Japanese Literature

今日は音楽の話しではなく文芸の話し。私は本好きの割には本を読んでいないというコンプレックスがあります。知識量にも読書量にも全く自信がないです。しかも知識はどんどん失われる。失われるだけなら良いですけれど、どんどんすり替わっていくのにはこまったもの。「始めにロゴスありき」という言葉が、創世記の冒頭だと思っていたのですが、今日、とある講演会に行きまして、それがヨハネ伝、ヨハネ福音書であることに気づかされた次第。まったく……。いちおうミッション系の学校にも通っていたんですけれどね。

その講演会、私が尊敬する小説家の先生の講演会でして、お名前を出すと、差し支えますのであまり細かくは書きませんけれど。

その先生とはいつも言っているカフェで知り合ったのですが、最初に声を掛けてくださったのは先生からでして、人見知りの私からは当然声をおかけするなんてことは出来ませんので、まあ当然でございます。

ともかく、今日は暖かい良い天気にも恵まれまして、隣の駅まで出かけて、講演会の会場に。ロビーに入ると、講演会場の館長が入口を気にしておられるので、きっと先生がみえる時間なのだろうなあ、と思って振り返るとやはり。丁度先生が奥様と一緒に入ってこられました。意を決して会釈してみると、先生は私のことを覚えていてくださって、軽く声を掛けてくださる。光栄です。まじで。。

講演会では、作家になった理由や、この街に住むことになった理由、代表作を書かれたときのエピソードなどをお話になりました。

そのなかで特に印象的だったこと。「発展途上である限り人間は青春である」ということ。この言葉、私が翻案していますので、実際に話された言葉とは違うかも知れません。ともかく、未来が未知数であるということや、可能性が無限大である限り青春時代なのである、ということをおっしゃったのです。このイデーは先生が四〇代前半で代表作をものにされたときに思いつかれたのだそうです。確かに年を重ねると、今後どうなるのか、大体予想がついてしまう。だからといってそうした予想に身をおもねてしまうことこそが青春を失ったことにほかならないわけで、逆に常に発展途上にあるということが大事なのです。未来に向かっては、今この瞬間が一番若いわけですから。

最後に今後の活動の予定を話されたのですが、いくつもいくつもアイディアが出てきます。お歳はと言えばもう七〇歳台後半だというのに、あまりに旺盛な意欲でいらして、これはもうまだ先生の年齢の半分にも達していない私が白旗を揚げざるを得ない状態。これではいかんですよ、と思いました。まだ半分も生きていないのに、先生の持っておられる「若さ」を失っているなんて、という感じ。

と言うか、先生の若さは凄いですよ。身のこなし、背筋が伸びておられるし、スマートな体型は五〇歳台といってもいいでしょう。いやいや、日に日に「膨張」し続ける私の体より若いかもしれません。

ちと頑張ろうと思いました。以前にもまして。

最後はサイン会がありまして、私もサインしていただきました。私のことを「僕の喫茶店仲間」とおっしゃってくださって、また感激でございます。

明日から、いやいや今日からまた頑張ります。

American Literature

9月に頓挫していたハーマン・ウォークの「戦争の嵐」、ようやく読了しました。主人公のヴィクター・ヘンリー、通称パグの一家を軸とした大河ドラマです。

パグという名前は、ヴィクターがフットボールのフォワードで、パグ犬のようにタフだからついたあだ名です。 大艦巨砲主義者のパグが、真珠湾を目撃し、マレー沖海戦のニュースを知って、合理的に航空兵力の優勢を納得するあたりは、合理性を重んじる実直な人柄な現れでしょうか。

パグはルーズベルト大統領の信頼を得て、チャーチル、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンといったキーパーソン達と相まみえることになります。このあたりは歴史の舞台裏を覗いているようで実に興味深い。物語の最終部、真珠湾攻撃の描写はアメリカ側からのものですので、少々新鮮でした。

間に挟まれた「世界帝国の敗北」という、架空の歴史書の記述も面白い。最後になって読んだ下りは実に印象的でして、曰く、三国同盟(ドイツ、日本、イタリア)は、軍事同盟と呼ばれるものではなかったという冷徹な指摘など。もし有効な軍事同盟であったとしたら、ドイツがソ連に侵攻すれば、同時に日本もソ連と戦端を開くべきであったし、アメリカの参戦を招く真珠湾攻撃こそあり得べからぬ作戦だったというもの。緊密に連携した米英に比べ、地理的に隔絶された日独が連携できなかったのもやむを得ないかとも思いますが。

