Giuseppe Verdi,Music,Opera

本日は休息日。どうも、体をしっかり休めないとパフォーマンスを発揮できませんので。といいながらも、PCに向かって作業をしてしまいました。
朝食はフルーツにヨーグルトをかけて食べるいつものも。昼食は素麺。梅雨にかんずりと柚子胡椒を入れて食べました。その後部屋を片付けて、近くのスタバで物思いしつつ書物。帰宅して風呂掃除をして入浴。たまった大河ドラマの録画を二倍速で鑑賞。その後PCで家計簿をつける。
休みましたが、休んでないですね。まったく。
最近は、どうもジャズ系をよく聴いてましたが、なにかドカンと迫力のある音源が聞きたくて、こちらを。

Otello
Otello

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かつてヴェルディに苦手意識を持っていましたが、この音源を聴いてヴェルディが好きになりました。といってもやはり初期ヴェルディはまだ難しいですけれど。
オケのダイナミズムが素晴らしいのは言うまでもないのですが、デル・モナコのオテロの迫力も相当なもんです。
私の義理の父が、デル・モナコを昔から知っていて、「パヴァロッティの比じゃない」と真剣な面持ちで言っていたのを思い出しました。比較するのは意味がありませんが、それほどの歌手だということなんでしょう。
デズデモーナは、レナータ・テバルディ。
下の画像は別のCDのものですが、私が顔写真を載せたかったので。1940年代にデビューし、1976年に引退。マリア・カラスのライバルと喧伝されていますが、ウィキを読むとまあそんなことはなかったようです。

ところで、最近はどうもクラシック音楽になにかしら違和感を感じています。まあ、半年前のバカバカしい事件のことなんかもあったんでしょう。それが一番かもしれません。あれでずいぶんとしらけてしまいました。結局、まことしやかに語られていることが、実際には真実ではなく、だれも勇気を持って言ってのけなかった、ということですから。裸の王様の世界。
あとは、以前リンク先に書いた小澤征爾と村上春樹対談の問題とか。
舞台と客席の断絶は広く深いのか。
続 舞台と客席の断絶は広く深いのか。
どうにも音楽だけを聴くという贅沢な時間までとることができないのが悩みです。
やはり、小澤征爾は正しいのでしょう。曰く「忙しい人は音楽をろくに聴いていないから」というわけですね。忙しいというか、優先度が下げざるをえないというか。
音楽は万人に開かれているのか。あるいは、少数の人間にとっての秘儀に過ぎないのか。
あらゆる芸術は後者のような側面を持っています。ただ、音楽の場合はその秘儀に加われるかどうかの判定における先天的要素が非常に強いのも事実でしょう。
音楽との向かい方は人それぞれです。そのそれぞれをどうすべきか、というのが問題なのです。
ではグーテナハトです。

Opera,Richard Strauss

日曜日の夜にあったリヒャルト・シュトラウスのドキュメンタリー、最初のはんぶんを落としてしまいましたが、後半のオペラを、取り上げたところは幸い見ることができました。戦後のシュトラウスの動画を出ていましたし、なかなか面白い番組でした。シュトラウスのお孫さんも出ておられましたし。
で、ひさびさのエントリーは、こちら。ハイティンクの《ばらの騎士》。
このアルバム、透徹とした素晴らしい演奏です。ハイティンクのキレが半端ないのです。オクタヴィアンはオッターですし。
このアルバムのオックス男爵はクルト・リドルです。これがカッコ良すぎなんですよね。。オックスの田舎貴族的なわい雑さはなく、英雄的なのです。そういえば、新国立劇場のリングでもフンディンクを歌って素晴らしかったのが思い出されます。太い声でビブラートを聞かせて歌いますので、本当にかっこいいのです。

R. Strauss - Der Rosenkavalier
R. Strauss – Der Rosenkavalier

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最近思うのは、どうも遠慮して何も言えないということ。もう少し言うべきことは言ったほうが誠実なのかもしれません。なーんてことを考えました。書くべきことは書いていますけれど。
それではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Oboe,Richard Strauss

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アラベッラ、行ってきました。ベルトラン・ド・ビリーの爽快で洒脱な音作りを堪能しました、アンナ・ガブラー、アニヤ=ニーナ・バーマン、ヴォルフガング・コッホ、マルティン・ニーヴァル、安井陽子さん、みなさん本当に素晴らしかったです。
なんだか、フィアッカミリの安井陽子さんが素晴らしかったですね。なんだかどんどんパワーアップしている気がします。
あとは、東フィルのオーボエの音が素晴らしかったです。張りはあるけれど優しくかつ繊細。かなり感動。多分、荒川文吉さん。昨年の第82回日本音楽コンクールオーボエ部門で二位になった方。
終幕後、バックステージツアーで4年ぶりに舞台に上がり、その後新宿で所用をこなしたため、遅くなってしまいました。明日以降引き続き書きます。宿題ばかり。
ではグーテナハト。
※ こちらの写真は今年の冬のものです。

