Classical,Miscellaneous

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今日も休ませていただきました。やはり色々と疲れていたようですが、よく寝て、ひと泳ぎしたら持ち直してきたようです。

写真は、ちょうど3年前に撮った払暁の写真です。朝焼けで、ウロコ雲とくれば、天気が崩れる前兆だということはその後知りました。この日以降天気が崩れたのを覚えています。

Apple Watchには、日の出日の入りの時間が表示されます。購入以来、日の出日の入りに対する感覚が鋭敏になりました。

今日気付いたのですが、日没時間が数日前よりも早まりました。確か、16時26分ぐらいまで早まっていたのですが、今日見てみると16時30分となっていて、ああ、やっと暗い夕方が明るくなり始めるのか、と胸をなでおろしたのです。

とはいえ、冬至は12月22日なので、少し早いなあ、と思い、いろいろと調べてみました。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2015/hdni13154.html

どうやら、東京地方の場合、12月14日の16時28分が最も早い日没時間で、その後少しずつ遅くなって言うようです。

一方、日の出の方は、まだまだ遅くなります。12月14日は6時42分ですが、一番遅いのは1月13日の6時51分のようです。

当時の定義は、日中の時間が一番短い、ということのようですので・12月22日の6時47分の日の出、16時32分の日の入り。つまり、9時間45分というのが最も短い日中時間ということになるみたいです。

こういう常識のようでいて知らないことを、AppleWatchが気づかせてくれた感じです。

そういえば、小学2年生の夏休みの自由研究は、日の出日の入りの時間を毎日新聞を読んで記録しグラフ化する、というものでした。母親に「自由研究は毎日やるものにせよ」と厳命を受けた結果です。ですが、毎日やるのは意外と辛いのですね。。日の出日の入り、という言葉は、私にとってある種の苦味のようなものを感じさせるものです。

それにしても、今日も17時半に家を出て泳ぎに行ったのですが、夏のあの頃はまだまだ暑い盛りだったわけで、全く不思議なものです。当たり前ではあるのですが、同じ時間だということが信じられません。季節、場所で、こんなにもかわるということは、公転のスケールの大きさということもあるでしょうし、地軸の傾きがなせる不思議のようなものでもあり、本当に興味深いです。

辻邦生は、日没を見にご自宅のマンションの屋上に上がられたそうですが、住民の方に、変わり者だと思われていたそうです。高輪のマンションから見る日没はさぞかし壮麗なものだと思うのですが、そういう感性も辻邦生に教わったのかもしれません。あるいは元からそうだったのかもしれないです。あの自由研究のおかげかも。

日没といえば、小学生の頃に住んでいた武蔵野からだと、ちょうど富士山に太陽が沈む時期があり、みんなでそれを眺めた記憶があります。実は、今日、その太陽が富士山に沈むダイヤモンド富士が見られる日だったようなのですが、私が写真を撮ろうとしたところからは残念ながら見えませんでした。

今日はこちら。

チャイコフスキー:交響曲第5番/地方長官
シカゴ交響楽団
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アバドのチャイコフスキー交響曲第5番。アバドの演奏というのは、本当にたおやかですね。絶妙なボリュームコントロールは甘すぎない生クリームのような微細な気遣いがあります。今日のNHK=FMの「きらクラ」で流れたベートーヴェン《運命》もやはりアバドでしたが、その時にも感じたことです。

それでは、お休みなさい。グーテナハトです。

Classical

先日、放送されたNHK音楽祭の映像を見ました。

hr交響楽団とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を五嶋龍が弾いていたのですが、なかなか楽しめました。

五嶋龍は、まるでアスリートみたいな弾き方をするなあ、と。マッチョで男らしい。あるいは男らしすぎるという方がいいのかも。なんか体格も立派で、鍛えているとしか思えない感じ。十分すぎる筋力を、あえて使わず絶妙なコントロールで楽器を鳴らしているような印象を受けました。フレージングも微妙なタメのようなものがあるのですが、日本人っぽさのようなものを感じるほどまででもなく、スタイリッシュでかっこいいです。

