Opera

Richard Strauss: Vier letze Lieder/Die heiligen drei K醇rnige aus Morgenland/Capriccio (extract) Richard Strauss: Vier letze Lieder/Die heiligen drei K醇rnige aus Morgenland/Capriccio (extract)
Richard Strauss、 他 (1990/10/25)
Deutsche Grammophon

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カラヤンの振るカプリッチョ終幕の場面を聴きました。ソプラノはアンナ・トモワ=シントウです。月光の音楽の美しさは格別。カラヤンの美意識と音楽の持つ美しさの歯車がかっちりと合っている感じです。トモワ=シントウのダイナミックレンジの広さには脱帽でした。

Classical

Bruckner: Symphony No. 5 Bruckner: Symphony No. 5
Anton Bruckner、 他 (1997/02/11)
BMG

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ヴァントのブルックナーをふと聴いてみました。ベルリンフィルとの力強く端整な演奏。初めて聞いたときには大きな感動を覚えたものです。ヴァントが亡くなってからもう5年近くが経とうとしているのが信じられません。

Classical




スヴェトラーノフ指揮ソ連国立管弦楽団(?The USSR Symphony Orchestra)によるスクリャービンの交響曲全集を買いました。ジャケットから解説書に至るまでキリル文字の連続です。
今回は名曲300に数えられている4番の交響曲「法悦」を聞いてみました。トランペットの咆吼が印象的。きっともっと若い頃、10代に聞いておけば良かったなあ、という曲・演奏でした。もっともそんな若い頃は今のようにCDは安くなかったしお金も持っていなかったので仕方がないのですが……。

Classical

Brandenburg Concerti 1-6 Brandenburg Concerti 1-6
Johann Sebastian Bach、 他 (1990/10/25)
Polygram Int’l
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カラヤンの振るブランデンブルク協奏曲を聴いています。古楽器の演奏に比べると華やか過ぎる感じは否めません。というより、激しいバッハだな、と言う感じです。激しいなりに焦点が定まっていて、聞き手にとってはカラヤンの価値観がよく分かる演奏だと思います。たまにはこういうバッハも良いと思います。

Opera

Capriccio
ベームの振るカプリッチョ。バイエルン放送響、伯爵夫人にヤノヴィッツ、伯爵にディースカウ、フラマンにシュライアー、オリヴィエにプライ。豪華キャストです。ドレスデンのクラシックCDショップで買ったものです。
今日は月光の音楽から終幕にかけてを聞いてみました。この部分は、カラヤンもこの部分だけ録音しているという美しい箇所です。伯爵夫人のヤノヴィッツの声が、透き通るガラス細工のようで、心が揺り動かされます。オケも伯爵夫人の心の揺れを見事に表現していると思います。
今日のところはこの一枚を聞いて明日への勇気としましょう。

Miscellaneous



ナップスターhttp://www.napster.jp/を試してみました。というのも、1週間お試しで音楽ダウンロードし放題ということを知ったからです。

  • まずは、ナップスターのホームページでナップスターアプリをダウンロードし、PCにインストール
  • 名前を入力
  • コースを選択
  • クレジットカード情報を入力
  • 完了!

と言った感じで、手続きを済ませました。
ちなみに、クレジットカード情報を入力しますが、1週間は無料トライアルになるようです。トライアル期間が終わると自動的に課金期間に入るとのことです。課金を発生させないためには1週間が終わる前にトライアルをキャンセルする必要があります。
さて、ナップスターのアカウントは以下の三種類になります。

  • ナップスターベーシック(1,280円/月)
  • ナップスタートゥーゴー!(1,980円/月)
  • ナップスターアラカルト(150円/曲)

ベーシックとトゥーゴーは、無制限にダウンロード出来るのは同じですが、ベーシックには携帯音楽プレーヤーへの転送を行うのに制限があるようです。アラカルトは1曲150円ということで、iTunes Storeと同じ値段になっています。
さて、1週間のトライアル期間中は無料でダウンロード出来るようなので、いくつかダウンロードしてみました。ダウンロードしたファイル形式はWMA形式ですので、Windows Media Playerで聴くことが出来ます。192kビット/秒の品質ですので、そんなに音質の劣化を感じることはありません。
ただ、良いことばかりではなさそうです。僕のようにiPodを使っている場合は、AAC形式に再コーディングしたいところですが、「保護されているファイル」とのことで、iTuneでの変換は無理そうです。
というわけで、僕はトライアルが終わったらアラカルトにかえようと思っています。iPodに入れられないと言うことであれば、残念ですがそんなにメリットを感じません。コンテンツ保護のためと言うこともあるのでしょうけれど。
もっとも、MSとアップルが仲良く提携してくれれば、こういう問題もなくなるのでしょうが、携帯プレーヤで競合し、iTunes Storeとナップスターで競合している、という現状を見れば、提携なんてあり得ないと思いますね。
とりあえず、トライアル期間中に気になる音源はダウンロードしておこうと思っています。


追記です。
どうやら、トライアル期間が終わってアラカルトになると、これまでダウンロードした音源も聴けなくなるとの情報が…。まあ、1週間ダウンロードし放題なんていう、うまい話が本当にあるのか?と思っていたのです、案の定でした。残念です。

Tsuji Kunio

今日も「人間が幸福であること」から。

自分にあったものしか受け入れられず、合わないものに適合できなくなってゆくのは、老化の兆候である。若いときはどんなものにも適応してゆけるものだ。老人が保守的になるのは当然だ。彼らは慣れたものが心地いいのだ。変化を嫌うのだ。だが、ぼくにいま必要なのは、この変化に適合してゆく柔軟な能力だ。そのしなやかさがなければ、これからあとの仕事が豊かに独創的に生まれて来まい。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、82ページ

