American Literature

 またまたこれも高校生の時分に読んでいなければならない本。まったくこの年になってお恥ずかしい限りですが、まあ、ブログは私の備忘録とか考えをまとめる場になってしまっているので、こちらにエントリーいたします。

アシモフは、高校時代には読んでおりましたね。ファウンデーション三部作でしたでしょうか。その後80年代に三部作以降のファウンデーションシリーズが書き始められましたが、そこまでは追いかけきれませんでした。アシモフには、長編シリーズとして、この「鋼鉄都市」で始まるロボットシリーズと、「ファウンデーション」で始まるファウンデーションシリーズがありますが、この二つは融合するんですね。ウィキペディアを読むと、ロボットシリーズもきわめて壮大な物語世界を構築しているようで、先を読むのが楽しみになります。

さてこの「鋼鉄都市」ですが、世界観としては、かつて地球から宇宙へ植民していった人々の子孫が宇宙人とし繁栄している一方、地球人達は外殻に囲まれた巨大都市のなかで高い人口密度に耐えながらも何とか生活しているという状況。地球人はロボットを嫌悪している。それはとりもなおさず、人間の就労機会を奪うものであるから。一方宇宙人は、圧倒的な軍事力と科学力で地球人を圧倒している。宇宙人達はロボットを多用している。宇宙人は地球人を啓蒙するために地球と接触しているのだが、地球人はそれを不当な介入と考えている。さて、そんな折に、地球で宇宙人のサートン博士が何者かに殺される。外交問題にも発展しかねない状況にあって、警視総監はロボット嫌いのイライジャ・ベイリに捜査を命じる。ただし、それは宇宙人から派遣されるヒューマノイドロボットのダニールとともに、という条件の下で。

 ロボット三原則をからめたミステリー仕立てで、あっという間に読み終わってしまいました。

美とはなにか、あるいは、美とは、芸術とは、愛とは、神とは? われわれは永遠に未知なるもののふちで足踏みしながら、理解できないものを理解しようとしているのだ。そこが、われわれの人間たる所以なのだ。

人間とロボットの差異を述べ立てるイライジャ・ベイリの言葉。ちと元気になる言葉です。ロボットのダニールの描写が素晴らしいです。ちゃんとロボットしてます。イライジャの葛藤も細かく描かれていますし、(予想しましたが)最後になって明かされる犯人が、どうして犯人たり得たかという理由も実にかっこうよく描かれていました。

ウィキペディアを読んで、続編を読みたい衝動。その前に「カードの館」という本を読んでいますが。

今日も一日シュナイダーさんの「トリスタンとイゾルデ」ばかり。これはもうやみつきです。

American Literature

 ハインライン「宇宙の戦士」読了。今更何で読んでいるの、みたいな感じ。これは高校生の時分に読むべき本でした。

未来の地球連邦軍の機動歩兵訓練基地に配属された主人公。鬼軍曹と過酷な訓練に耐えて成長していくというある種ビルデゥングスロマン的要素。訓練キャンプを卒業し実戦配属され、困難な任務をこなし、士官学校に入学し、戦い続ける成長の物語。

これって、「魔の山」的な世界観だし、一昨年に読んだ「ケイン号の叛乱」的な世界とも通じる感じ。あるいは、豊田穣氏の「江田島教育」的なものにも相通じる。なので、読んでいて懐かしさすら覚える感じ。

とはいえ、ここに美化されて描かれている 軍事教練がいいのか悪いのか良くわかりません(受けたことがないので)。まあ相当辛そうですが、耐えることに喜びを得るかも。ある種M的嗜好を持っている人は少なくないでしょうし、私にだってM的要素はあるかもしれない。 

 それで思ったのですが、「宇宙の戦士」を読むと、これは実践生活に役立つな、と。会社も軍隊も大して変わらないでしょう。生死をかけるという意味においても同じ。うちの会社、ホワイトカラーの会社なのですが、仕事で命を落とされた方だって何人かはおられるわけです。「ケイン号の叛乱」を読んだときにも同じような感想をこのブログに書いていて、苦笑です。

主人公に課せられる義務や求められる能力のほうが遙かに高くて、私なんて微塵にも及ばないのですが、それでも参考になります。新任士官は先任軍曹の助言を聞くべし、とか、士官がイライラするんじゃねえ!、みたいな。それで、ああ、自分は本当に指揮官むきじゃないなあ、と落ち込むことしばし、でありました。

