Miscellaneous,Tsuji Kunio

数日前から、咲き乱れるコブシが目につくようになりました。散り始めてはいますが、美しさはこの上ないものがあります。

月日が経つのは早く、そろそろ春分にさしかかろうとしています。個人的には、夏が待ち遠しく、春分過ぎると、あと3ヶ月で夏です。本当に待ち遠しいです。季節の巡りは無限のようでいて実は有限であることにも気づかされます。

さて、それにしても、書くことの難しさを感じるこのごろ。

日記やら何やらは書いていますが、在宅勤務になり通勤の時間がなくなった分、ものを考えたり、何か書いたりする時間が少なくなってしまった、ということなんだと思います。

ピアニストがピアノを弾くように書く、というのが辻邦生の言葉ですが、守るのはなかなかに難しいですね。

また、ウェブログというメディア自体がもはや時代遅れという感覚もあります。ウェブログが始まったのはもう20年も昔のことです。ウェブログがブログに変わり、誰もがニュース発信者になれるという強烈なメッセージを感じたのは遠い昔のことです。

今では、TwitterやfacebookあるいはnoteやYoutubeが情報発信のプラットフォームになり、最近ではClubhouseなども登場してはいますが、なにか、どれも囲い込まれたメディアと思えて違和感を感じていまして、おそらくウェブログはずっとキープしていきたいと思っています。私も考えが20世紀的なのではないか、と自己反省をしなくもありません。最近の表現は文章ではなく映像なのでしょうし。文章を書くと言うことへの懐疑を持っているのも事実です。書く、と言う行為にどういう意味があるのか。今や、写真や動画と言ったビジュアルに表現のメインストリームを名実ともに奪われ、書くという行為はレガシーとなっているのではないか。表現の手法として適切なのか。ボブ・ディランがノーベル文学賞を取ったということを捉えたときに、文章の意義が何か、と言うことを本当に考えてしまします。おそらくは大きな転換点の時代にあり、あるいはそのスピードが想像を超えて加速している時代にあって、古びた形式に固執しているのではないか、という疑いをも持つ訳です。

料理研究家の辻静雄と辻邦生・佐保子夫妻が行った対談に、以下のような一節があることを思い出しました。

辻佐保子
あなたはいつも、食べ物産業とお話産業はどんなに不景気になってもなくならない、ってよく言ってましたでしょう。両辻先生に通じますね。

辻静雄
あ、それはいい話だ。

辻邦生
人間を喜ばす仕事は、人間が存在する以上は絶対に滅びない。

辻静雄著作集 『「プルーストと同じ食卓で」辻静雄からの招待状』

「人を喜ばす仕事」のうち、食べ物産業がコロナ大きな打撃をうけて業態の変化を求められているように、お話産業も業態の変化を迫られているのでしょうか。

あるいは、そのヒントは引用した一節の少し前に辻邦生が語る言葉に表れているのでしょうか。

本当に生きる歓びというものが、精神の隅々、肉体の隅々に滲みわたり、そして書く一行一行がそういうものに溢れていたら。人間はそれを手離すはずがない、というのが僕の信念なんですけれどね。

辻静雄著作集 『「プルーストと同じ食卓で」辻静雄からの招待状』

書くと言うことが、生きる歓びに満たされていて、人間を喜ばすということ。それは書く人にとっても、読む人にとっても。そうでありさえすれば、メディアの相違は本質的な問題ではないのでしょうか。

この辻静雄著作集ですが、亡くなった大学の後輩にいただいたものであることも、今日こうしてこの文章を書いたことにも関係あるのでしょうか。

媒体にかかわらず、溢れる生きる歓びを表現するということのほうが重要なのかもしれず、写真であろうが動画であろうが文章であろうが、伝えるべきものを伝えると言うことなのでしょう。そこにはアクセス数といった定量化される指標は似合わない気がします。マーケティングは重要ですが、本質があったのちのマーケティングであり、どうも世界をおかしくしているのは、見栄え見てくれ見せ方でいかようにもなってしまい、本質や真実が二の次になっていることではないか、と思います。見栄え見てくれ見せ方で工夫したとして、その先続くかどうか。

高野山のふすま絵を描いた千住博さんがこんなことを言っていました。

「他人はだませても、自分はだませない。当然お大師さまをだますことは出来ない」

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/L3N589QPLL/

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

ずいぶん長い間書けなかったな、と思いました。1月19日に書いて、それから二週間あまり。

ふと手に取った辻邦生の「地中海幻想の旅から」に納められたロシアへの旅の文章に引き込まれてしまいました。

私がこの長い長い汽車旅を選んでよかったと思ったのは、翌日の早朝、私が目を覚まし、何気なく枕もとのカーテンをあけたときであった。窓の向うには、初秋のロシアの白樺の森が果てしなく続いているのであった。私は思わず息をのみ、冷たい朝霧のなかに、輝くような白い幹を連ねる美しい森に見入ったのだった。