それにしても、戦後になって振り返ると、連合国の勝利は間違いようのないものであったかと思いますが、その中に身を置いてみると、枢軸国の勝利も不可能が不可能である、と断じるのは難しかっただろう、と思います。さまざまな幸運や不運が積み重なって歴史は作られていくものですので。歴史をタラレバで語るのは愚の骨頂かも知れませんけれど。

バイロンとナタリーを巡る物語がスリリングです。特にナタリーはユダヤ人ですので、ナチズムが拡大する東欧や南欧にあって大変な苦労をすることになります。最終部では、なんとか船でイタリアを脱出するのですが、その先はいかに? また、パグが艦長として着任する予定だった戦艦カリフォルニアは、真珠湾攻撃で沈没寸前です。パグはどのように太平洋戦争を戦うのか? 戦闘機乗りの長男ウォレスは? 潜水艦乗りの次男バイロンは、ナタリーと再会できるのか?

続きである"War and Remembrance"は、邦訳がありません。ペーパバック版をebay(というかSekaimon)で格安で入手したのですが、さて少しずつ読まないと。

American Literature,Book

 この二ヶ月ほど、なぜか読書できない日々が続いていたのですが、そうした鬱々とした日々は過ぎ去ったようです。ようやく単行本を再開することができました。「倒壊する巨塔」です。だいぶ前に、新聞の書評欄を読んだカミさんが教えてくれた本ですが、これは大いなる力作でしょう。読んで正解でした。

2001年9月11日に至る現在のイスラム原理主義とアメリカが対峙している歴史的経緯を明らかにしてくれるわけですが、正直申し上げて、イスラム現代史には少々疎かったものですから、実に刺激的な内容が盛りだくさんでした。

私はあの日を鮮明に覚えています。当時は会社から歩いて10分の寮に住んでいたのですが、ちょうど10時に帰宅して部屋でテレビをつけると、世界貿易センタービルから煙が上がっているライブ映像が映っていて、あれれ、これはひどい火事だなあ、と思って見ていると、突然画面の右側から黒い飛行機とおぼしき影が飛び込んできて、ビルから火炎ががあがるその瞬間をライブ映像で見てしまったのです。これは映画かと見まがうほどの映像。そのうちに、同時テロということで、航空機が乗っ取られて、ワシントンやらニューヨークやらで自爆テロをしている、とか、何機もの飛行機が乗っ取られた、とか、防空のためにF16が飛んだとか、まあそういったたぐいのニュースがどんどん飛び込んで来て、テレビに釘付け状態でした。これは、文明史上の大事件だ、と直感したのですが、それはどうやら当たったようでしたが、さすがにイラク戦争へと至とは思いませんでした。

1991年の湾岸戦争当時、トンデモ本に「この戦争は何十年も続くのだ」という予言がある、という記述を見つけたのですが、あれから20年の出来事を振り返ると、その予言が当たったと言うことではないか、と思ったものでした。

さて、今まで読んだところで、一番印象的だったのが、イスラム世界における反ユダヤ的思潮の源泉の一つがナチズムにあると言うこと。詳しくは書いていないのですが、戦後、ナチスの残党がエジプトで活動していたとのこと。ナセルのwikiのページに多少記述がありますので、間違いないでしょう。それから戦時中、ナチスが短波のアラブ語放送で反ユダヤ的宣伝活動をしていたとのこと。第二次大戦前はアラブにおいては反ユダヤ的風潮は少なかったそうですので、なんだかあっけにとられてしまいました。

急進的イスラム主義運動に火をつけたサイイド・クトゥブ、サダト暗殺に関わったアイマン・ザワヒリ、ビンラディングループの成功者であるムハンマド・ビンラディンと、その息子であるあのオサマ・ビンラディンなど、イスラム急進主義を巡る人々のドキュメントが連なっていくわけですが、私がいるのはまだ上巻の三分の二あたり。これからどのように展開していくのか。これはもう推理小説よりも興味深い。現実は小説より奇なり、でしたっけ。いや、これは興味深いを通り越していて、今後の世界を考える上で必読本なのかもしれません。

