2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

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新国中庭のパノラマ写真を撮ってみました。首都高速の騒音をブロックするための外壁に囲まれた水庭は本当に素敵です。

《ばらの騎士》に政治的意図はあるでしょうか? ヴェルディオペラだと、そこに政治的な意図がたくさん仕込まれていますので、いろいろと面白いのですが、シュトラウス=ホフマンスタールでそうしたことを考えたことがありませんでした。

もちろん、第一次世界大戦前の時代が変わりゆくことへの漠然とした不安のようなものがながれているのはたしかでしょう。爛熟の次に来る破局への予感のようなものでもあります。18世紀のフランス革命に向けたフランスの状況などを想像していたのかもしれません。

あるいは、現代においてもやはり、バブルの次に来る崩壊をなにかそこはかとなく感じていて、例えば、今のアベノミクス相場はもちろんのこと15年前のITバブルも、なにかそうした威勢の良さのあとに来る破局への漠然とした不安を感じるような気がします。

現実と乖離しているような株価の高騰が、日銀や年金機構が政策に基づき株を買い続けているという状況で、創られた株高状況とも言われているようです。

インフレ・ターゲットが設定されてはいますが、それに連動して、給与が上がっている実感がない、という話はよく聞きます。

(ですが、こちらのデータでは、2013年度においては、平均給与は2%とはいえませんが、それでも上がっている、とされていますので、面白いですね)

なにか、こういう爛熟の美と、次に来る破局の感覚、というのは、日本的とも言えるのでしょうかね。というか、辻邦生の「美と滅び」とか、太宰とか、三島の感覚とよく似ているなあ、と思います。それは、実はマンなのかもしれないですね。

ホフマンスタールの《チャンドス卿の手紙》は、なにか大人の諦念のようなものを感じるのですが、それがこのオペラの魅力だとおもいます。

というのは、ある程度人生経験を積んだ人の意見になると思いますが、きっと若い方々にはオクタヴィアンとゾフィーの恋愛成就ハッピーエンド物語になるのでしょうね。第二幕でさっそうと登場するオクタヴィアンは、きっと若い方にとっては、卒倒するほどのかっこよさです。

年代ごとにその魅力が発揮できるようになっているのかも、なんてことを思いながら観ておりました。

それでは取り急ぎ。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

Photo

いや、すいません。今日も、ちゃんと書けなくて。

でも、《ばらの騎士》については、今回はパフォーマンスも素敵すぎたのですが、それ以上に、劇についていろいろ気づきがありました。

前から思っていたのですが、とあるあのオペラ(あるいはオペレッタ?)と実に似ているのではないか、とか。

あとは元帥夫人のモノローグがことのほか味わい深く、8年前に比べてずいぶんと感じ方が変わっていたり、とか。まあこちらも歳をとっていますので当たり前です。もしかすると、元帥夫人の週末感のようなものはすでに超えてしまったような気がします。

ホフマンスタールが《ばらの騎士》を書いたのは30歳台後半です。確かに《ばらの騎士》を初めて観た時は、元帥夫人と同じぐらいの年齢でした。

ですが、私はすでにそこを超えましたので、ホフマンスタールの感じる終末感を超えていてもおかしくありません。この感覚、昔、少し上の世代のかたと《ばらの騎士》について語った時に、その方がおっしゃっていたことなのかあ、などと思いました。

ということは《ばらの騎士》については、別の見方ができるようになってきてもいいんだろうなあ、と思います。それが今回の課題かもなあ、などと。

で、夏が来てしまいます。今年の立夏は5月6日ですが、小学生の時にならった目安でいうと、5月までは春で、6月からは夏、ということに成りますので、とうとう夏がきました、ということになりますね。

冒頭の写真は、近所の桜の木とかえでのコラボ。

近所の桜。江戸彼岸で、染井吉野よりも早く満開を迎えています。

4月に撮影したあの桜の木、つまりエドヒガンは、冒頭の写真のように青々と生い茂っているわけです。

時のうつりゆくのはやはり早いものですね。もちろん、歳をとればとるほど早くなるわけですが、その早くなる加速度は歳をとればとるほど小さくなります。

それではまた明日。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,Miscellaneous,NNTT:新国立劇場

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先日の新国立劇場《椿姫》について。書きたいことがタスク台帳に残っていましたので、忘れないうちに書かないと。。

