
ゆえあって短信。くわしくは明日書きます。
準メルクル指揮によるマーラー5番を。あらゆる要素を差し引いても、メルクルの意図がよくわかる快演でした。というか、感動しました。
マーラーの持つ、ユダヤ民謡、軍楽隊、ウィナーワルツといった要素が混ざり合い、万華鏡のような複雑な文様を形作っているのがよくわかりました。プログレロックのようです。
その他、いろいろありますが、きょうは取り急ぎです。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生


準メルクル指揮によるマーラー5番を。あらゆる要素を差し引いても、メルクルの意図がよくわかる快演でした。というか、感動しました。
マーラーの持つ、ユダヤ民謡、軍楽隊、ウィナーワルツといった要素が混ざり合い、万華鏡のような複雑な文様を形作っているのがよくわかりました。プログレロックのようです。
その他、いろいろありますが、きょうは取り急ぎです。
ご無沙汰しておりますが、ちゃんと生きております。
今年に入っていろいろありまして、わりと忙しい感じになってきましたし、会社のオフィスも関東西部から東京湾岸に移りました。前にも書きましたが。。
それにともない、転居してと、まあ、目の回るようなこの数ヶ月です。ですが、これからもっと目が回ると思われる。がんばろう。
で、忙しいとはいえ、仕事ばかりしているとあまりよろしくないと言うことなので、輪番休業日を利用してサントリーホールでマーラーを聴いてきました。こちらも、いつもお世話になっている先生とのご縁で行くことが出来た次第で、本当に感謝しております。
先生に書いたメールをもとに、書いてみると……。
指揮は、フィンランドの俊英であるピエタリ・インキネン氏。聴くのは初めてでしたが、スタイリッシュで筋肉質、鋭敏で明快な指揮で、スポーツカーに乗っているかのような心地よさがありました。オケをしっかり統制している感じです。
一番驚いたのは、第一楽章最終部分で、あそこだけ、他の部分よりも遙かに早い超絶テンポで演奏したところです。日フィルメンバーもきちんと追随していたように思えました。前から二列目ということで、日フィルの方の気迫に恐れ入りました。
あとは、コンミスの江口さんのヴァイオリンソロが格別でした。音が引き締まりながらも柔らかみを帯びた演奏で、以前もいただいたチケット「ツァラトゥストラ」の時と同じく感動しました。
今回も、サントリーホールの前列方面で、大変な贅沢でした。いつも思うのですが、前列の席は、指揮者や弦楽器奏者の息づかいや表情がよく見えるので、感情移入してしまうことが多いです。
曲中、オケの方々は本当に真剣で、当然ですが笑うことすらしないんですが、曲が終わって得、音がサントリーホールの天井ではじけ飛んだ瞬間、オケのメンバーの顔が一転晴れやかになって、充実の笑顔を見せたのが印象的でした。
そこからは大盛り上がりで、オケのメンバーもお互いをほめ合っていた気がします。前の列ですので、木管や金管の方々が見えなかったんですが、そのなかでも木管の若い男の方が、指揮者に指名されて立ち上がって拍手を浴びたとき、感極まって泣いていたようにみえたのが印象的でした。
この曲、本当に大変な曲だなあ、と思います。
この曲は、大自然を描写したもので、マーラーが、ブルノ・ワルターに、自然の風景を見る必要はない、なぜなら、すべて私が楽譜にしたのだから、等と言った、というのは有名な話のようです。
そういうこともあって、鳥のさえずりが聞こえたり、沸きたつ雲が見えたり、断崖絶壁が見えたりします。
で、それが徐々に変質していく。第三楽章で、舞台裏から聞こえるトランペットは、ララバイか、あるいは羊に帰営を促すメロディーなのか。で、最後には、もうこれは帰営ラッパとしか思えないようなトランペットの旋律が聞こえてきます。
第四楽章で、アルトが入ってくるあたりから、これはもう自然賛美を超越してしまう。おそらくは日が暮れて夜も更け、思索に耽り始めて登場する妄念や観念が飛び交う時間。
第五楽章になると、ほとんど夢幻の世界になってしまう。女声合唱および児童合唱と、アルト独唱は対立しっぱなしです。完全に精神が分裂していてほとんど二重人格状態。
ミクスチャ多様性は、色んな音楽に見られるものですが、その中でもマーラーの音楽においては、その断絶が激しい気がします。世の中は多様で相反する様々なものが蠢く複雑怪奇なものですが、それがそのまま反映している気がするのです。
というわけで、私の今シーズンの幕開けは素晴らしいものでした。このシーズンも忙しいですが合間をぬって、いろいろ聞いていきたいと思います。
いやあ、今日のN響アワーは面白かった。マルクス・シュテンツの「復活」。聴いたことのないテンポ操作で、結構驚きました。観て良かった!
