Tsuji Kunio

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暑熱に満たされた毎日です。みなさまお元気でしょうか。

4回目のご報告です。今回が最終回です。

私は今日から「西行花伝」を読み始めました。10年以上ぶりになると思います。また、その他の長編、たとえば「廻廊にて」、「安土往還記」、「背教者ユリアヌス」、「春の戴冠」、「フーシェ革命記」なども読み返してみようと考えています。

思うに、どうやらそれらがなにか辻文学自体を象徴した構造を持っているように思えるのです。

学習院大学史料館での展示は昨日終わりました。本当に沢山の気づきを得ることができた大変素晴らしい展示でした。

何人かの方も書いておられましたが、日記の出版の要望はあると思いました。ですが、まだまだ存命の方もいらっしゃると思いますので、「パリの手記」のように、作者ご自身の編集がない限り難しいのでは、とも思いました。

ここに詳しくは書きませんが、今回展示されていた自筆日記にも興味深いことが書かれていたのです。ですが、さすがにこれは出版できないと言われても仕方がないなあ、ということも、書かれていました。
(実際、それはそれで実に勉強になりましたし、辻先生がより身近に思えるものだったのですが)

ただ、私が今回気づいたような、モームに関する考えなど、辻文学を理解する上でも重要なことがいくつもいくつも詰まっているのだろう、とは思います。

アンケートに答えたところ、はがきを頂きました。右下の絵は辻邦生によるものです。可愛らしい絵を書かれるのだなあ、と思いました。さすがに気安く使うことはできませんので、私の手帖に挟んでおくことにしました。

写真 1 - 2015-08-07

今回のシリーズはこれで閉じようと思います。ですが、先に触れたように、あらためて長編などを読み返す必要があることにも気づきました。そちらはまたこちらで取り上げていこうと思っています。

史料館の方に伺ったところでは、来年もなにかしらの展示をされるとのことでした。来年は一体どんな展示になるのか、楽しみです。そして、2025年の生誕100年には大きな展示を行う予定とのことでした。

今年も、9月24日の生誕90年というイベントがありますので、そこに向けて私もできることをやろうかなあ、などと思っています。

明日も暑そうですが、みなさまどうか体調にはお気をつけ下さい。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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暑い毎日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。この数年、冷房にやられることがおおく、必ず上着を来て仕事場に行きます。寒い冷房のなかで上着を持っていると、なにか安心をします。

ですが、さすがに今日は上着をあまり使いませんでした。年々耐熱性が下がります。熱に順応する訓練をしないと。

さて、一昨日、昨日に引き続きです。

それにしても、今回の展示は、なにか私の中の辻文学観のようなものが大きく変わったように思えます。

しばらく前に触れた「フォニイ論争」の件を調べている時に、このような文章を読んだわけです。

日本でも西洋でも、歴史小説は「通俗」の疑いを掛けられがちだし、『背教者ユリアヌス』は、いま読んでも、シェンキェヴィチの『クオ・ヴァディス』のような通俗歴史小説に見えるし、その後の辻は、井上靖より薄味な通俗歴史小説を書きつつ、それを純文学として通用させて終わった人だった。

小谷野敦『現代文学論争』筑摩選書 70ページ

この文章を読んで以来、引っかかりを覚えていむした。これは、一つの見解ですので、なにかネガティブな感情を持つということはあまりありません。ですが、このような見解がある、ということはわかっておいたほうがよい、とは思います。

私が調べていたこの「フォニイ論争」は、小谷野さんの『現代文学論争』において詳しく取り上げられており、前述の引用も、「フォニイ論争」の章からのものです。

フォニイ論争というのは、1973年に、評論家の江藤淳が、辻邦生、加賀乙彦、小川国夫の「73年三羽烏」に丸谷才一を加えた4名を、「フォニイ」と評したというものです。

「フォニイ」とは、まがいものであり、「うちに燃えさかる火を持たないもの」、という意味ののようです。

小谷野さんは、『現代文学論争』において、フォニイ論争とは、文壇における私小説をめぐる論争だった、というように捉えておられます。江藤淳は、紆余曲折はあったようですが、純文学を正当な日本文学と捉えていたようです。

つまりは、辻邦生のような歴史小説は通俗であり、私小説こそが本物だ、と捉えられていたのだと思います。リアリズムですね。

私は、あまり文学史のようなものに詳しいわけでもなく、これまではあまり興味もなかったのですが、この「フォニイ論争」を調べて以来、端的ではありますが、やはり文壇のメインストリームから辻文学へ向けられたある種の視線のようなものを感じていたのでした。