ヴェルディらしい楽しさがありましたが、やはり、台本はかなり無理をして刈り込んでいるのですね。第二幕の最初のところ、ヴィオレッタが宝飾品を売り払っている、ということに気づいたアルフレードは、張り裂けるように自分の未熟さを恥じ入り、パリへと向かいます。

この部分の劇の長さがバランスがおかしいほどに短いのです。

特に今回の新国立劇場の演出だと、あれあれあれ、という間にアルフレードが激昂して去っていき、そのあと、ヴィオレッタがすかさず登場、という感じで、なんだか紙芝居のような展開の早さでした。

オペラ化するにあたっては、台本を大きく省略することは多いですので、まあ、当たり前といえば当たり前なのです。

あとは、今回の演出ですと、ジェルモンの登場もかなりスピード感がありました。

それにしても、最近の新国立劇場の歌手の皆さんは安定しています。昔は、なんだかこのあとはずさないか、と心配になってしまうようなこともあったのですが、この数年は、そうした不安のようなものもなく、自然体で集中して見ることができるように思います。本当にすばらしい劇場になってきたんだなあ、と思います。

開場して17年。私が初めて観に行ったのが2002年ですので、あれから13年がたちますが、どんどん成熟しているような気がしてなりません。

今週末の《ばらの騎士》も期待ばかり、です。

では、とりいそぎおやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss

今日は四半世紀に渡る友人と日本酒を東京駅構内の日本酒バーにて。

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たまには、こういう機会を作らないと怒られます。夜遅くまで働かないと結果が出せない、と思われるのは問題なのです。

日本酒といえば、学生時代においては「ヤバイ酒」でした。

日本酒の熱燗となれば、徹夜を覚悟したものです。 ですが、その友人によれば、それは粗悪な日本酒だからということで、昨今はそんな日本酒ではない日本酒が多いとのこと。昨今といっても、この10年ぐらいなのでしょうか。完全に時間感覚が合いません。

日本酒の素養は全くありませんが、甘口、辛口、熱燗を味わいました。最後に熱燗が出たのは、翌日に向けて体調を整えるためとのこと。暖かいお酒はアルコールの分解をたすけ、翌日に備えるためなのだとか。(天邪鬼なわたしは、酒飲みにとっての福音と思いました)
なんだか人生の楽しみを覚えてしまったような。

さて、 今日は、週末に向けてショルティの《ばらの騎士》を。第一幕を聴いています。最後のマルシャリンのモノローグの部分?意外にも濃くて甘い味わいです。ショルティらしい。もっとすっきりした辛口の味わいと思いました。

R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」
ショルティ(サー・ゲオルク) ユングヴィルト(マンフレート) クレスパン(レジーヌ) ミントン(イヴォンヌ) パヴァロッティ(ルチアーノ) ヴィーナー(オットー) ドナート(ヘレン) ディッキー(マレー) デルモータ(アントン) ラクナー(ヘルベルト)
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そうか。齢を重ねるというのは、ねっとりとした甘い味わいにも似たものなのか、などと思います。酸いも辛いも越えた甘さのようなもの。飲み干せば、その先には甘い酩酊と倦怠という魅惑と倦怠が待っている。が故に、さらにそれを越えなければならないということ。

マルシャリンのモノローグは、そうした、時間と齢の超越がありますので、これでいいのかなあ、などと。 新国立劇場の第一幕の最終部分、降りしきる雨が窓をつたい、そこで元帥夫人がタバコを吸うという、シーンが有ります。あの身を切られるような倦怠と諦念こそが、人生の行き着くところではないかともおもいますが、そこまで行くのはまだまだ先なのかなあ、とも。まだまだそこにいくには小童すぎます。

先日、ラジオを聴いていたら林真理子さんがゲストでして、「咲いてこそ花!」という言葉をおっしゃってましたが、花が咲いて甘い匂いをだして、その先の倦怠、というのが人生なのかも。 なにはともあれ、明日には現実に戻らないと。

ではみなさま、ゆっくりお休みください。グーテナハトです。

Ludwig van Beethoven

最後に追加した項目-275
今日は仕事帰りに紀尾井ホールで、ピンカス・ズーカーマンを聴いてきました。

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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第一番と第五番「春」、それから奥さんのアマンダ・フォーサイスを加えてのピアノ三重奏曲「大公」の3曲です。

