European Literature,Japanese Literature

いよいよ7月です。今年も後半。前半に積み重ねたものを発露させたいと思っています。本も読んだし、オペラをはじめ音楽も浴びるように聴きましたし。
吉田秀和の「オペラ・ノート」を引き続き読んでいます。二重引用で申し訳ないのですが、吉田先生は、プルーストの「花咲く乙女たちのかげに」のなかからこんなエピソードを紹介しています。主人公の「私」は文学者になりたいのだが、父親は外交官になることを望んでいる。だが、父親はこういって、主人公の志望を認める。
「あの子ももう子供じゃない。今まで自分の好みを知ってきたし、人生で何が自分を幸福にするかも分かっている。それは今後とも変るまい」
それに対して、主人公の「私」はこういう疑念を持つ。
「実は人生はもう始まっていたのであり、これからくるものもこれまでと大して変らないのではないか」
人生は、どこからか始まるわけではなく、昨日やり、今日やっていることの中にあり、それが人生そのものなのである、という認識。。
147ページ近辺から引用。ここが一番グッと来ました。いつとは言いませんが、私もこういう思いにとらわれ、名状しがたい悲しみにうち沈んだことがありましたので。私の場合、さらに人生のむなしさまでをも感じてしまった。その先は、もしかしたら俳諧の世界か、禅の世界にでも進んだほうがよかったのかもしれませんが、幸い(?)にも、社会に身をとどめて、サラリーパーソンをやっておりますが。
しかし、吉田さんはプルーストもちゃんと読んでいるんですよ。私はおはずかしながら、「ソドムとゴモラ」で止まっていて、早く再開しないといけないんですが、吉田先生は鈴木道彦の新訳全集の月報に解説も書いておられましたから。たしか「ゲルマントの方へ」だったと思いますが。
プルーストも読まんといかんのですが、何を血迷ったか、単行本版で全冊そろえてしまいまして、その後文庫版が出ていることに気づき、落ち込んだ記憶がありました。でも、単行本版の装丁の美しさは絶品ですからね。
6,7年前に集中的に読んでいたみたい。以下が、当時の記録。さすがに時間が経ちすぎている。私はここに宣言する。プルーストをもう一度再開します。プルーストを読まずに死ねるか! と。
“http://shuk.s6.coreserver.jp/MS/proust/":http://shuk.s6.coreserver.jp/MS/proust/
でも読みたい本はたくさんあるんだよなあ。会社サボって図書館にこもりたい稚拙な欲求。もう時間はない。
ちょっと話題がそれました。
この「オペラ・ノート」では、吉田先生が実際にオペラに言っていらしたレポートは面白いですが、CDを批評する段になるとちょっと筆が鈍るように思える。でも、それは吉田先生の筆が鈍ったのではなく、ビジュアルな要素に対しての言及が少なくなっているから。つまり、私はオペラにおいては、音楽的な部分に勝るとも劣らず演出面などのビジュアルな要素に大きな関心を抱いている、ということ。
それから、私自身の反省点として、モーツァルトやヴェルディ以前のイタリアオペラの聞き込みが足らないということ。でも、ちょっと肌が合わない感じなのですよ。やっぱり、ヴァーグナー、シュトラウス、プッチーニを聞くと、気が落ち着くし、懐かしい我が家に帰ってきた気分になります。
あ、新国のこけら落とし公演「建TAKERU」の批評は強烈でした。あそこまで書いちゃうんだけれど、吉田先生が書くのなら仕方ない。真実は常に残酷です。

