Symphony

なんだか、夏バテが思いのほか長引いてしまっています。思い返せば、仕事場が変わってからかなあ、などと思います。前の仕事場は40年以上前の古いビルでした。空調も古かったはずで、べつにそれなりに効いていたけれど、効きすぎとまではおもいませんでした。
ですが、3年前に仕事場が変わってからか、どうも空調がきついようなきがしています。どうも体温調整がおかしくなってしまっているようで、寒くて寒くてしかたがありません。最近は上着着てかよってますし。上着を着ると、道ゆく人にジロジロと眺められてしまいます。名実ともに変人です。
ですので、どうも体調もすぐれません。アルコールもやめて見ましたが、どうにもこうにも。

今日も調子が悪いの早々に撤収しました。昔の私なら無理をして働きますが、少しは私も大人?になったようで、今日は潔く仕事場を出たのです。

ですが、運の悪いことに電車が止まってしまいました。そこで、寄り道して、電車がの再開を待っています。

それで、ひさびさに寄り道してビール屋に来ました。はい。

このびーる。カラコル・サクソーというそうです。ベルギーナミュール州ディナン近くのカラコル醸造所のビール。ここはアドルフ・サックスの出身地だそうです。つまり、サクソフォーンの発明者の故郷のビールということになりましょうか。

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こちらは、セリス・ホワイトという定番ビールだそうです。爽やかな甘みが素晴らしいです。日本のビールにはない味わいです。

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今日は、夏バテの私にぴったりの一枚を今日は聞きました。(長いフリですいません)

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第3番、つまり田園交響曲です。EMIのボックスです。ボーイトの指揮。このボックスを買ったのは2002年ごろですかね。おりに触れて聴いています。

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この曲は実際にはヴォーン・ウィリアムズが第一次世界大戦に従軍していたときの思い出によるものだそうです。ですが、そこには戦争の陰惨さのようなものがあらわれているというわけではなく、なにか静謐で落ち着いた情感で、曇り空のした、霧がひたひたと草原を覆いはじめるような、そんな音楽です。夏の夜にビールやワインを飲みながら涼むには絶好の音楽かとおもいます。

私もずいぶんいやされました。また明日から頑張ります。

というわけで、みなさま良い週末をお過ごしください。おやすみなさい。

Classical

今日の東京地方は涼しい天気でした。小雨がぱらついたり、なにか秋雨を思わせるような風情です。

どうも最近戦闘モードに入ることが多くて困っていました。何かあると勝負ごとに置き換えて考えてしまい、その結果に一喜一憂という感じです。競争社会ですので、勝負は大切ですが、全てが勝負になってしまうのもどうかと思います。

で、そんな勝負に疲れてしまい、どうしたらいいのかと考えていたんですが、ふと気づいたのです。私は赤いものを沢山持っているということに。赤い手帳、赤いペン、赤いインクの万年筆などなど。赤は戦闘色です。シャアだって赤い彗星でした。

そこで、赤いインクではなく青いインクの万年筆い切り替えました。赤い手帳は使うのをやめて白い手帳にしました。

その結果、最近はずいぶんと落ち着いた気がします。まだまだですけれど。

実は私のラッキーカラーは赤です。なので赤を選んだんですが、やりすぎちゃいました。

なるほど。自ずとEMIの所有が増えてしまったのもこのためですかね。

EMI

今日の一枚は、仕事場に向かうときに戦闘力を高める音楽です。レスピーギの交響詩《ローマの松》の第三曲、アッピア街道の松。
この曲は本当に素晴らしい。何が素晴らしいかと、クライマックスへ至る男性的直線的高揚がすごいわけですね。一貫して低音部が一定のリズムを刻む中、上で木管のざわめきから始まり、最後の金管の咆哮にいたるまでの爆発力はたまりません。
この曲のイメージするところは、アッピア街道をローマ軍の兵士が更新するシーンなんだそうです。やっぱり聴けば戦闘力は高まりますね。

レスピーギ:ローマの松(ローマ三部作)
フィラデルフィア管弦楽団 ムーティ(リッカルド)
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こちらももとは赤いEMIの音源です。

レスピーギ:ローマの松、ローマの噴水&ローマの祭り
ムーティ(リッカルド)
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寝る前に、刺激の強いものを聴いてしまいました。これは寝る前に聴くときっと不眠症になります。聴くのは会社に行く前とか、勝負事の前とかのほうがいいと思います。

ではおやすみなさい。

Classical

これも夏の花?

