Béla Bartók,Classical,Opera

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先日の朝日。燃えるように美しい。これが、青ひげの領地に見える血に染まった雲なのか?
全然謎がとけない。なんとか、おもしろい解釈を考え出そうとしているのですが、なかなか思いつかないのです。
青ひげの城を明るくしようとするユディト。扉を開けて、光を城の中に導き入れる。だが、第七の扉を開けた途端、ユディトは夜の女であることが分かる。
青ひげは、ユディトに王冠とドレスを与えると、ユディトは第七の扉の中に入っていく。城は再び闇に閉ざされる。
青ひげは、朝、昼、夕、夜という時間を手に入れたということなのか。時間を手に入れた時点で、青ひげは時間を超越するということなのか? 
あんなにユディトが第七の扉を開けるのをあんなに止めたというのに、開けた途端に青ひげは淡々とユディトを四人目の女に仕立て上げる。機械的に、自動的に……。
全くわかりませんね。もうしばらく考えてみましょう。

きょうはこちら。予行演習もだんだん本格的に。
ではグーテナハト。

Béla Bartók,Opera

青ひげ公の城―ハンガリー短編集
バラージュ ベーラ モーリツ ジグモンド コストラーニ デジェー チャート ゲーザ ヨーカイ モール
恒文社
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「青ひげ公の城」ですが、リブレットの邦訳を読みました。こういうリブレットはとても楽しいです。メタファーに満ちあふれているわけですから。
あらすじはいかのようなものです。わたしの色眼鏡が入っています。
ユディトは青ひげの城へと嫁入りする。ただ一人で。入った途端に城の中は暗く、壁が濡れている。壁が濡れているのは城が泣いているからだ。この城の窓や扉を開けて明るくするのが私の仕事だ、とユディトは言う。城の中には7つの扉があって、ユディトはそれらを1つずつ開けてほしいと言う。
1つ目の扉の向こうは血塗れた拷問部屋だった。
2つ目の扉の向こうは血を吸ったおびただしい武器が収められた武器庫だった。
3つ目の扉の向こうは宝物庫だった。血痕を帯びた宝物が収められていた。
4つ目の扉の向こうは花園だった。バラには血の跡があった。
5つ目の扉の向こうは大領地だった。雲から血の影が落ちている。
6つ目の扉の向こうは涙の湖だった。
そして、7つ目の扉の向こうには、青ひげのかつての3人の妻がいた。一人目は朝、二人目は昼、三人目は夕暮れ。
そしてユディトは夜だった。ユディトは三人の妻とともに7つ目の扉の向こうに消えていった。
ユディトですか。
ユディトといえば、あのユディトですね。ホロフェルネスの首級を上げたユディト。本来は、青ひげの暗殺をするために来たのではないかとでも疑ってしまう名前のつけかた。
扉のメタファーは、青ひげの内面を表しているのでしょう。
噂通り残忍な男で、強大な武力と資力を持っている。実のところは、優しさをも持っていて、その心は極めて広いもの。それでいて、過去になにか悲しみに満ちた過去を背負っている。いずれも血塗れたもの。
そこまでは分かるんですが、つまらない。もっと飛び越えた発想をしないと。
聞いているのはこちら。新しい録音よりもこちらのほうがいいかも。

Bartok: Pierre Boulez Edition
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ではグーテナハト。

Béla Bartók,Classical,Concert

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さて、昨日の読響のバルトークその2です。

リゲティ《ロンターノ》

この日のプログラムはハンガリー繋がりということで、ハンガリー出身のリゲティがまずは取り上げられました。それにしてもすごい曲でした。フルートから始まる持続音が、ビオラの4列目とか、チェロの2列目とか、オケのいろいろなところを移動していくのです。私の席はかなりの前方でしたので、そうした音の移動がよくわかりました。

バルトークプログラム!

