Alban Berg,Opera

Wozzeck
Wozzeck

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A. Berg Herbert Kegel
Berlin Classics (2008-11-24)
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昨日から聴いているヴォツェック。第三幕第四場、ヴォツェックが死に至った後の間奏曲に心を打たれました。

ヴォツェックは錯乱して、妻のマリーを殺してしまい、その後酒場で酒を飲んでいます。すると、酒場の女に返り血を浴びていることを指摘されてしまいます。で、凶器のナイフを池に捨てようとするんですが、そのまま池にはまって溺れ死んでしまいます。

その後に流れる哀切で深刻な音楽が、ヴォツェックへの追悼曲なんでしょうね。「わたしら貧乏人には!」という強烈な旋律がここぞとばかりに響き渡るところ、感動的というか厳粛というか。ヴォツェックへの心からたむけられた花でしょう。マーラーのような哀感のある重い弦楽器の旋律、怒りに満ちたティンパニの打撃など、聞きどころがたくさんあります。三分余りの音楽ですが、本当にドラマティックです。

で、皮肉なのはその後です。ヴォツェックの息子が登場するんですが、ワルガキどもが「お前の母さん、しんだってよ!」と言いながら、遺体が発見される池へ駆け出していくシーンになります。で、息子も一緒に木馬に乗って走って行くんです。まったく。。皮肉というか悪趣味というか。。。追悼で終わればいいものを、その後、息子をからめてその凄惨な人生模様をさらに引き出しているということになります。でも、こうした背理こそ現実なんですけれど。

今日はケーゲル盤。たしか、これはドレスデンに行った時に記念に買ったんだと思います。ドレスデンといえばケーゲルですから。ケーゲルらしいとんがった演奏です。割りと好きだなあ、と思います。

こちらは新国立劇場2009年の模様。余りに凄惨でホラー映画のような舞台ですので、子供には見せられません。登場している子役の男の子はトラウマになったりしないんだろうか、と心配です。

今日も暑い一日でした。今日は、幸いにも上着を着なくても仕事場で過ごせました。少しまともに体温調節ができるようになってきたのかも。良かったです。

それにしても心配なのは広島の件。胸が痛みます。今朝方のラジオを聴いていたところでは、これから危険のある地域として対策をとろうとしていた矢先におきてしまったのだとか。これをお役所仕事と批判するのは簡単ですが、実際にはどうだったのでしょうか。お役所の仕事の遅さということなのかもしれませんが、きっと規則でがんじがらめになっていたり、仕事量が膨大だったり、と事情があるんではないか、などと想像してしまいます。巨大な組織は難しいですね。

ちなみに、私が好きなLifehackerというウェブサイトの記事に以下の本が紹介されましたら。あるある、って感じで面白かったです。本は読んでませんけど。

悪人のススメ いつまで「いい人」を続けるのですか (自己啓発)
川北 義則
KADOKAWA/中経出版
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では、おやすみなさい。

J.S.Bach,Miscellaneous

暑い一日。なんともかんとも。。みなさまはいかがお過ごしですか。

今日は一日いろいろと聴いておりました。午後はNHK-FMのリクエスト番組を聴いたり。下野竜也さんや浅田舞さんが出ておられて、ダンシング! クラシックということで、舞踏にまつわるクラシック音楽のリクエスト特番という感じでした。私も《七つのベールの踊り》をリクエストすればよかったです。

音楽というのはほんとうに不思議で全く良くわかりません。歳をとればとるほどわからなくなります。やはり説明できるもんではなく、ただ聴くしかないのでしょう。それを語ったとしても、語れるわけもなく。他の方々とすりあわなくても、伝わらなくても、それはそれでしかたがないわけで、ただそう入っても伝える努力というか、伝えるベクトルさえあればいいということなんでしょうかね。