Japanese Literature

三島の戯曲「鹿鳴館」を読み終えました。明日の池辺晋一郎「鹿鳴館」にちゃんと間に合いました。
さすが三島です。織り成す人間関係の複雑さをきちんと理解させ、なおも二重三重にもロジックを絡み合わせるあたりは本当に素晴らしい。解釈多様性を持ち、謎を謎のまま飾り付けるやり方も見事。
夫婦の愛憎、親子の愛憎、社会階層間の憎悪、様々な対立軸が提示していくやりかた。文学の一つの大きな使命は、対立軸を鮮明に浮き上がらせるというものがあるでしょうから。
男らしい影山男爵は、男性のシンボルに他ならない。朝子の描き方が随分冷徹で、三島は影山に花を持たせているように思えます。最後の部分で、誰かが殺されるという暗示が示されていて、それが朝子が拠り所にする人物であることを想像しますが、真実は誰にもわかりますまい。
これを明日オペラで見ることができるのは幸せ。感謝しないと。どんな刺激的な体験が待っているんだろう? 詳細は明日の新国立劇場で明らかになるはず。

American Literature

今朝は四時半に目を覚ましました。あわててテレビをつけるのだが、メガネをかけていないので、点数がよく見えません。目を瞬いてとっくりとみると、あれれ、勝っているじゃないですか! 後半始まったばかり。まだわからないけれど、2点差。すごいなあ。
というわけで、少し早めの朝食をとりながら、日本の勝利を鑑賞しました。次はパラグアイですか。がんばって欲しい。

あなたに不利な証拠としてを読もう

で、先日から読んでいる「あなたに不利な証拠として」のことを。この本は、都心で売っているBig Issueの書評で紹介されていたもの。うちの奥さんが読んでみたら、と薦めてくれたので、早速入手してみたんですが、いやあ、すごいですわ。ここまでの強靭な粘りを持った小説家に出会ったのは久しぶりです。

著者横顔

著者はローリー・リン・ドラモンド。名前だけでは、一瞬、男性か女性かわからない。ローリーとくれば、ローリーですからね。でもミドルネームのリンは女性の名前であることに気づく。だが、この方の経歴がすごい。女性でありながら制服警官として5年間勤務し、30歳で交通事故にあって辞職し、ルイジアナ州立大学で英語の学士号とクリエイティブ・ライティングの修士号を取得した。現在は大学で教鞭をとりながら親筆活動を続けている。

構成と内容

この本、キャサリン、リズ、モナ、キャシー、サラという5人の女性をめぐるオムニバス形式の中短編。やっぱり、女性作家はすごい。ひれ伏すのみ。
たとえば、執拗なまでの完璧な描写を無限大に繰り出してくるし、難しいはずの「匂い」の描写を数ページにわたって粘り強く、執拗といってもいいかもしれないけれど、とにかく気迫に満ちた描写力に心を強く打たれました。
描かれているのは、女性警官たちをめぐる勤務の日常なのですが、われわれサラリーマンのように定型化された仕事などはなく、常に死と隣り合わせの世界。警察官の死亡率は交通事故が一番高いという意外な事実も。
緊迫感のある犯人との対峙シーンも読み応え抜群で、これは現役警官か、現役警官をきちんと取材した人でないとかけないだろう、と思わされてしまう。
一番心に残るのは冒頭のキャサリンだと思う。優秀な警官で、伝説の女性で、そして最後はやっぱり……。心打たれるものがある。

心の和む描写、そして開かれた謎

描写が凄い、と書きましたが、特に、ところどころに織り込まれる自然描写が美しくて、ラヴリー。私はアメリカに行ったことがないのですが、映画で見るアメリカの中流階級の住む住宅街の風情なんかが直接伝わってくる。たとえば、枯葉が風に吹かれて乾いた音を立てているシーンとか、葉の色が黄色になった広葉樹が重い枝を街路にたれていたり、リスが時折現れたり、とか。描写力は絶品で、これはもうなかなかまねできないと思う。かなり鍛練を積んだんだろうなあ。
それから、事態についての説明はあまりなされない。原因究明も。それは以前も言ったように謎のまま温存してある。だから、読者は、開かれた物語世界の真ん中に放り出されて、どこに行くのも自由。それを許す包容力がこの本にはあるのです。
緻密な描写、説明をしない奥ゆかしさ。
そうかあ、ここまで書かねばならんのかあ、とかなり勇気付けられた感じ。
だから本読みはやめられません。

女性作家万歳!