ズーカーマン。音には甘みというよりも鋭さのようなものがあるのですが、そうでありながら水がしたたるような潤いがある音でした。

急に行くことになったので、特にヴァイオリン・ソナタ第一番の予習がいまいちだったんですが、それでもやはりソナタ形式や、ロンド形式だったりしますので、楽曲の構成がよくわかります。だいたいの全体観をつかみながら、ああ、こうくるか、みたいな頭の体操を楽しんだかんじでした。

音楽というのは、演奏するには訓練とか才能とかが必要で、私はどうやらそうした才能にはあまり恵まれていないのではないか、と思うこともしばしばですが、聴くことに関してはずいぶん訓練してきたなあ、と思います。ただ、楽譜の裏付けがないので、そこが永遠の課題です。

それにしても、「春」とか美しいですよね。あれ、下手でもいいから弾いてみたいと思いました。バルトークの教え「下手でもいいから楽器をやれ」(?)を最近忘れているので、そろそろ初めないとなあ、と思いました。

ちなみに、紀尾井ホール界隈ですが、20年ほど前の記憶があって、その頃と比べると、街路樹が鬱蒼と生い茂っていて驚きました。なんだか森のなかに道があるようでした。すごくいい雰囲気です。

最後に追加した項目-264

それでは、みなさまおやすみなさい。

2014/2015シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera


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久々の新国立劇場でした。今回の《椿姫》は新しい演出でした。これまでのオーソッドックスな演出から、時代を意識しながらも新しい要素を取り入れた演出でした。

演出について印象にのこっていることをいくつかかいてみます。

舞台

舞台には、左側の袖から舞台中央に向かって巨大な鏡面の壁となっており、右側の袖から中央に向けて、舞台背景が描かれた壁面が設えられていました。ですので、舞台はV字型になっているような状況です。

鏡がありますので、奥行きがあるようにおもえます。合唱が入ってくる場面だと、実際の人数よりも多く見えますし、照明の反射光がさまざまな模様を壁に投げかけていて、たとえば合唱が歌っているシーンでは、壁に合唱の方々の影がうつりこんで、幻想的な雰囲気を醸し出していたように思います。

第二幕の背景

特に、第二幕では、パラソルが虚空に浮かんでいて、壁の模様は鳥が列になって飛んでいるシーンが描かれていたところは幻想的でした。列に鳴って飛ぶ鳥は、まるで乱視でみたかのように、ダブって見えるような描かれ方がされていて、それがなにか立体感を持つように見えたのもなかなか興味深いものでした。

グランドピアノ、衣装

全ての幕において、茶色い古いグランドピアノが使われていて、あるときはテーブルであり、あるときはヴィオレッタが横たわるベッドだったり、と活躍していました。

衣装はオーソドクスな19世紀風なものでした。女性の衣装はずいぶんと美しく、特に第二幕第二場のフローラの衣装は、レース編みのような細かい花の飾りが美しく、ないかアール・ヌーヴォー風でもあり、アートアンドクラフト的でもあり、という風に思いました。

幕?膜?

それからもっとも効果的だったのは、膜というか幕というか、薄地のカーテンが第一幕の冒頭と、ヴィオレッタ病床の場面で使われていたことです。

特に病床の場面では、ヴィオレッタの横たわるピアノと、アルフレードやジェルモンの間に、天井から垂れ下がる薄地のカーテンがあって、手を触れたり、手を握ろうとしても、その薄地のカーテン越しになってしまうわけです。

すでに、ヴィオレッタとアルフレード達の間にはなにかしらの壁がある、ということを示しているもので、その壁というのが、たとえば、ヴィオレッタの朦朧とした意識が創り出すもの、ということも言えるでしょうし、ヴィオレッタが臨死体験に際して現実と乖離している、ともとれますし、あるいは死を前にしたヴィオレッタの人間性と、世間一般の人間性の壁、というようにもとれるわけで、なかなか興味深い仕掛けだったと思います。

自由の女神

第三幕の最後のシーン、舞台と客席の間には、巨大な円形の穴があいた壁があって、上部だけ劇場の赤いカーテンのような絵が描かれています。第三幕の演技は円形の穴ごしに見えるようになっています。

ヴィオレッタの最期のシーンで、一瞬、病気が回復したかのような錯覚を覚えてから、息を引き取るシーンで、ヴィオレッタは円形の枠を乗り越えて客席側に来て、赤い布地を右手に掲げて立ったまま幕切れ、となります。