目に浮かびますね。白樺の森がどこまでもどこまでも続いている感じ。それは、我々日本人にとって、白樺の森という非日常がそこにまずあり、その非日常がどこまでもどこまでも無限に続いているという信じられない感覚で、それは自らの現世での経験の矮小さと、世界の認識しきれぬ無限にも近い広大さをまざまざと感じさせるもの、と思います。

それでもなお、白樺の森は有限にある、という事実。

 

世界はどこまでも美しく広漠です。

 

立春がすぎて、春が待ち遠しい今日この頃。東京地方は春一番がもう吹いてしまったとか。とはいえ、まだ寒い日はしばらく続きそうです。どうかみなさまご自愛ください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Miscellaneous

うーん、なんだか怒濤の二週間を過ごした気がします。怒濤はまだ続くのですけれど。

この二週間、仕事をしつつ、いろいろなことがあったなあ、と振り返りつつ。。

そんななかで淡々と続けているのが、AppleWatchを使って体を動かすことです。

毎日340キロカロリー分体を動かし、30分ワークアウトをして、12時感以上立ちましょう、という目標を達成しよう、という心がけをAppleWatchを使っているこの5年半やり続けた感じです。

目的は健康維持ですが、いつの間にか、ワークアウトを行うことが目的になっていたりしますが、まあ、トータルで考えると、心身の健康に寄与するものですから、いいんでしょうね。

一定の目標を達成すると「バッジ」がもらえたりしまして、まあバーチャルなバッチではありますが、いい意味で動機付けになるので、無邪気に頑張るのはありでしょう。数年前にはやった「ゲーミフィケーション」のようなものです。

ということで、明日もせっせと、Apple Watchにをにらみながら、身体に気を配ろうと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Tsuji Kunio

そうそう、初日の出、で思い出しました。日の出のひかりを曙光とも言います。この言葉を先日「日本国語大辞典」で調べました。すると、例文に辻邦生の「北の岬」が登場していたのでした。

この引用は、修道女マリー・テレーズがが最終場面で語る言葉です。

それはいま、何かある光のような者を感じているからなんです。それは光というより、光の予感のようなもの、夜明け前の曙光の先ぶれのようなもの、と言った方がいいかもしれません。そうなんです。それはさっき、あなたが私にふれて下さったとき、私のなかに訪れてきたものでした。私はあの瞬間生まれてはじめて味わうような、精神の高みへ──目のくらむような高みへ、運び去られたのを感じました。その瞬間に、私は、あたなへの愛をこえた愛を、その光をもたらす至高な存在への愛を、はっきりと感じることが出来たのです。(中略)その光の下では、私たちの生の永遠が信じられる、そうした至純の頂きでした。そうなんです、私は、真に永生の光を感じたように思います

北の岬 辻邦生全短編1 346ページ

それから続くマリー・テレーズの独白は、この光に触れる至福を語り、この光とはすべての人々に分け与えられている、と言います。そして、だからこそ、誰かが持ちこたえて、「誰かが貧窮や悲惨のなかにいって、人間の魂の豊かさが、眼に見えるものや、物質だけで支えられているのではないことを証ししなければならないんです」とマリー・テレーズは語るわけです。(同 347ページ)

決して、魂の豊かさは、経済的、物質的な要素だけで成立するわけではありません。あるいは、この無私の愛ともいえる境地、誰にも理解されず、時に狂気とも思われるような無私の奉仕が人間の証のためには必要なのであり、が故に人間が救われるのだ、という境地……。

辻邦生がパルテノン神殿を見て考えたこともやはりそうだったのではないでしょうか。不毛な岩山に、燦然と築かれたパルテノン神殿は、人間のを支える魂の豊かさを象徴するものであり、不毛な土地であったとしても、魂の豊かさ、精神の高貴さが最初にあれば、パルテノンの美が成立し、それが人間を支えるものとなる、と辻邦生は考えたと思うのです。

まず最初にあるべき姿を求めると自然とそれが成立するという、昨日も書いた因果の共時性のようなものをここにも感じるのでした。

というわけで今日も遅くなりました。今日から仕事始めの方も多いと思います。コロナの新規感染者数の急増で緊急事態宣言が、という状況もあり、気が抜けない毎日が続きますが、収束を信じ願いたいと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner

今日も聴いているニーベルングの指環。「神々の黄昏」まで到達しました。丹念に訳文と照らしながら聴くと言うことはせず、いろいろなことをやりながら、お風呂の中にも持ち込んだりして聴いていますが、それにしてもすごいパワーだなあ、と感じます。
ちょうど、辻邦生の文章を探していたときに、「美神との饗宴の森で」を開いたところ、本当にたまたま辻邦生がニーベルングの指環について語っている小論に行き当たりました。「ワルキューレの陶酔」という小論です。
こういう一節がありました。

