Computer

いろいろありまして、全く楽しいスリリングな毎日です。きっとあとから振り返るといい思い出になるんだろうなあ、とおもいます。

Macが我が家にやってきて2週間がたちました。こちらも毎日驚きの日々です。

やっぱり、いいデザインの道具を使うと、嬉しくなります。

たとえば、電源コードだって考えられているのですね。ただ、単にコードを指すだけじゃなくて、マグネット式で着脱が容易だし、上下どちらで取り付けてもOK 。でもって、コード側にLEDが付いているので、本体側に余計な電力は不要ということ。

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光るLED

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ここがマグネットになってます。

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でもってリバーシブル。

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仕事がはかどりますね。嬉しいです。

さしあたり、今週末はお休みです。でも、あらゆることの先はまだ長い。頑張らないと。

Classical

今日は久々の休みだったんですが、社命試験に出かけたので、体は休まりません。火曜日、やっと休める予定なんですが、予定は予定ですのでどうなることやら……。

というわけで、2週間ぶりにスタバ。

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4月のNHKBSプレミアムシアターは以下のラインナップです。

4月15日(14日深夜)

シャイー指揮ゲヴァントハウス管 マーラー交響曲チクルスから 第5番

  • ピアノ協奏曲 イ短調 作品16(グリーグ)
  • 交響曲 第5番 嬰ハ短調(マーラー)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 パリ管弦楽団演奏会

  • 組曲「クープランの墓」(ラヴェル)
  • ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491(モーツァルト)
  • ピアノとオーケストラのための「前世」(カロル・ベッファ)
  • バレエ音楽「春の祭典」(ストラヴィンスキー)

4月22日(21日深夜)

マドリード・レアル劇場公演 歌劇「パーフェクト・アメリカン」(フィリップ・グラス)

フェニーチェ歌劇場公演 歌劇「今日から明日まで」(シェーンベルク)

明日は、さしあたり戦い、明後日休みます。本当は上野の国立西洋美術館に出張りたいんですが、どうなることやら。。

それではまた。

Opera

しかし、働きすぎです。でも、今のところですが、しんどいけどなんか面白い。まあ充実してるんでしょうね。なーんちゃって。明日も頑張ります。

今日からドビュッシーのペレアスとメリザンドを聞いています。フランスものが聞きたくて。

この響きはパルジファルなんですね。柔かな響きの中に無数のゆらめきが遊弋しています。

後悔してもしきれないことがあります。故若杉弘さんが新国立劇場で振った「ペレアスとメリザンド」を聴きにいかなかったことです。本当に残念。行けば私にとっての世界が変わっていただろうに。

そういう意味では、オペラに行くたびに私にとっての世界が変容して行くのでしょうね。ひとつの強固なオペラという実在に接して、世界が少しずつ開いて行くような。

それは、多分CDで聞いたりやDVDで見るオペラより、実演に接した時のほうがより一層強く感じるとおもいます。

「ペレアスとメリザンド」、CDで聴いてもこんなに刺激にあふれているのだから、実演だったらなあ、と。新国立劇場でやってくれればいいのに。

まだまだ実演で聴きたいオペラたくさんあるなー

Classical

先日の3月5日の明け方、昼型への復帰を宣言しましたが、残念ながら、3月6日は、午後2時から翌日3月7日午後6時までの徹夜となりました。

あ、これは昼型への復帰の大切なプロセスでして、本日からは無事に通常勤務に戻りました。

さて、マリー・クレール・アランが亡くなったそうです。2月26日ですか。

マリー=クレール・アランで初めて聞いたバッハのトッカータとフーガニ短調。小学校六年の時でしたね。衝撃で、何度も何度も執拗に聞ききました。鋭利で激しい演奏にのけぞりました。

一度聞きに行きたかったなあ、とおもいます。ほんとうに残念

それで、ナクソス・ミュージック・ライブラリーでアラン女史の演奏を聞いているんですが、MACって音がいいですね。ヘッドフォンなしで鳴らしているんですがちゃんとステレオで聞こえています。音もいいですし、ちょっと音楽を聞くには本当にちょうどいいです。今まで使っていたThinkpad x201sとは違います。エンタテナーだけありますね。感動です!