今日の東京は曇り空で蒸し暑い一日でした。仕事場の近くに咲いていた花。なんの花なのか。

Symphonies Arias
Symphonies Arias

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W.A. Mozart Trinks Staatsorchester Darmstadt
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NMLはこちら。

コンスタンティン・トリンクスのモーツァルト。この方、ダルムシュタット州立歌劇場でタクトをとっているかたで、2010年に《ばらの騎士》をダルムシュタットで振っています。この時の音源を持っておりましたので、今日聴いていたんですが、旋律を歌わせるスケールの大きい演奏で楽しかったのです。

ということで、モーツァルトのCDのをNMLで聴いています。交響曲第39番。たしかに、旋律を拡大させて聴かせてくれるあたりなどは、わかりやすさというか押しの強さのようなものを感じます。(最近は新国立劇場で聴いていたにすぎませんが)、どうも若い世代の指揮者は、旋律を歌わせたり、リズムを拡大したりということが多いような気がします。カラヤンのような無機質で機械的な(これも異論はあると思いますが)ではなく、機械的でありながらもそこになにかエンブレムをつけたりするような飾りをしていて、しかもその飾りがきちんと全体の中で生きている、そういう指揮のタイプが多いような気がします。たとえば、ダン・エッティンガーなんかにはそういうものを感じます。ただ、確かにそれがやり過ぎとして感じられてしまうこともあるのです。おそらくはオールドファンはそういう指揮になにか違和感のようなものを感じるでしょう。

ただ、そうしたやり方にはたしてどこまでのオリジナリティがあるのか。私にはそれが分かるまでの音楽経験をさらにつける必要があるでしょう。そして、それが、同曲異演を聴いて認識できるものと、ただそれだけで認識できるものにわけて考える必要があるのではないかと思っています。つまり、カラヤンのブラ4はあーだったから、クライバーのブラ4はこうである、という評なのか。あるいは、ショルティのブラ4はこうである、という評なのか、ということです。

と語っている言葉自体も音楽を語っている時点でなにかうつろいゆくものであるかのように感じます。そこには何らの普遍的妥当性はなく、この瞬間の《私》の感情の発露であるに過ぎません。そうした感想がはたしてどこまで意味を持つのか。そして分かり合えるのか。私にはまだ良くわかりませんが、さしあたり書いてみるしかないので書いています。これがなにかしらの共感を呼べばいいのですが。。

今日の午前中の喚問は無事に終わりましたが、夜は数字パズルに苦しみました。数字が頭に入ってこないことがよくわかりました。小学生の頃から算数は本当に苦手です。数字にも美しさがあるようですが、どうもそうした美しさには嫌われているようです。祖父は数学の先生なので、数字は得意なはずなんですけれど。。。

ではグーテナハトです。

Classical,Ludwig van Beethoven

はじめに

今日も暑い一日。ですが、まだ晴れているだけ良いのかもしれません。西日本では晴天の日が少なく、経済への影響が懸念されているようです。広島の件は本当に心が痛みます。

今日も一日家で休息をしました。休まなければ次に続きません。

カルロス・クライバーの運命

でもコレは書かないといけません。先日ご紹介したRadio Classiqueですが、今日も聴いていました。するとこちらが登場です。

Beethoven:Symphonies 5 & 7
Beethoven:Symphonies 5 & 7

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カルロス・クライバーがウィーンフィルと演奏したベートーヴェンの《運命》。

クラシックファン必聴の名盤ですが、初めて聴いた人に、その画期的であることはどういうことか、ということをいろいろと話したのですが、まあなんだか私一人が話しているだけでした。いまひとつ。言葉で話しても意味が無いということなのかもしれません。もしかしたらその場でフルトヴェングラーの音源などを聞いてもらうとよりわかったかもしれません。