後書きには、この作品のある種暴力肯定的な部分とか、ファシズム賛美的な部分がいろいろと論議されているというようなことが書かれておりました。wikiにもいろいろ書かれていて面白い。この本がガンダム誕生の遠因なんですねえ。書かれた時代はベトナム戦争に突入しようとする冷戦時代のアメリカですので、社会的意味も大きかったと思います。

ただ、いまこの本を読むと、私にはある種のパロディにも思えてしまうのですが。パロディに思えるのは、「宇宙の戦士」の影響下にあるガンダムなんかをすでに知っているからでしょうか。それから、アンチテーゼとして読めるんじゃないの、みたいな。私は、この本の最終章で、主人公が戦死するか、地球連邦軍が負けるかどちらかだと予想しながら読んだのです。もし、予想通りだったら、最後に0を掛けて、虚無とするという魂胆だろうなあ、と。wikiや後書きを読むとそうではないと言うことが分かるのですが。

 

European Literature

エリック・アンブラー「ディミトリオスの棺」読了。

戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間です)のヨーロッパを舞台にした、スパイ小説的要素を持つミステリー。ディミトリオスという国際犯罪者の遺骸に対面した探偵小説作家ラティマーが、「好奇心」からディミトリオスの過去を探ろうとギリシア、ブルガリア、スイス、パリと旅をする。ディミトリオスの過去を知るもの、知らぬもの。思いがけない当事者と出会い、ディミトリオスの最大の謎に迫るラティマー。結末は如何や?

映画化もされているようですね。「仮面の男(1944)」がそれ。登場人物の名前は少し変わっているようです

。 第二次大戦前というまだ19世紀の芳香が漂っている時代の物語でしてモノクロ映画を見ている気分。プロット的には想像の範囲を超えなかったのですが、出版されたのが1939年ですので、当時は斬新だったと思います。ですので、作品の質が悪いということは全くなく、むしろその逆です。

それにしても、現代にプロットの面白さを追及するのは本当に骨の折れることですが、それを実現しておられる方もいらっしゃいますので、すごいことだと思います。

引き続きハインラインの「宇宙の戦士」を読んでいますが、これは若いうちに読んでおくべきでしたね。後悔。 最近「物語の面白さ」を追い求めている感じ。とある本に書いてある「読むべき本」というリストを元に渉猟していますが、手遅れ感もあるなあ。ネット・サーフィンやらなんやらの時間を減らして、あとどれだけストーリーの世界に浸れるか。これはある種生き方の選択の様相を帯びてきました。

Japanese Literature

松本清張「かげろう絵図」読了。父から借りていたものをようやく読み終えました。というより、たしか日曜日から読み始めたのですが、上下巻合わせて昨日までに終わってしまいました。しかも上巻を読み終わってから、ハインラインの「夏への扉」も間に挟んで読了しましたので、「かげろう絵図」上下巻+「夏への扉」の三冊をかなりの読書スピードで読み終えまして、久々に高速道路を飛ばすような読書体験でした。ページをめくる速度は松本清張マジックにより加速度的に速くなり、読みながら心臓が高鳴ったり、爽快感を覚えたり、と実にエキサイティングな読書経験でした。こういう経験、久しぶりです。しかし、やっぱり松本清張は巧すぎます。描写視点を微妙にダブらせてみたり、主人公に思いがけない言葉を吐かせたり、手厚い描写がもたらす充溢感、などなど仕掛けが随所に。すごかったです。おすすめ度100%。

American Literature

辻邦生師が好きとはいえ、あまりに他の本を読んでいないなあ、ということで、なんやかんやと手のつけられていない「夏の海の色」を傍らにおいて、ポール・アンダースンの「タウ・ゼロ」というSFを読みました。

SFは昔から好きだったのですが、ファウンデーションシリーズを読んだり、谷甲州さんの「航空宇宙軍史」を読んだりしましたねえ。他にもココには書きづらい読書歴もありますが。

「タウ・ゼロ」は、恒星間ラム・ジェットが、永遠に加速を続けたらどうなるか、という怖ろしい話でして、語られていることは非常に抽象的な宇宙論に基づくのですが、それを取り巻く人間模様などが綿密に織り込まれていて非常に面白かったです。50人の男女が恒星間探査を行うべくおとめ座に向かうのですが、事故で減速装置が壊れてしまうというアクシデントがもたらすものは、という話でして、恒星間植民の論点や、ウラシマ効果とか、ビック・バンとか、まあそれは壮大な話です。

これが書かれたのは1960年代でして、当時は実に斬新だったと思います。宇宙論は文系の私にはかなり厳しいわけですが、人間模様の機微は味わい深いです。

あとがきに怖いことが書いてありました。 「この本を試験前に読んではならない。そうした些細なことで人間は人生を踏み外すものである」 さもありなむ。人生を踏み外した私には良くわかるのであります。