仕事は忙しいですが、これまでとは違うジャンルの仕事で、新鮮です。結構面白いです。新人の時以来の新鮮さを感じますねえ。もう少し頑張れそうです。

ではまた

Classical,Richard Strauss

夜勤明けの始発電車に乗っています。窓の向こう、薄暮って、こういうのを言うんだろうなあ、という感じです。
東の空が水平線の方からじわりと淡い光を帯び始めていて、薄墨色から桜色へと変化していきます。
この数日ですっかり変身しましたよ。
まず夜行性になりました。さらに、ダイエットにも成功しました。
素晴らしい効果です。結構満足。

さて、マゼール指揮の「ツァラトゥストラはかく語りき」を聞いています。

いやー、ほんとシュトラウスっていいですわ。

この絶妙な不協和音の波に溺れてしまいそうです。つうか、溺れたい。

リズムも結構複雑なんですよねえ。ちゃんと読みたい。

マゼールは雄大でいながら鋭いです。キリッとした味わい。

あとは録音が秀逸です。エッジが聞いた音質が素晴らしいです。

さて、そろそろ社会復帰と夜行性からの脱皮をしたいところですね。明日からは昼間へ戦場を移します。

MAC

帰投中。スリリング

うーん、書こうかどうか迷いましたが、私的にはインパクトが大きいので、書くことにします。

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先日、これも本当に縁があってMacbookをゲットしたんですが、世界観がかわりました。本当に。

初めてPCを買ったのは1995年のことでしたが、あのときと同じかそれ以上のワクワク感です。ちょっとした生き甲斐になるかもしれないです。詳細は今後も引き続き。

さて、これも記録なんで残しておきますが、3月に入っての仕事時間がもう40時間を超えました。でもいい経験しております。

Art,European Art

国立西洋美術館にあるゴッホの薔薇。 写真の構図は変ですが。

 
この盛り上がるように盛られた油絵具の迫力がすごいのです。実物を見るたのしみ。

本日も帰投中。明日も出撃

Art

先週の木曜日、上野の国立西洋美術館にいきました。

日本にここまでの西洋絵画のコレクションがあるのは本当に驚きです。

ないのはラファエロとミケランジェロぐらい。

 

言い過ぎですね。すいません。

 

常設展にはセザンヌ、ゴッホは普通にあります。また、私の大好きなクロード・ロランもありますので驚きです。

そして驚きの一品がこちら。カルロ・ドルチの聖母像。

 

先日の新国立劇場の「タンホイザー」の解説書のなかのくだりで、こんな紹介がありました。ワーグナーはこのカルロ・ドルチの聖母像の模写を見てこう言ったのだそうです。

もし、タンホイザーがこの絵を見ていたら、ヴェーヌスベルクにとどまらなかったであろう。

模写を見たワーグナーにこう言わしめる絵が日本にあることの奇跡と言ったら驚きです。

しかも購入はつい最近ですし。

購入にあたってはきっとすごいかドラマがあるんでしょう。

ずいぶん立ち尽くして見続けました。やはり微細な筆致は実物を見なければわかりません。

この他にもがたくさんありますので、また紹介します。

ちなみに、常設展ではフラッシュなしであれば写真撮影可能です。係の方にも確認済みです。私のとった写真も著作権フリーになるそうです。撮影者には著作権はありません。

 

ちなみに、これを書いている時点では、今週末からラファエロ展がありますから、ラファエロづくしになっているはず。

 

年度末は忙しくてスリリングです。

 

それではまた明日。

Music

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夏休み期間中、以下のコンサートに参りました。

  • 下野竜也指揮 読売日響 ブルックナー交響曲第五番
  • 大植英次指揮 東京二期会 こうもり
  • 尾高忠明指揮 東京フィル グレの歌

時間もあったと言うことで、他の方々の感想などを見て回る余裕がありましたが、凄く勉強になりました。

ここのところ、高名な音楽評論家の方のブログを読んでみると、なんとなく自分の聴き方が当てずっぽうでもないなあ、ということがわかった気がします。

音楽評論まで行かなくとも、楽曲を語ると言うことの難しさは痛いほど知っていますし、そこに正しいとか誤っているということも無いと言うこともわかっているのですが、それでもなお、一つの芸術事象を共有した者同士が、まったく別のことを思うというのも違うわけで、まるでベン図に重なる部分があるように、個々人の認識に重なる部分が出てくるわけです。

それを間主観性というのか意識一般というのか言語ゲームというのか、それぞれとは思いますが、そうした頼りない、それでいて現存するなにかを前提として人々は語り合い、何かを書くわけですね。

佐渡裕さんがベルリンフィルを指揮する際に言った「なにかいいものを作ろうとする共通の目的があるのが頼りだ」と言っていたのを思い出します。

強者くせ者揃いのベルリンフィルであっても、指揮者とともに美しいものを作ろうとする方向は必ず一致しているのだ、というような。

演奏者と聴取者も同じ。

お互いなにか美的な者をお互い求め合っている。確かにそこには言語ゲームのような「クラシック語」や「ジャズ語」というものがあって、それを前提としているわけですが、その中でお互いに同じ方向を向いている。その同じ方向を向いている聞き手それぞれが語ると言うことは、やはり同じ方向を向いて語っているということなのでしょう。

その方向がずれていないと言うことは、いわゆる「クラシック語」を私も少しは理解出来ているという証左になりましょうか、などと安堵感を得たのでした。

 

意識一般:Bewußtsein überhaupt でしたっけ? 懐かしい。

 

今日の仕事は辛い。辛すぎて、毒舌。明日からはおとなしく生きていきます。

それではまた。