そんなことを今日はこの演奏を聴きながら思ってしまいました。

アルフレッド・ブレンデルの弾くバッハのイタリア協奏曲です。

バッハ:イタリア協奏曲、他
ブレンデル(アルフレッド)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-10-21)
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ブレンデルの演奏はまめやかで、深刻ぶることのない演奏は、清々しさを感じます。今日もっとも凄いと思ったのは第二楽章の音階が微細なもたり具合です。音符に現れない本当に微細なテンポのズレのようなものがあって、そうした遊びが音楽に潤いをもたらしているのだと思いました。これ、ジャズほどにぶれさせてしまうとNGなんですが、そこまでいっていないわけで、そうした絶妙さが素晴らしいです。

イタリア協奏曲は高校時代の友人が、ピアノをやっていて、彼がうちに遊びに来てくれた時に弾いてくれました。私も一時期第一楽章を練習しました。右手と左手の音階が上行と下降でぶつかるところが刺激的で、喜んで弾いていたのを思い出しました。

私ももう少し楽器やらないとなあ、と思いながら、今日はハノンを弾きました。薬指が心地よく痛いです。

というわけで、みなさまおやすみなさい。

Béla Bartók

はじめに

台風一過です。東京の昨夜は熱風が吹きすさんでいました。おかげ窓をあけて眠ることができず、やむなく空量をつけたまま眠りました。今朝になっても熱風が吹き続けていましたが、それでも空は青く晴れ上がりました。空調をつけるとどうも体調がすぐれません。一日中体が冷えきってブルブル震えながら過ごしました。
ふと気づいたのですが、今日の東京の空には巻雲が浮いていました。秋の雲です。実際には上空の空気の流れが速い時にできるようですが、確かにもう秋が近づいてきているのかもしれません。

Cirrusclouds-Georgia-Oct1st.jpg
Cirrusclouds-Georgia-Oct1st“. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.

サクソフォーンのあるオケ曲

先日、会社の飲み会でたまたま隣に座って同じ部の若い方と話をしました。その方はオケをやっている方で、めずらしく会社で音楽の話で盛り上がりました。
その中で、オケ曲のなかでサックスが登場する曲は? という話になり、《ボレロ》、《ダフニスとクロエ》、《アルルの女》などが出てきました。今スコア観たんですが《ダフニスとクロエ》は間違いですかね?

ブーレーズの《かかし王子》

その他ということで、私が出したのがバルトークの《かかし王子》でした。この曲には本当に美しいテナーサックスのソロがあります。
聞いているのはブーレーズの録音。いや、もう絢爛な色彩でしなやかで伸びがあります。意外にもずいぶんとメロディーを引っ張るので、ダイナミックな演奏になっています。半年前に聴いた時、なにか疵を感じたんですが、今回はあまり感じないですね。

バルトーク: カンタータ・プロファーナ / バレエ「かかし王子」
アラー(ジョン) シカゴ合唱団 トムリンソン(ジョン)
ポリドール (1993-02-25)
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リヒャルト・シュトラウスの交響詩のような複雑な和声、マーラーのような聖と俗の混交のダイナミズム。オケ好きにはたまらない一曲です。《ツァラトゥストラはかく語りき》や《ドンファン》、マーラー9番、あるいはストラヴィンスキーのバレエ音楽に感じる奇天烈な感じなどが随所に現れているのです。
いつか実演を聴いてみたいです。きっと卒倒してしまうと思います。
まだまだ暑い日が続きますので、みなさまもどうかお身体にはお気をつけ下さい。私も今日はそうそうに眠ることにします。
それではおやすみなさい。

Béla Bartók

台風がようやく日本海に去りました。みなさまご無事でしたでしょうか。このブログを書いている時点でもまだ975hPaだそうです。しぶとい台風でした。東京地方も午後はかなり風が強くなりました。ベランダに出していた植木がひっくり返ってしまうぐらいでした。
本当は散歩に出かけるはずでしたが、何かあると嫌なので一日中家で過ごしました。昨日のセッションで受けた刺激を咀嚼しつつ、懸案の仕事を幾つか片付けるなど。なかなか進みませんが。
今日はこちらを聴いています。ハイティンクの指揮で《青ひげ公の城》。バルトークの紹介はお久しぶり。本当に素晴らしい世界。