しかし、最近気づいたんですが、やっぱり女性作家さんの小説が好きかもしれない。まあ、いろいろ芸風はあるでしょうけれど。私が感銘を受けた女性作家といえば。。。
* 塩野七生
* 永井路子
* 篠田 節子
* 岡本かの子
* リンドグレーン
* アニタ・ブルックナー
* 澤田ふじ子
* ジュンパ・ラヒリ
加えて、辻邦生師の作品は女性的甘美さや緻密さを湛えているし、マルセル・プルーストだって、いろんな意味で女性的なものをもっていますので。そういうくくりでは辻邦生師もプルーストも女性的だといえるのでは、と勝手に思い込んでいます。

Japanese Literature

忘れないうちに、この本もご紹介。
いやー、またスケールの大きなストーリーに感涙です。あえてストーリーは書きません。一言で言うと、「斜陽」、ですかね。あまりに縮めすぎかな。
うまくいっている小説の一つの特徴として、余韻というものがあって、それは、謎が謎のまま残され、その後の展開が読者の想像力にゆだねられるというものなのですが、この本で語られたストーリーは謎だらけで、論理的な説明は全くなされない。だが、それが小説の面白さの一つなのでしょう。次々に起きる不可思議な出来事は、オカルト的でもあるけれど、だからといって現実離れした者でもない。もしかしたら、隣の部屋や近所の家で起きていることなのかもしれない、と思わせるほど現実的リアルに満ちた筆致で、ぐいぐいと物語世界に引き込まれてしまいました。
後表紙のストーリー解説なんて、全然役に立ちませんでした。それほどストーリーはある意味霊感に満ちていて、突飛とも言えましょうが、破綻していないので全然許せます。
それから、取材しないとこの小説は書けません。その取材力にも脱帽。私もどんなに小さくてもいいから、どこかのマスコミに入れるもんなら入っておけばよかったです。まあ、入れなかったんですけれどね。というか、受けなかったですが。だから、そもそもだめか。。。
小説巧者ってこういう方のことを言うんですねえ。

Japanese Literature

人生は巻くことのできないぜんまい。一度ゆるむと、もうねじ巻くことは許されない。
それで、今日読み終わった伊吹有喜氏の「風待ちのひと」。
ポプラ社小説大賞特別賞の受賞作品。いわゆるうつ病と思われる「心の風邪」にかかったエリートサラリーマンと、家族を失いどん底に落ちながらも、明るく楽しく振舞う女性との一風変わった恋愛模様を描いた快作、って一言で書いちゃうとあっけないけれど、構造的にも話的にもいろいろ面白くて、1日ちょっとで矢のように読み終えてしまいました。快い読後感。だから本読みはやめられない。
読み始めると、意外にもオペラの話題が多いなあ、と思ったら、最終部にかけて「椿姫」がモティーフに使われ始めて、重要な役割を果たし始める。後付を見ると、原題は「夏の終わりのトラヴィアータ」だったとのことで、改題し「風待ちのひと」になったのだそうです。
いろいろ特殊な設定があって、きっと苦労してかかれたんだろうなあ、と思いますが、構成的にもよくできていてすばらしい。おそらく主人公は私と同年代かすこし前後するのでしょうけれど、まあ、30代はつらいこともあるし、わかるなあ、という感じです。
この本を読んでいて、昔読んだベルンハルト・シュリンクの「朗読者」を思い出しました。あれも、やっぱり世界の違う男女のきわめて異例な関係を描いていました。あちらは、たしか悲劇的結末を迎えたはずですが「風待ちのひと」ではどうでしょうか? 読んでのお楽しみ。
というわけで、今日はクライバー盤の「椿姫」を。ヴェルディには少々苦手意識を持つ私ですので、あまりバリエーションは聞いていないのはお恥ずかしい限り。やっぱりいろいろ聞かないとね。ストイックにオペラばかり聴こう、と決心。
ちなみに、「風待ちのひと」の主人公が語るオペラの聴き方が、私と同じなのでちと驚きました。つまり、何度も何度も聞いて曲を覚えて、それから演奏者を変えたり、実演に接したりしながら、聴くレパートリーを増やすというもの。私と同じ。ちょっと勇気がわいてきました。