こうしてワーグナーは結末の「死と救済のモティーフ」をより強く響かすために、物語を発端へ、さらにその起源と遡らせて、ついに『ラインの黄金』から作曲を始めることになったのだ。(中略)トーマス・マンはこうした創作方法を劇よりも叙事詩に近いものと見ている。事実、彼の長編「ブッデンブローク家の人々』の構想の仕方と『指輪』のそれは奇妙によく似ている。

「ワルキューレの陶酔」 「美神との饗宴の森」174ページ 

今日、なぜ「美神との饗宴の森」を手に取ったかというと、辻邦生の言葉で「真の客観は主観を突き詰めた先にある」といった趣旨があったことを思い出し、その言葉を読んだのがちょうど昨年の夏頃で、メモをとっておらず、さて、どこに書いてあったかな、本を探していたから、です。

知られているように、ワーグナーは、元々は「神々の黄昏」をジークフリートの死をクライマックスに据えて構想し、その前史を作る形で、「ジークフリート」、「ワルキューレ」、「ラインの黄金」と構想を進めていったのです。この話を読んで、私は「小説への序章」の最終場面で語られていたことを思い出したのでした、つまり、物語主体とは、未来までも過去に属せしめる主体であり、あらゆる未来に先駆けて未来である主体である、という文脈です。経時的に語られていくストーリーではなく、論理関係が形作られるプロットとしての物語であり、論理関係とは、論理においては一瞬で波及するものであるがゆえに、未来と過去が共存する物語総体となりうる。「空間的にも時間的にも窮極的な「終り」を包み込む物語主体が、相互主観性を根拠づける意味の実態」となる、と。辻邦生全集第15巻 162ページ近辺の議論です。

さらに、この引用部部をよむと、なにかニーベルングの指環のことを語っているように思えてきます。

小説こそは「嘆き」の徹底からうまれてくる時間の窮極的な「反転」によって現前する「祝祭としての時間」である。小説は読者にかかる時間のもつ積極的な効果通し「物語的形態」という全一的な同体感を与える装置によって時代の達成した、眼に見えない本質の生を生活させるところに、より本源的な役割をもつ。

辻邦生全集第15巻 164ページ

このあたりの、主観と客観、過去と未来、言葉と存在、といった二元的要素を、普通の感覚とは逆転させるというテーマが、辻邦生の思想の多くにあるように思います。昨日の引用もやはりそうです。パルテノン体験にも、こうしたテーマが隠れています。

あけましておめでとうございます

この反転の構図を整理しながら、それをどうやって物事と結びつけるかが、今年のテーマだなあ、と思います。
時間切れですね。。今日はこのあたりで。よい週末の夜をお過ごしください。
おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous,Tsuji Kunio

あけましておめでとうございます。

昨日、ゆくとしくるとしを書いたかと思ったら、それから半日もたたないうちに、謹賀新年となりまして、面はゆさもありますが、一つの区切りとして年が明けました。
年頭にあたり、尊敬する辻邦生の一節より。

人間にとって言葉は生命であること、その事実は、言葉が単なる伝達の手段だと思い込み、言葉の不正確さに悩んでいた私に大きな衝撃を与えた。眼から鱗が落ちるような気持ちだった。在るものを言葉で言うのではなく、言葉によって存在をつくるのだということが、ある震撼をともなって、自覚できたのである。

「海峡の霧」304ページ

昨年の年末に駆け込みで読んだ辻邦生作品の一節。昨年は言葉というものの力を学びました。
なかなか書く時間もありませんでしたが、書くことも読むことも大切なことですので、長期戦で取り組もうと思います。どうやらまだまだ人生は続くようです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Miscellaneous

 

 

まあ、激動の一年だった2020年ももう少しで終わります。いつもは見ないテレビですが、紅白歌合戦をつけながらキーボードを叩き始めている感じです。

写真は、2021年最後の夕暮れ。とはいえ、それは単にグレゴリオ暦2020年の夕暮れであるに過ぎないという相対性もなにか分かった気がします。さしあたりは、一年間の無事を感謝し、来年の発展を願いつつ、と言う感じでしょうか。

そして、コロナ第三波がいよいよという大晦日でもあります。東京の一日の感染者が1300人を超えたというニュスはさすがに衝撃でした。これまでの最大感染者を400人近く上回るペースというのはなかなかに厳しいものを感じます。いろいろと背景はあるにせよ、現実としては、ひとつ次元が変わってしまったのかもしれません。とはいえ、変わらないもの、変われないものも多々あるあります。長いスパンで輪を描きながら螺旋のように上昇していくのが世界なのだろうな、と思います。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