あともう数日はこの本を読み続けると思います。何とか読み終われるといいのですけれど。

 

American Literature

 相変わらず家庭交響曲合宿は続いています。Twitterにも書いたのですが、今日は図書館に行ってプレヴィン盤をゲットする予定。プレヴィンはN響でこの曲を振りますので、良い予習になりそう。

今日は会社でとある試験がありましたので、行きの電車ではその勉強をしました。というか今週は、そう言うわけで読書の進捗状況は芳しくありません。とはいえ、引き続いて「戦争の嵐3」を読んでいます。今日読んだところは、ルーズベルトとチャーチルの大西洋会談の場面。

イギリスはドイツの攻撃に苦渋を舐めている。北アフリカではドイツ軍を撃退したものの、クレタ島を失っている。ドイツはソ連に奇襲を掛けたが、スターリンはなんとか防いでいるような状態。大西洋では、アメリカからの援助物資がUボートによって甚大な被害を受けている。

イギリスは、まさに風前の灯火的状態であり、チャーチルは、アメリカの本格的な援助、ひいては対独参戦を引きだそうとしている。ルーズベルトも気持ちの上では同意しているが、アメリカ議会や世論は決して参戦するような空気にはなっていない。特に議会の抵抗が大きいのである。

そうした中で、チャーチルはプリンス・オブ・ウェールズに座乗し、カナダまで出向いて、ルーズベルトとの直接対話にこぎ着ける。ここでなんとかアメリカの積極的支援を受けようとチャーチルは画策するが、ルーズベルトにそこまでできる裏付けがなかった。従って、大西洋憲章は非常に曖昧模糊としたものとなり、チャーチルは落胆する。

よくある議論として、米国が枢軸国に宣戦布告するために、日本との交渉をあえて阻害し、日本の参戦を不可避のものとした、とか、日本の真珠湾奇襲をアメリカは事前に察知していて、あえて奇襲をさせることで、アメリカ国民の怒りをあおり、参戦への道筋をつけた、といったものがありますが、「戦争の嵐」を読む限りにおいて、それは当たらずとも遠からずなのだな、という感想を持つようになりました。冷厳な外交戦略や国家戦略。日本はいつになったら、外交国際政治のセンスを得ることができるようになるのでしょうか。

※ マニア的な話しとしては、真珠湾奇襲時に、真珠湾に残っていたのは旧式戦艦のみで、虎の子の空母機動部隊はとうに待避していて無傷だった、というエピソードがあります。アメリカが当時からどれほど空母機動部隊を重要視していたのかは分かりませんが、結果として、アメリカの空母機動部隊がミッドウェーで日本の空母機動部隊に勝利することで、太平洋戦争の趨勢は決したとされることもあります。航空戦力の重要性を認識していた山本五十六も、おそらくは空母戦力をターゲットにしていたはずですので、真珠湾奇襲は真の成功とは言えなかったと言えましょう。もっとも、真珠湾奇襲で米国が戦意を喪失し、有利な条件で講和できるであろう、という山本の読みは完全に外れ、かえってアメリカ国民の戦意の高揚につながってしまった、という意味では、戦略的には失敗だったとも言えます。まあ、このあたりの話は、何十年も前からある議論ですが。

American Literature

 いろいろありましたが、何とか読了。今回も本当に勉強になりました。

我々は、第二次大戦の最終形を知っていますが、当時は進行中の事案ですので、我々とは全く違った知見を彼らは当然持たざるを得ない。ドイツ軍は、イギリス侵攻はかなわなかったとしても、ギリシアでイギリス軍を撃退し、ロンメルが北アフリカで活躍し、大西洋ではUボートが米国からイギリスへの援助物資を葬り続けているという状況。イギリスは援助物資をアメリカから購入せねばならず、外貨準備高は減っていく。ドイツは、ソ連侵攻まではかなり良い線まで言っていたと言うことでしょう。