Ludwig van Beethoven,Photo

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一つ目の夢の風景。
日枝神社に参詣する老夫婦のシーン。こういうのが日本人の原風景なのかもしれない、と勝手に思っています。先日イギリス人と話をしたとき、神社に参拝したという話をしたのですが、本当に信じているのか? と問われて困りました。
まあ、神社で何かを祈念するというのは、神に祈るというより自分に向けて決意を新たにするという側面が強いのでしょう。そういう意味では、効果はあるはずで、信じているということもあたっているのかもしれません。
この鳥居は山王鳥居というらしく、日吉大社系列の日吉神社、山王神社などに共通の鳥居です。街なかでは有りますが神々しいものです。
二つ目の夢の風景ですが、これがまた奇妙でした。
昨日の明け方に観た夢です。
妻の実家からレコードが発見され、それが渡邉暁雄の《運命》の幻の録音、という設定でした。
聴いてみるとこれが凄い演奏でした! ちゃんと音が聴こえていたでsが、実にビビッドな演奏でした。テンポは中庸から少し速いぐらいで筋肉質なたくましい演奏でした。だれたり、もたれたりしない。リタルダントやディミヌエンドを使うことがないが、エッジが聞いていて、要所要所が素晴らしい、そんな演奏でした、
偉そうな夢の中の私は「これは人類の宝だ!」と言うわけです。全く。。。
で、現金なもので、この演奏をCD化して収益をあげよう! という話になるところが、いかにも市民的な発想で申し訳ないです。
今日はこちら。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、沸き立つように素晴らしいです。聴いたのは10年ほど前。それまで苦手だったハイティンクですが、このCDを聴いて好きになった記憶があります。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番&第5番
ブレンデル(アルフレッド)
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ではグーテナハト。

Symphony,Wolfgang Amadeus Mozart

GW二日目。
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近所の畑で撮りました。この赤い花はなんでしょうか。。なんか東京近郊ばなれした風情です。
今朝は、会議をすっぽかし、重要情報を誤って持ち出し、はてどうしたものか思案する、という悪夢?に苛まれながら目覚めました。
昨日で仕事は名実共に休止したはずなんですがね。
GW中は、この数ヶ月の疲れを癒しつつ、とあるプロジェクトを進めるために専心しており、毎日22時には就寝し、6時半に起きる、という生活を実践しようとしています。もちろん時間割も作って。今のところ、今朝の悪夢のようなすっぽかしは発生していませんけれど。
音楽もよく聴いていて、チェリビダッケのハフナーにいたく感動しています。シュトゥットガルト放送交響楽団とのブルックナー集に含まれているものです。

ブルックナー : 交響曲 第3番 ニ短調
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いつもはジェフリー・テイトの全集版でモーツァルトの交響曲を楽しんでいますが、テイトのそれより、チェリビダッケのハフナーのほうが、湧き立つような典雅さを感じるのですね。これを聴くと、テイトの演奏がどこか機械的なものに感じてしまうぐらいです。
チェリビダッケといえば、重厚長大な式をするイメージが有りますが、モーツァルトやベートーヴェンは驚くほど軽やかに演奏します。この演奏もそうした方向に変わりはありません。
明日も早起きをしたいものです。
というわけで、本日はこれにて。グーテナハトです。

Alban Berg,Opera

《ヴォツェック》以来、どうも「倫理が贅沢」という言葉が頭から離れず、という感じです。
《ヴォツェック》を単純に貧困批判と捉えるべきなのか、という考えがずっと頭から離れません。オペラ劇場に足を運ぶ人々が、ヴォツエックと同じ貧困状況なくとも、なぜか共感するからです。
貧困非難ではなく、文明批判であり、人間批判なのでしょう。
ヴォツェックが囚われている貧困は、経済的な支配被支配関係といえるのでしょう。がゆえに、全ての人々は経済的支配非支配関係に従属しているはずで、時にヴォツェックのように抑圧された存在になるのです。我々もまた生きるために自我を殺し振る舞います。
時に大尉のように社会倫理をもって他者を抑圧します。時に医者のように理性で人間を扱うこともかあるでしょう。
貧困に倫理がないのではありません。抑圧に倫理がないのです。だからこそ、私は、ヴォツェックを愛おしく思うだなあ、と思いました。

Wozzeck (Complete)
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こちらのアルバム。メッツマハーのライヴ盤です。全体的に感情が濃厚で、かなり気に入っております。
ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,Alban Berg,NNTT:新国立劇場,Opera

ヴォツェックについては、今日も色々考えて、なかなかおもしろいアイディが出てきましたが、少し時間を置いてから書こうと思います。
今日も遅いので少しだけ。
とにかく、今回のゲオルク・ニグルのヴォツェックは素晴らしかったですね。2009年のトーマス=マイヤーは、かなり低音の質感のある声でしたので、ヴォツェックの凶暴性が際立っていたようにも思いましたが(ビデオで見直しました)、ニグルの場合は、打ちひしがれ絶望の淵に立った苦悩するヴォツェックでした。
それにしても、《三文オペラ》で語られるように、「道徳は贅沢」なんですかね。

もし自分が金持ちで、帽子をかぶり、時計や、鼻眼鏡、それに立派な言葉がありゃ、道徳的にもなれる理くつだ!