Book

 こちらも久々に骨のある本で、息つく間もなく二日で読み終わりました。上質のスパイ映画を観ている気分。しかもそれがどれも実在だった(と思われる)話しなので、臨場感が違います。

ロンドンで悪名をならした天才犯罪人がナチスのスパイとなり、ついで英国のMI5のスパイとなり、二重スパイとして、ドイツやイギリスを翻弄する、チャップマンが主人公の痛快なノンフィクション。

小学校の頃、「原爆スパイ0号」というスパイノンフィクションが面白かった記憶がありますが、それにもにた面白さ。正史には現れない第二次大戦の舞台裏を神の眼をもって眺めているという贅沢さ。いや、贅沢だなんて言葉は似つかわしくないです。戦争がいかに人を変えて、人を活かすのか、という戦慄すべき事実をも突きつけられますので。

最後の部分がちょっと寂しい。チャップマンのスパイ人生の終わり方をもう少し読んでいたかったです。それは、とりもなおさず、物語が終わるという寂寥だったりするのですが。

しかし、チャップマンほど頭がよくて、勇気があればなにをもできると思うのですが、そうもいかないようです。死ぬ間際にはすこし寂しい話しもあったようです。

こういう本を読むと、なんだか勇気づけられる気分。私も、能力はなくとも、なんとか頑張らないといかんなあ。

Book

なんだか、久々に骨のある本を読んだ気分です。「ミケランジェロの暗号」。 というか、昨年ローマに行く前にこの本を読みたかった……。ミケランジェロの手による、システィナ礼拝堂のあまりにも有名な天井画と壁画に隠された暗号を、ユダヤ教の公明なラビと美術史家が紐解いていくドキュメント。これは「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」の世界に近しいもの。

ミケランジェロは、その非凡な才能をロレンツォ・メディチ豪華王に見出されて、ロレンツォの子供達とともに英才教育を受けるわけですが、このときに、フィチーノやピコ・デラ・ミランドラにユダヤ教の諸知識を得たらしい。旧約の世界と当時のヴァチカンの隔たりに憤り、システィーナ礼拝堂に暗号を埋め込んだという事実。面白くて痛快すぎる。やっぱり天才ともなるとやることが違います。

色々と面白いネタがたくさんで、息つくまもなく読み終わったというところ。個人的にはシスティーナ礼拝堂が、ソロモン神殿と同じサイズで作られているということを知らなくて、大変お恥ずかしい限り。だからあんな教会らしくない建物なんですねえ。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

「霧の聖マリ」読了です。2ヶ月ぶりに辻作品の芳香に触れて感慨深いものがありました。

先にも触れましたとおり、ある生涯の七つの場所は、色の系列(7色)と数の系列(14篇)を掛け合わせて(98篇)プロローグとエピローグを加えたものですが、霧の聖マリでは、黄と赤におのおの7編を掛け合わせた14篇からなります。

黄の系列である「黄いろい場所からの挿話」は私Bが主人公の挿話群で時代は1970年代初頭のヨーロッパが舞台。「赤い場所からの挿話」は私Aが主人公の挿話群で1920から30年代にかけての日本が舞台です。

(私A、私Bはこちらを参照ください)

改めてプロローグを読み直してみると、スペイン内戦についての示唆が多く含まれていて、あとから登場するはずの人物達の名前も記されてあり、懐かしい思いです。

「黄いろい場所からの挿話」群では、おそらくはスペイン内戦に参戦した男達の影をいくつもいくつも通り抜けていきながら、私Bとエマニュエルのある意味独特な愛情関係をモティーフに、人間らしさとか、自由といった根本概念の考察が加えられていきます。

私Bとエマニュエルの関係はこの作品群に通底する大きなライトモティーフで、今後のことを知っているだけに、複雑な気分。あまり書くとネタバレですが、ともかく、この二人のある意味純化された美的な関係は実に甘美です。

「赤い場所からの挿話」群では、私A(私Bの父親なのですが)の幼少時代からの記憶をたどる物語。戦前の日本を舞台に、なかば哀切とした人間模様が語られていきます。逆境に耐え忍びながら、あるいは運命に抗おうと生きる男達や女達の物語を、幼少の私Aの視点から回想的に語られるわけで、胸を打たれるばかり。

今回も、読んでいくうちに今の自分にぴったりのことが書いてあって、空恐ろしさを感じた次第です。こういう経験は辻作品を読むたびに味わうので、最近では当たり前のように思っていますが、良く考えればとても不思議な出来事だと思います。