おやみなさい。Gute Nahctです。

Richard Wagner

今日は満月だったようです。サクッと撮ってみました。年の終わりの満月という感じです。満月は不思議な感じです。

仕事の疲労感も残りつつ、年末の掃除をしながら、ハイティンクのリングを聞き始めました。やっと3つめのワルキューレまで。並べてみました(笑)。

あらすじなどは10年ほどまえにやはり新国立劇場で聞いたときにずいぶん勉強しました。その頃の記憶をもとに、音楽を楽しむと言うスタイル。ワーグナーもブラームスもやはりロマン派の音楽家であり、フランス革命後の反動の中で生きた芸術家で、なにかしらの理想に向けて音楽を書き続けてきたことに疑いはないわけですが、その理想への向かい方は違うんだろうな、ということを、ふと思ったりしました。

10年前に市の区立劇場の「神々の黄昏」を聞いた後に、特に参考文献をあたるまでもなく、つらつらと思ったこと考えたことをブログに書いていたのですが、まあ考えていることは、100年前にはすでに他の方が考えているわけで、そうした汎的な思考に寄り添えたということは素晴らしかったな、と思いました。

リングの解釈はいろいろあるのでしょうけれど、私の中では、以下11年ほど前に書いた記事が一つの結論だったと思います。「ゴスフォードパーク」という映画の記憶が、リングの構造にとてもよく似ているなあ、ということを書いた者でした。

 

黄昏れる神々の集う映画

あるいは、カズオ・イシグロの「日の名残り」かとの関係なんかも考えていました。こうなると、リングは、近代史を敷衍するなかで、その行く末を描いた芸術作品ということになるわけで、おそらくは、フランス革命から第一次世界大戦、あるいは第二次世界大戦が終わるまでの人類史(欧州史?)を雄弁にかたる叙事詩なんだろうな、と思います。まあ、もっというと、ワーグナーは19世紀半ばにして、100年後を予見していたということになります。

そうそう、以下の記事を読んで、バックステージツアーに当選して、20時半ごろから22時まで、嬉々としてステージ裏を見せていただいた幸せな思い出を思い出しました。そうか、13時にはいつも新国についていたから、都合9時間もお邪魔してたんすね。。

ギービヒ家の謎──新国立劇場「神々の黄昏(神々のたそがれ)」 その5

その後、オペラ的には、「リング」から「パルジファル」やシュトラウス作品に向かってしまった感もあり、それ以上の展開をしていなかったなあ、とも思います。なにかできることはないかな。まあ、その前に辻先生のパルテノン体験をまとめないと。

 

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Tsuji Kunio

辻邦生の「嵯峨野明月記」、これまで何度読んだかわかりませんが、また読み始めています。とはいえ、なかなか時間がとれないということもあり、今回はKindleの読み上げで聴いています。これまでにない読書体験ですが、洗濯や掃除をしながら聴けるというのはありがたいことです。

それで今日気がついたことがあります。

一の声、つまり光悦の独白の部分において、戦乱の京都に織田信長が上洛を果たした後の場面。長い戦乱で焼け野原となった京都に信長軍が駐屯しますが、それはそれで意外に京都に秩序と平穏をもたらしたわけです。信長の軍勢が守護していた二条第を拝む老婆や女たちもいたというわけで、尾張の領主によって救われたと信じる者も居たのだ、という描写。信長の声望は日に日に高まります。一ヶ月前までは信長の残忍無道な戦い方を避難していたというのに、京都の民の、その心の移り変わりの早さ。そこには何らの一貫性もなく、ただただその場その場の心情で民意という者が作られる……。

これを読みながら(聴きながら)、ああ、これは、おそらくは辻先生が見た、昭和二十年の光景なんだろうなあ、と思いました。空襲で焦土と化した東京。一夜にして民主主義信奉へと変貌を遂げたマスコミ。それまでは鬼畜であったGHQは秩序をもたらしたとされ、マッカーサーは神格化されていき、最後にはマッカーサー大統領を待望する声が日本国内で湧き上がるという状況。

「こうした浮動する不実な世間に対する不信と、時の権勢に距離を置く態度とが根をおろし、容易なことでは拭いさることができなくなっていた」と一の声に語らせますが、それはそのまま、おそらくは戦後に感じた辻先生の思いと重なる部分があったのでしょう。その世間に対する不信をもって、おそらくは光悦や与一のように、現実と芸術をつなぐ道へ進むようになった、ということなんだろうなあ、と。そういうことを改めて思うわけです。

これは、「嵯峨野明月記」において通奏するテーマでしょう。揺れ動く時代を超えたなにかを求める道程が、生きる、と言うことにおいて必然なのではないか。そんなことを思います。