二曲目は、金子三勇士をソリストにピアノ協奏曲第3番でした。
いや、この曲はアメリカへのオマージュだなあ、と。第一楽章、リズムが裏を撮ってグルーヴし始めるあたりはジャズを表しているんじゃないかと、実演聞きながらそう思いました。金子三勇士のタッチが強くて音圧がかなりありました。この強烈なタッチがジャズっぽさを感じさせたのかもしれない、と思いました。第二楽章は、牧歌調で、バルトークが過ごした保養地での思い出にあふれていて、鳥の鳴き声が聞こえるのはそうしたわけなのです。で、冒頭のところにフォスターが聴こえたりもしました。
《6つのルーマニア民族舞曲》は牧歌調。恥ずかしながら私は初めて聴きましたが、親しみやすい小曲です。次の曲への肩慣らしなのかも。
で最後がメインディッシュ《中国の不思議な役人》の組曲版。圧巻でした。冒頭のヴァイオリンのグリッサンドがビジュアル的にすごくて、音楽よりも先にその鬼気迫る演奏に魅入ってしまいました。テンポは少し遅めに感じますがもたついたりする印象はありませんでした。これはおそらくはリズムがしっかりとあっている、縦の線がきちんと出ているということなのでしょう。それは終始一貫していたはずです。
最後の役人と少女がからむ場面の制御された激しさとは、それぞれの音の要素が、カンブルランの指揮棒の先に繋がっていて、いろいろな方向を向いているにもかかわらず全体としては前に進み続ける、そういった印象でした。
最終場面のトロンボーンとクラリネットのソロが圧巻で、カンブルランは、自分が拍手を受ける前に、クラリネットとトロンボーンを立たせてねぎらっていたぐらいです。
やはり、組曲版はあっという間に終わってしまいます。それが少し残念です。

おわりに

昨日も書きましたが、「父・バルトーク」を訳された村上さんと少しお話出来たのがとても嬉しかったです。村上さんのホームページに《中国の不思議な役人》の歴史や校訂の過程がまとめられた大変素晴らしいページ「The Music-maker’s Paradise」があります。本当に圧巻です。そして、バルトーク・レコード・ジャパンでは、資料や楽譜音源の販売が行われています。
しかし、まあ、仕事は面白いですわ。いろいろな難問が降り掛かってくるけれど、頭使って乗り越えていくのは、ほとんどゲームだなあ、などと。もちろん、命を失う可能性もあるのでゲームじゃなくて実戦といえば実戦で、確かに撃ってはいるけれど、撃たれてもいるなあ、などと。
ではグーテナハト。

Béla Bartók

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今日の読響定期のバルトーク・プログラムに、相当無理して行ってきました。明日は早く起きて仕事しないと。
で、カンブルランの《中国の不思議な役人》の凄まじさは、筆舌につくしがたく、ピアノ協奏曲第三番にアメリカの風景を見たりと、実に素晴らしい体験でしたが、そのあたりは明日に。
終幕のあと、少し遅れてサントリーホールをでたのですが、どこかでお見かけした方がいらっしゃいました。
あ、やはり!
「父・バルトーク」を訳された村上泰裕さんだったのです。
思わず声をお掛けしてしまいました。
私をバルトークに導いてくれたのがこの本ですので、感謝感謝でした。
村上さんもコンサートにとても感動しておられたようでした。私もコンサートにも感動しましたが、村上さんとお会いできたのも感動的でした。
近々「父・バルトーク」の書評を発表します。良いものをお届けできるといいのですが
今日は取り急ぎ、グーテナハト。

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
ペーテル・バルトーク
スタイルノート
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Béla Bartók,Concert

はじめに

今日は東京芸術劇場で、ベートーヴェン、ハチャトゥリアン、バルトークを聞いてきました。音楽大学オーケストラ・フェスティバルの四回目で、今日は東京音楽大学と国立音楽大学のオケが登場です。きっと、「のだめカンタービレ」のAオケにあたる方々なんだろうなあ、とか勝手に思いながら聴いてました。すいません。
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演奏