Japanese Literature

ふう、たったいま読了。帰宅の通勤電車にて。
この本は引きつけてやまない魅力に満ち溢れています。会社で厳しい立場に置かれる主人公にはなぜだか強く感情移入してしまいます。少し境遇が似ているからかもしれません。これかどうなっていくのでしょうか。僕の生き方にヒントになることはあるかしら……。
描かれるエピソードは、何時の世にも共通な組織と個人の葛藤が描かれています。あまりに普遍性を持つテーマですので、ここに飛び込める作家さんを本当に尊敬してしまいます。
山崎豊子さんの場合、それは綿密な取材や堅牢な構成によって克服しているように見えます。よくもここまで調べたなあ、という感嘆。ネット時代でもないのに。
とは言え、ネット時代の取材も難しいでしょうね。ネットに流れている情報が真実であったり正しいものである、という保障はありませんから。
加えるなら、昔は鷹揚な時代で、取材と称して色々な会社に電話してみると、スルスルと教えてくれたんだそうです。でも、こういう世知辛いよのなかですので、そんな鷹揚さはとうに失われているでしょう。
さて、会社でショックな出来事。まあ、誰もが通る道なんですが、最近、小さな文字が読みにくくて、とこぼしていると、それはどうやら目の筋肉力の低下によるものなのだそうです。度の強い眼鏡で遠くに焦点を合わせることに慣れてしまった目の筋肉が、さて、では近くをみようか、となると、力を失い、適切に焦点を合わせることが出来なくなってくるのだとか。
この現象に気づいたのは2008年頃から。まあ、歳のせいということ。早くいえば老眼の入口に立ったとでも言いましょうか。
というわけで、こまめに眼鏡をはずして過ごして見ることにしました。いまも眼鏡をはずしてiPadで作文中です。

Japanese Literature

ほぼ読み終わりました。あともう少し。結構長いんですが、私には、まだ隙や疵があるようには感じられません。それほど完成度が高いと言うこと。
また好きな作家さんがふえました。
カミさんも読んだことがあるとのことで、読みやすくてすてきだよねえ、って少し盛り上がりました。読みやすく書く、というのは、本当に難しいことなのですから。
読みやすさに加えて、繊細さや優雅さのようなものも感じられる。だから、女性作家が好きなんだなあ。
小さいころ読んでいた本も結局は女性作家は少なくなかった。。リンドグレーンや、オルコット、モンゴメリばかり読んでいた気もするし。
この本、長編といっても、オムニバス形式であることには代わりはなくて、一つ一つのエピソードはちょうど良い感じの長さなんですが、それらが絡み合いつつも、付かず離れず、というところ。ドラマにするにはちょうどいい。見たかったなあ。どこかに映像でていないかな?
それにしても、冷徹なリアリズムは女性作家ならでは。夢物語の裏側にある汚れた世界や、厳しさなどが繰り出されてきて、なんだか妙に親近感を覚える。そうそう、そうなんだよなあ、みたいな。ある意味、主人公の女性たちに共感を覚えている気もする。
男も女も生きるには難しい。難しさの質は違うけれど、みんな野望を抱いて、社会に飛び出して、優秀な奴らは、どんどん会社を飛び出していき、結局顔色の悪い体形の崩れた同期しか残っていない、みたいな。
通勤時間を、幸福な読書の時間に充てられるというのは、本当に幸せなこと。感謝しなければ。

