Gustav Mahler

はじめに

どうも気圧に敏感になってしまったらしく、先週、今週と縦断した台風のせいですっかり体調が悪い感じです。肩こり、足のこわばり。早く良い天気ななるといいのですが。

アバドのマーラー

さて、昨日に続き、マーラーの交響曲第5番を聴くシリーズ。昨日の記事のタイトルが先ほどまで「アバド」になってました。本当は「ヤンソンス」。先ほど補正しました。というのは、本当はアバドについて書こうと思いながらもついついヤンソンスを書いてしまったから。

今日はアバド。もちろんAppleMusicで聴いていますが、昔、ボックスのアバドなマーラー全集を買った記憶があります。

マーラー:交響曲第5番

マーラー:交響曲第5番

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アバド(クラウディオ)
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この録音を聴いて思うのは、アルバン・ベルクのようだなあ、ということ。なんというか、本当に人間の、あるいは世界の狂おしさのようなものが横溢しているわけです。《ヴォツェック》が聴こえて仕方がありません。それは、わたしがアバドの振るベルクが好きだから、ということはいうまでもありませんし、ベルクがマーラーの影響を受けた、ということもあります。

《ヴォツェック》を思い出す。

よく考えると、ベルクのオペラ《ヴォツェック》の主人公ヴォツェックに幾ばくかの共通点があるわけです。それは妻殺し。マーラーは妻であるマーラーを殺すことはしませんでしたが、おそらくはアルマの音楽的キャリアを諦めさせたことは、妻殺しに値するとも言えるかもしれません。アルマは、グロピウスと不倫関係に陥るわけですが、《ヴォツェック》に搭乗するマリーも、当然鼓手長と不倫をしているわけですから。

ベルク:ヴォツェック 全曲
アバド(クラウディオ) グルントヘーバー(フランツ) ラファイナー(ヴァルター) ラングリッジ(フィリップ) ツェドニク(ハインツ) ハウクランド(オーゲ) シュラメック(アルフレート) ベーレンス(ヒルデガルト)
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(新国立劇場の《ヴォツェック》が本当に懐かしい。素晴らしいパフォーマンスだったのですから)

アバドの美しさ

それにしてもアバドの指揮は本当にながれるような美しさと緊密さ、緻密さを兼ね備えたもの。第1楽章と第2楽章の狂おしさ、第3楽章の流麗さ。言うことないです。

天才だなあ、と。イタリアの天才はこういう感じなんですね。

終わりに

きっと明日もマーラーの5番について、になりそうです。

気がつけば、東京の日の入りは16時台に突入していました。もう冬ですね。お身体にどうぞお気をつけて。

それではみなさま、おやすみなさい。

Gustav Mahler

はじめに

最近、マーラーに回帰した感があります。といっても、マーラーの波が来ているということにすぎないのかもしれませんけれど。

つい一週間ほど前に、急にマーラーの交響曲第五番が聴きたくなったのがきっかけでした。理由は全くわかりません。

この一週間で、アバド、ヤンソンス、カラヤン、バーンスタイン、ゲルギエフ、インバルを聴きまして、そろそろ全体感がつかめつつある感じかも。あと二週間ほど聞き続けるともう少し地平が開けるとも思います。

ヤンソンス盤

実のところ一番多く聴いていたのがヤンソンス盤です。

マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調[SACD-Hybrid]
マリス・ヤンソンス バイエルン放送交響楽団
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カラヤンの弟子だったりしますが、カラヤン盤をざっと聴いてみた感覚だと、あまりカラヤンっぽくなく、バーンスタインのように歌わせているなあ、という印象でした。その後、バーンスタイン盤をもう一度聴いてみると、バーンスタインの指揮の陶酔感にくらべるとまだすこし冷静だな、という印象でした。しかしながら、ときおり世の終わりを思わせるような慟哭を感じさせる場面もあり、なにか胸が締め付けられる思いがします。世界とはそういうものなのか、ということを思わされます。解像度の高いバイエルン放送恐々楽団の演奏ということもあって洗練の極み、とも思いました。

5番の思い出

5番の思い出と言えば、初めて聴いたマゼール盤にあまりついて行けなかったものの、5年ほど前に準・メルクルがPMFオケを振って5番を演奏したときに、ずいぶんとわかりやすさを感じたりしたなあ、といったぐらい。あとは、ベルリンフィルの音楽監督にラトルが就任したときの演奏会がすごかったなあ、とか。

