Anton Bruckner,Symphony

Symphony 7
Symphony 7

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Bruckner Berlin Philharmonic Orchestra Wand
RCA Victor Europe (2000-10-04)
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いや、ほんと短信です。
いろいろあった一週間。あの騒動で、一時音楽が聴けなくなるんじゃないか、と思いました。それは、聴くことと語ることを一つにしようとしたからかも。音楽を語るということに対する苦しみというものは以前からあって、それが今回の騒動で色々考えざるを得なくなってしまったということだと思いました。
しかし、昨日から読んでいる伊福部昭「音楽入門」で、「わからない音楽ほどわかっている」という一節があり、ああ、語ってはいけないのかもしれない、などと思いました。まるで一神教の神のように。
で、ヴァントが振るブルックナーの7番を聴いて、ただただ、端正で静謐だ、とだけ思いました。
そうか、音楽を語るときに比喩表現を用いてはいけないのか、などと気づいたり。けっして、「かなしみは疾走」などと言ってはいけないのですね。安易に。
明日の関東はまた雪ですか。2日振り続けるようです。週末、大学時代の音楽関係者と会うんですが、開催されるのでしょうか。。。
ではグーテナハト。

Anton Bruckner,Book

ブルックナー:交響曲第8番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 バレンボイム(ダニエル)
ダブリューイーエー・ジャパン (1995-10-25)
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建国記念日の一日は、最近の疲れを癒やす一日になりました。少しゆっくり眠りましたし。
それでも、現行の構成を終えて、リードを削って、ウォーキングして、みたいなかんじ。朝食は寝坊したので抜きました。夕食は、友人が送ってくれた牡蠣を使ったパスタ。
ナクソスミュージックライブラリーに、TELDECが収められているのですね。バレンボイムのブルックナー交響曲も収録されていて嬉しい限りです。
今日はブル8。ブルックナーについては語りますまい。ブルックナーを語るのはハードルが高すぎます。それでもなお言えることは、バランスがとれている本格派の演奏ということでしょう。ベルリン・フィルの機能性を十分に活かしたものなんでしょう。隅々まで統御された丁寧な作りでいながら、ダイナミズムもある演奏というところでしょうか。実は好きな演奏かもしれない、と思います。
昨今音楽を語ることについてはかなり敏感になっています。絶対音感がないと語れない、という点が気になって仕方がないのです。
私にしてみると、多くの人々が例の交響曲に感動できるのなら、ブル8にも感動できるはず、と思うのです。ブル8が別の名前で別のストーリーがあって、日本でしかるべき形で演奏されると、きっと誰しもが泣くのだと思います。長さだって例の交響曲より少し長いぐらいなのですから。。ブルックナーといった有名な作曲家の名前が、逆に日本では一般に受け入れられないものとなっているのでしょうか。それほど文脈が重要ということでしょうか。
というわけで、グーテナハト。明日も頑張ります。

Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

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はじめに

今日は雪の一日でした。我が家の近くもこんな感じ。
予定は全てキャンセルとなり、一日家で過ごしました。今日これから仕事で招集されたらどうしようか、と必死に悩んでます。

昨日の続き

今回のあの事件、クラシック音楽界においては大事件で、沢山の方がいろいろな立場で語っています。まあ、語れば語るほど深みにハマりますし、物議をかもすのでしょう。ヘタすれば炎上です。
昨日の記載に少々問題があるのでもう少し書きます。