やはり、歴史的な文脈の中でしかその音楽の位置づけとか評価というものはなかなか判断できないということなのでしょう。あの聞く人によれば重いフルトヴェングラーの運命を聴いてから、この演奏を聴くと、その画期的な意味が分かる、ということなんでしょう。書いていながら、あれ、カラヤンやトスカニーニだってこんな感じだったのになあ、と思いましたが、録音やホールの音響なども相まって、この音源の価値があるのだと思います。

音楽を理解するために

ということは、絶対的な価値判断というものはなかなか難しいということなんですね。言わずもがなですけれど、改めて思いました。音楽の理解には時間が機会が必要です。寸暇を惜しんで何枚も何枚も聴かなければ成りません。あるいは何度も何度も劇場やホールに足を運ばないと行けないのかもしれません。それを全うできるのは本当に限られた幸運な人々だけなのだろう、と思います。私はそこまで行けていません。努力はしていましたが、少し休んでいました。これからまた努力をしなければと思います(クラシックもジャズも)。

何度も引用して恐縮ですが、あらためて、小澤征爾と村上春樹の対談を思い出します。

舞台と客席の断絶は広く深いのか。
続 舞台と客席の断絶は広く深いのか。

小澤征爾さんと、音楽について話をする
小澤 征爾 村上 春樹
新潮社
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音楽を聴く環境は整ってきている?

ただ、そうした事情も、もしかすると徐々に変わってきているのかも、などと思います。

もちろん劇場やホールに足を運ぶのは物理的時間的成約があり難しいのかもしれません。地方に住んでいる人にとってみれば、東京であまた開かれているコンサートやオペラに足を運びなさい、といってもよほどめぐまれていないと難しいです。

ですが、ナクソス・ミュージック・ライブラリーやベルリン・フィル・デジタルコンサートホール、ウェブ・ラジオなどのウェブを通じた音楽聴取の機会というものは本当に増えています。もちろん実演に比べるとその情報量は下がりますので、本当に音楽を聞けているかというと疑問ですが、それでも、かつてに比べて安価に音楽を聞けるチャンスは増えたのです。

ただ、問題は、普通の会社勤めや学生の方々はきっとそんな時間もないのかもしれない、ということだけですが 。その場合は、音楽評論家のCD評論や音楽愛好家のネットにおける情報をたよりに効果的に音源を選ぶこともできるかもしれません。

そう言っても、もとの議論に戻りますが、名盤だけでなく凡盤(?)も聴かなければ、名盤の良さは分からないので、効果的に良いものだけを聴くというやり方にも問題はあるとは思いますね。

いずれにせよ、思うほどチャンスは縮まっていないのではないかとも思います。時間さえあればですが。

結局のところ、落ち着いて一時間とか二時間とか音楽を聴ける時間と、ウェブにつながる環境があれば、どこに居ても、どんな方でも、その気になれば音楽を楽しみ学ぶ環境が整っているのが現代の日本なのではないか、と思います。

繰り返しになりますが、問題は時間がない、ということに尽きるのです。悲観的なのか楽観的なのかわからない結論ですが、そう思います。そして、私に足らないのは時間だということも再認識しました。時間は作れ、ともいいますが、限界もまたありますので。

明日は朝から喚問されます。無事におわるといいのですが。というわけでグーテナハトです。

Book,Classical

バーンスタイン: アメリカが生んだ偉大な指揮者 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
河出書房新社 (2014-07-23)
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はじめに

暑い日が続いています。みなさま、体調はいかがでいらっしゃいますか?
私は、昨夜は空調を切って眠りました。お陰で今日は少し体調がよくなりました。今年にはいて、どうも仕事場の空調が強すぎて、昼間はブルブル震えています。そんなせいで体が冷えきっていたようです。暑さの中で寝たことで、新陳代謝がよくなったような感じで、ずいぶん楽になりました。
この夏を空調なしで乗り切るのも難しい状況ですが、そうはいても空調も使い過ぎは禁物ですね。