第4楽章のパーカッションの使い方に心を打たれた感じ。ティンパニーとドラムをあそこまで引っ張られると、完全に曲が変わってしまうぐらいインパクトがあってすごかったです。N響、追随しきれていなかったところもあったけれど、指揮者の意図はよく伝わってきました。良い演奏でした。
「復活」は、何度も書いているかもしれませんが、思い出深い曲であるがゆえに、実に感慨深い。第四楽章のフィナーレのところに心打たれたのはもう四半世紀前のこと。今聴いてみると、なんだか慣れてしまった感がありましたが、今日は久々に、初めて聴いた時のことを思い出しました。あのときはあり得ないぐらいに私のゾレン(should)にフィットしていて驚愕したんですよ。アプリオリに知っていたと感じた瞬間でした。
時々そう言うことがあります。初めて聴いたのに知っている気分になるときというのは。1998年にオペラシティでリームを聴いた時もそう思いました。
まだまだ素晴らしいものがあるはず。くたばってはおれません。

今年も来年もマーラーイヤー。
1960年が生誕百年で、にわかに予言通りマーラーの時代が来たわけで、再評価が進んだのですが、今年は生誕150年で、来年が没後100年。早いものです。1960年は私は生まれておりませぬ。。
2010年といえば、「2010年宇宙の旅」ですが、こっちの予言は全く外れています。まだソ連も続いていることになっていましたので。
私の幼き頃は2010年まで世界が続くとは思っていなかったですねえ。核戦争でも起こるんじゃないか、と日々不安でした。ですので、友達と庭に穴を掘って核シェルターを作ろうとしていたぐらいですから。そうしたら、ガスの配管やらが出てきて、親に怒られました。早く埋め戻せってね。
というわけで、プロムス2010のオープニングは「一千人の交響曲」。7月16日夜、ロイヤルアルバートホールにて。こちらのURLでオンデマンドでしばらくは聴けるようです。あと4日。お急ぎを。ちなみに、映像はUK外では見られないみたい。
“http://www.bbc.co.uk/proms/2010/whatson/1607.shtml#prom1":http://www.bbc.co.uk/proms/2010/whatson/1607.shtml#prom1
私が中学生の頃一番好きだった曲こそが、マーラーの交響曲第八番。通称「一千人の交響曲」ですが、この曲にはひとかたならぬ思い入れがあります。なんせ、初めて買ったCDがショルティ盤の「一千人の交響曲」だったぐらいですから。この曲、どなたかは忘れましたが、マーラーの作った唯一のオペラである、というとらえ方があるようです。確かに、劇的な部分は多分にあります。昔からオペラ好きの素地があったと言うことなのかしら。
私が大好きなのは第二部の以下のところ
* マリア崇拝の博士が歌うところ
* 栄光の聖母が「Komm! Komm!」と歌うところ[1]
* 続いてマリア崇拝の博士が、Bricket auf! と歌って、神秘の合唱の旋律を先導するところ。
* 神秘の合唱(言わずもがな)
ライヴならではの疵はあるけれど、改めて聴くと感動するなあ。
ちなみに、この曲、マーラーの交響曲の中で一番人気がないらしい。CLASSICAさんのマーラーの交響曲投票で最下位でした。
“http://www.classicajapan.com/vote/qv.html":http://www.classicajapan.com/vote/qv.html
でも私はこの曲が一番好きだなあ。
今から聞き直してみると、調性が希薄な部分とか激しい転調に気がついて面白い。
演奏終わったあとの熱狂が凄い。こればっかりは、録音だけじゃ分からない。実演は凄いんだろうなあ。
演奏者の方々。大拍手。
* Mardi Byers soprano
* Twyla Robinson soprano
* Malin Christensson soprano
* Stephanie Blythe mezzo-soprano
* Kelley O’Connor mezzo-soprano
* Stefan Vinke tenor
* Hanno Müller-Brachmann bass-baritone
* Tomasz Konieczny bass
* Choristers of St Paul’s Cathedral
* Choristers of Westminster Abbey
* Choristers of Westminster Cathedral
* BBC Symphony Chorus
* Crouch End Festival Chorus
* Sydney Philharmonia Choirs
* BBC Symphony Orchestra
* Jiří Bělohlávek conductor
しかし、この演奏会の一番高いチケットが44ポンドとは、安くないですか? 日本円で6000円弱。ロイヤルアルバートホールはでかいので、それで元が取れると言うことなのか。
今日は、激しく暑い一日。ですが、クーラーつけずにがんばりました。シェスタが大事なのもよく分かった感じ。仕事は捗らない。。。いつも仕事に出かけるカフェは月曜日が定休日なので。
明日から、さらに忙しくなる予定。薄氷を踏む思い。
fn1. ここ、昔、森麻季さんが歌うのを聴いて感動したことがある。あれはあまりに美しすぎて鳥肌がたった。
「新国立劇場2009/2010シーズンを振り返る」は、参考資料読んだりしないと、というところで、まとまった時間が取れる週末でないとかけないことが分かりました。ちょっとお待ちを。
変わりに、今日起きた突然の変化を。
昼休み、廊下を歩いていたときのこと。
いきなり、マーラーの「復活」の第一楽章のフレーズが頭の中に浮かんできたのでした。これには驚いた。軍楽隊の演奏のように、僕が歩くそばから、耳元で「復活」第一楽章を誰かが聴かせてくれている。そんな感じ。
これは、突然のことで、本当に驚きました。なぜ、今マーラーなのか?