調べてみると、今年、レコーディングもしていました。AppleMusicでも聞くことができます。

https://itun.es/jp/qW-O-

レジェンド(初回限定盤)
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五嶋龍
ユニバーサル ミュージック (2015-11-11)
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今日は、家にずっといて家事を。明日も、家事が満載の予定。

今日は取り急ぎ。おやすみなさい。

Concerto

IMG 1338

この街。どこなのか、私にはわかりません。昔、ドイツ旅行に行った時に、飛行機の窓から撮りました。シベリアを横断して、ようやく北海に出るその瞬間に眼下に広がった巨大な都市でした。当時は、場所的にペテルスブルクではないか、と思っていたのですが、その後地図と見比べて、違うのでは、という結論に至ったと記憶しています。今見直してみても、どうもよくわかりません。

ヨーロッパに向かう航空機は、最初、日本列島を北上します。そうすると、新潟のように、訪れたことのある町の上空では、あのあたりの海岸で泳いだなあ、などと具体的な思い出が溢れてくるわけですが、さらに北上して、北海道の海岸に面した小さな漁港などを見ると、日本にもまだまだ知らないところがたくさんあるのだ、という驚きを覚えます。

ところが、まだまだ世界は広いわけです。さらに西へとシベリアを横断中は、小さな町がたくさんあり、薄暗い森の中に街の強い光源がポツリポツリと見えたりすると、こんなにも広漠とした土地に人が住んでいるという驚きと、こんなにも世界は広いのか、と腹の底から驚いた記憶があります。

私も今この写真を見直して、その驚きを新たにしました。それにしても、東京地方で1時間仕事場に通っているなんて、全くちっぽけなもんです。

で、こちら。

Poeme De L'Extase / Piano Concerto / Promethee
Chicago Symphony Orchestra
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今日もNHK-FMばかり聴いて過ごしましたが、きらクラでオンエアされたスクリャービンのピアノ協奏曲。特に第二楽章。20代後半の作品ということで、何か若々しい叙情性のようなものがあって、甘酸っぱさまで感じる曲です。

この曲、何度か聞いたことがあるはずで、記憶には残っているのですが、第二楽章だけは記憶から抜けていて、ラジオで聴いた時は、何かの映画音楽か、と思ってしまったぐらいです。それぐらい、親しみやすい曲。何か、チャイコフスキーが進化した美しさというか、ラフマニノフの兄弟のような共通性をも感じる曲です。これがロシアっぽい、ということなのかなあ、などと思ったり。第三楽章も、ラフマニノフに通じる雄大さの典雅さが素晴らしいです。

今日は、ブーレーズとウゴルスキのコンビによる演奏。アシュケナージ盤もApple Music聴けるので、こちらは次の楽しみ。

それではまた、おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

今週末、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を聞く機会がありそうです。なかなかない機会なのですが。
そこで予習をしています。

やはり、こういう時、Apple Musicがあるとよいですね。いろいろなバージョンを聞けますので。

オイストラフ、サラ・チャン、レーピンを聴きました。最後に聴いたレーピン盤が、理解もすすんだためか、一番しっくりきます。

Violin Concertos
Violin Concertos

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Erato (1995-09-18)
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この曲、Wikiによると、1948年に作曲されたとのことです。交響曲第9番と交響曲第10番にはさまれており、交響曲第10番との類似性も指摘されるものです。

私は、今回初めて聴き込んでいますが、かなりの曲だと思います。Wikiにあるように、交響曲第10番のような、緊迫、諦念、憤怒といった厳しい情念に満ちた曲です。音楽的にもバルトークのように緊密で複雑です。

それでいて、ロシア音楽的なおなじみの民族的フレーズが登場したりとショスタコーヴィチ的な良さも感じます。どこかで聞いたことのあるフレーズが出てくるのは、おそらくはいつものショスタコーヴィチの引用癖なのでは、と思ったり。