とはいえ、なんだか今聴いていると、ウィーン世紀末の香りが漂う曲だなあ、と思います。昔マーラー本は何冊か読んだはずでしたが、思い起こさないと、とおもいます。アルマ・マーラーに影響されていたとか、そういう話を思い出しました。

おわりに

さて、また台風がきて週末は大荒でした。休む間もなく、明日からまた仕事。みなさまもどうかお身体にはお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical,Gustav Mahler,Richard Strauss

短いエントリー(と思った長くなりそう)。

マーラー:交響曲第5番

マーラー:交響曲第5番

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アバド(クラウディオ)
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帰宅時に聞いたアバドのマーラー交響曲第5番が素晴らしくて。
アバド、艶が合って、ダイナミックな演奏で、なんだか本当に懐かしい気分になりました。
まだまだ美しさが信じられた20世紀の所産、という感じ。
マーラーの時代は、まだまだ美的なものへと迫っていくことができた気がします。そしてなお、平和の喜びに溢れていた1990年代、バーンスタインが、ベートーヴェンの歓喜の歌の「フロイデ=喜び」を「フライハイト=自由」を読み替えて歌わせることが許されてしまうような時代。夢のような時代。

いや、これはもう、何か、自分が齢を重ねて、世の中がわかってしまったように思ったが故に、かつてのようなまだ歴史があった頃を思い出した時に感じる懐かしさのようなものなんだと思います。

私は、クラシック音楽の中でも18世紀古典派以降のクラシックというものは、そこに政治的啓蒙主義から市民革命へと向かうイデオロギーがあった、と思っています。そう感じたのは、ヨハン・シュトラウス《こうもり》を新国立劇場で見て思ったのでした。あの、ウィナーワルツのヨハン・シュトラウスの傑作オペラに、多様な政治的意図が満ち溢れているということを、気づいてしまったわけです。ここにはそれを書くことはあえてしません。それは、おそらくは、現在の日本においては当たり前すぎてわからないのだけれど、当時の状況に思いを寄せた時に、そこに溢れている政治的意図のようなものを見て取ってしまい、そこで様々なものに糸が通るような思いを感じたのでした。

リヒャルト・シュトラウスの死、いや、そうではなく、リヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンの最後、ベートーヴェンの葬送行進曲のフレーズをを書いたところで、ロマン派は終焉を迎え、以降世界は変わったのではないか。何か、そうした思いを感じるわけです。

R.シュトラウス:死と変容/4つの最後の歌
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ヤノヴィッツ(グンドゥラ)
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言葉が言葉通りとならず、美的なものが美ではなく、あるいは、真善美というイデアがない時代にあって、何が規範となるのか。その答えが懐中にあったとしてもここには書くことはできないでしょう。ただ言えることは、大きなことではなく、小さなことから美しさを作ることしかできない、ということです。世界は変わりません。ですが、自分は変われます。そういうことなんだと思います。

ますます冬が近づく今日この頃。皆様もどうかお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical,Gustav Mahler

6月も気がつけば半ばに迫っています。東京地方は6月7日に梅雨に入ったそうですが、雨が降っているという印象はあまりありません。

昨日も30度を超える真夏日で、熱中症気味でしたし、今日もどんより曇るだけで、雨が降ることはありません。これから梅雨前線が北上し、梅雨らしい天気になるのだと思います。

もっとも、この季節の晴天は宝のようなものです。爽やかな晴天の下で、散歩をしたり、自転車で走ったりするのは、幸せです。
さて、今日はこちら。マゼールのマーラー交響曲第5番。マゼールのマーラー交響曲全集のボックス盤から取り出して聞いてみました。

Mahler:Symphonies 1-10

Mahler:Symphonies 1-10

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この音源、25年ほど前に初めて聞いた時にはまったく受け付けませんでした。以下のジャケットでした。

マーラー:交響曲第5番

マーラー:交響曲第5番

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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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私にとっては、このジャケットは、何か苦手な音源を聞いた、という気分を想起させるのです。そもそもこの曲の理解が定まっていないとか、マゼールの音楽というものを体感として理解していなかった、ということもあるのだと思います。