第一幕の大尉ともダイアローグで語られるヴォツェックの言葉です。
ここが問題なのです。
では、グーテナハト。

2013/2014シーズン,Alban Berg,NNTT:新国立劇場,Opera

photo

偉大な民族というものは、自らの歴史を三通りの原稿、つまり行いの本、言葉の本、芸術の本によって書き表す。この三冊中のいずれも、他の二冊を読まなくては理解できない。しかし三冊の中で信頼に値いするのは、最後に上げた本だけである

孫引きですいません。ケネス・クラーク「芸術と文明」のなかに出てくるラスキンの言葉です。

今日の新国立劇場の《ヴォツェック》をみて、文明の真実がまさに凝縮されたパフォーマンスだったと強く思いました。それは文明の歪みを文明が健全に表出したものだったのだ、と思います。文明の歪みをすくい上げるということこそが、文明を文明たらしめているものではないか。そういう意味でも「美が世界を支える」という辻邦生が言うところのテーゼを確信することができたと思います。
ただ、今日のパフォーマンスは、世間一般の《美》ではないのでしょう。ですから、耐え切れなくなった方は途中で席を立ったのだと思います。
ですが、私は、掛け値なしに最高に美しい舞台だったと思います。これは2009年の舞台を観た時よりも一層そう思いました。
冒頭のポスターに描かれた酒場のシーンがまさにそうでしょう。
天井から吊り下げられたボックス、舞台に貼られた水、水の反射面のゆらめきが劇場中に反射している、グロテスクな酒場の客、舞踏のシーン、無表情に演奏するバンダ、バンダを支える黒子あるいは労働者、そして唯一人間らしいヴォツェックとマリー。
このめちゃくちゃな不統一感こそが、世界を映し出す真実です。世界は不統一でグロテスクで不条理なものです。身悶えするヴォツェック、理不尽な要求を哲学的論説に隠してヴォツェックをいたぶる大尉、科学技術信奉のためにならなんでもする医者の姿は、既視感にあふれています。舞台上は現実世界そのものです。
そんな中にあって、水面がゆらめき、ライトアップされた舞台の背面の波打つ文様に心を打たれ、そして忘れることのできないほど美しいエレナ・ツィトコーワーの歌声が響き、ベルクの管弦楽が波打ちうねります。
今回のパフォーマンスの意図はこちらのリンクを御覧ください。演出家本人が2009年に新国立劇場のオペラトークで話された内容をまとめてあります。
ヴォツェック・オペラトーク@新国 (2)
今日はこれで書き終えようと思いましたが、大事なことをもう一つ、明日に伸ばさず今日書きます。
本当にレベルの高いパフォーマンスでした。最も感銘をうけたのはエレナ・ツィトコーワのマリーでした。2003年でしたか、《フィガロの結婚》のケルビーノで新国立劇場に登場で聴いて、2007年《ばらの騎士》のオクタヴィアンを聴いて、本当に凄い方だと思いましたが、今回もそのときの驚きと同じかそれ以上の感動を覚えました。
他の方もすごかったのですが、取り急ぎ次回へ。ではグーテナハトです。

Béla Bartók

バルトーク:オーケストラのための協奏曲/ヤナーチェク:シンフォニエッタ
セル(ジョージ)
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なんか、少しジメジメしたたこと書きましたが、この曲聞いて元気が出ました。
緊張感が半端ないですね。
鮮烈・ビビッド。テンポコントロールの絶妙さというのもあるのでしょうけれど。
こういう楽しみもまだ残されているのですが、まだ十分に咀嚼できていないのです。どうすればいいのか。どのように語ればいいのか。まだまだ考えないと。
あらためてグーテナハト。

Anton Bruckner,Symphony

Symphony 7
Symphony 7

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Bruckner Berlin Philharmonic Orchestra Wand
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いや、ほんと短信です。
いろいろあった一週間。あの騒動で、一時音楽が聴けなくなるんじゃないか、と思いました。それは、聴くことと語ることを一つにしようとしたからかも。音楽を語るということに対する苦しみというものは以前からあって、それが今回の騒動で色々考えざるを得なくなってしまったということだと思いました。
しかし、昨日から読んでいる伊福部昭「音楽入門」で、「わからない音楽ほどわかっている」という一節があり、ああ、語ってはいけないのかもしれない、などと思いました。まるで一神教の神のように。
で、ヴァントが振るブルックナーの7番を聴いて、ただただ、端正で静謐だ、とだけ思いました。
そうか、音楽を語るときに比喩表現を用いてはいけないのか、などと気づいたり。けっして、「かなしみは疾走」などと言ってはいけないのですね。安易に。
明日の関東はまた雪ですか。2日振り続けるようです。週末、大学時代の音楽関係者と会うんですが、開催されるのでしょうか。。。
ではグーテナハト。