American Literature

ちと疲れ気味。これはまずい。セーブしないと。

ジョン・D・マクドナルド「濃紺のさよなら」を読みました。トラヴィス・マッギーシリーズの最初の本といえましょうか。

失ったものを取り返し、手数料として半額分受け取る取り返し屋、あるいは私立探偵のトラヴィス・マッギー。キャシーという女が相談に訪れる。自分の父親が戦時下で手にした財宝をひどいやり方で奪われた、というのである。奪ったのはジュニア・アレンといういやらしく卑劣な男。刑務所で一緒だったから、と娘のキャシーの元に居座ったのだ。急に金回りが良くなったアレンは、キャシーを非情なやり方で捨て去ったのだった。アレンは、キャシーの父親の隠した資産をどうやってか手に入れたということなのだった。キャシーは困窮し、働きに出ざるを得なかったというわけだった。トラヴィスは、行動を開始するのだが、行く手にはアレンの犠牲者達が連なっているのだった。

乱闘シーンがすごいのです。すさまじい描写力で、映画を観ているかのような錯覚を覚えました。そして悪鬼の最期の姿のおぞましさとか、あっけなくもはかない別れなど、印象的なシーンがたくさん。プロットもすごくいい。トラヴィスはヒーローだけど、無敵な強さではない。苦悶し自答し失敗だってする。ハードボイルド的だけれど、人間的でもある。

しかし、やっぱりこの世に鬼はいますよ。マジで。

European Literature

えらく忙しいです。仕事がないより全然良いのですが。昔ならいくら仕事しても平気だった頃もありますが、歳をとって日和ってきたようです。武士道精神を忘れずに(?)。

エリック・アンブラー「武器の道」を読みました。

武器の密輸事件に巻き込まれたアメリカ人夫婦が主人公といっても良いでしょう。発端は有能なインド出身の若者が、自分の夢を実現させるためのはかりごと。華僑の大物商人一家が介在し、アメリカ人グレッグが冒険心をくすぐられて、武器の密輸の代理人になってしまいます。舞台は1950年代末期と思われ、まだまだ不安定な東南アジアで、グレッグとドロシアの夫婦は現地の内紛に巻き込まれてしまい……。

前回読んだ「ディミトリオスの棺」は、主人公は推理小説家でしたが、今回はアメリカ人夫婦です。アンブラーの主人公は、本職の探偵や諜報員ではなく、素人が巻き込まれてしまうパターンが多いそうです。

外国にも良い作家さんがたくさんいます。本当にありがたくわくわくする体験です。

American Literature

 1995年に購入した本。14年間書棚に眠っていましたが、週末、富士山の行き帰りの電車やらバスやらで読了しました。一緒に日本最高峰にまで行ったと言うことになります。

舞台はエリザベス女王(一世)統治下のロンドンで、妖精達の戦いが始まるという奇想天外なファンタジー。歴史公証はしっかりしているのに、そこに巧く妖精といったファンタジー要素を組み入れた秀逸な作品でした。妖精話にありがちな取り替え子のモティーフを組み入れたり、錬金術やら拷問やら、古き時代の雰囲気が巧く伝わりました。推理小説的、ミステリ的な要素もあって、プロットの流れは実に良かったですし、場面の切り替えのセンスも良かったです。結構巧い作家だと思います。

こういう歴史とフィクションの融合に眉をひそめるかたもいらっしゃるようですが、私は嫌いではありません。中学生やら高校生の頃は、ファンタジーものを何冊か読んでいましたので、なんだか懐かしい気分でした。あの頃は相当はやってましたねえ。グイン・サーガーとか、ザンスとか。ハヤカワFTの薄黄色の背表紙が懐かしいです。

European Literature

アガサ・クリスティの「葬儀を終えて」を読みました。ポワロの活躍する推理ものです。

ところが少し違和感が。「戦争」について登場人物が言及する箇所が何箇所かありました。私はそれを第一次大戦のことだと考えていたのですが、「ヒトラー」の記述があって驚きました。ポワロは戦後活躍していたのですか!