Japanese Literature

篠田節子さんの「女たちのジハード」を読んでいますが、本当に素晴らしいです。
バブル崩壊後の中堅保険会社に勤めるOLたちが主人公。歳は25歳前後から30歳過ぎの女声たち。自己実現とか恋愛とか、婚活とか、女性達をとりまく事情が、今と変わらぬ普遍性とともに語られていて、興味深かいといったらないかんじ。
まだ、今ほど女性に活躍の機会が少なかった時代というのもあって、彼女たちの真剣さにはハッとするものがあります。
そうした事情を、毒や皮肉をたくさん盛り込んでくる。セクハラ、ドメスティックヴァイオレンス、宗教まがいのセミナー、などなど。
私が言うのも偉そうで気が引けるのですが、なにより、文章や構成に隙がないのです。ここまで疵がない小説を読んだのは久々です。辻邦生ぐらいの構築美と行って良いでしょう。
そういえば、好きな日本人作家は女性が多いなあ。永井路子、岡本かの子、塩野七生などの方々。辻邦生の小説も女性的な繊細さを持ち合わせていますし、なにより主人公が女性であることが多いですし。
最初の読み始めは、なんだか短編小説のオムニバスのような気がしたのですが、wikiを見るとやはり、最初は短編集だったのだそうです。
この小説、1997年にNHKでドラマ化されているのだそうです。
そうか、時代設定は1997年ぐらいですか。主人公達は私たちと同輩か少し上の方々ですね。バブル崩壊し、金融危機前夜の厳しい時代。当時もやっぱり就職難で、今も昔も大変さは変わらないです。
こうも時代が繰り返すと、やはり進歩史観が間違っているのですね。
といいながらも、この小説の主人公達のように進歩を目指して生く予定。いや、そうあるべし。

Japanese Literature

今更ですが、「沈まぬ太陽 (1)アフリカ編」を読みました。
私は、基本的にはドラマはあまり見ません。最近は映画も見なくなってしまった。なので、頼りとなるプロットのネタの仕入れもとは、既存の小説か、知り合いが教えてくださることぐらいでしょうかね。
この本は、1960年代から1970年代のJALがモデルになっていて、今読むと、まあ右肩上がりの時代なので何がしかの未来への希望はあったとはいえ、今と比べて、もっともっと劣悪な労働環境だったのだなあ、という感じ。昔も今も大変です。
書かれていることは、JALにとって、相当厳しい批判的な内容でしたので、険悪な空気となったようで、当時連載していた新潮社の雑誌をJALは積み込まなかったそうです。
しかし、まあ、ここに書かれていることがおおむね真実だとしたら、まあ、今のていたらくぶりはさもありなむ、という感じ。まさに事業仕分けで滅多斬りにすべき内容。
しかし、描かれていることはアクチュアルなもの。普遍性をきちんと持っている。組織と個人の問題、自己保身に走る情けない男たち。信念を曲げることなく振る舞おうとすれば、無邪気な奴だと陰口をたたかれ、批判を浴びるという蟻地獄。
もちろん小説ですから、すべて本当なわけはないんですけれど、明らかに取材しないと分からないことがたくさん含まれていて、リアリティはかなり高いです。
カラチの描写は実体験か取材をしなければ書くことができない内容でした。昔のパキスタンって、あんなんだったんですねえ。それから、飛行機の描写が少いのが残念ですが、一カ所だけ出てきました。ILSを掴んで着陸しようとしたDC-8がゴー・アラウンドする、つまり着陸復行するシーンでした。あれも取材が無いとできないはず。
とりあえずは二巻目以降でどういう動きになるのかが楽しみです。御巣鷹編、というのもあって、JALにしてみれば目の上のたんこぶの様な小説ですねえ。
小説の機能として、バルザックやらの時代から、現実認識や伝聞の媒体である、ということが言えましょうが、この小説は、そうした伝聞告発的な要素もありますね。もちろんそれだけではありませんが。
ただ言えることは、このような小説を新人作家が書いたとしても、評価されることはないだろう、ということ。山崎豊子さんのビジネスモデルなんですから、二匹目のドジョウはなんとやら、だとおもいます。
もちろん最後まで読んで、主人公がどのような運命をたどるのか、興味はつきません。次の巻がが楽しみです。