ですが、本当に繰り返しになってしまいますが、谷崎潤一郎賞を受賞したということこそが、こうした「視線」に一つの終止符をうったということにならないか。そういう捉え方をしたのでした。辻文学を理解するための史観を理解した、とも言えると思います。

ここに、辻文学の歴史の大きなうねりのような曲線を感じるのです。

今日もここまでです。どうかみなさまごゆっくりお休みください。グーテナハト。

Tsuji Kunio

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暑熱のなかにたたずむ学習院大学史料館の遠景です。昨日に続き、辻邦生──西行花伝展についてです。今日は展示されていた自筆の日記から。

辻邦生が日記を書いていたことはもちろん知っていました。ですが、実物を見たのは初めてでした。

JOURNALという標題がついていて、ローマ数字でナンバリングされていることも初めて知りました。私が見た1990年の日記は、方眼(今風に言うとグリッド)のノートに縦書で丹念に書かれていました。

見開きで展示されていた日記は1990年11月4日(だったと思いますが)でして、「西行花伝」の書き出しに苦心している記述があるもの、と紹介されていました

ですが、私はその前日である1990年11月3日の日記に心が奪われたのです。

ここには、モームが自身の文学を悔恨するセリフが書いてあったと記憶しています。モームは通俗作家として名前が残っています。つまり大衆文学を書いていたということです。日記には「大衆文学は面白さは、文学は真実を求める」と書いてあります。細かい記述までは残念ですが記憶から薄れつつありますが、そうした切り分けについて、大きな問題意識を持っているということが書かれていたはずです。

おそらくは、辻邦生にとって、面白い物語を創るということが、最上だったはずです。「背教者ユリアヌス」も「春の戴冠」も、そうした、ストーリーの面白さが横溢する作品です。そして、そのなかには哲学的とも言える真実の探求が織り込まれているわけです。ちょうど、美しい絵画のなかに、様々なアトリビュートが織り込まれていて、その作品の中の隠された意味が立ち現れるように。

ですが、文壇からはそうは取られていなかった、ということなのでしょう。歴史小説自体が、おそらくはそうした純文学側からは、異色に見えていたのではないでしょうか。(これも出典が不明確で申し訳ないですが)、四半世紀ほど前に、井上靖の「孔子」が、「あれは文学的だが、文学ではない」という評論を読んだことがありました。あれこそが、「純文学」からみた歴史小説観であったのではないか、と想像しているのです。

がゆえに、辻文学の文壇での評価が分かれていたのではないか、と思うのです。純文学において、こうした物語文学が異色であったのは、おそらくは、この「面白さ」というものに対する、違和感のようなものがあったのではないか、ということです。

(歴史とはつまり物語ではないでしょうか。ドイツ語のGeschichteが物語と歴史という両方の意味を持つように)

ですが、私は、この「西行花伝」が評価されたという点において、面白さと真実が結合した、あるいは、面白さと真実の壁を超えた、と、文壇に捉えられた、ということを示唆しているのではないか、と思うのです。がゆえに、昨日書いたように、「廊下に立たされていたが呼び返された」ということになるのではないでしょうか。

なにか、その事実が、「西行花伝」を書き始めた前日の日記に書かれていたということが偶然には思えないのです。

次回も引き続きです。

暑熱が続きますが、どうかみなさまご自愛下さいませ。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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昨日、熱暑でしたが、学習院大学史料館で開催されている「辻邦生──西行花伝展」に行ってまいりました。

白い光が東京を覆っていて、都心へ向かう電車の外には、輝きながらも空虚なコンクリートの建物が、まるで甍の波のようにどこまでも連なっているように思いました。

午前に学習院に到着しましたが、訪れるのは1年ぶりです。

資料館への道すがらは、ちょうど高校生向けのオープン・キャンパスが開催されているということもあり、暑いさなかでしたが、学生たちで溢れていました。テニスコート脇を通ったときには、辻先生がテニスサークルの顧問だったことを思い出し、数十年前にはこの辺りを歩いておられたのか、などと想像するのでした。

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史料館の入り口を入って右手の奥に展示スペースがあります。「西行花伝」をスコープとした展示ですので、そんなに沢山の展示というわけではありません。ですが、逆に言うと、「西行花伝」だけでこのスペース、とも言えるわけです。

それにしても万感の思いでした。

スペースの一番奥の方のパネルに紹介されていた谷崎潤一郎賞スピーチのやりとりを初めて知ったのです。

谷崎賞が、異色作家か中堅作家に与えられるとして、辻邦生を「中堅作家」と言ってしまった丸谷才一の後を受けた辻邦生は、「廊下に立たされっぱなしで、忘れられたと思ったところで、呼び返された」と返したというのですから。
(そのような趣旨だったと思います。メモを取れませんでしたので、記憶で書いております)