それにしても今回聴いているレーピン盤のカデンツァの重厚さは相当なものです。ヴァイオリンの表現能力の大きさを改めて実感します。

あまりに豊かで分厚い和音の音は、楽器の素晴らしさもあるでしょうし、レーピンのテクニックの素晴らしさということもあるのでしょう。

このヴァイオリンの音をきく楽しみというものを、レーピン盤では十全に愉しむことができます。

明日は文化の日です。真剣に身体をやすめないと、と思っています。

それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

なかなか時間配分を変えられない日々が続いています。ですが、書くことは精神の平衡を保つためにとても重要なのだそうです。

以前にも紹介しましたがこちら。

http://toyokeizai.net/articles/-/74334?page=4

運動をして、音楽を聴いて、呼吸をして、何かを書けば、激務でも心が折れません。

ただ、肉体疲労は食べて飲んで寝ないと治りませんが。

というわけで、今日も寝る前に書いています。

きょうはこちら。ラトルが振る《くるみ割り人形》

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)
ラトル(サイモン) リベラ
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私はこの曲のなかでも《花のワルツ》が好きでした。デフォルト音源はカラヤンとベルリン・フィルです。今聴きなおしていますが、あまりにたくさん聴いたので、全く違和感がなく、違和感がなさすぎて、新鮮さもなく、面白さを感じなかったりします。初めて聴いたのは30年前なんですから仕方ないです。ゴージャスで分厚い、ポルタメント気味の弦とか、本当に古きよきベルリン・フィル、という感じです。

チャイコフスキー: 3大バレエ組曲
カラヤン(ヘルベルト・フォン)
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で、今日聴いたラトルの《花のワルツ》は以前にも聴いたということを、今日思い出しました。それほど印象的な演奏なのです。

ラトルらしいダイナミズムも、素晴らしいのです。

最終部に到達するまでは、細やかな陰影に富んだ立体感のある演奏で、一つ一つの音符が、まるで、触れることができるような現実味を帯びて迫ってくるのです。

これは、もうベルリン・フィルのメンバーのレベルの高さと、それを引き出せるラトルの力量ということなんだと思います。

ところが、最終部以降、急にハチャメチャになっていくのです。抑制が効かなくなって、みたいな。どんどんテンポが上がっていき、なにか手綱を離して、どうぞどうぞ盛り上がりましょう! みたいな感じなんですね。

カラヤン盤を聴きなおしてみると、確かに熱くなるんですが、なにかロープのようなものに沿ったぶれない一線のようなものがあります。

カラヤン盤のほうが落ち着きます。ですが、ラトル場の放埒さもなにか捨てがたいものを感じます。ただ、最初聴いた時は、えっ! という驚きがあったのは事実で、なにか間違ったものを聴いてしまったのではないか、と思うほどでした。

※ しかし、こういう聴き比べを一瞬でできてしまうApple Musicは怖ろしいです。。

といわけで、今日はこの辺りで。どんどん寒くなります。どうかお身体にはお気をつけて。

グーテナハトです。

Music,Symphony

今朝の冷え込みは厳しかったですが、日中は随分と暖かくなりました。ですが、季節の変わり目ですので、体調には本当に気を使います。

さて、今日はこちらから交響曲第5番を。

Vaughan Williams: THE COMPLETE SYMPHONIES
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先日も書いたんですが、これ聴いただけで、イギリスのテレビドラマや映画に出てくる、地方の丘陵地帯の風景が目に浮かんでしまうんですが、それって、やはり先入観なんでしょうか。

第一楽章の冒頭なんて、朝の霧が丘陵地帯を這うように立ち込めていて、そのうちに琥珀色の太陽の光に霧が染まりはじめ、そのうちに霧が晴れると、丘陵に敷き詰められた青々とした草原が光で輝きはじめる、みたいな風景そのままに聴こえてしまうわけです。

これは、もう本当にヴォーン・ウィリアムズがイギリスの作曲家である、ということからくる勝手な連想です。

ですが、まあ、それはそれで良いのだ、ということです。音楽が伝えられることは、限られていますが、そこから何を汲み取るかまではコントロールできません。作曲家の意志に反して指揮者が曲を作ることがあるのなら、聴き手がその音楽にどういう意味を持つかまではコントロールできません。