バーンスタインのムックが出ました。

河出書房新社からバーンスタインのムックが出ました。昨日入手し読み始めています。
バーンスタインのことは知っているようで知らないのかも、と反省しました。ブラームスの交響曲や、あとで触れる《トリスタンとイゾルデ》などでずいぶん感動しましたが、実はマーラーやベートーヴェンをちゃんと追えていないということに気付かされてしまいました。他にもシベリウスなどにも興味ありますね。久々にCDを買おう、と思いました。
コンパクトにバーンスタインのことがまとまっており大変お勧めです。

黒田恭一さんのこと

この本で感動したのは、故人となってしまった岩城宏之さんと黒田恭一さんの文章が載せられているということ。特に黒田恭一さんが1985年にバーンスタインにインタビューをした当時の記事は素晴らしいです。
バーンスタインの人となりが分かりますし、なにより黒田さんのインタビュアーとしての機知と気遣い、そして綿密なデータをもとに解説するプロ意識にただただ脱帽しました。
黒田さんはNHK-FMでの解説で30年以上まえに存じて、本なども何冊か読みました。2008年には新国立劇場のオペラトークに司会で出演されました。
https://museum.projectmnh.com/2008/09/15235830.php
https://museum.projectmnh.com/2008/11/23213311.php
それから、こちらの本。黒田恭一さんの初心者に向けたクラシックの聴き方の本です。私はこの本を中1の時に読み「コンサートの予習は必ずせよ」「コンサートには一時間前に会場入りせよ」という教えを忠実に守っています。

はじめてのクラシック (講談社現代新書)
黒田 恭一
講談社
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バーンスタインのこと

私がバーンスタインといって思い出すのはこちらのアルバムです。
あまりに豊かで潤いのある音楽に仕上がっています。おそらくはかなり遅いぐらいのテンポで動かしています。この速度で、この曲をやられてしまうと、この曲がもつある種の恍惚とした感じとか官能性などが顕になっていくのだと思っています。かつても書いたと思いますが、1980年ごろ、吉田秀和さんがNHK-FMでバーンスタインが振ったベートーヴェン《田園》を「恍惚とした感じ」とおっしゃっていた録音を持っていました。そういう、なにか人間の奥にある情感を思い起こさせる音が、この音源で感じることができるのだと思います。

Tristan Und Isolde
Tristan Und Isolde

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Wagner Behrens Bernstein
Polygram Records (1990-10-25)
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ではグーテナハトです。

Vocal

ベルリオーズ:抒情的情景「エルミニー」、歌曲集「夏の夜」/ラヴェル:歌曲集「シェエラザード」
ヴェロニク・ジャンス
ONDINE (2012-07-11)
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本当に暑い一日。
こんな日には涼し気な音楽を聴きたいものです。
というわけで、ベルリオーズの「夏の夜」を聴いています。ベルリオーズの代表作の一つとされているオーケストラによる伴奏付きの歌曲で、ソプラノやメゾソプラノ独唱で歌われることが多いようです。ニコライ・ゲッダなども録音してますので、男声もありのようですね。
曲調は、フランス歌曲らしく典雅で優美なものです。いずれもテオフィル・ゴーチエの詩です。もともとは「死の喜劇」として1838年に出版されたものを、ベルリーズが1840年ごろに作曲しました。薔薇の精、恋人をなくした漁夫の哀歌、去りゆく恋人を歌う歌、墓地の歌、未知の島を歌う歌、などなど幻想小説家としてフランス文学史に名をのこすゴーチエの情感ある詩についた曲ですので、おのずとそうした曲調になります。
NMLでいろいろ聴いていたのですが、今のところ、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターとヴェロニク・ジャンスの録音がいいなあ、と思います。
今日聞いているのはヴェロニク・ジャンスのほうです。
オッターはメゾですが、ジャンスはソプラノです。ただ、ジャンスのレパートリーをみてみると、《ばらの騎士》のオクタヴィアンや《ナクソス島のアリアドネ》の作曲家などがレパートリーに入っています。メゾのレパートリーとかぶっています。ですので、声質は軽くなく重心の低い落ち着いた声質です。
ジャネット・ベイカーのようなメゾソプラノが歌うと、(私にとっては)少し沈鬱な感じに聞こえてしまい、典雅さが少しなくなってしまう気がしてなりません。落ち着きすぎてしまうのです。それはそれでいいのかもしれず、好みの問題であると思いますが。
ちなみい、ジャンスは《コジ・ファン・トゥッテ》のフィオルディリージや《マイスタージンガー》のエヴァを歌ってもいます。そういう幅広さが素晴らしい方なのでしょう。また、バロックのレパートリーが多い方で、ヘンデル、パーセル、ラモー、リュリなどのレパートリーを持っているようですね。
またそろりと新しいオペラを開拓しないと、とラモー、リュリなどの名前を見ながら思いました。
明日はとある原稿の〆切ですので、これからまたいろいろ考えます。
では早いですがグーテナハトです。