バルトーク:青ひげ公の城
オッター(アンネ=ゾフィー・フォン) トムリンソン(ジョン)
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このミステリアスな物語を、どう表現すればいいのか。今日のところはここに私は人間の人間たる所以を感じます。
おそらくは人間は過去の過ちを何度も何度も敷衍しながら生きているはず。その過去というのは個人的な過去に限らず歴史的な過去をも含むもの。この何千年もの人間の歴史において人間の性(さが)というものが質的変化を遂げたことは残念ながらない。もちろん政治体制は大いにかわったのだけれど、それはおそらくは衣を変えただけにすぎず、中身は変わらない。
ユディトが囚われていた女達の仲間に加わるシーンを見ると、ユディトが空けた扉の向こうに会った、牢獄や、財宝や、領地といった栄華があったとしても、最終的には、同じ先人の列に加わることになる。そこには選択の余地はない。もちろん、青ひげとの会話のなかでユディトは青ひげと対決するのだが、その対決にはあまり意味はない。いや、あるとしたらそれはその対決のさなかに生じる青ひげとユディトにおいて何かしらの意志の交感があったという事実にすぎない。徹底的なある種のニヒリズムなのではないか、と。
世ははかなく、人生はまばたきの如きものである。その中で青ひげと対決することにだけ意味がある。結果は重要ではない。働きかけは結果を伴うわけはない。世界は直線的な因果律で動くものではないのだから。
《青ひげ公の城」はそういう物語に思えてならない。
なんてことを考えています。
そうか、このアルバムはアンネ・ゾフィー・フォン・オッター様だったのですね。こういう強力な役柄を歌っても素晴らしいのがオッターなんですね。今日、たまたまシュトラウスやベルクの歌曲をオッターで聴いていたんですが、同じ方とは思えないです。
さて、懸案の仕事の一つがブログシステムの移行です。もうMovabletypeは個人ユースではないのでしょう。カブトを脱いで、Wordpressに移ることにしました。すでに枠を作り文書を流し込み、テストを実施しています。来週には、新しいシステムに変わる予定です。
ではみなさまおやすみなさい。

Giuseppe Verdi,Music,Opera

本日は休息日。どうも、体をしっかり休めないとパフォーマンスを発揮できませんので。といいながらも、PCに向かって作業をしてしまいました。
朝食はフルーツにヨーグルトをかけて食べるいつものも。昼食は素麺。梅雨にかんずりと柚子胡椒を入れて食べました。その後部屋を片付けて、近くのスタバで物思いしつつ書物。帰宅して風呂掃除をして入浴。たまった大河ドラマの録画を二倍速で鑑賞。その後PCで家計簿をつける。
休みましたが、休んでないですね。まったく。
最近は、どうもジャズ系をよく聴いてましたが、なにかドカンと迫力のある音源が聞きたくて、こちらを。

Otello
Otello

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Vienna Philharmonic Orchestra
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かつてヴェルディに苦手意識を持っていましたが、この音源を聴いてヴェルディが好きになりました。といってもやはり初期ヴェルディはまだ難しいですけれど。
オケのダイナミズムが素晴らしいのは言うまでもないのですが、デル・モナコのオテロの迫力も相当なもんです。
私の義理の父が、デル・モナコを昔から知っていて、「パヴァロッティの比じゃない」と真剣な面持ちで言っていたのを思い出しました。比較するのは意味がありませんが、それほどの歌手だということなんでしょう。
デズデモーナは、レナータ・テバルディ。
下の画像は別のCDのものですが、私が顔写真を載せたかったので。1940年代にデビューし、1976年に引退。マリア・カラスのライバルと喧伝されていますが、ウィキを読むとまあそんなことはなかったようです。