私は全聾というところには心打たれなかったのです。絶対音感とそれを記憶する能力を持つ人がいる、ということに関心を持ったのです。

それは、モーツァルトやメンデルスゾーンが楽曲の記憶を半端なくできていた、というエピソードに似たものを感じたのです。あるいは、私の知人のアマチュア作曲家が、通勤電車で楽想を考えるのだが、メモすることなく覚えている、ということを話していたのを思い出したからです。
これらの例は、もしかすると本当のことではないかもしれませんが、少なくとも一週間前までは本当だと思っていて、その類例として今回の絶対音感による作曲というものが実在していて、それに関心を寄せたということになります。
まあ、今から思えば、全聾であるからこそ、絶対音感で作曲しなければならないわけで、そういう意味では、全聾という要素も重要だったのでしょう。あるいは、精神薬を飲んでいる姿も、無意識に受け止めてしまっていたんでしょう。あるいは、NHKが放送したということもあったんでしょう。どうがんばってもいいわけしても、ウソの情報を見破れず、それらを要素として音楽を評価していたということになります。
あと、もう一つ。さかな君が、天皇陛下のスピーチに登場したという「快挙」がありました。クニマスを発見した例の快挙からきたものです。私はあの曲の人気っぷりが、さかな君の快挙につながるもののように思えたのです。あるいは、島津製作所の意志社員だった田中耕一さんがノーベル賞をとったとか。ああいうメインストリート以外のところから出てきた人が、快挙を成し遂げてしまう、というストーリーの一つとしても捉えていたのだなあ、と。
なので、私はそうしたストーリーとともに音楽を聴いていたし、音楽を聴くことはそういうものだと思っており、やむなし、と思います。
この言説はきっと議論を呼ぶはずですが、おそらくこの「聴く」ということを、各人が様々に解釈するのでしょうから、すりあわない議論になるはずです。私にとっての「聴く」は、おそらくは空気の振動を認識すること以上のもののような気がします。
まあ、ウソの情報を見破ることなんてなかなかできません。後出しジャンケンでならいくらでも言えるのでしょうから、行っても意味はありませんので、あえて言いませんが、家族とはいろいろと類例を出しながら論じております。
いろいろとかんがえることが多く、どうにもとまりません。というか、「音楽」自体よく分からなくなってきました。

今日の一曲

今日は《魔笛》の第一幕を2003年の録画でみました。コリン・ディヴィスがコヴェント・ガーデンを振ったバージョンで、夜の女王をディアナ・ダムラウが歌ってました。ダムラウは本当に巧いですよ。声が均質で、パワーがあり、それでいて絶妙なコントロールでした。タミーノを歌うハルトマンは立派なんですが、立派すぎて試練を受ける必要がないぐらい成熟したタミーノでした。

モーツァルト:歌劇《魔笛》英国ロイヤル・オペラ2003 [DVD]
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明日は、お世話になった方と会う予定。

2013/2014シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

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この週末は大仕事でした。友人の結婚式のため、《カルメン》をエクスチェンジしましたので、土曜日が《カルメン》、日曜日が《蝶々夫人》ということになってしまい、ついでにとある原稿の締め切りもかかえていました。
ということで、息つくまもなくあっという間の週末でした。
土曜日の《カルメン》は、皇太子殿下がいらしていたり、有名な女流作家をお見かけしたりと、華やいだ感じの公演だったと思います。皇太子殿下登場の折は拍手が起こりまして、100年前の欧州もやはりこういう感じだったのか、などと思ったり。エクスチェンジして良かったかも、などと。
日曜日の《蝶々夫人》は、初日に体調不良でキャンセルしたアレクシア・ヴルガリドゥが登場し、盛り上がりました。指揮のケリー=リン・ウィルソンの素晴らしさが際立っていましたね。緻密で大胆でした。女性らしいきめ細やかさがありながらも歌わせるところはダイナミックに歌わせ、ドラマを支える劇的な演奏でした。
やはり、ドラマが躍動するのは音楽があるからです。これは、聴いている時にはなかなか気づかないことなのかもしれないのではないか、と思います。ストーリーや歌唱に感動している気がしていますが、実は指揮者によって勘当させられている、という状況です。私はこの感覚を、ペーター・シュナイダーや若杉さんの指揮で学んだように思います。
土曜日のカルメンも、日曜日の蝶々夫人も男のエゴで死に至る悲劇のヒロインです。ふたりは正反対のタイプの女性ですが、共通しているのは、ふたりとも男によって造形されたキャラクタであるということです。オペラの中でも外でも悲劇なのかもしれないです。
というわけで、続きはまた明日。

Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

初詣に玉前神社へ

今日は初詣ということで、上総一ノ宮にある玉前神社に参拝してきました。玉前神社は、上総国一ノ宮ということで、古くから崇敬を得ていた神社です。

※ 去年も行きました。
https://museum.projectmnh.com/2013/01/05010000.php
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この神社の井戸水は霊験あらたかということで、飲めば願いが叶うそうです。2010年に始めてお参りしましたが、いろいろ今年もお護りいただくよう詣でてまいりました。
※写真は昨年撮ったものです。
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巫女さんの舞に《魔笛》をみた!