聴き手が思う意味というものに、正誤もありません。ただ、そこにあるのは、引き出された解釈がどこまで豊かか、ということだけなんだと思います。

ですので聴くという行為は、やはり創造的であるべきなのでしょう。そこに創造がない聴き方も許されると思いますが、豊かさに欠けるのでしょう。最も、創造的という言葉は、おそらくはゼロから何かを創り出すということではなく、知識と知識を、偶然とでもいうほど論理的に組み合わないところを組み合わせる、ということなのだとも思います。

数ある物語のパターンは旧約聖書で出し付くされていて、その後の物語というものはその焼き直しに過ぎないということだそうですが、創造するということは、すなわち解釈にすぎないということなのでしょう。その状況においてもっとも効果的なパターンを旧約聖書的なパターンバンクから引き出して適切に配置する、ということ。創造=クリエイトというのはそういうことなのだと思います。

音楽が想起させるものも、やはり聴き手の解釈であり、がゆえに、そこでどういう意味を拾ってくるか、とか、その意味同士の結合の面白さのようなものが、音楽を聴くという楽しみなんだろうなあ、と思います。音楽の生成者は、そうした聴き手の解釈という創造性といかに交換できるかということが音楽の課題なのだと思います。

さて、このヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番をなんとかイギリス以外の情景と結びつけようと試みましたが、なかなかうまく行きません。ただ、なんだかよくあるイギリスのテレビドラマのような情景はどんどん湧いてくるのが面白いです

というわけで、今日はこの辺りで。文章ばかりですいませんです。おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

Photo

先日の公園の風景です。これから葉が散ろうとしている木々に、飴色の陽の光が差し込んでいました。

慌ただしく、光速で週末が終わろうとしていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

今日は静かにこちらを。

フォーレ:レクイエム
フォーレ:レクイエム

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ジュリーニ(カルロ・マリア) バトル(キャスリーン) シュミット(アンドレアス) フィルハーモニア合唱団
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フォーレのレクイエム。

なんだか、最近動き回りすぎていて、今もまさに、いろいろと画面を向かってやっていたのですが、この曲聴いて落ち着きました。

バリトンのアンドレアス・シュミットが登場したところで、なんだか、ギュッと固まった心のなかにいくらかの気泡が生まれて、少し心も柔らかくなったのかも、などと思いました。

サンクトクスの高揚もなんだか、光が差し込んでくるかのような。

ジュリーニという指揮者の持つ、味わい深さ、豊かさ、柔らかさ、大きさのようなものが十全に味わえる盤だと思います。本当に上品で、てらいのない演奏です。

わたし、大学がミッション系(死語?)だったもので、欧米出身の聖職者の教授の授業に出たり、一緒に飲みに行ったりしました。

アルバイトも、生意気にも学内のミッション系研究所の事務に携わり、恩返しができないままだったのですが、大変お世話になったのでした。おかげで、ミッション系ではないのに、司教座でのコンサートに行くことができたりしました。とある有名文学賞受賞者のご親族が図書館職員としてご在籍で、その方と仕事の会話をしたりとか。

でも、学生の時分は、世間知らずで、今から思うと、赤くなったり青くなったりすることばかりです。学生はダメですね、という感じ。

なんだか、情報と効率の世界で生きている今となっては、夢の様な話です。もちろん、そこには学内の政治闘争や学会の人間模様などが飛び火してきて、それはそれで勉強だったのです。

で、「ミッション系」で、欧米の「聖職者」がたくさんいたということで、それはそれでなにか西欧の延長に居たような気もしていました。日本にいながらも、なにか西欧の伝統の末端に生きているかのような。少し歩くと、白髪の老聖職者が歩き、留学生が歩きまわる、といったような感じ。

それが剥がされたのが社会人になってからでした。周りが日本人だらけなのに違和感を覚えたりしました。

なんだか、このジュリーニの「レクイエム」を聴いて、そういう忘れていたことを少し思い出し、なにか涙腺にいくばくかの刺激を覚えたりして。

どんどん寒くなりますね。どうかお身体にお気をつけ下さい。ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

シェーンブルン宮殿 夏の夜のコンサート 2010 [DVD]
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あー、買ってしまいました。

2年前に以下の記事を書きました。

驚愕!ウィーンフィル&ウェルザー=メストのスターウォーズ!