ところで、最近はどうもクラシック音楽になにかしら違和感を感じています。まあ、半年前のバカバカしい事件のことなんかもあったんでしょう。それが一番かもしれません。あれでずいぶんとしらけてしまいました。結局、まことしやかに語られていることが、実際には真実ではなく、だれも勇気を持って言ってのけなかった、ということですから。裸の王様の世界。
あとは、以前リンク先に書いた小澤征爾と村上春樹対談の問題とか。
舞台と客席の断絶は広く深いのか。
続 舞台と客席の断絶は広く深いのか。
どうにも音楽だけを聴くという贅沢な時間までとることができないのが悩みです。
やはり、小澤征爾は正しいのでしょう。曰く「忙しい人は音楽をろくに聴いていないから」というわけですね。忙しいというか、優先度が下げざるをえないというか。
音楽は万人に開かれているのか。あるいは、少数の人間にとっての秘儀に過ぎないのか。
あらゆる芸術は後者のような側面を持っています。ただ、音楽の場合はその秘儀に加われるかどうかの判定における先天的要素が非常に強いのも事実でしょう。
音楽との向かい方は人それぞれです。そのそれぞれをどうすべきか、というのが問題なのです。
ではグーテナハトです。

Opera,Richard Strauss

日曜日の夜にあったリヒャルト・シュトラウスのドキュメンタリー、最初のはんぶんを落としてしまいましたが、後半のオペラを、取り上げたところは幸い見ることができました。戦後のシュトラウスの動画を出ていましたし、なかなか面白い番組でした。シュトラウスのお孫さんも出ておられましたし。
で、ひさびさのエントリーは、こちら。ハイティンクの《ばらの騎士》。
このアルバム、透徹とした素晴らしい演奏です。ハイティンクのキレが半端ないのです。オクタヴィアンはオッターですし。
このアルバムのオックス男爵はクルト・リドルです。これがカッコ良すぎなんですよね。。オックスの田舎貴族的なわい雑さはなく、英雄的なのです。そういえば、新国立劇場のリングでもフンディンクを歌って素晴らしかったのが思い出されます。太い声でビブラートを聞かせて歌いますので、本当にかっこいいのです。

R. Strauss - Der Rosenkavalier
R. Strauss – Der Rosenkavalier

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最近思うのは、どうも遠慮して何も言えないということ。もう少し言うべきことは言ったほうが誠実なのかもしれません。なーんてことを考えました。書くべきことは書いていますけれど。
それではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Oboe,Richard Strauss

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アラベッラ、行ってきました。ベルトラン・ド・ビリーの爽快で洒脱な音作りを堪能しました、アンナ・ガブラー、アニヤ=ニーナ・バーマン、ヴォルフガング・コッホ、マルティン・ニーヴァル、安井陽子さん、みなさん本当に素晴らしかったです。
なんだか、フィアッカミリの安井陽子さんが素晴らしかったですね。なんだかどんどんパワーアップしている気がします。
あとは、東フィルのオーボエの音が素晴らしかったです。張りはあるけれど優しくかつ繊細。かなり感動。多分、荒川文吉さん。昨年の第82回日本音楽コンクールオーボエ部門で二位になった方。
終幕後、バックステージツアーで4年ぶりに舞台に上がり、その後新宿で所用をこなしたため、遅くなってしまいました。明日以降引き続き書きます。宿題ばかり。
ではグーテナハト。
※ こちらの写真は今年の冬のものです。