昨年に続き、お祓いをしてもらいましたが、驚きました。

祈祷の最後に巫女さんの舞い、というものがありました。これ、《魔笛》なのです!!

笛(おそらく神楽笛)の音色に合わせて、巫女さんが鈴と破魔矢を持ってシンプルな踊りを踊ります。
この時、タミーノは笛をもらい、パパゲーノはグロッケンをもらい、困った時に使うようにといわれた、ということを思い出しました。
笛はわかりますが、このグロッケンというのはなんでしょうか? 
演奏においては、グロッケンシュピールとかチェレスタで演奏されますが、さすがに鉄琴やチェレスタをパパゲーノがもらったとは思えません。
そのままグロッケンシュピールとなると、現代においては鉄琴になるのですが、もともとはドイツ語のGlocke、つまり鈴や鐘から来ている言葉です。教会の調律された鐘の一群もグロッケンシュピールと呼ばれ、それを演奏する鍵盤もグロッケンシュピールと呼ばれたようです。
音楽之友社「楽器図鑑」にはグロッケンシュピールには、以下のように鐘をいくつも付けた楽器の挿絵が掲載されています。グロッケンシュピールがすなわち鉄琴であるとは言えません。
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新国立劇場の演出では、神楽鈴に似た、ぐるぐる回るガラガラのようなものをパパゲーノが受け取っていました。上の写真とよく似ています。
巫女さんの舞いにおいては、笛の音にあわせて、巫女さんは手に持つ神楽鈴を打ち鳴らします。これが新国立劇場の演出のグロッケンとよく似ているわけです。




こんなかんじで笛を吹いておられました。




笛とグロッケンが登場するお祓いに参加して、あ、これは《魔笛》だ! と思ったのはこういうわけです。

《魔笛》の神話学

今読んである「《魔笛》の神話学」においては、このグロッケンは、古代エジプト由来の楽器で、魔除けのために使われていたと紹介されています。これがくだんのシストルムと呼ばれている古代エジプト由来の楽器のようです。

《魔笛》の神話学: われらの隣人、モーツァルト
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これがシストルムです。これを魔除けにしたのですね。


神社の人に伺ったところでは、まあ当然ながら、神楽鈴を打ち鳴らすことで、穢れを落とす、というような意味が込められているということでした。エジプトにおける魔除けの意味も、あるいは《魔笛》において、困ったときに使うという機能とも類似性があります。
ここから先は(あえて)別稿に譲ります。現在準備中です。
今日はこちらを聴きながら。いや、このアルバムは録音もよいです。モーツァルトの楽しみというのはこういうことをいうのでしょうね。

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それではまた。グーテナハト。

Oboe,Richard Strauss

2013年最後の日。狂ったようにリード作っていました。糸巻きまでようやく出来るようになりました。まだまだ不格好ですが、なんだか形だけは完成品に近づいてきました。
これらが私が今日作っているリード。巻きが甘いですが、ここまではなんとか。
ですが、削るところは全然わかりません。本、Youtube、ウェブで調べて独学中です。もう一息。ほんと、凝り性ですわ。
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手作業でものを作るというのは、新鮮です。PCでお絵かきしたりプログラムを書いたりするのとは違う刺激です。
っつうか、リードは本当に奥深い。奥深すぎて、これは興味が尽きることはありません。まとめようと思っています。
さて、先日のレッスンあわせて、最近のカラオケボックスでの個人練習で学んだことなどをまとめておきます。

最初のお作法

楽器を組み上げる前にリードを見ずにつけておきますか。楽器を組み立ておわることにちょうどよくなっているあず。
まずはリードを静かに吹きましょう。クロウを鳴らすのはその後です。ここでは倍音がしっかり出ていることを確認する必要があります。