実を言うと、マーラーはこの2年ほどほとんど聞いておりません。二人のリヒャルトにくびったけでしたので。つまり、ワーグナーとリヒャルト・シュトラウス。
でも、クラシックを聴きはじめて数年経ったころ、マーラーに開眼したのがこの「復活」でした。小澤征爾が「復活」を振った映像に感涙して、ラジオでバーンスタインの「復活」をエアチェックし、さらに感涙。
けれども、この長大な交響曲をカセットテープに録音するのはきわめて難しかったのです。片面60分が限度の時代でした。どうしてもひっくり返さなければならなかったので、マーラーの交響曲をエアチェックするのはきわめて難しかったです。オートリバースなんていう機能もありましたが、テープ冒頭の非磁部分の音切れも気になりましたし。
その頃から高校の半ばまではマーラーばかり。でも、決まった演奏ばっかりでしたが。ショルティの「復活」、マズアの「悲劇的」、ショルティの「一千人の交響曲」、メータの「巨人」など。高校時代はお金なくて、CDなんて買えなかったし、昼ご飯代を削って、アルトサックスを買うので一杯一杯でしたから。
で、今日改めて、バーンスタインのマーラー「復活」を聴いてみるのですが、これも、先だって「トリスタンとイゾルデ」の回で書いたようにバーンスタイン的テンポ取り。絞れるところまで絞りきろうという、執念のリタルダンド。低速ギアの極致とでも言いましょうか。でもチェリビダッケ的な遅さじゃないんですよね。ギアチェンジは頻繁にしますので。
私が聴いている音源は、DVDでして、1973年にロンドン交響楽団を振った演奏。録音はこちらも中低音が充実した感じです。
なんだか、最近、ちと夜型傾向。朝の早起きはなくなりつつあります。その方が体調がいいということみたいですけれど。明日も思いっきり働きましょう。本も読みましょう。あ、「沈まぬ太陽」第四巻も読み終わりました。明日は辻邦生を読もうと画策中。辻邦生も私の中で復活させないと。プルーストもですが。あー、時間足りない。でも充実化宣言。
なんだか、虚脱状態に陥りっぱなし。やけに忙しいぞ。
さて、今年はマーラーイヤー(生誕150年)で、来年もマーラーイヤー(没後100年)ですね。
マーラーは1860年7月7日に生まれ、1911年5月18日に亡くなっています。中学生の頃、命日の5月18日にしんみりしていたりしてましたなあ。懐かしい思い出。
というわけで、図書館にはマーラーコーナーが設営されていまして、所蔵するマーラー録音が一堂に会している状態。ですので、ちと何枚か物色しています。
この二年間、ほとんどマーラーは聞いておりませぬが、私の強烈なマーラー体験は、小学6年生に小澤征爾がジェシー・ノーマンなんかとボストン交響楽団を振った復活の最終部の映像をみてからです。
NHKでドキュメンタリーが放映されたのですね。詳しいことは覚えていないのですが、二箇所だけ覚えています。
なんだか小澤征爾が神経質な面を見せる場面があったのですが、それを見ていた父が「芸術家のこういう芸術家ぶったところが嫌いだ」と言っていたことと、小澤征爾の子供達が庭で遊ぶシーン、「復活の最終幕」です。
この「復活」の最終部を聴いてから、マーラーのエアチェックを始めたわけです。
で、苦手だったのが、交響曲第五番でした。マゼール盤を聴いていたのですが、第四楽章以外は全く理解できませんでした。ある種恐怖症状態。
ですが、その呪いを解いてくれたのが、ラトル&BPOのライヴ盤でした。映像も見ましたね。ああ、この曲はこんなに面白いのだ、と得心。第三楽章でホルン協奏曲状態になるのをみて、すげー、と感心したり。
で、今日は、ショルティ盤交響曲第五番を聴いております。
先日来、バーンスタインのマーラーを少しばかり聴いておりましたが、ショルティはスマートになんでもやってのける感じ。そこが、賛否両論があるところなのかもしれませんが、くたびれた体には、ショルティのようなすっきりとした味わいもまた格別でした。虚脱状態の私にはちょうど良いカンフル剤的状況でした。第四楽章が意外と遅いテンポで、ショルティらしくないなあ、とも思ったり。逆にその方が良いんですけれど。