Ludwig van Beethoven,Photo

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一つ目の夢の風景。
日枝神社に参詣する老夫婦のシーン。こういうのが日本人の原風景なのかもしれない、と勝手に思っています。先日イギリス人と話をしたとき、神社に参拝したという話をしたのですが、本当に信じているのか? と問われて困りました。
まあ、神社で何かを祈念するというのは、神に祈るというより自分に向けて決意を新たにするという側面が強いのでしょう。そういう意味では、効果はあるはずで、信じているということもあたっているのかもしれません。
この鳥居は山王鳥居というらしく、日吉大社系列の日吉神社、山王神社などに共通の鳥居です。街なかでは有りますが神々しいものです。
二つ目の夢の風景ですが、これがまた奇妙でした。
昨日の明け方に観た夢です。
妻の実家からレコードが発見され、それが渡邉暁雄の《運命》の幻の録音、という設定でした。
聴いてみるとこれが凄い演奏でした! ちゃんと音が聴こえていたでsが、実にビビッドな演奏でした。テンポは中庸から少し速いぐらいで筋肉質なたくましい演奏でした。だれたり、もたれたりしない。リタルダントやディミヌエンドを使うことがないが、エッジが聞いていて、要所要所が素晴らしい、そんな演奏でした、
偉そうな夢の中の私は「これは人類の宝だ!」と言うわけです。全く。。。
で、現金なもので、この演奏をCD化して収益をあげよう! という話になるところが、いかにも市民的な発想で申し訳ないです。
今日はこちら。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、沸き立つように素晴らしいです。聴いたのは10年ほど前。それまで苦手だったハイティンクですが、このCDを聴いて好きになった記憶があります。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番&第5番
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ではグーテナハト。

Symphony,Wolfgang Amadeus Mozart

GW二日目。
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近所の畑で撮りました。この赤い花はなんでしょうか。。なんか東京近郊ばなれした風情です。
今朝は、会議をすっぽかし、重要情報を誤って持ち出し、はてどうしたものか思案する、という悪夢?に苛まれながら目覚めました。
昨日で仕事は名実共に休止したはずなんですがね。
GW中は、この数ヶ月の疲れを癒しつつ、とあるプロジェクトを進めるために専心しており、毎日22時には就寝し、6時半に起きる、という生活を実践しようとしています。もちろん時間割も作って。今のところ、今朝の悪夢のようなすっぽかしは発生していませんけれど。
音楽もよく聴いていて、チェリビダッケのハフナーにいたく感動しています。シュトゥットガルト放送交響楽団とのブルックナー集に含まれているものです。

ブルックナー : 交響曲 第3番 ニ短調
シュトゥットガルト放送交響楽団
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いつもはジェフリー・テイトの全集版でモーツァルトの交響曲を楽しんでいますが、テイトのそれより、チェリビダッケのハフナーのほうが、湧き立つような典雅さを感じるのですね。これを聴くと、テイトの演奏がどこか機械的なものに感じてしまうぐらいです。
チェリビダッケといえば、重厚長大な式をするイメージが有りますが、モーツァルトやベートーヴェンは驚くほど軽やかに演奏します。この演奏もそうした方向に変わりはありません。
明日も早起きをしたいものです。
というわけで、本日はこれにて。グーテナハトです。

Alban Berg,Opera

《ヴォツェック》以来、どうも「倫理が贅沢」という言葉が頭から離れず、という感じです。
《ヴォツェック》を単純に貧困批判と捉えるべきなのか、という考えがずっと頭から離れません。オペラ劇場に足を運ぶ人々が、ヴォツエックと同じ貧困状況なくとも、なぜか共感するからです。
貧困非難ではなく、文明批判であり、人間批判なのでしょう。
ヴォツェックが囚われている貧困は、経済的な支配被支配関係といえるのでしょう。がゆえに、全ての人々は経済的支配非支配関係に従属しているはずで、時にヴォツェックのように抑圧された存在になるのです。我々もまた生きるために自我を殺し振る舞います。
時に大尉のように社会倫理をもって他者を抑圧します。時に医者のように理性で人間を扱うこともかあるでしょう。
貧困に倫理がないのではありません。抑圧に倫理がないのです。だからこそ、私は、ヴォツェックを愛おしく思うだなあ、と思いました。

Wozzeck (Complete)
Wozzeck (Complete)

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Berg Skovus Denoke Blinkhof Metzmacher
Angel Records (1999-07-22)
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こちらのアルバム。メッツマハーのライヴ盤です。全体的に感情が濃厚で、かなり気に入っております。
ではグーテナハト。