まだまだ強い。

まだまだ強く吹いているようです。やっぱりサックスらしい音が出ているのだそうです。こればかりは言われないとよくわからないかもしれません。もっと柔らかくオーボエっぽく吹きましょう。どうも私の中ではソプラノサックスのような音をイメージしてしまっているような気がしています。

口をきちんと巻くこと。

顎をきちんと落とすということはその通り。唇を厚くするということも。ですが、上唇を巻くということも。これはできているはずですが、できていないこともあるようで、これを意識改善したところ、音が良くなりました。これは、なぜか意識しないと出来ないことみたい。

C#の指が。。

何か吹きますか、ということで、Dキーの曲をやるんですが、C#の指ができない。帰宅して、鏡の前で必死に練習しました。なんとか押さえられるようになりました。指の形を覚えこませる必要があります。

今日の音楽

ここのところ大忙しで、帰宅も遅い状況でなかなか音楽が聞けません。そんななかで、聞いているのがフィッシャー=ディースカウが歌うリヒャルト・シュトラウスの歌曲集です。
で、この中に収められている《小間物屋の鏡》作品66が、あの《カプリッチョ》の月光の音楽の原曲ということに今更ながら気づきました。詳しくはまた。
ピアノ伴奏の歌曲集ですが、ピアノ伴奏を聴くという楽しみもあり、これはもう絶品です。

EMI Budget Boxes: Lieder
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最後に

紅白歌合戦も終わりあともうひといきで2014年です。ではグーテナハト。

Béla Bartók,Opera

インバルは青ひげではありませんでしたが、インバルの青ひげはすごかったです。詳しくは明日。
というか、後半は、ビリビリと曲がからだの中に入ってきて、体が震えた感がありました。
詳細は明日以降書きます。
青ひげスタディスコア
こちら、今日入手しました。
ではグーテナハト。

Béla Bartók,Classical,Opera

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先日の朝日。燃えるように美しい。これが、青ひげの領地に見える血に染まった雲なのか?
全然謎がとけない。なんとか、おもしろい解釈を考え出そうとしているのですが、なかなか思いつかないのです。
青ひげの城を明るくしようとするユディト。扉を開けて、光を城の中に導き入れる。だが、第七の扉を開けた途端、ユディトは夜の女であることが分かる。
青ひげは、ユディトに王冠とドレスを与えると、ユディトは第七の扉の中に入っていく。城は再び闇に閉ざされる。
青ひげは、朝、昼、夕、夜という時間を手に入れたということなのか。時間を手に入れた時点で、青ひげは時間を超越するということなのか? 
あんなにユディトが第七の扉を開けるのをあんなに止めたというのに、開けた途端に青ひげは淡々とユディトを四人目の女に仕立て上げる。機械的に、自動的に……。
全くわかりませんね。もうしばらく考えてみましょう。

きょうはこちら。予行演習もだんだん本格的に。
ではグーテナハト。

Béla Bartók,Opera

青ひげ公の城―ハンガリー短編集
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「青ひげ公の城」ですが、リブレットの邦訳を読みました。こういうリブレットはとても楽しいです。メタファーに満ちあふれているわけですから。
あらすじはいかのようなものです。わたしの色眼鏡が入っています。
ユディトは青ひげの城へと嫁入りする。ただ一人で。入った途端に城の中は暗く、壁が濡れている。壁が濡れているのは城が泣いているからだ。この城の窓や扉を開けて明るくするのが私の仕事だ、とユディトは言う。城の中には7つの扉があって、ユディトはそれらを1つずつ開けてほしいと言う。
1つ目の扉の向こうは血塗れた拷問部屋だった。
2つ目の扉の向こうは血を吸ったおびただしい武器が収められた武器庫だった。
3つ目の扉の向こうは宝物庫だった。血痕を帯びた宝物が収められていた。
4つ目の扉の向こうは花園だった。バラには血の跡があった。
5つ目の扉の向こうは大領地だった。雲から血の影が落ちている。
6つ目の扉の向こうは涙の湖だった。
そして、7つ目の扉の向こうには、青ひげのかつての3人の妻がいた。一人目は朝、二人目は昼、三人目は夕暮れ。
そしてユディトは夜だった。ユディトは三人の妻とともに7つ目の扉の向こうに消えていった。
ユディトですか。
ユディトといえば、あのユディトですね。ホロフェルネスの首級を上げたユディト。本来は、青ひげの暗殺をするために来たのではないかとでも疑ってしまう名前のつけかた。
扉のメタファーは、青ひげの内面を表しているのでしょう。
噂通り残忍な男で、強大な武力と資力を持っている。実のところは、優しさをも持っていて、その心は極めて広いもの。それでいて、過去になにか悲しみに満ちた過去を背負っている。いずれも血塗れたもの。
そこまでは分かるんですが、つまらない。もっと飛び越えた発想をしないと。
聞いているのはこちら。新しい録音よりもこちらのほうがいいかも。