これは常々思っていたこと。最近変化を厭う気持ちが出てきたような気がしていたところでした。そう思った途端に老け込んでしまった気がするのです。いけませんね。新しいことに常に挑戦していくこと、改革とまでは行かずとも、慣れきったことを変えていく力を持つこと、これが大事だと思いました。大事だと思うだけでなく、実行していかなければならないですね。

Tsuji Kunio

今日も「人間が幸福であること」から数節を…。

<今>を掛けがえなく生きるとは<今>がもたらす<楽しさ>を十全に味わうことだ。逆に言うと<楽しさ>を感じることが、<今>を本当に生きるということなのだ。花の世話をして楽しかったら、そのとき<今>を生きていたのだ。仕事に夢中になって楽しかったら、それも<今>を生きていたのだ。このようにして蓄積してゆく<楽しさ>こそが生の内容にほかならない。この<楽しさ>の濃さが生の本当の意味なのだ。<楽しさ>のないまま、ただ時間を効果的に使うというのは、いかにも多くを生きたように見えながら、生きることから切り離され、無縁な仕事を集積させるに過ぎない。いかにすべてを<楽しみ>の中に取り戻すか──それが<今>に生きる鍵であるに違いない。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、124ページ

ぼくたちが本当の幸福を見いだしたいと思ったら、とにかく不必要なものを棄てなければならない。そして人目など気にせず、夢中になって好きなことに生きることだ。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、134ページ

幸福な人は、わざわざ幸福だとは感じない。ただ夢中になって時を経過したと思うだけだ。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、135ページ

特に

ただ時間を効果的に使うというのは、いかにも多くを生きたように見えながら、生きることから切り離され、無縁な仕事を集積させるに過ぎない。

の部分が心にしみいります。現代は「効率化」の世の中で、「効率的」組織の中に組み込まれてしまっている僕自身としては、複雑な気持ちです。もっとも「仕事に夢中になって楽しかった」数年間が僕にもあったと考えられるようになってきたので、少しは前進かもしれませんが…。いまはそうじゃないんですけれどね…。

Tsuji Kunio

人間が幸福であること―人生についての281の断章 人間が幸福であること―人生についての281の断章
辻 邦生 (1995/02)
海竜社

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最近体調が悪く本を読むことが出来ません。そんな中でもなんとか辻先生の作品を読もうとしているのですが、いくら辻先生の作品が好きとはいえ、体調の悪さに打ち克つことが出来ず、苦しんでいるところです。

とはいえ、断章ぐらいは読むことができよう、と思い「人間が幸福であること」を手に取ってみました。この本は辻作品の中から281のフレーズを取り出して、テーマごとに並べた本です。以下のようなテーマが並んでいます。

  • 人生の豊かな実りのために
  • 死を通って生へゆく道
  • 生のさなかにあって
  • 「いま・ここ」を生きる幸福
  • 生きることに夢中になる姿
  • 生への共感と愛着
  • 暮しを楽しむ・暮しを想像する

まずは、ぱっとページを開いてみて、断章を読んでみるのですが、まるで今の自分のために書いてあるかのような文章にぶつかるのが不思議に思えてなりません。たとえば…

この世にはどうにもならぬ悲劇がある。だが、それは途方もない幸運と同じように、それで人生がどうなるものというわけではない。どうかなったと思うのは、その大きさによって眼がくらまされているからなのだ。人間の上には同じように日が昇り、日が沈む。この一日一日をいかに耐え、見事に充実させるか──それのみが人間の仕事なのだ。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、70ページ

もう一度やりなおしてみるべきだよ。誰だって、過失はある。そのたびに何もかも投げだしたら、一生かかっても人はなにもできやしない。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、71ページ

災難が降ってきたときは、人間は、ただじっと忍耐してそれを遣りすごすより他ないんだ。災難はかならず過ぎてゆくものだから。

辻邦生『人間が幸福であること』海竜社、1996年、71ページ

昨日何気なく開いたページと、今日何気なく開いたページが同じページだったのも不思議ですが、そこに書かれていたことが、今の自分にとって価値あるものと思えるのも不思議なことです。

Classical

バッハ:チェンバロ協奏曲集 バッハ:チェンバロ協奏曲集
ミュンヘン・バッハ管弦楽団 (1989/07/01)
ユニバーサルクラシック

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久方ぶりにバッハのチェンバロ協奏曲を聴きました。10年以上前に聴いたきりだと思います。
憂いを帯びた弦楽合奏の音色に胸が引き裂かれるような気分になります。どうしてだろう、と考えてみました。
リヒターはモダン楽器を主に使い、ピリオド楽器は通奏低音におけるヴィオラ・ダ・ガンバのみだったそうです。このことに関してはいろいろと意見があるようですが、この弦楽合奏を聴けば、必ずしもそれが失敗だったと決めつけることは出来ないと僕は思います。ただ、この音色であれば、チェンバロの替わりにピアノを使ってみてもいいのではないか、とも思いました。確かにすこし弦楽部が前に出来てしまっているような印象があります。チェンバロの音をもう少し聞きたいな、という欲求もあります。
書いていて思ったのですが、僕はこの音の印象を持つ録音をもう一つ知っていることに気づきました。クレンペラーが振ったバッハのミサ曲ロ短調です。あの演奏もやはりモダン楽器を使った壮大な印象だったのですが、どこかに悲痛感や憂愁感を感じた録音でした。同じモダン楽器を使ったバッハということが共通点にあるのみですが、どうやらモダン楽器だから分かるバッハの憂愁感というものがあるようです。楽器の性能が良くなったが故に、バッハの真意を汲み上げることができるようになっているのかもしれません。もちろん逆にピリオド楽器でないとバッハの真意をくみ取ることが出来ないという考え方もありますけれど。