さて、先だって注文していた新しいノートPCが届きました。Windows7に初めて触れましたが、なかなか好感が持てます。私は、MSの戦略にはまらぬよう、メインPCは未だにXPですが、食わず嫌いも良くないなあ、とちょっと反省しまし
また一週間が始まりました。週末は不本意ながら休息となってしまいましたので、ブログもかけずに終わってしまいました。週末は週末で仕事ははかどらず、少々苦しい思いをしましたが、新しい週は何とか充実したものにしていきたいものです。
週末のことを書きますと、いろいろと乱れ聞いていました。カーライル・フロイド「スザンナ」、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、内田光子さんとザンテルリンクのピアノ協奏曲「皇帝」などなど。
気を取り直しまして、今日は、先日に引き続きバーンスタインのマーラーを聞いております。
第三楽章はウィナーワルツなわけですが、ホルン協奏曲と思うぐらいホルンが活躍しますね。音いいです。 第四楽章はテンポを動かすことでダイナミズムを得ています。ためるところはかなりためていますが失速することもなく、哀切とした感じが色濃くのってきています。またある場所では、さらりと身をかわすように旋律を続けざまに展開させていく場面もあります。いずれにせよよく統御された演奏です。あまりに有名すぎる楽章ですが、バーンスタインの演奏は実に雄弁です。
第五楽章も同じ色合い。フィナーレの疾走感も格別です。 全体にいえることですが、バーンスタインがテンポを動かすことで、音楽の躍動感を救い上げています。ただ、遅いの一点張りではなく、テンポを上げるところでは、ちょっと速過ぎるのではないか、と思う寸前までいくのですが、テンポを下げるところではぎりぎりのラインまで落としています。先日も書きましたが、テンポを落とすと、解像度が増して、響きがくっきりと浮かび上がってきます。
聞きごたえのある演奏なのですが、かなり考えて聞かなければなりませんし、軽く聞き流すことを許さない演奏ですので、疲れたときに一息入れたい、なんて場合にはちょっと遠慮しておいたほうがいいでしょう。もっとも、マーラーで一息入れる、ということ自体が難しいわけですけれど。
季節は周りましたね。夏至を過ぎたわけです。これからは昼の時間が少なくなっていきます。すこし残念な気分。
今週から読み始めたブルノ・ワルターの「マーラー 人と芸術」を読んだから、ということもあって、昨日、今日とマーラーを聞いています。昨日は交響曲第4番を聞いたのですが、4番の中でトランペットが、交響曲第5番冒頭のファンファーレを吹いているのに気づいて、ああ、5番を聞かなければ、と思い、バーンスタイン盤を聞いている次第。
まずは第一楽章から。冒頭のファンファーレ、フレーズ自体の速度の遅さより、休符をためてテンポを遅くしているのがわかります。全体に荘重な空気に支配されていて、テンポの遅さからくるまどろっこしさを感じることはありません。きちんと統御されているのがわかります。
バーンスタインのテンポの取り方に注目し始めたのは最近になってからで、特にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」やブラームスの交響曲などを聞いて大いに刺激を受けたのですが、この曲でもやはりたっぷりとした器の大きさを感じて、いいなあ、と思います。 テンポが遅くなると、音楽が拡大鏡で覗いたように思えることもあります。ティンパニーがパッセージをたたいたり、鼓笛隊の沈鬱なスネアドラムが聞こえたり。交響曲第10番の第1楽章、あるいはベルクの「ルル組曲」のような、トーンクラスター的な響きが聞こえたり。いろいろな意味でとても刺激的です。 第二楽章の冒頭はテンポが上がりますね。波打つように弦のうねりが迫ってきて、金管が吠えまくりますが、チェロの葬送行進曲風の旋律はかなりゆったり。テンポの変化が雄弁な楽章です。
上述のワルターの著書の中で、「音楽は地中海の明るい海なのではなく、なみうつ大洋のような暗さを持つのだ」、といったことが書かれているのですが、マーラーの曲はまさにそれに当てはまりますね。音楽に関わらず、世界認識も変えられてしまうかも、とまで思ってしまいました。そういう意味では実にショッキングな一文でした。