Bartok: Pierre Boulez Edition
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ではグーテナハト。

Béla Bartók,Classical,Concert

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さて、昨日の読響のバルトークその2です。

リゲティ《ロンターノ》

この日のプログラムはハンガリー繋がりということで、ハンガリー出身のリゲティがまずは取り上げられました。それにしてもすごい曲でした。フルートから始まる持続音が、ビオラの4列目とか、チェロの2列目とか、オケのいろいろなところを移動していくのです。私の席はかなりの前方でしたので、そうした音の移動がよくわかりました。

バルトークプログラム!

二曲目は、金子三勇士をソリストにピアノ協奏曲第3番でした。
いや、この曲はアメリカへのオマージュだなあ、と。第一楽章、リズムが裏を撮ってグルーヴし始めるあたりはジャズを表しているんじゃないかと、実演聞きながらそう思いました。金子三勇士のタッチが強くて音圧がかなりありました。この強烈なタッチがジャズっぽさを感じさせたのかもしれない、と思いました。第二楽章は、牧歌調で、バルトークが過ごした保養地での思い出にあふれていて、鳥の鳴き声が聞こえるのはそうしたわけなのです。で、冒頭のところにフォスターが聴こえたりもしました。
《6つのルーマニア民族舞曲》は牧歌調。恥ずかしながら私は初めて聴きましたが、親しみやすい小曲です。次の曲への肩慣らしなのかも。
で最後がメインディッシュ《中国の不思議な役人》の組曲版。圧巻でした。冒頭のヴァイオリンのグリッサンドがビジュアル的にすごくて、音楽よりも先にその鬼気迫る演奏に魅入ってしまいました。テンポは少し遅めに感じますがもたついたりする印象はありませんでした。これはおそらくはリズムがしっかりとあっている、縦の線がきちんと出ているということなのでしょう。それは終始一貫していたはずです。
最後の役人と少女がからむ場面の制御された激しさとは、それぞれの音の要素が、カンブルランの指揮棒の先に繋がっていて、いろいろな方向を向いているにもかかわらず全体としては前に進み続ける、そういった印象でした。
最終場面のトロンボーンとクラリネットのソロが圧巻で、カンブルランは、自分が拍手を受ける前に、クラリネットとトロンボーンを立たせてねぎらっていたぐらいです。
やはり、組曲版はあっという間に終わってしまいます。それが少し残念です。

おわりに

昨日も書きましたが、「父・バルトーク」を訳された村上さんと少しお話出来たのがとても嬉しかったです。村上さんのホームページに《中国の不思議な役人》の歴史や校訂の過程がまとめられた大変素晴らしいページ「The Music-maker’s Paradise」があります。本当に圧巻です。そして、バルトーク・レコード・ジャパンでは、資料や楽譜音源の販売が行われています。
しかし、まあ、仕事は面白いですわ。いろいろな難問が降り掛かってくるけれど、頭使って乗り越えていくのは、ほとんどゲームだなあ、などと。もちろん、命を失う可能性もあるのでゲームじゃなくて実戦といえば実戦で、確かに撃ってはいるけれど、撃たれてもいるなあ、などと。
ではグーテナハト。