツ音楽の特殊性がわかるのかも。相対主義。

ではまた明日。

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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報告遅れましたが、9日(土)に新国立劇場で「愛の妙薬」を聞いて来ました。

徹夜明けの新国立劇場にも慣れた気がするけれど、なんだか日常との乖離に涙が出るほど。

今回のキャストのかたがた、みんな安定していて、素晴らしかった。

シラクーザ、キャンベル、ジローラミ、成田さん、九嶋さん、みんな良かったなあ。

しばし現実を忘れました。

今回も合唱が素晴らしかったし。

シラクーザの思い出

シラクーザが歌いだして、あー、こりゃ贅沢だー、と思いました。いつも書いてますが、これを東京で見られるという奇跡に感謝ですよ。

新国立劇場でシラクーザを聴くのは今回が三回目です。一回目が、あの伝説の2002年の「セビリアの理髪師」。そう、私が初めて聞いた実演オペラ。

これも何度も書いてるんですが、今回も書きます。

当時の新国立劇場はダブルキャストで、シラクーザは降り番でした。

で、第二幕。なかなか始まらなくてやきもきしていたら、スタッフが舞台上に出てきて、アルマヴィーヴァ役のテノールが風邪のため二幕以降歌えない、ということになりました。

で、代わりに登場したのが、シラクーザ! 場内湧きに湧きましたよ! 風邪を引いたテノールに申し訳ないぐらい。

その後のシラクーザの素晴らしい歌唱とコミカルな演技を堪能して、私は新国立劇場に通うようになったというわけです。

そうか、シラクーザのおかげだったのですね。

二回目は「チェネレントラ」でしたね。あの時もすごかった。生まれて初めて、劇中でアンコールで同じ所を歌う、というのに出くわしました。

https://museum.projectmnh.com/2009/06/14195823.php

ニコル・キャンベル

アディーナを歌ったのはニコル・キャンベル、前回のプロダクションのアディーナとくらべて背が高くて、身のこなしが都会的で、劇中で本を読んでいる姿がなんだか先生みたいでしたが、歌はめちゃうまいです。声はやわらかみのある感じです。「ばらの騎士」の元帥夫人を聞きたいなあ、とおもいました。フィガロの伯爵夫人を歌っているから、行けそうですね。

 

レナート・ジローラミ

あとは、ドゥルカマーレを歌ったレナート・ジローラミ。

もう、こういう方が居らっしゃるからオペラが楽しくなるわけですね。

軽妙洒脱な演技がすごくてすごくて。こういうのを見るにつけて、オペラとかヨーロッパの懐の深さを感じてしまいます。

この分野で日本人が勝つのは並大抵ではないなあ、とおもいます。

まあ、西欧人が歌舞伎役者になるのが難しいのと同じ理屈だと思いますけれど。

演出

演出もめちゃ楽しい。

原色をふんだんに使った衣装が、映える舞台。本をうまく使った舞台設営。

現代アートのを見てる感じで、本当に楽しいです。

 

で、今回もありましたよ。

 

ドゥルカマーレの「愛の妙薬」のグラマラスな売り子が、第二幕の最初に、タクトを振り上げようとする指揮者のジュリアン・サレムクールに売りつけるシーン。

二幕の雨に、売り子さんが客席でスタンバっていて、サレムクールの方をポンポン、とたたいて、薬を売ります。

サレムクール、嬉しそうに投げキッスしてました。2本目はコンマスの弦にお札をつけて買ってましたね。

こういうの楽しくて大好きです。真後ろ二列目で見てたので、余計に面白かったです。

今回はないかな、と思ったんですが、ありましたね。

指揮サレムクール

サレムクールの指揮、重みがありながらも推進力がある感じ。私は全然軽さを感じませんでした。ですが、それはストーリーを阻害するものではなく、かえって引き締めているものに思えました。

バレンボイムの弟子、という先入観があったかもしれませんが、そう感じました。

最悪だった私の体調

しかし、私の体調は最悪でした。

前日の8日、5時半に起きて、そのまま24時間働いて、帰宅したのが9日の午前6時半。4時間仮眠して初台に行きました。

レッドブル投入しましたが、さすがに集中力な持たないです。。

寝落ちはしませんでしたが、疲労が鉛のように体の底に溜まっていて、気持ちが感動に向かおうとする時に足を引っ張るのですね。せっかくの第二幕最後のシラクーザ、気持ちが付いて行かなかった。これはショックです。