レイアのテーマと、インペリアル・マーチはまだYoutubeで聴けますが、テーマはYouTube では聴けなくなりました。
まるで、やっとの思いで水飲み場にたどり着いた気分です。

ライナーを読むと、選曲は小澤征爾によるものでした。また、本来は指揮もするはずでしたが、体調の影響で降板し、ウェルザー=メストに交代ということのようです。

真相はわかりませんが、私は、コルンゴルトからジョン・ウィリアムズに引き継がれた音楽が里帰りした、という物語をここに読み取って、感慨を感じています。

これも既出ネタですが、スター・ウォーズのテーマは、コルンゴルトの映画音楽Kings Rowと酷似しています。このkings Rowは、私がたまたま買ったコルンゴルト映画音楽集に収録されていたもので、初めて聞いた時はのけぞりました。

スター・ウォーズからコルンゴルトの交響曲へとさかのぼってみる。

この時の記事ではウェルザー=メストが選曲とかいていますので、訂正しておきます。

それではみなさま。良い1日を。チュース。

Classical

Photo

おそらくはハナミズキの葉。本当に初夏という風情です。

今日もこちら。

フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ集
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あれ、なんじゃこれ?

RED ERATO

私の中では緑色なんですが。。赤いエラートなんて。。レコード屋にあまりいくこともなくなり、レコード芸術も読まないので、知りませんでした。

Green ERATO

EMIのマークが張られているバージョンもあるのですが。

フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ集
デュメイ(オーギュスタン)
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ERATOをウィキペディアで調べると以下の様な状況のようです。

ERATOエラートは1953年に設立。1992年にワーナー傘下になります。2001年に一度休眠状態になったのですが、ワーナーがEMI Classicを2013年に買収し、ヴァージンクラシックと統合されレーベルとして復活したそうです。

ワーナー本家のウェブサイトではこうなってます。

ERATO with Warner

あれ、緑だ。

継続調査しないと。。

ではおやすみなさい。

Classical

Photo

春が徐々に近づいています。雨が降るたびに暖かくなります。今晩の東京地方は小雨です。徐々に季節が動いていますね。太陽の光も色合いを変えていますし、日没の時間も遅くなり、夕方も明るくなってきました。

さて、忘れられない曲というものは、だれしも持っているわけです。それも、四半世紀以上も忘れられないものとなれば、それは、幼馴染みの友人と同じほどの財産でしょう。

私にとってそうした曲のうちの一つがこの曲。マルセル・デュプレの《行列と連祷》。

1989年に、マイケル・マレイのアルバムがオンエアされ、そこで知りました。高校生の時分。まだソ連があった時代。

Organ at St. Sulpice
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単純な二つの旋律、恐らくは行列と連祷という二つを表しているもの。この二つが最後に融合するという、なんとも言えないものです。

私が最初に聴いたマイケル・マレイのオルガン盤以外に、オーケストラとオルガンの合奏版もあります。

こちらのオケ版も秀逸。

Organ Works
Organ Works

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M. Dupre
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私がプロデュースした結婚式で新婦入場の音楽に使いました。たおやかな感じで実にいい感じでよかったのではないかと思っています。

今になってこの曲かというと、この曲眠りにつく時の音楽にふさわしいということ。落ちつかない気分もこの曲を聴けば心ほぐされます。

いや、癒しの音楽なんていうものは本来的にはないのかもしれませんが、少なくとも音楽の果たす役割が、彼岸との交信である以上、この曲は間違なく、彼岸との交信の媒介になるものだと思います。

では、みなさま、季節の変わり目ですのでお身体にはお気をつけください。

アディオス。グーテナハトです。

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その後、ご紹介したCDが、四半世紀前に聞いたものと同一ではないことがわかりました。記憶違い。継続調査します。