まずは東京音大ベートーヴェン交響曲第8番。学生オケといっても音大のオケですので、メチャ巧いです。これを1000円で聴けるのはずいぶんお得だと思いました。
本当にキレのある演奏でした。ある種の明快さがあって、沸き立つ感興を十分に感じました。とにかくリズムが良いのです。指揮の川瀬さんは、ある時は裏拍でクリック出していたぐらい。裏で取るとリズムがしっかりしますので。
ハチャトゥリアンの《ガイーヌ》からは、定例の《剣の舞》がまずは盛り上がり、最後の《レズギンカ舞曲》で最高峰に達しました。《レズギンカ》のパーカッション、音が大きかったけれど、グルーヴしてましたよ。若さがほとばしっていたと思います
後半は国立音大のオケによるバルトークの《管弦楽のための協奏曲》でした。
いや、ほんとこの曲は難しいです。オケはきちんと演奏出来ていました。それも素晴らしく。木管も良かったのです。
でもなにか微妙な重みのようなものがあって、この曲のある種の皮肉と洒脱さの表出が難しかったのだとも。日本的なノリとは違うのでかなり難しい話だとも思います。
今日は、スコアを見ながら《管弦楽のための協奏曲》の予習をしてました。それはそれで楽しくて、その勢いで、コンサート中も見ながら、と思いましたが、さすがに見れないです。音聞いているだけなのに、オケを見たくなってしまうというのは、なんなのでしょうかね。音楽における視覚の占めるものとは? の問題です。

東京芸術劇場の音

東京芸術劇場の音は、今ひとつと言われることが多いですが、ずいぶん良さがわかってきました。私の今日の席はやはり今ひとつでして、右側前方でした。それでも、ホールの中を回って潤った音響が伝わってきたと思います。
ただ、レズギンカ舞曲は相当音が回っていました。まあ、若いパワーを引き出そうという意図があったのだと思いますが、金管もパーカッションも炸裂してましたので、弦や木管は殆ど聞こえないという音の奔流状態になっていました。あるいは、弦の音がもう少し必要だったのか、などとも。プロオケとの違いはもしかしたら、そういうことなのかも、などと思ったり。

おわりに

あっという間に週末終了。本読んで勉強しないと。でも、きょうは早めに就寝します。
ではグーテナハト。
あ、ちなみに今日これ届きました。
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Béla Bartók,Classical

明日、東京芸術劇場で国立音楽大学のオケが《管弦楽のための協奏曲》を演奏しますす。指揮は山下一史さん。バルトークファンとしては、いかなければ。。
https://www.geigeki.jp/performance/concert023/concert023-4/
そうそう、ラトルのバルトークボックスと、ブーレーズがCBSに録音したバルトークのCDが本日届きました。こちらも楽しみ。
今日は短く。

Béla Bartók,CD紹介,Classical

バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人
ラトル(サイモン) バーミンガム市交響楽団合唱団 ハルシー(サイモン)
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) (2008-09-26)
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本業真っ盛り。
今日はラトルの《管弦楽のための協奏曲》です。
ラトルの好きなところは、絶妙なテンポコントロールと音量コントロール。それも大仰と思われないぐらい絶妙なコントロールを見せてくれるのです。何時頃か覚えていないのですが、ドビュッシーの《海》を聴いた時に感じた感動です。
この音源でもやはりそうです。インテンポな演奏でもなく、大時代的な情感の入った演奏でもないものです。熱くて冷静というコントロールされたものです。伸縮自在なゴムのような弾力性のある演奏。どこまでも拡散することなく、常に均整のとれた抑制美。だからといってダイナミズムはちゃんとある。湧き出す噴水の揺らめく形をいつまでも愉しむかのような感覚。そして、その絶え間ない形の変化は、どれだけ眺めても飽きることはない。
そんな感じの演奏だと思います。ショルティのような直線的で筋肉質な演奏とは違いますが、私はこういう演奏も大好きです。というか、ラトルのこういうところが大好きです。
それにしても、様々なスケールが入り交じるバルトークの音楽の絢爛さは格別です。その複雑な形状は、聴けば聴くほど新たな意味を見出すこと解釈多様性を帯びています。第二楽章で聞こえるバロック風の金管のファンファーレはなんなんでしょうかね? 現代文明以前の何かを懐古するもの、アメリカから欧州を懐古するものなんじゃないか、と思ってしまうぐらいです。
今日はこの辺りで。日々戦場。敵はどこにいるかわからない。
ではグーテナハト。