Book,Miscellaneous

5月の読書記録

ちょっと実用本が多かったが、一応9冊達成というところ。でもちょっと違和感あり。もっとちゃんとした本を読まないとね。。。まあ、仕事で使うんで仕方ないのですけれど。

期間 : 2010年05月
読了数 : 9 冊
沈まぬ太陽(1)アフリカ篇(上)
山崎 豊子 / 新潮社 (2001-11)
全部フリーソフトで作る自宅サーバー for Windows
林 和孝 / ラトルズ (2001-04)
オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)
岡田 暁生 / 中央公論新社 (2001-04)
AjaxとPHPによる MovableType高速&最強システム構築法
藤本 壱 / 技術評論社 (2007-07-03)
PHP統合開発環境PDT2入門
岸本 忠士 / 秀和システム (2009-04)
本・雑誌
辻 邦生 / 岩波書店 (1988-07)
西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
岡田 暁生 / 中央公論新社 (2005-10)
コイカツ―恋活
坂井 希久子 / 文藝春秋 (2009-07)
Windows XPでつくる一歩先行く自宅サーバ―フリーソフトで自宅サーバをもっとおもしろく!
犬塚 信也 , 御影 伸哉 / 毎日コミュニケーションズ (2003-08)

5月は、岡田暁生さんの著作2冊(そのうち1冊は再読)を読んだのが大きかった。これ、ちゃんと記事にしたいのだが、少しお待ちを。お勧めです。あともう一冊あるんだが、こちらも興味深そう。
山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」、まだ全五巻の一巻を読んだだけなんですが、なんだか先がみえている感じかなあ。期待があまりに大きすぎたか。でも主人公は、あの悲惨な境遇からどうやって立ち直るんだろう。実生活にも関係あるので、そういう観点ではとても興味がある。たぶん全部読むと思います。

6月の展望

とある事情で、六月は篠田節子さんの本を読んでいます。それがまずは加わりそう。
それから一向に進まない漱石も読まないとなあ。青空文庫をiPadで簡単に読めるようになったので達成出来るといいのですが。
ああ、 それから辻先生の本を読まないと。初期の短篇集のアンニュイな感じに浸ってみたい。「城」、「見知らぬ町」、「ある生涯」などなど。まずは中公文庫の初期短編集を鞄に入れよう!
音楽の方は相変わらず新国にいきます。今月は「カルメン」と、世界初演の池辺晋一郎の「鹿鳴館」にいく予定。二回も行くなんて贅沢過ぎる。ごめんなさい。
全然進まないEWIの練習もしないと。っつうか、来月TOEICもあるしね。
野望や「やるべきこと」はたんまりある感じ。老け込んでいる暇はない。

iPadつれづれ

やっとiPadの入力に慣れてきました。基本的には携帯のように変換予想方式で、キータッチに気をつければかなりうち易くなってきました。外付けキーボードも検討したのですが今のところ必要ないと思っています。
ただまだ慣れないのがカーソルの挙動かな。文章上に指をしばらく置くと、拡大鏡が現れて、カーソル位置を調整できるのですが、これが少し癖のある感じなのですよ。いろいろ研究が必要。ATOKとまではいかなくても、もう少し上手く入力出来るようになりたいなあ。
また発見。横置きにするとキーボードが大きくなるんですね。そうするとブラインドタッチと同じ感じで打てる。これはいい!
こちらが縦置き。

こちらが横書き。

iPadが来て以来、旧来のキーボード付きPCがレガシーシステム(過去の遺産、古いシステムのことを、僕らの業界ではこう言います)に見えてきて困っています。
私は今エポックメイキングな大事な時間を過ごしているんだろうなあ、
すごいなあiPad。