Classical,Movie

いや、もう、この二週間禁酒していましたが、おかげでアルコール耐性がすっかり落ちてしまいました。
昨日は仕事関連の飲みだったのですが、一次会の前のゼロ次会に参加し、一次会、二次会と5時間半飲み続けた結果、今朝はフラフラ。仕事場に行ってみると、みなさんも大変なことになっていました。
しばらくアルコールは本当にやめます。
というわけで、今日はこちらを。ただれた空気はオーヴェルニュの歌で一掃です。

カントルーブ:オーヴェルニュの歌
アップショウ(ドーン)
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私は、アップショウ、キリ・テ・カナワ、ダヴラツの三枚聴きましたが、やはりアップショウが一番かもしれません。ケント・ナガノという日系人指揮者とアメリカ人というフランス人ではない音楽家の演奏なので、普遍的な音楽に消化しているのかもしれない、などと思います。他の演奏の中には、本当に田舎の土臭い感じがする演奏もあり、それはそれでいいのですけれど、アルコールにつかれたあとなどはアップショウ盤がいいですね。
私は、どうもこの盤を聴くとこの映画を思い出します。

マルセル スペシャルエディション [DVD]
パンド (2003-06-21)
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辻先生が進めていた映画でした。南フランスの夏の雰囲気が伝わってくる映画です。マルセルという少年の家族がプロヴァンスで過ごす夏休みを描いた作品です。観たのは10年以上前ですが、今でも折にふれて思い出します。あの強い日差しに灼かれた土の色が忘れられないです。それを観て、セザンヌを思い出すのですね。どこか日本の美術館でみた作品なんですがよく思い出せません。ただ、以下の絵のように土の色がとても美しかったのです。「マルセルの夏」でもやはりこういう土の色が出てきて、セザンヌの色彩とつながったのを記憶しています。

きっとセザンヌやゴッホが過ごした南フランスはこんなかんじだったのかなあ、などと想像します。オーヴェルニュとプロヴァンスは少し離れていますけれどね。
では、グーテナハトです。

Symphony,Wolfgang Amadeus Mozart

GW二日目。
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近所の畑で撮りました。この赤い花はなんでしょうか。。なんか東京近郊ばなれした風情です。
今朝は、会議をすっぽかし、重要情報を誤って持ち出し、はてどうしたものか思案する、という悪夢?に苛まれながら目覚めました。
昨日で仕事は名実共に休止したはずなんですがね。
GW中は、この数ヶ月の疲れを癒しつつ、とあるプロジェクトを進めるために専心しており、毎日22時には就寝し、6時半に起きる、という生活を実践しようとしています。もちろん時間割も作って。今のところ、今朝の悪夢のようなすっぽかしは発生していませんけれど。
音楽もよく聴いていて、チェリビダッケのハフナーにいたく感動しています。シュトゥットガルト放送交響楽団とのブルックナー集に含まれているものです。

ブルックナー : 交響曲 第3番 ニ短調
シュトゥットガルト放送交響楽団
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いつもはジェフリー・テイトの全集版でモーツァルトの交響曲を楽しんでいますが、テイトのそれより、チェリビダッケのハフナーのほうが、湧き立つような典雅さを感じるのですね。これを聴くと、テイトの演奏がどこか機械的なものに感じてしまうぐらいです。
チェリビダッケといえば、重厚長大な式をするイメージが有りますが、モーツァルトやベートーヴェンは驚くほど軽やかに演奏します。この演奏もそうした方向に変わりはありません。
明日も早起きをしたいものです。
というわけで、本日はこれにて。グーテナハトです。