この濃厚な音楽の作りは、おそらくは普通の小学生や中学生に理解せよ、と言っても難しいのかも。幼い頃は何か「かっこいい」というプリミティブなキーワードを元に音楽を聞いていた記憶があります。

その文脈でマーラーを捉えることはできませんでした。

マーラーの音楽に含まれる様々な要素、ある時はスタイリッシュな音楽であり、ある時は土着の民謡であり、ある時はユダヤ音楽であり、ある時はワーグナーであり、と言った複雑に織り混ざったものを、一言で捉えたり、一言で語ったりする、一言で理解することはできないということなのだと思います。

長い間音楽を聴いて、あるいはこの曲をCDやライブで何度か聴いたことで、あるいは、実際にウイーンの空気を吸ったり、世界史をかじったり、現代の政治をみたり、そう言った経験があって、体感として理解が深められた、ということではないか、と思うわけです。

昨年も同じようなことを書いてました。

https://museum.projectmnh.com/2016/07/06235912.php

https://museum.projectmnh.com/2016/07/07235924.php

今日聞いたマゼールのマーラーも何か得心しながら聞けたのは、おそらくは、マーラーというものをかつてよりはよく聞いていたし、交響曲第5番もかつてよりはよく聞いていたし、マゼールもかつてよりはよく聞いていたから、ということなんだと思います。

主体の成長とともに認識も徐々に変容するということ。主体だけでもなく、客体だけでもなく双方によって整理するものであるということなのだと思います。おそらくは、音楽だけではなく、文学や絵画だけでもなく、あらゆるものがそういうことなんだとも思います。

さて、最近、もうなんだか放心したような毎日が続いていたんですが、なんとかここから脱却しないと、と思う今日この頃です。本も全然読んでいないし…。

それでは、みなさま残りの週末を楽しくお過ごしください。

Gustav Mahler

AppleMusicのおかげで色々な指揮者を聞けていますが、先日聞いてみた「はじめてのバーンスタイン」に触発されて、こちらをあらためて聞いてみています。

Mahler: Symphonie No 5 [12 inch Analog]
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先日、バーンスタインの《田園》を聞いて、吉田秀和が「恍惚とした」と言った、という話を書きましたが、このマーラーの交響曲第5番もやはり「恍惚とした」ものなのだと思いました。美しさの向こう側にある揺らめく情念のようなものであったり、あるいは、破局の前の煌めきのようなものであったり、何かそういう危うさを感じる「恍惚」なのだと思います。言い方を変えると「官能」とも言えます。ゆらゆらと揺らめくリズムは、妖しく光り、危うさすら感じます。なんだか、私にとっては再発見とも言えるなあ、と。バーンスタインのマーラーを聞き直してみよう、と思っています。

それにしても、AppleMusicのおかげでいろいろな音楽を体系的に聞くことができるようになりました。いろいろ問題はあるにせよ、実は、これは音楽の新たな体験なのかもしれない、と思います。

今日は、自宅にていろいろと。夜、仕事の話をHangoutで1時間ほど。いい時代になったなあ、と思います。いろいろと刺激になりました。

それではみなさま、お休みなさい。グーテナハトです。

 

Gustav Mahler

Mahler: Symphony No. 8
Mahler: Symphony No. 8

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New York Philharmonic (2009-08-25)
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ちょうど1年と1日前にこちらの記事を書きました。

マゼールのマーラーの思い出を思い出す。

なんということか、一年経って、今日聞いたのがニューヨクフィルハーモニックと2009年に演奏したライブ録音でした。こちらもAppke MusicでもAmazonプライムでも聞くことができます。

そして、充実のライナーノーツもPDFでリリースされています。

で、聞いて思ったのは、1989年の録音と本当によく似ていたということです。巨大、壮大な宇宙的マーラーでした。本当に1989年の録音を思い出しながら聞きました。

今日はこの録音以外にも、グロフェ《グランド・キャニオン》もマゼール指揮で聞いたのですが、本当に巨大な演奏でした。グロフェが、ワーグナーの《指環》あるいはシュトラウスの《アルプス交響曲》の聞こえてきたぐらいです。

Grand Canyon Suite / Hero & Leander
Grofe Herbert Maazel Pittsburgh Symphony
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ちなみに、この記事の題名は意図したものです。巨大なのは、マゼールでもあり、マーラーでもあり、という感じですから。