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Solti Conducts Bartok
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なんでこんなにバルトークな毎日なんですかね。バルトークに捉えられてしまった感があります。音楽も人格も高貴である、とtwitterでやりとりさせてもらったりしましたが、全くそのとおりだと思いますね。ほれこんでしまっているようです。
さて、代表作である《管弦楽のための協奏曲》を。通称オケコン。
ずっとブーレーズ盤を聴いていましたが、ショルティ盤のほうが好みにあってきた感があります。
ショルティのバルトークは、鋭く鮮やかです。アタックもするどく、よく統率されています。
どうもブーレーズ盤はこの点に関してショルティ盤に譲るのではないかと思っています。ブーレーズにはなにか冷たさのようなものを感じていて、それが私の中で引き締まった印象となっていたのですが、それはすこし違うようです。
ただブーレーズ盤に比べて木管に物足りなさを感じます。これは録音の問題なのかもしれません。
全体の完成度はショルティ盤の方が好みかも。
ラトルの音源もあるので、次回の「バルトークな日々」は、そちらを取り上げる予定です。
いや、ほんと仕事はスリリングです。ジェットコースターな日々。
今日は真正なグーテナハト。

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父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
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はじめに

11月に入ってから、私のブログはバルトークに埋め尽くされている感があります。なにもかも、バルトークのご子息であるペーテル・バルトーク氏による「父・バルトーク」によるわけです。
バルトークのことを書いた日に限って、アクセスが増える気がします。twitterでもリツイート頂いたりもしました。
これは、これまでにはないことのような感覚を持っています。バルトークはかなり人気があるのだなあ、と思ったわけです。

福田総理とバルトーク

私の記事に付いている「関連記事」の中に、2007年に書かれたitmediaのオルタナティブ・ブログのなかで藤井等さんという方が書いておられる記事が出てきまして読んでいたのです。
“http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html":http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html
題して「福田総理とバルトーク」
2007年は福田総理の治世下でした。そんな折に、日経新聞の「春秋」欄に福田総理とバルトークの関連が書かれていたそうです。福田総理は、クラシック好きであり、
ここからが本題でして、バルトークが好きな世代は60歳から70歳台の方が多いのではないか、と推理されるのです。そのポイントは1981年。ブログの中には明示されていませんが、1981年はバルトーク生誕100年でした。この歳にバルトーク全集がLPで発売されたのだそうです。40枚組だったようです。
1981年といえば、オーディオが趣味として全盛だった時代です。私の父も、SONYの新しいカセットデッキとFMチューナー、外付けのFMアンテナを買ってましたね。
ちょうどそのころ働き盛りでバイタリティの会った方々が、今頃がちょうど60歳から70歳にあたるのではないか、というのが藤井等さんの推理です。
なるほど、そういう見方もありますね。

私がバルトークを知ったいきさつ

それで、この見方を補強する私のエピソードをお聞きください。
カミングアウトしていいですか。
私がバルトークの名前を初めて知ったのは、こちらの本でした。

この本を懐かしく思う方は多いと思います。那須正幹さんのズッコケ三人組シリーズ第6作です。この本では、ズッコケ三人組が江戸時代にタイムスリップして平賀源内の世話になる、というSF時空ものです。三人が江戸時代へとタイムスリップするのは、音楽室においてある鏡でした。この鏡を通り抜けることで、タイムスリップをしてしまうのです。この鏡は江戸時代においてはとある大名家が保有していましたが、原爆のからみで三人組が通う小学校に鏡が置かれるという設定でした。そうそう、ズッコケ三人組の舞台は広島市ですね。
で、この鏡を取り戻すために大名家のお姫様が音楽の先生になって小学校に赴任してくるわけです。美人な音楽の先生で三人組のハチベエはメロメロに。この音楽の先生が弾いていたの曲の一つがバルトークでした。ハチベエは、バカの一つ覚えのように「あれは、バルトークだな」とつぶやいたりするという設定でした。
この時弾いていたバルトークの曲は何だったのでしょうかね? 《ミクロコスモス》だったのか。
この本で私はバルトークの名前を初めて知りました。多分小学生の頃。
たしか、他にも作曲家の名前は出てきていたはずです。ショパンだったか、ベートーヴェンだったか。ですが、唐突にバルトークの名前が出てきて、幼いながらも私は奇異を感じた記憶があります。
この本、じつのところ刊行は1982年なのです! つまり、バルトーク生誕百年の翌年です。バルトークが流行っていた頃でしょうか。作者の那須正幹さんは、1942年生まれです。当時の御年は40歳。現在は71歳。先ほどの藤井さんの仮説に適合してしまいます。
那須正幹さんとバルトークの関連は残念ですがネットでは分からずじまいで、継続調査です。