  私は、テレビドラマの影響で、ポワロの舞台はすべて戦前の30年代の話だと思っていました。無知の知。ひざまずかざるを得ません。ウィキによれば、テレビドラマはあえて時代設定を30年代にしているのだそうです。私はあのデヴィッド・スーシェのポワロが大好きでして、おそらくそういう方はたくさんいらっしゃると思います。

ドラマのかもし出す戦前イギリスの機器と矛盾をはらんだ美的世界はすばらしいです。アール・ヌーヴォー的な建物やら内装、調度品が淡い郷愁をも抱かせるのです。 それからテーマ曲も素晴らしい。おそらくはラバーのマウスピースをつけたアルトサックスの奏でる優美にしてミステリアスなフレーズ。何度かまねをしたことがありますが、メタルのマウスピースでは雰囲気が出ませんでした。

さて、「葬儀を終えて」ですが、病死したリチャード・アバネシーの遺産相続を巡る謎。末の妹コーラが不用意に漏らした言葉。「だって、リチャードは殺されたんでしょ」。そのコーラも薪割りで惨殺されてしまう。顧問弁護士はポワロに事件の謎解きを依頼する。ポワロの灰色の脳細胞が導き出した驚きの真相とはいかに。

私は、リチャードの遺産相続者全員が犯人かと思ったのですが、それではあまりにオ○エン○急○殺人事件的ですので、いったんその説を外しました。その後、結構良いところまでポワロに迫ることができましたが、最後の詰めで、ポワロに負けました。いい線まで推理できたのですが……。

帰り道は、クリスティ的雰囲気を求めて、ヴォーン=ウィリアムズを聴きました。

Book

今朝からアガサ・クリスティを読み始めています。読みつつもなんだか引っかかるような感じ。冒頭部にみられるある種の抵抗と考えて、読み続ければ抵抗が緩くなるのを待ちましょうか。

図書館から借りたスタンリー・エリンの作品を読もうとしたのですが、訳が古すぎてちとかなわないです。小さい「っ」が大きい「つ」になっています。ですので、「彼女は言つた」という表記。大学の頃、西田幾多郎の本を読んでいたのですが(もう細かいところは忘れてしまいましたが)、そのときの気分がよみがえりました。しかし、それだけではなく、登場人物の名前が間違っていたり、妙な一人称が出てくるあたりで、ちょっと読み続けられなくなりました。原文を読んだほうがいいのかもしれないです。

ハーマン・ウォークという作家の「ケイン号の叛乱」という本を二年ほど前に読んで非常に感銘を受けましたが、同じウォークの作品に「戦争の嵐」という本があります。この本は実は思い出深くて、高校の図書館から文庫版「戦争の嵐」を借りたのですが、間違って洗濯機に突っ込んでしまいばらばらにとけ散ってしまったのです。図書館の先生に謝りましたが、幸いとても良い先生でいらっしゃって、特に怒られませんでした。ともかく、冒頭を少し読んだ限りでは実に面白そうだったという記憶があります。もう数十年前の話ですが。その本が、ハーマン・ウォークの作品であることを昨夜になってやっと気がつきまして、速攻で図書館に予約を入れました。

私は高校時代はかなり時間を浪費したと思っていますが、今冷静に思い出してみると、歴史ものやらは少しく読んでいたなあ、という感じです。あの頃は宮本輝も好きでしたなあ。阿川弘之やら豊田穣のような海軍小説もよく読みました。ホンブロワーシリーズも高校時代に読んだのではなかったでしょうか。

European Literature

 一日で読んでしまいました「ジャッカルの日」。ページを繰る手が止まらず、所用で電車に乗っている時間中どっぷりと暗殺者と警察の攻防の世界に身を浸しておりました。

冒頭部ではOASの幹部が、ド・ゴール暗殺を策謀し、暗殺者に依頼するあたりから始まるのですが、暗殺ジャッカルが着々と準備を進めるあたりは、なんとなく惰性のようなものを感じていましたが、中盤以降、フランス司法警察のルベル警視が登場して、両者の対決の様相を帯びた途端に電流が走り初めて、一気にストーリーが躍動し始めました。激しい駆け引き、奸智にたけたジャッカルは、あの手この手で警察を翻弄しますが、ルベル警視の粘り強さと、国家の組織力がじわりとジャッカルを追い詰めます。