それにしても、ヘンリー家にまつわるエピソードが、戦時中という特殊な条件と相まって本当に興味深いです。次男バイロンは中立地帯のリスボンでナタリー・ジャストロウと結婚するのですが、まあ、ナタリーを巡っては、スロウトという外交官ともいろいろありますので、読んでいて複雑な気分。とうのヴィクターもやっぱりパメラという女性に恋心を抱くようになるわけだし、ヴィクターの妻ローダも、不倫をしている。まあ、こう書くと、下世話な情事話かと思うのですが、戦争中という特殊な状況にあってはそれもなんだか首肯できる気がします。実際、本文中にもそう言ったたぐいのことが書いてあるわけで、いつ命を落とすか分からないという状況にあっては、人は何らかの衝動に突き動かされるというのは、なにも珍しい話しではないでしょうから。

ルーズベルト大統領が、イギリスの支援を思うようにできず苦悩する場面も印象的。イギリスを放っておけば、いずれドイツはイギリスを陥落し、強大なイギリス海軍を手に入れてしまう。そのうちに大西洋を支配下にいれ、アメリカ大陸にドイツは迫るだろう、という悲観的な見方もある。ようは、ルーズベルトはどうにかしてでも参戦したかった、と言う風にこの本では描かれていまして、真珠湾攻撃をアメリカは察知していたが、あえてやらせた、という話しを信じざるを得なくなります。ですが、まだ物語は1940年です。真珠湾まではあと一年もあります。どのように連合国はドイツと戦うのか。

「戦争の嵐」は、真珠湾攻撃で終幕となりますが、くだんの最終第三巻、これから読み始めます。

American Literature

「戦争の嵐」第一巻読了しました。すかさず第二巻へ。

第一巻は、ドイツのポーランド侵攻前夜から、ドイツ軍のノルウェー侵攻に至る場面まで。主人公は米海軍の中佐ヴィクター・ヘンリーとその家族。妻のローダ、息子のウォレン、バイロン、娘のマドリン。ヴィクターは駐ベルリン大使館付武官として夫婦でベルリンに赴任したところ。ウォレンも海軍の士官で、ペンサコラで飛行士になるための訓練を受けている。バイロンは、美術史の勉強のためにフィレンツェに赴いていたのだが、勉強に飽き飽きしていたところを、ユダヤ人学者のアーロン・ジャストロウの助手になるのだが、そこでジャストロウの姪であるナタリーと知り合う。マドリンは学業に専念するよう父親に諭されているが、勝手にCBSのスタッフに応募し、マスコミ界に生きがいを見出している。 1936年のミュンヘン会談で英首相のチェンバレンはヒトラーに譲歩しつかの間の平和を恵んでもらうのだが、ヒトラーの野心を抑えることもできない。

ヒトラーは、いつの世にもありがちな、ポーランド軍がドイツの国境線を越えたとか言うでっち上げをよりどころにポーランドへ侵攻する。第一巻の一つの山がドイツ軍のワルシャワ包囲の場面でして、バイロンとナタリーがワルシャワで戦火にさらされながらも勇気ある行動をとるあたり、一つの山場ですね。それから、もう一つ。ワルシャワに残されたアメリカなどの中立国の避難民をドイツ軍が保護する場面。ここで、ユダヤ人を選別するのですよ。映画などでは見知っていますが、いつ読んでも見ても非常にイヤな気分になります。

大河歴史小説ですので、まだ先は長いのですが、通勤時間がこれまでになく充実しています。

それからもう一つ。一晩寝ると、なんだか熱は下がりました。どんどんあがるかと思ったのですけれど。でも、熱が下がっても、脂汗はでるし、疲労困憊という感じでした。今日の夕方になってようやく恢復してきた感じです。ちと疲れているのでしょうかね。

それからTwitter、はじめました。こちらでございます。よろしければ楽しみましょう。

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American Literature

 ハーマン・ウォークの「戦争の嵐」を読んでいます。第二次大戦開戦前夜のアメリカ、ドイツ、イタリア、ポーランドを舞台にした歴史小説でして、実に長いです。私が読んでいるのは1974年出版の単行本でして、全三巻です。一方文庫版ですと全五巻ですので、割と読み応えがあります。物語は、ドイツのポーランド侵攻から日本の真珠湾攻撃までを描いているわけですので、戦争すべてを描いているわけではありません。とはいえ、個人的には欧州戦線についてはあまり詳しくはありませんのでいい勉強になります。続編として、"War and Remembrance"(戦争と記憶)という作品もありますが、こちらは邦訳がありません。情報によると太平洋戦争終結までを描いているようですので、邦訳がないのが残念です。というか、英語で読めばいいのですけれど、時間がかかりそう。