で、10日も仕事して。

今日は流石に休みましたが、さっきから寒くて寒くて。体温調整ができていないようです。

次回はアイーダ

次回はアイーダですね。

昨日から、カラヤン盤、ムーティ盤、アーノンクール盤を聞きました。

そしたら、今日のNHK-FMで、リストがピアノ用に編曲した「トスカ」が流れていて、おもしろかったですよ。

昨日の深夜にもBSプレミアムで「アイーダ」放送されていましたしね。

 

それでは、また。

Richard Wagner


タンホイザーあれこれ。

公開が遅れたのは、パンデミックな日々のため。毎日刺激に溢れていて、なんだかドラマを見ているような毎日。なーんちゃって。

タンホイザーですが、この物語も単なる勧善懲悪を、超えているとなあ、と。

ヴェーヌスベルクが悪で、教会が善という二元論が通常想定されるものだと思います。

ですので、カトリシズムに偏重しているという向きもあるようですが、よく考えると教皇は神の真意を見抜けなかったわけです。

タンホイザーを教皇は許さなかったのですが、神は奇跡を起こし、タンホイザーを赦しましたから。

権威に、エリーザベトの愛が勝ったのですかね。

エリーザベトの自己犠牲と教会の権威が、イエス・キリストの受難とユダヤ王やパリサイジンといった権威の対立関係に対応しているというの読み過ぎでなければ、これは教会批判になるのですね。

無責任妄想ですが面白いです。

そうそう。何かを思いついたとしても、私より前に六億人がすでに思いついているのである、という名言を読みました。これももちろんその類。その先に進まないとなあ、と思う今日この頃。微速前進しているんですがね。

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

昨日、2月2日に新国立劇場で「タンホイザー」を見て来ました。

今日は夜遅くなってしまいましたので、これからすこしずつ深堀りしますが、いままでの「タンホイザー観」が変わってしまいました。

全体的にはそんなにドラスティックに変わったわけではないのですが、演出一つで物語が大きく変質することに改めて驚きました。

まあ、ヴェーヌスにおける、リンダ・ワトソンとエレナ・ツィトコーワの違いなんですけどね。

画像は、私の参考CDであるハイティンク盤。こればかり聴き過ぎたのかもしれません。ルチア・ポップがエリーザベトを歌うのですが、巧すぎて巧すぎて、かえってエリーザベトっぽくなく思えるようになりました。

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昨夜は、大学生時代の音楽サークルの先輩後輩と久々に。とある方とは15年ぶりに飲んだのですが、全く変わっていなくて、タイムスリップした観があります。若返りの飲み会。

過剰な追憶モードは慎みたいものですが、たまには過去を振り返って自分の今の立ち位置を確認するのもいいものだと思いました。

そういう意味では、ブレブレな人生だなあ。

 

そうそう。今日もあのバークレー出身のギタリストと会話を。

こっちもとても面白かったです。

 

ではまた明日。

Music

1月27日の老ギタリストとの授業。

前半はインド音楽についてひとしきり話を聞く。インド音楽の二つの要素はMicrotoneと独特なScaleシステムであるとのことだ。

Microtoneは、微分音と訳される。

私見では、これはインド音楽だけの概念ではなく、西洋現代音楽においては微分音を出せるピアノなどが作られているのだが、そのあたりとは話がかみ合わなかった。

もう一つ重要なこと。

偉大なクリエイターは常に、別のものを探し続けるということ。

インドのスケールをコルトレーンが取り入れたのもそうした一環。

(だが、彼にコルトレーンのどのアルバムにおいてそうした要素が顕著なのか、聴いてみると、いつものように、すべてである、という答えが返ってくる。禅問答のようだ)

では、何故、70年代にこうした主張が出てきたのか。

まあ、これは、いわずもがななんだが、戦後の経済や社会のリビルドが終結し、マテリアルからスピリチュアルへ興味が移った時代が1970年代なのだ、という歴史解釈だった。

米国は特にベトナム戦争もあったし。

彼の言説はすこし興味深い。彼はスコットランドからオーストラリア、ニュージーランドと渡り歩き、ボストンのバークレーに1969年に入ったと言う。つまり、戦勝国に滞在しているわけだが、それでも戦後の社会が崩壊していて、リビルドが必要だったというのだ。そうか、戦勝国もそういう歴史認識をすることがあるのね、と新鮮だった。

 

彼がギターを始めたきっかけ。友人がギターを弾いていたのだが、ドミナント13thに惹かれたって言っていたと思う。

彼に「輪廻」という日本の言葉を教えてあげたら喜んでいた。cyclicの日本語訳は何だっけ、という話のなかで。で、サンスクリット語は知っていたみたいだ。