今日も午前中は仕事関連の調べ物など。午後は家事を。こればかりは毎日やらないと。家事をしながら、たまたま出てきた北杜夫「巴里茫々」が収録された古い文學界を読んだりしました。なんだか、今から思うとすごいことがたくさん書いていありました。

巴里茫々
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北 杜夫
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それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハト。

Gustav Mahler,Symphony

Photo

行き交う人もまた旅人なり。

オペラシティでの風景。こういう無機質な雰囲気も嫌いではないです。

マーラー:交響曲全集
マーラー:交響曲全集

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オムニバス(クラシック) アバド(クラウディオ) ウィーン国立歌劇場合唱団 シュターデ(フレデリカ・フォン) ベルリン放送合唱団 ステューダー(シェリル) ウィーン少年合唱団
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昨日から、アバドのマーラー全集のなかから、7番を聴いています。

以前も書いたかもしれませんが、こんな会話をしたことが有ります。

  • 私   「昔はマーラーが好きでしたが、今はシュトラウスが好きです」
  • Aさん 「え? 普通逆じゃないですか?」

私のイメージでは、マーラーは、実に直情的に世界を描いているのだと思います。ですが、シュトラウスは婉曲に世界を描いているのではないか、などと思います。哀しみや怒りは、マーラーの場合、直接心に響きますが、シュトラウスの場合は、物語の中に横たわっていて、あとでジワリと効いてくるような感覚です。

ですので、マーラーが少し激しすぎて、なかなか乗れない時期というのがあって、それが最近ようやくとけてきたなあ、という感じです。

アバドの指揮は実に陰影がはっきりしています。ひとことで言うと、「狂おしい」演奏、なのかもと思います。

それにしても、こういうアバドの指揮の機微が分かるのも、音楽を聴き続けてやっと、というところですね。さすがに聴き始めた小学生や中学生の頃は、そこまでわかりませんでした。あの頃は、同曲異演の違いなどわかりませんでした。まずは、いろいろな曲を聴きたいという感覚が強かったですし、当時はレコードやCDを買う資力もありませんでしたから。今は、NMLがあったりしますのでまた事情はべつでしょうね。

では、今日もグーテナハトです。みなさま、よい週末をお過しください。

Gustav Mahler

最近、聴いているマゼール。今日はたと気づいた事があります。

私が中学生の頃、一番好きだった音源は、実はマゼールの指揮でした。ウィーンフィルをマゼールが振ったマーラーの交響曲第8番でした。おそらく1986年8月4日の録音で、CDなどでは発売されていないものでした。

多分小学生か中学生かその頃。GOODとか書いてあって、可愛らしいかぎりです。

私の記録では、ソプラノはアンジェラ・マリアー・ブラーチ。アルトはジェシー・ノーマン、クリスタ・ルートヴィヒ。バリトンにはベルント・ヴァイクルが入っています。

これはNHK-FMのエアチェックで、金子建志さんが解説していました。その音声も収録されていて懐かしい限りです。

この演奏が一番大好きで、その後はただただこの曲を聴いていたと思います。その後、ショルティ盤のCDを入手してそちらも聴いていましたが、当時はまだ演奏による違いを巧く説明できなかったのですが、いまから思うと、やはりマゼールのダイナミズムを気に入っていたのだ、と思います。今聞いてもやはり素晴らしいと思えますから。

写真 1 - 2015-01-10

ちなみに、CD化されているのは以下ですが、こちらは1989年の録音のようですね。これは未聴。ちょっと聴いてみないと。

マーラー:交響曲第8番
マーラー:交響曲第8番

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マゼール(ロリン) スウィート(シャロン) コバーン(パメラ) クイヴァー(フローレンス) ウィーン国立歌劇場合唱団 ウィーン少年合唱団 オーストリア放送合唱団
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では、グーテナハトです。

Gustav Mahler,Symphony

少し間があきました。さすがに書けない状況がつづきました。

プライベートでイベントがあり、それと並行して、仕事場で論文を書いたりしていました。論文は45枚ほどのもので、大したものではなかったのですが、時間を見つけて書くのが難しく、提出後にあらたな資料が出てきて頭を抱えたりもしました。仕方がないです。全く…。

ようやく落ち着いたので、またそろりと書いていこうと思います。

先週末、ようやくスマホデビューしました。買ったのはiPhone6 plus です。今まではガラケーと携帯音楽プレーヤーとしてのiPod touchの二台持ちでしたが、一台に統合となりました。