フォニイ論争などの経緯があったと思いますが、純文学のメインストリームから外れたように見えた辻文学が、メインストリームに戻ってきた、という文脈で捉えるべきだ、とその時思いました。

何かのエッセイで、辻邦生は批評されないことを嘆いていたように記憶しています。たしか、批判されることの方が、批評すらされないことよりマシだ、といったことを書いておられたように思います。それが、谷崎賞を取ったことで、ようやく帰ってこれた、ということなのだと思います。

辻邦生は、これで、手応えをつかみ、自信を得て、次の作品に取り掛かろうとしたのであり、それが源実朝を主人公とする「浮舟」です。おそらくは「西行花伝」の発展だったはずですが、それは叶わなず、1999年7月29日に終わってしまったのです。次の「高み」を世界は見ることはできなかった、という深い喪失感であり、決して埋めることのできないものであるがゆえに、喪ったものの大きさをあらためて思いました。

実際、私は、涙をこらえることができませんでした。なにか、その無念さのようなものに勝手ながら共感したから、なのだと思います。

その涙の向こう側に、何本もの削った鉛筆や、使われなかったカードが分厚い束となっておかれているのを観ていただけでした。

明日に続きます。本日はおやすみなさい。明日もよい一日でありますように。

Tsuji Kunio

今週、辻邦生のご命日ということで、Kindleであらためて読み返しました。

やはり、人気作品であり、高校の現代文の教科書に採用されたということもあって、素晴らしい作品なのは、これまでも書いてきたとおりです。

「夏の海の色」

特に、夏の白い光の中に静かに沈む城下町の風情は、我々にとっての日本の原風景の一つです。以前も書いたかもしれませんが、自分たちの親の世代の風景が、原風景となるのではないか、と思い、そういう意味では、いま働き盛りの方々にとっては、戦中戦後の風景が原風景になるはずです。

それにしても、この城下町の風情の中には、戦国や江戸の記憶も残っているわけです。剣道の師範の黒川が藩の家老だったり、あるいは、主人公が宿泊する田村家に、天草島原の乱で先祖が褒美として得たというキリシタンの墓石がある、といった故事は、なにかめんめんと受け継がれる日本の歴史をも含んだものなのでしょう。

また、キリシタンという要素は、なにか「天草の雅歌」で取り上げられた問題、つまり、江戸期において、日本のグローバルなうねりが失われたという歴史的経緯を思いおこさせるものです。

また、田村家の当主が元陸軍少佐で、部下に思想犯を出したため退役した、という記載もなにか時代を感じさせるものです。いつもは柔和なのに、ときおり厳しい表情を見せるという描写も、なにか暗い時代の空気や匂いを感じさせるものです。

原風景は原風景として、そこに郷愁はあったとしても、戻るわけには行きません。次の世代は、我々のような働き盛りとは違う原風景があるはずです。そうした良き原風景を作るのが、世代世代の責任なのではないか、と考えています。

さて、明日も全国的に熱暑でしょうか。明日はお昼にかつてお世話になった方々と会う予定があります。個人的には、人生における原風景のようなものをもう一度見ることになるのかもしれません。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今年も今日という日が参りました。辻邦生のご命日です。

毎年、何度も、当時の思い出を書きましたので、今年はあまり語らないようにします。あれから16年となりますね。早いものです。

「人間であること」を除いたら、いったい何のために生きているのか。太陽を、河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通り過ぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか ──

3月にも紹介した一文ですが、何度読んでも心を打たれます。

https://museum.projectmnh.com/2015/03/28235647.php

辻邦生の言葉を読むたびに、真剣に生きるということはどういうことなのか、ということを教えられます。ただ、それは、真に純粋なものであるので、この世界では簡単には得ることのできないものなのだと思います。

ですが、その真剣に生きる、ということも、時代に沿って変わっていくものでもあるのでしょう。

おそらく、ですが、そこにあるのは、一貫して、人間が人間であることの証明としての芸術、ということだったのだと思います。

地球上の存在の中で芸術を作れるのは人間だけです。物を食べ、歩き、呼吸し、争い、会話し、喧嘩をするのは、人間以外でも可能です。が、芸術作品だけは、人間だけしか作れません。がゆえに、芸術作品こそが、人間を人間たらしめているものなのである。芸術作品とは、芸術作品そのものではなく、おそらくは何かを美として認識するそのプロセスにおいてあるものでもある。

(我々がわからないだけで、動物も芸術作品を作っているかもしれませんが、それがないとして、ですけれど)