Classical

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桜の季節も終わりまして、若葉がみなぎるけやきが美しかったです。こういう立派な樹がを観ていると幸福な気分になりますね。どこまでも無限に広がる枝葉はあらゆる可能性を想起させます。剪定されているのを見ると悲しくなります。

小澤征爾さんと、音楽について話をする
小澤 征爾 村上 春樹
新潮社
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かつて読んだこの本で忘れられない場面があります。
図書館で借りたので、至急再度取り寄せしますが、たしかこういった場面でした。
小澤征爾の言葉でした。世の中には高価なオーディオを持っている人が多いけれど、彼らは全然音楽をわかっていない。その点、村上春樹はよく聴いていますよね、と小澤征爾が村上春樹を褒めるわけです。
この場面、ずっと心にひっかかっていました。
村上春樹が音楽を聴く能力が高いのは言うまでもありませんし、作家業という仕事の一環として音楽を聴いているわけですから、そういう意味ではプロの音楽評論家と肩を並べているはず。
ですが、いわゆる高価なオーディオを持っている人というのはそうではありません。お金はあっても、コンサートに足を運ぶ時間や機会を持てない人なのでしょう。地方在住であったり、あるいは東京にいたとしても仕事が忙しくて音楽を聞く暇もないのでしょう。ですが、しばしの休息に出来るだけ良い音に触れたいという思いでオーディオを揃えようと考えた人々です。私は高価なオーディオを持っていませんが、正直音楽に触れる時間を平日はほとんど持てませんので、同じ状況なんでしょう。
が、小澤征爾は、そうした人たちをバッサリと切り捨てたように私は思ってしまったわけです。真意は別のところにあるのかもしれず、私の記憶なかでそうなっているだけなのかもしれないので、原典にはもう一度あたります。
これも私の記憶の中ですが、岩城宏之も似たようなことを行っていたような気がします。いわゆる音楽愛好家と話したくない、といったたぐいの言説だったはず。原典は探します。
さらには、絶対音感がなければ、音楽を語りえない、という私の友人の知り合いの音楽学者の言葉も影響しているのかもしれません。
これが、私の中の最近の迷いのようなものなのかもしれないわけです。結局、音楽家はこういう思いを皆持っているのだろうか、ということ。音楽家と聴衆(私かもしれません)に横たわる断絶がこれなんでしょうね。
真の音楽とは何か、ということを例の偽ベートーヴェン事件から考えざるをえない状況なんですが、どうやらこういう芸術認識における断絶の問題なのでしょう。聴くだけで語るべからず、なんでしょうかね。
今聞いているのはこちら。予習です。

Cavalleria Rusticana / Pagliacci
Cavalleria Rusticana / Pagliacci

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Decca (1988-10-11)
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ではグーテナハトです。

Anton Bruckner,Symphony

Symphony 7
Symphony 7

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Bruckner Berlin Philharmonic Orchestra Wand
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いや、ほんと短信です。
いろいろあった一週間。あの騒動で、一時音楽が聴けなくなるんじゃないか、と思いました。それは、聴くことと語ることを一つにしようとしたからかも。音楽を語るということに対する苦しみというものは以前からあって、それが今回の騒動で色々考えざるを得なくなってしまったということだと思いました。
しかし、昨日から読んでいる伊福部昭「音楽入門」で、「わからない音楽ほどわかっている」という一節があり、ああ、語ってはいけないのかもしれない、などと思いました。まるで一神教の神のように。
で、ヴァントが振るブルックナーの7番を聴いて、ただただ、端正で静謐だ、とだけ思いました。
そうか、音楽を語るときに比喩表現を用いてはいけないのか、などと気づいたり。けっして、「かなしみは疾走」などと言ってはいけないのですね。安易に。
明日の関東はまた雪ですか。2日振り続けるようです。週末、大学時代の音楽関係者と会うんですが、開催されるのでしょうか。。。
ではグーテナハト。