このポーズが、私には自由の女神のようにみえて、ああ、ヴィオレッタは死んでやっと自由になったのか、などと思いました。

枠を乗り越えて客席側に来るというのも、なにか死に際して三途の川のような境界をこえた、とも思えますし、あるいは当時の抑圧された状況から、比較的自由になった現代へヴィオレッタが到達した、というふうにもとれ、いわゆる「第四の壁」のようなものを意識させる演出だったように思います。

おわりに

写真なく書くのはなかなか難しいです。ご覧になった方にはわかっていただけるのかもしれませんのであえて書いてみます。

オペラの楽しみのひとつは、現代においては演出家の意図をあれやこれやと想像することにあると思います。これまでもいろいろと妄想しましたが、今回もずいぶんと頭の体操になりました。

それでは取り急ぎグーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

Photo

はじめに

先日撮った初夏の光に映える広葉樹。残念ですが、木の名前を判定する能力はありません。

とはいえ、むかしからこういう樹の枝が空へと伸びる姿を観るのが大好きでした。そればっかり撮る写真家になれればいいなあ、と思ったのを覚えています。ちょうど13年ほど前のこと。通勤電車の車窓から、河川敷に一本だけの広葉樹の姿をみた時にそう思ったのでした。

そうか。

今日、写真を撮りながら、あれ、写真撮ってる意味がよくわからん、と思っていたのでした。何を撮るべきなのかわからないまま写真撮っても意味ないよね、などと。

鉄道写真、航空写真、人間の写真、風景写真、スナップ写真など、写真のジャンルは数多あるんですが、どうもしっくり来なくて。

風景写真ともなると、なにか手遊びの感覚もあり、時間もない中で撮ることなんてできないわけでして。

まあ、写真を撮るのは本当の「趣味」なのでのんびりやりましょう、という感じにしておきます。

今日の一枚

さて、今日はこちら。フォーレのヴァイオリン・ソナタ第2番です。

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最初に感じるこの晦渋さ。本当に素晴らしいです。なにかヤナーチェクを思い出してしまったのは気のせいでしょうか。しかし、まだ理解が足らず、もう少し聴きたい気分。

今日は樫本大進氏の演奏出来きましたが、次は違う方のヴァイオリンで聴いてみようかと思います。

これは、まだまだ聴き続けないといけないなあ。。

ちなみのこの曲は、1916年から1917年にかけて作曲されています。

ワーグナーはもちろん、マーラーも天に召されています。シュトラウスは、《ナクソス島のアリアドネ》や《影のない女》を作曲しているころです。なんと、ベルクは《ヴォツェック》をこの頃作曲しています。

そうした時代のなかにあっても納得の行く楽曲です。

ウィキペディアの記事にによれば、イザイのために作られた楽曲でもあるようですが、どうもイザイには理解されなかったようです。
(そうなると、イザイのあの「晦渋」なヴァイオリン曲との関連も気になりますが。。)

楽曲としては、ベルギーのエリーザベト王妃に献呈されていますが、この方、スゴイ方なんですね。戦時中にユダヤ人を救ったり、戦後は共産圏を訪問したり、広島にあるイエズス会系の音楽大学であるエリザベト音楽大学の後援者でもあります。

では、みなさまも残り少ないGWの夜をご満喫ください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

Photo

夏草が生い茂る午後。夏ですね。近所を散歩している時に撮りました。なにか、こういう草を見るのも久々な感じです。むかしはこうした草むらで野球をしたりドッチボールをしたりしていたものです。疲れたら草むらに倒れこみ、草を噛んだり。バッタやカマキリもたくさんいて、カマキリを捕まえた時の嬉しさといったら、という時代でしたね。

今日も午後を中心に頑張ってたくさん動きました。

2015/05/03のアクティビティ2

2015/05/03のアクティビティ

今日もフォーレ三昧。

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ピアノ五重奏曲は咀嚼が難しいです。もちろん、空気感のようなものはあるのですけれど。

昔よく聴いた議論で、博物館に収められている仏像と、寺院に祀られている仏像の違いという話しを思い出しました。

仏像というものは、お香の焚かれた薄暗い堂内で、蝋燭と輝く仏具の光にうっすら照らされているほうが、なにか神々しさとか重みとかを感じるのですが、ガラスケースに収められ、スポットライトが当てられた仏像というものはなにか場違いな、決まりの悪さを感じます。