しかし、マーラーの曲は集中力を非常に要します。特にバーンスタインはゆっくりと重みのある演奏なのでなおさら。マーラーの五番だって、これまで何度聞いたか分らないのですが、分らないことが多すぎます。だからといって聴き過ぎると疲れてしまう。疲れるぐらいの曲のほうが歯ごたえがあって、分ったときのうれしさは格別なのだと思いますが、まだそこまで辿り着いていないです。 第三楽章以降は次回へ続く、ということで。
今日はちょっと短めです。所用で都心に出たもので、ちょっと時間が取れませんでした。
ブルノ・ワルターの「マーラー 人と芸術」ですが、音楽之友社から昭和44年に発売されたものを古本でゲットしましたので読んでいる次第。訳自体は戦前。
「回想」と「反省」の二部構成で、「回想」はワルターがマーラーと接した七年間の思い出話。「反省」で、マーラーの音楽的、芸術的な側面を分析しています。
マーラーには、音楽的才能と劇的才能の両方が備わっていて、だからこそオペラ指揮者として成功したのである、とか、マーラーの音楽は古典的側面とロマン的側面という二面性から理解されなければならない、など。もう少し分析的に読んでいく予定です。
ともかく、この本を読みながら、マーラーの三番などを聞いていたのですが、マーラーは聞いている人間を安心させることがなくて、あるときは流麗で映画音楽的美しさを持つのだけれど、次には突然、夜の兵舎に鳴り響くトランペットや鼓笛隊がうつろに行進するさまが描かれていたり、次には愛の告白をしているように聞こえるのだが、次には皮肉っぽく嘲笑って見せたりするわけです。マーラーの音楽を聴くと言うことは、人間や世界の多面性を理解すると言うことなのだなあ、なんてことを漠然と思ったりしていました。
いよいよ週末が訪れました。この一週間は忙しくて息をつく暇もなかったです(言い過ぎですが……)。おかげで時間が経つのがとても早く感じます。あっという間に「魔弾の射手」まで残り一日となりました。今晩はゆっくり休んで明日に備えようと思います。
とはいえ、今日もいつものカフェで仕事をしようと思ってきているのですが、気圧が下がっているせいか(?)り、ちと、はかどりが悪い。こんな時は音楽を聴いてやる気を高めたいものです。
普通なら、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」などを聴いて自らを鼓舞するところですが、昨日何の気もなく選んでしまったシノポリ先生のマーラーを聴いています。交響曲第9番です。
シノポリのマーラー全集を買ったのは、亡くなった直後ぐらいで、私もまだ自由にお金が使える頃だったこともあって大人買いをしたのでした。何曲か聴いたのですが、あとでも触れますが、すこしリズムに難ありだな、という印象を持ってしまってあまり聴いていませんでした。
シノポリの演奏、まず録音がわりと良いんですよ。ダイナミックレンジもしっかり確保されているし、一音一音が良く聞こえます。もちろんシノポリ先生の棒に因るところが大きいとも言えますが。リズムの粒状感もしっかりしていて、あまり乱れを感じるようなこともないです。昔聴いたときは、リズムが甘いなあ、と思ったこともあったのですが、今のところそういう感想を持つことはないです。
第二楽章の三拍子なんて、本当にメカニカルに刻んでいますね。僕はこういう演奏が好きな方ではあるのですが、ここは評価が分かれるところでしょうか。それにしても譜面が頭に浮かんでくる(これも言い過ぎ)ような演奏で、シノポリ先生がここで表現している美意識は建築的なものではないか、と思えます。もちろん、オケの方々の技量も並々ならぬものがあると思います。聴いて損はない演奏です。
大好きな第四楽章に至ると、今度は厚みのある弦楽器群が出迎えてくれます。良いですね。この感じ。哀切で慎み深い色調に覆われています。
僕もこのタイミングで聴くことができて本当にラッキーです。「名盤はCDラックの奥に眠っている」という格言(?)は本当です。
シノポリ先生には、プッチーニ作品(マノン・レスコー)、シュトラウス作品(影のない女、エレクトラ)などでお世話になっていますが、マーラーでもお世話になりそうです。