おわりに

というわけで、今日もバルトーク。
あ、東京オペラ・オケ事情ですが、すこし重複あったのでこれから調整します。というか、この幅では見難いですね。レイアウトの変更は考えないと、と思っています。最近いらっしゃる方の解像度の横幅が1200ピクセル以上なので。。
それでは、グーテナハト。

Béla Bartók,Classical

20世紀の音楽 (プレンティスホール音楽史シリーズ)
エリック ソーズマン
東海大学出版会
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はじめに

良い天気の一日でした。早起きして朝焼けを撮りました。明日も早起きしたいものですが、できるかな?
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午前中はなにか雑務を行い、午後は「一仕事」終えました。が、まだ時間がかかることがわかりました。明日も頑張らないと。

バルトークの音楽史上における位置について

ところで、バルトークは、音楽史上において、シェーンベルクやストラヴィンスキーほどの音楽的な革新性を取り上げられることが少ないように思っていました。ワーグナー、ドビュッシー、シェーンベルク、ストラヴィンスキーといった音楽史を変えた作曲家とは違う扱いです。かといって、ブラームスやシュトラウスのように、既存理論に添い遂げたわけではありません。むしろ、破壊者でもあったのではないかとおもうのですが。
で、いろいろ調べていたんですが、若いころにかった東海大学出版会からでている《20世紀の音楽》のなかにも同じような記述がありました。

バルトークの様式は、短い期間に若い作曲家たちの間にきわめて強い影響力を見せていたのだが、究極的にはあまりに個人的であり、音楽自然体の展開に対して直接的意持続的な影響力を持ち続けることはなかった。

エリック・ソーズマン(1993)「20世紀の音楽」東海大学出版会
それは、同じくアメリカに亡命したシェーンベルクやストラヴィンスキーが比較的巧いことやっていたのに比べて、バルトークが難渋したということに象徴されているのかもしれないと思います。やはり、民謡収集やピアニストとしても活躍していたことが周りからの視点がぼやけてしまったのではないか、とか、亡命したことで生活が困難になったこと、そしてなにより早くになくなってしまったことなどが、影響するのかもしれません。
まあ、バルトークの論文集も邦訳されているようですので、あたってみないといけないです。引き続き調査します。

ヤルヴィ盤《かかし王子》のファーストインプレッション

今日は《かかし王子》しか聴いてません。10回近く聞いているかも。でも、おかげで理解も愛情も深まりました。
新しい音源を、ということで、今は、ネーメ・ヤルヴィがフィルハーモニア管弦楽団を振った盤を聴いています。まだ一回目なので評価はしませんが、ブーレーズ盤に負けず劣らずの素晴らしさだと思います。ブーレーズよりスマートにさばいている印象です。第四舞曲の切り込みの鋭さや表現の鮮烈さははネーメ・ヤルヴィのほうが強いかもしれないですね。ブーレズはもう少し重みを付けた演奏だったように思いました。
よく聴くと案の定拍節が複雑。5連符のパターンが出てきた時の異様なリズム感覚が凄いです。譜面を見ると、1stと2ndヴァイオリン、ヴィオラが7連符で、チェロが6連符という私にとっては悪夢のような拍節パターンが出てきます。そういえば、「父・バルトーク」で、民謡の7連符のノリをオケが理解できないことを指摘するシーンがありました。

Bela Bartok: The Wooden Prince, Op. 13/Hungarian Pictures
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