主人公の一人である、バイロン・ヘンリーがガールフレンドでユダヤ人のナタリーとともに、ドイツ包囲下のワルシャワから脱出する場面で、ナチス親衛隊がユダヤ人を選別しようとする場面で、あまりの緊張感と臨場感にしばし時と場所をわすれまして、危うく電車を降り損ねました。

まだ第一巻の三分の二ほどを読んだところですので、あと一週間半はこの本に取りかかっていると思います。それにしても、こんなにも読むべき本がたくさんあると、いくら時間があっても足らないです。がんばります。

 

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「ロング・グッドバイ」、これはすごい小説でした。これも高校時代か大学時代に読むべき本でしょう。私は大学時代何をやっていたのでしょうか? サックスを吹いて、音楽聴いて、バイトでデータベース(のようなもの)作ったり、雑誌を作ったりする毎日でした。おかげで就職できたのですが。

まずは、構成が優れています。いくつかの事件が発生し、それが連関している。なおも、事件は終わりの様相を見せるが、実はそうではない。最終幕は寂寥感を伴う驚愕。それから、登場人物の人間関係の緻密さ。周到で綿密な計画に驚きます。昔「罪と罰」を読んだ時に感じたものと似ています。 描写もすごく良いです。バルザックの作品の細かい描写をいとおしむように読む読書家の話を聴いたことがありますが、おそらくはこの作品も細部の描写を、まるで家具に施された緻密な彫刻を堪能するかのような気分で読むことが出来ます。

生き方。マーロウが警察に収監されるけれど、一切自白をしないというエピソードがスマートです。「警察でペラペラとしゃべるような私立探偵には用はない」的な自己分析が冷静でいい感じ。

それにしても、あれほど愛情を思っていた二人が、どうして離れ離れになってしまうのか、という古典的問いかけも、リヴァーヴ感とともに感じざるを得ないのです。もちろん戦争という特殊な状況だから、ということもありましょうが、現実問題としてそういう例もよく見かけます。まあ、生き続けるということは、罪悪感と悔悟感どんどん降り積もっていく道をかき分けていくわけです。生きれば生きるほど、積雪量は多くなるわけです。そうやって人間は強くもなり、一方で苦しみもするわけです。

本を読んで、しばし遠い国に旅することができた気分。次に読んでいるのもやはりアメリカの作家であるハーマン・ウォークです。こちらはかなり長い本です。そのあたりのことはまた今度。

 

American Literature

 数年前に、村上春樹が訳し直した「ロング・グッドバイ」、すなわち「長いお別れ」。本日読み終わりましたが、これは本当にすごかった。これほどまでに細部も構造も美しい小説だったとは。そして縦横無尽なプロット。私はなぜかドストエフスキーを思い出していました。村上春樹の訳もいい感じ。

書きたいほど山ほどあるのですが、今日は、帰宅が遅かったのでここまで。明日はもう少し書きたいと思います。短文ですいませぬ。

European Literature

 このスパイ小説は、ハードで文学的。内面描写は具象と抽象の間を行ったり来たりして、目がくらむ思いです。

イギリスの情報機関の諜報部員クィラーの活躍は、あまりに生々しく、冷たいリアリズムに背筋が冷たくなります。自動車事故に見せかけてロンドンで殺された同僚の事故現場を離れた直後に記憶を失い、次の瞬間自分も交通事故に見舞われる。要は命を狙われたと言うこと。キーは北京にあるとみて、中国首相の葬儀に参列するイギリス外相の随行員になるのだが、当の外相も爆弾テロで命を奪われる。手がかりを求めて韓国に潜入するが、情報を得る寸前で情報源は殺される。なんという救いのなさ。

著者のアダム・ホールは、ペンネームで、本名はエルンスト・トレヴァーとおっしゃるようで、えらくたくさんのペンネームをお持ちです。

ともかく、終盤は意外な展開で、驚きますし、途中に挟み込まれた悲壮なエピソードも衝撃でした。

とはいえ、キャセイパシフィック航空が金浦空港から平壌への定期便をDC-10で飛ばしている設定が出てくるのですが、そんなことってあったのでしょうか? キャセイはDC-10も保有していなかったようですし……。