初代iPhoneが出てから7年です。我慢を重ねましたが、世間もスマホがデフォルトになりつつある時代となり、理解も進んだということになりましょうか。

iPhone6 plusとしたのは、画面が大きいほうがいいなあ、と思ったからです。Kindleで本を読むことが多くなりましたが、Kindle自体を仕事場に持ち込めないので、苦慮していたので、小さい画面で頑張ってましたが、さすがによみづらく、というところでした。

iPhone6 plusとしたところ、Kindleは読みやすくなりました。間違いはありません。文庫本1ページとまではいきませんが、それに近いレベルまで大きくなりました。文字を小さくすれば、一画面あたりの情報量は文庫本1ページに近づくとおもいます。

最初はやはり、こんなに大きいのか、という戸惑いがありました。今までは片手で入力出来ていたのに、今後はできなくなるのか、という心配も。たしかに、大きくなっただけ、入力画面も大きくなり、重くもなりましたから。

ですが、慣れるとなんとも思わなくなるものです。数日で手に馴染んできたのですね、これが。だんだんとiPhone6 plusが愛おしくなってきた今日このごろです。2年間大事に扱ってあげたいと思います。

今日の一枚

今回聞いているのはこちら。

Symphonies 4-6
Symphonies 4-6

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G. Mahler
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NMLの方はこちらです → http://ml.naxos.jp/album/SIGCD361

7月に亡くなったロリン・マゼールのマーラー。フィルハーモニア管弦楽団との演奏で、2011年の録音のようです。

本当に巨大な演奏で、新鮮な気分で聴いています。ここまでで5番と6番を聞きましたが、いやあ、これはいい演奏ですよ。本当に。

実は、ニューヨーク・フィルとの録音によるマーラー5番を聴いたことがありますが、その時はあまりいい印象はありませんでした。でもこの盤のマーラーは本当に素晴らしいですね。戦術のように巨大な、というのは、実にゆったりとした雄大なマーラーということです。本当にオケをよく歌わせています。

これは、以前聴いたシュトラウスも一緒です。マゼールが、バイエルン放送管弦楽団と演奏したシュトラウスの「英雄の生涯」、「アルプス交響曲」、「家庭交響曲」を聴いた時にも同じ感想を持ちました。

https://museum.projectmnh.com/2009/10/09222538.php
https://museum.projectmnh.com/2009/10/11071931.php
https://museum.projectmnh.com/2009/10/02050838.php

マゼールのマーラーにくるまれて眠りにつきたいです。

この連休、東京地方は雨が続くようです。11月に入り、寒さもましてきました。みなさまどうか体調にはお気をつけて。おやすみなさい。グーテナハト。

Concert,Gustav Mahler

IMG_9933.jpg
いつぞや撮った夕暮れです。空はいつみても神々しいです。
先日の準・メルクル指揮PMFオーケストラによるマーラー交響曲第5番の件です。
この曲、トランペットとホルンがポイントなんですが、第一楽章のしょっぱなのトランペット、素晴らしかったですよ。エッジがありかつ太い音で、フレージングもすこしタメをつくりつつ歌い上げる感じでした。
第三楽章のホルンも良かったですね。フレージングとしては、少しだけミスはあったのかもしれませんが、こちらも随分と分厚い音で旋律から旋律へと自在に飛び回っている感じでした。
メルクルの指揮ですが、そんなに派手にテンポを動かしたり、やけにゆっくり振ったり、なんていうことはないのですが、ひとつひとつの仕掛けが適格で、オケがグイグイ引っ張られているのがよくわかります。
オケですが、やはり臨時オケということもあって、音がひとつに溶け込むといったプロのトップレベルのオケのようには行きませんし、ポリリズムになるところで、一瞬クリックが見えなくなるということはありましたが、とにかく巧いので、速い旋律、大音量の部分では若さのパワーが十分に炸裂していたと思います。
特に第二楽章からはかなりノリ始めたという印象でした。
まあ、さすがに第四楽章アダージェットでは、硬さが目立ちましたが、あそこは若者には相当難しいはずですので、特に大きな異論などはありません。
時間を感じず音楽が聞けた感じがしました。また来年行きたいですね。
明日は、「PMFオケが果たす役割はこういうこと?」という記事を書く予定。
では。グーテナハト。