これが、私の捉えている辻先生のメッセージなんですが、まあ、出典なども不明瞭ですので、多分に私の曲解が入っているんだとは思います。

であるがゆえに、私たちはどうすればいいのか。真剣に生きるということとは、別に社会を投げ出してどうこうすることでもないはずであり、今ここでできる生きることをすれば良い、ということなのです。

が、具体的にはどうすればいいのかは、探すしかないんでしょうけれど。

最近、本が読めないというのは、先日書いたとおりです。少し、頭を冷やしたうえで、生活を乗り越えていかないと。

などというかたちで、今日はここまで。明日からまた頑張ります。

ではグーテナハトです。

Tsuji Kunio

先日の喰違見附の記事の出典を探すために読んでいたこちらの本。ついぞ見つからなかったのですが、ついつい読みふけってしまいました。

写真 1 - 2015-05-24

時刻(とき)のなかの肖像

時刻(とき)のなかの肖像

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辻 邦生
新潮社
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この本を買ったのはおそらくは1992年だと思います。もう23年前になりますか。当時は古書店に行く習慣もありませんでしたので、駅前デパートの書店で新刊として購入しました。当時1500円ですが、今から思えば安いと思います。いまなら2000円以上はするのではないでしょうか。

このなかに「初日影のなかで」というエッセイが収められています。
ここでは、辻邦生が正月になると「どこかに逃げ出す」ということから始まります。正月は、自分一人で自分流に新年を祝うというわけです。

その後、特に日本的な正月が嫌いなわけではない、というふうに続き、幼い頃の正月の美しい思い出や、パリ留学時代の正月の思い出などが綴られます。

正月は静かに明けてくる朝のすがすがしさがよく、初詣は、大勢の参拝客でごった返すようなものではなく、「霜の暁闇の震源な気分」や「太古の清浄感」などとあります。

しかし、ある時期それを棄てた、といいます。その理由は、「戦前の古い生活形態や戦争中のいまわしい記憶が、そこにまつわりついていたから」であり、「古い亡霊までよびだすのでは、なんともやり切れない。だれだって、戦後三十年をムダに暮らしたわけではない。亡霊はもういなくなったと思って古い部屋の鍵をあけたら、またそれのとりこになる、では、戦後が何のためにあったのか、わからなくなる」と書いています。

やはり戦争中を体験した方にはこうした共通意識があるのだなあ、と思いました。今年は戦後70年にあたりますが、1978年がすでに40年近く前となっていて、と思うと、当時は、ついこの間戦争をしていた、という気分だったのだろう、などと想像すると、なにか辻邦生の感覚が理解できるような気がします。

「時代を生きたということ」と、「歴史として知っているだけ」ということのあいだには、決して乗り越えることのできない壁のような大きな断絶があるのでしょう。それを乗り越えようとしても乗り越えられないのでしょうから、乗り越えられないと思えば、壁の向こうにあるだけで、耳をそばだてても、目を凝らしても、ただそこにあるのは、無機質な未知でしかない、ということになるのだと思いました。

一方で、辻邦生は、正月があってくれたほうがいい、と言ってエッセイを締めくくります。自分流に深く正月気分を味わうために、正月から逃げ出すのだ、ということなのだそうです。

初出は1978年1月1日。読売新聞に掲載されたものだそうです。そうした事実もまた味わい深いものがあります。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

The statue of the gate in Kanda Myojin.

少しご無沙汰しました。 先日おまいりした神田明神の門の写真です。朱色が美しく春の日差しに映えていました。

お参りのご利益で今年最後の大仕事が無事に終わりました。すでに気分は新年度です。

辻邦生の「夏の光満ちて」。

写真 1 - 2015-03-28

夏の光満ちて―パリの時 (1982年)
辻 邦生
中央公論社
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1980年6月からパリに滞在した時の記録です。以前紹介している「春の風駆けて」が属するシリーズ「パリの時」の一冊目にあたります。

書かれたのはいまから35年前のことです。つい最近のことのように思いますが、本当に別世界のようです。1980年の35年前は1945年です。現代と終戦のちょうど中間地点が1980年、ということですか。

あまりに現代と離れているので、これはもうほとんどフィクションの世界です。それは時代もそうですし、パリという場所が離れているということもありますけれど。おそらくは日記をもとに書かれたものですが、これもおそらくは「のちの思いに」のように、あるいは歴史小説のように、「歴史そのままと歴史はなれ」を体現したものなのかも、と思いました。

とにかく、まだ時間の流れが違っていた時代でした。別に懐古主義というわけではありませんが、郷愁を感じないといえば嘘になります。

石は生きているがセメントは死んでいる

「人間であること」を除いたら、いったい何のために生きているのか。太陽を、河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通り過ぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか ──