史実では、ド・ゴールは、無事に暗殺をやり通し、大統領の職を勤め上げるわけですが、ジャッカルの計画はどのような顛末を迎えるのか。そしてジャッカルとはいったい何者であったのか。

しかし、これも高校時代に読んでおくべき本だったかもしれないです。映画も有名です。昔会社の同期が飲み会に現れて「ジャッカルと呼んでくれ」というセリフを吐いて、大受けしたのですが、引用元はこの映画だったそうです。昔、映画をビデオに撮った記憶があるのですが、見つかりません。映画もきっと面白いと思います。

それにしても、アルジェリア戦争直後のフランスは予想以上に脆弱だったのですね。ド・ゴールの強力なリーダシップがあったからこそ第五共和制が成立したわけですが、逆に言えば、ド・ゴールがいなくなれば、カードの館のようにはかなく崩れ去る危険性もあったわけです。だからこそ、秘密軍事組織であるOASが跋扈したわけですし、国家権力側もOASと激しく追い詰めた訳です。

先日読んだ、スタンリー・エリンの「カードの館」でも、やはりOASがモティーフになっていました。アルジェリア戦争のことは、辻邦生氏の「洪水の終わり」でも少し触れられていました。フランス人の学生が徴兵でアルジェリアに向かわなければならない、といった文脈だったと思います。60年代のフランスは興味深い時代です。第二次大戦後のヨーロッパ史は、冷戦という東西対決の構図とともに、フランスにおけるOASの問題や、イギリスにおけるIRAの問題、あるいはフランコ政権下のスペインにおける対立など、他にも実に興味深いテーマが山ほどあります。まだまだ学ばねばならないことはたくさんです。そう簡単にくたばるわけにはいきません。

American Literature

相変わらず仕事が忙しいです。人に意志を伝えるのは難しいですねえ。憤怒の表情さえ見せずに、ぐさりと言葉の剣を刺してしまう私もやっぱり大人気ないですかね。「ゴッドファーザ」の登場人物たちは巧くやっていたのですが、私には難しいでしょうか。もっと練習しないと。だまっていても、そうだと相手に思わせ、自らうなずかせる、というドン・コルレオーネの技を持って要ればいいのですが。

それはさておいて、アイザック・アシモフ「はだかの太陽」読了しました。

イライジャ・ベイリと、ダニール・オリヴァーの名コンビは健在で、惑星ソラリスで起こるはずのない殺人事件を解決しに赴きます。惑星ソラリスは高度にロボット化された社会で、一人当たり一万台のロボットがいる社会です。人間は他人と通信回線で交流し、互いに「眺める」だけで、実際に「会う」ということをしません。そんな社会で殺人事件など起こるわけがないのです。殺されたのは惑星のエリート。殺害時にそばにいた妻が容疑者の第一人者として上がってきますが、それを疑うベイリ。そのうちに、ソラリスの安全保障担当官の毒殺未遂事件や、ベイリに放たれた矢に毒が塗ってあるなど、事件が続くわけです。ロボット三原則の限界をついたロボット操作が、人間を死に追いやることを確信したベイリは、容疑者達を一同に集め(実際にはテレビ会議)、種を明かし、容疑者を名指します。その後地球に帰還したベイリは不思議な報告を上官にするのでした。

ソラリスのような少数の人間とロボットだけで構成される社会を、スパルタの社会体制に比べる見方が出てきました。少数の市民の元に多数の奴隷がいたスパルタの体制ですが、奴隷をロボットに置き換えれば、スパルタと同じである、と。でもそれはスパルタだけではないです。現代日本においても、どんどん階層化が進行するでしょうから、一握りの人々が支配する体制になってもおかしくないです。それから、ロボットを奴隷に喩えているあたりが面白くて、これは手塚治虫のロボット観とよく似ています。アトムは、人種差別が裏テーマですし。

意外と前作「鋼鉄都市」の時に感じた刺激がないような。これはおそらく、「鋼鉄都市」を読んだあとに純粋なミステリ、すなわち「ゴッドファーザー」を読んだからでしょう。「ゴッドファーザー」の刺激はあまりに強すぎました。