フォーレをいまここで聞くということはそういうことだったりするのではないか、なんてことを思いました。

そうそう。なぜか上野にフェルメールやクロード・ロランがあったりするんですが、あの時に感じる驚きと居心地のわるさというものも、そういうものだったりするのかもなあ、などと思います。

あるべき空気感というものがあるのかもなあ、と。

そういう意味では、この慌ただしい毎日の中でフォーレを聞くことの難しさのようなことを思ったり。もう少し環境とか気持ちを整えたいなあ、という気分もあった今日1日でした。

でも明日は、静謐な1日のはず。それを楽しみに。

それではグーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

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写真は先日行った公園で撮った写真。40年前よりもはるかに大きくなったキンモクセイです。

今日は連休1日目です。なにげに早起きをして、まずは仕事に関して頭の整理。随分スッキリしました。随分とプロジェクトを抱えているなあ、という感じですが、まずは敵を知らないと。ですが、まだ整理が不十分なので明日も早起きをして整理することにします。

その後は、フォーレ三昧。というよりフォーレのピアノ五重奏曲第1番三昧でした。

リンクは、ウィキペディアに貼ってありますが、素晴らしい記述です。

1903年から1906年が作曲年となっています。ですが、1890年から1894年にかけても作曲を試みていたようです。ですので、45歳から61歳にかけて、作曲されたものとなりそうです。

ということで、クロニクルを差し替えます。

フォーレ室内楽変遷v1.02

1890年はマーラーは《復活》を書いていたころ。リヒャルト・シュトラウスは《マクベス》や《死と変容》を。ドビュッシーが《ベルガマスク組曲》を書いています。

一方初演は1906年にブリュッセルにて。マーラーは1906年に交響曲第8番を初演しています。そして、シュトラウスの《サロメ》、ドビュッシーの《海》は前年1905年です。

この曲、この数日何度も聞いていますが、印象的なのが第2楽章の後半部ですかね、弦が、徐々に高揚していく下でピアノが幾何文様のようなフレーズを描き続ける部分です。あそこは、5人の奏者でもって最大限のダイナミズムを発揮するところです。溢れ出る情感がなにを描いていたのか。

今回はCDを2バージョンほど聞いています。1枚目はこちら。ユボーとヴィア・ノヴァ四重奏団のもの。こちらは全体にダイナミックな演奏。

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もう1枚はこちら。ジャン・フィリップ・コラールとパレナン四重奏団。緊密な演奏。

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聴けば聴くほど味わいが深くなります。これはいい聴き方なのか悪い聴き方なのか。これが複製芸術の聴き方なんでしょうね。

それではお休みなさい。グーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

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太陽に輝く新緑。こういうのを、つかの間の幸福というのでしょうね。大地が緑と青に満たされていて良かったです。

しばらく続けようと思うフォーレの室内楽曲を聴くシリーズ。そういえば、昨日の太陽は南仏のそれのように乾いていました。えーっと、南仏には行ったことがありません。想像です。

Piano Quartets
Piano Quartets

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G. Faure
Chandos (2010-02-23)

この曲には、なにか懐かしさを感じます。

それは何かというと、20年ほど前にブラームスやシューマンの室内楽ばかり聴いていた頃のことです。あのころは、電車の中ではCDウォークマンを使って室内楽ばかり聞いていました。というのも、オケの曲はダイナミックレンジが大きすぎて、当時のヘッドホンやイヤフォンでは聞けなかったのです。

今日の課題は、二つのピアノ四重奏ですが、いずれも、シューマンやブラームスの色合いを残しながらも、なにか、たゆたう柔らかいものがあるのです。

これが、「フォーレ的語法」なんでしょう。それは「調整と旋法とが両方一緒に並んでいる表現形式」なのだそうです。

そういえば、思い出しました。20年前に、フォーレの室内楽を聞こうとした時に聞いた言葉。

「フォーレは若者にはわからない」

出典不明。私の記憶の中にずっとあった言葉です。いよいよ、私もフォーレという庭園の中に足を踏み入れる許可を得たのではないか、とおもったり。

あすは昭和の日でお休み。今日は鼻血が出るまで働きました。あすはゆっくり休めますように。

それではお休みなさい。グーテナハトです。