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 辻先生の「ある生涯の七つの場所」について、2006年から2007年に掛けて集中的に書いていた時期がありました。そのころの記事を読んでくださったのだと思うのですが、先日ある方から心のこもったメールをいただきまして、本当にうれしい経験でした。この場を借りて改めてお礼申し上げます。

さて、私がこの連作短編集「ある生涯の七つの場所」を始めて手に取ったのは1992年の2月だったと記憶しています。場所は品川プリンスホテル内の書店にて。辻先生のお住まいは高輪でしたので、きわめて近い場所でこの短編に出会って驚きうれしかったのを覚えています。そのころのことは以下のリンク先の記事もお読みください。

https://museum.projectmnh.com/2006/11/29233753.php

さて、1992年といえば、もう17年も前のことになります。当時私は受験生でしたので(年がばれますが)、いろいろと思い悩んだということもあり、各月で刊行されていった「ある生涯の七つの場所」全7冊を発売当日に買い求め、そこになにか浄化のようなものを求めていました。 当初は法学部や政治学科を志望していましたが、おそらくはこの「ある生涯の七つの場所」をはじめとした辻邦生作品を読むことで半年後にはずいぶんと人間が変わってしまい、結局文学部に進むことにしたのでした。それはそれで本当に良かったと思います。

先日高校時代の友人達と会ったのですが(富士登山の友人です)、彼らと知り合ったのが16歳ぐらいですので、そこからまた17年とか経ってしまっているわけで、あのときまでの人生時間と同じ時間がたっているのだなあ、と愕然といたしました。

「ある生涯の七つの場所」は七つの色をモティーフとしたそれぞれ14の短編(7×14=98)に、プロローグとエピローグを加えた100の短編から構成される小説群で、長編小説ととらえることもできると思います。主人公は三代にわたる男たち。すなわち、

  1. 戦前にアメリカにわたって農業関係の研究をしている「父」の挿話群
  2. その息子である「私A」が戦前の日本で織りなす人間模様のなかで成長していく姿を描く挿話群
  3. 「私A」の息子である「私B」が、フランス留学中に知り合ったエマニュエルとの出来事や、スペイン内戦に関わる出来事に出会っていく挿話群

というぐあいです。

ともあれ、もう「霧の聖マリ」を半分以上呼んでしまいました。すでに通読しているからこそ意味がわかってくる挿話などがあって、特にスペイン内戦を巡って小説の水面下で繰り広げられる人民戦線に参加した男たちの物語を浮かび上がってくるのがとても興味深いです。このあたりは本格的に研究してみたいと思っているところです。時間をとれるといいのですが。研究したいと思ってからもう15年は経っていますね。光陰矢のごとし。されど「もう遅い」という言葉はありませんので、なんとか取り組もう、という決意。

さて、今週末の日曜日は新国立劇場で「ラインの黄金」を鑑賞予定。安い指環のセット売っていないかしら……。さすがにカラヤン盤とショルティ盤ばかり聴くのも芸がないような気がしてきましたので。超久しぶりにタワレコを急襲しようか、などと思案中です。

Concert,Japanese Literature

ちと、いろいろあって、更新できずじまい。いかんですね。

本日は、東京フィルハーモニー交響楽団のオーチャード定期演奏会に行ってきます。指揮者はペーター・シュナイダー氏。氏の演奏に触れるのは三回目になります。1度目は2006年に発作的に訪れたドレスデンでみた「カプリッツィオ」。2度目は圧倒的パフォーマンスで涙が止まらなかった新国立劇場の「ばらの騎士」。否が応でも期待は高まります。モーツァルトの「ジュピター」、「ばらの騎士組曲」、「7つのベールの踊り」from「サロメ」。うーむ、楽しみです。

夏目漱石の「行人」、通勤電車で貪るように読んでいまして、こんなに面白かったっけ? みたいな感じで、驚いています。記憶から失われている部分ばかり。 漱石の心情描写は、説明的な部分と描写的な部分と分けられるのですが、説明的な部分がものすごくいいのです。ちょっとした挙措から、語り手の二郎が相手の心情を推し量っていったり、あるいは二郎の心情が虹色のようにどんどん展開していくのが面白いのです。

女性観も面白くて、坊ちゃんとか三四郎でもそうだったと思うのですが、女性がやはりどうにも強い感じで、唸ってしまう。おそらくあの時代にしてみれば、今よりももっと衝撃は強いのだと思いますが。「男はいざとなるとからきし駄目なのよ」みたいな台詞にしゅんとする感じ。