American Literature

 これも高校時代に読んでいなければならない本でした。二日で読み終わりました。もうあらすじは有名だと思いますので、多くは触れません。非情だと思っていたマフィアの世界にも情の入り込む余地があるとは。けれども、やはりやるときはやるのですねえ。

おはずかしながら、映画すら見たことがないという体たらく。まったく私は今まで何をしていたのでしょう。まあ、映画を見る前に本を読んでおいてよかったと思いました。先入観を持つことなく読めましたので。さらにいえば、本の方が細かい心情の機微を感じ取ることができますので。

この本をもっと早くに読んでいれば、もう少しましな人間になれたかもしれません。弱みを見せてはならず、思慮深い言動を心がけていたはずですが。とはいえ、過ぎ去ったことは戻りませんので、先だけを見据えて歩いていくことにいたしましょう。

昨日、しおりを忘れまして、読むのを中断したときに、ページ番号を覚えることにしました。そのとき、思い出したのが小さい頃のこと。やっぱり本を読んでいたのですが、眠たくなってページを閉じようとしたとき、ページ番号を忘れませんように、と神様にお願いをしていたのですね。お願いの効果か、翌日もページ番号を覚えていました。幸福な読書にまつわる記憶ですが、そういう意味では、今の私も幸福な読書生活を送っているといえましょうか。

 

American Literature

スタンリー・エリン「カードの館」読了。ヤバイ、面白すぎです。冒険活劇のプロットとしてはありがちなのですが、舞台がパリ、ヴェネツィア、ローマと来ますので、私のツボにぴったりはまりました。

アメリカ人の元ボクサーのレノは、ふとした出来事から、フランスの名門ド・ヴィルモン家に家庭教師として雇われることになった。未亡人アンヌ・ド・ヴィルモンの息子ポールは、わがままでヒステリックな子供だったが、レノの甲斐あって徐々に元気を取り戻すのだが、アンヌはアメリカ人で、アンリ・ド・ヴィルモン大佐の夫人となったが、大佐はアルジェリアでテロの犠牲となったのだ。アンヌは強烈な不安感に苛まれ精神を病んでいた。アンヌはレノに、自分とポールをアメリカに連れて行ってほしいとせがみ、愛情をもつそぶりさえ見せる。アンヌは何かを恐れていた。それは、アンヌの愛人と思しき謎の人物モリヨン博士によるものかと思われた。そしてレノの前任の家庭教師の不可解な死。徐々に紐解かれる謎はレノを窮地に追込み、あらぬ事件の加害者に仕立て上げられてしまう。警察に追われながらド・ヴィルモン家の秘密を暴き、身の潔白を証明するためにベニスへ、ローマへ。

いやあ、「鋼鉄都市」もかなり面白かったですが、この「カードの館」はさらに面白い。映画を見ている気分。実際映画化もされているようで、邦題「非情の切札」という映画なのだそうです。

パリ、ベニス、ローマは、ほんの数日でしたが旅行したことのある町でして、サン=ルイ島の高級住宅街とか、石の岸壁に固められたセーヌ川の様子なんかを思い出すと本当に懐かしいです。ベニスのサンタルチア駅正面から運河に降りるところとか、ローマ広場の立体駐車場の様子、ローマのトレヴィの泉とか、懐かしいです。次にいけるのはいつのことやら。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生さんの命日です。没後10年ということになりましょうか。手帳には、10年前の訃報を伝える新聞の切抜きが入っております。あれから10年がたったのか、というほとんど信じられない思いが湧き上がりました。
10年で世の中はすっかり変わりました。ITバブルがあり、9.11があり、アフガニスタンがあり、イラクがあり、リーマンショックがあり……。景気の波も2サイクル回りましたし、私も変わったのだと思います。良い方向に変わっていれば良いのですが。
10年前の秋の「お別れの会」のことも懐かしいです。雨降る高輪プリンスホテルに駆け込んで、会に参列して、辻さんの執筆姿を捉えた白黒写真をいただきましたが、その写真も時間に抗えず変色しています。
歳をとればとるほど時間の流れは累乗的に速くなりますので、次の10年はもっと速そうです。