このような引用は、真実を表しているのでしょうが、現代においては誤っているのでしょうね。こんなことを言ったもんなら、変人扱いされます。

ではグーテナハトです。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

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週末に撮った春の空。霞がかかり、冬空にはない、なにか言いたいことがあるような空の色です。黄砂かとも思いましたが気象庁のデータではそうではないみたいです。

 

先週末にも書いた件。

生活の立て直しを進めていて、ようやく先が見えてきた感じがあります。送別会などもほぼほぼ終わり、来年の新しい生活に頭が切り替わってきた気がします。

しかし、生活のための仕事に邁進できるのも、日々、よく食べて、よく飲んで(?)、音楽を聴いて、本を読んで、少なくとも300メートルぐらい泳いで、計画的に、という足腰を鍛える活動を続けているからではないかと思われます。

特に、水泳はいいです。前にも書きましたが、ゆっくりと長めに泳ぐと、規則的な呼吸が禅や瞑想と同じ効果をもたらしている気がします。

うまくいかないことも多々ありますが。特に読書は思うようには進みません。このままでは目標が、危ういかも。

それでこちらを。

春の風駆けて―パリの時
辻 邦生
中央公論社
売り上げランキング: 901,825

なんというか、言葉がないです、

私はまた、辻邦生を理解していない、と強く思いました。もうすこい読み続ける必要を感じています。といいながら、そろそろ読了です。

この「春の風駆けて」の268ページ以降で展開される「小説家は紙と鉛筆があれば、どんなたのしい世界、神秘な世界でも作ることができる」という直感は、常人にはなかなか理解することができないでしょう。

ただその次のこの言葉。

「絶えざるこの世への淡白性、無関心。「夢」にのみ生きて、そこに、ふつうの人が「現実」に感じるのと同じ思い現実感を感じつつ生きる」

という直感は、なにかわかるような気がします。

最近、自分が透明になっていくのを感じていて、それこそがつまり「絶えざるこの世への淡白性、無関心」なのかもしれない、などと思います。

まあ、人に「最近透明になってね」ということをついつい口走ってしまい、ギョッとされるのですが。

以前から書いている「この世を哄笑する」の行き着く先が「透明になる」なのかもしれない、などと思いながら、そうは言っても生活ための仕事は大切ですから、などと思いながら、自宅にて今日も夜更けにアルコールを楽しみながら過ごしました。

ではみなさまもゆっくりお休みください。グーテナハトです。アディオス。

Tsuji Kunio

Photo

以前も出した写真ですが、「光」の写真だとするとこんな感じなのかも、などと。

引き続き西欧の光。なんだか、ちょっと抹香臭い響きですけれど。

西欧の優れている点は、それ自身の思想ではなく、現実と戦い、人間を救い出し、そこから普遍を汲み上げようとするそのベクトルにあるのではないでしょうか。それは、自らが普遍でないことを暴く自己批判の精神を持ち、自らを鍛えうるものなのです、

私がこのことに気づいたのは、昨日紹介したのが、30年前に書かれた「はじめての構造主義」という入門書でした。

このなかで、著書の橋爪大三郎さんが西欧思想の仕組みを語るところがあります。西欧思想システムの重要な要素が、テキスト、主体、真理なのです。ですが、西欧思想は、それらを壊したわけです。

テキストではなく意味へ、主体ではなく無意識へ、真理から制度へ。

こうして、自壊してしまうほど極端に「真理」へと進むというのは、常に「混沌」とか「自然」などから、よりソフィスティケートされた状態へと進もうとするベクトルがあります。

確かに、西欧は世界を武力で蹂躙しました。だが、そうであってもなおそこに自浄力を備えているわけです。内部にそれに対する免疫か抗体をもっているわけです。ポストモダンこそが、その抗体の存在証明ではないか。

それは、種としての人間の尊厳を重要視するベクトルなのでしょう。

それが、非西欧にとって妥当かどうかは問題なのではないのです。がゆえに、自壊が始まったのです。それでもなお成長しているのではないか。その自己批判能力こそが「西欧の光」なのではないか。そう考えています。

さすがに、世界にでて鍛えられた文明だけあります。その懐の深さを我々は意識しなければならない、ということなのでしょう。

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最近、帰宅前に水泳することが多いです。今日は無心で15分ぐらい泳ぎ続けました。泳ぎながらもいろいろ考えがまとまって有意義です。なんというか、人間というのは、やはり水と親和性のある動物なのですね。水に包まれていると落ち着きを感じます。

ではグーテナハトです。