European Literature,Opera,Richard Wagner

この本、25年前に読むべき本でした。全く、若き私は怠惰な人間でございました。でも、この本はヴァーグナーの楽曲に触れていないと理解できないのも確か。若き貧乏な日々に、オペラのCDなんて買うことは能わず、ましてやオペラに行くなんてことは難しいことでしたので仕方がないというところでしょうか。まあ、今もお金持ちではありませんけれど。

はじめに

トーマス・マンは、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」と題された講演ををミュンヘンで行ったのが1933年2月10日のこと。その後、マンはアムステルダム、ブリュッセル、パリを回ったのですが、その間、ドイツにおいてはナチスが全権を掌握してしまい、マンはドイツに帰ることができなくなるという時代背景があります。

ナチスがワーグナーの音楽を利用したという事実は消えることのないことですが、マンが必死にヴァーグナーとナチズムの相違点を整理しようという意図が見えた講演録でした。

心惹かれる文章。

このたぐいの本の書評を書くのはきわめて難しいのですが、私の方法論は引用をつなげていくという者になってしまいます。まだ書評能力が低いのです。まあ、それはそうとして、気になったところを。

劇場の聴衆の只中で味った深い孤独な幸福のあの幾時間、神経と知性とのおののきと喜びとに充ち満ちた幾時間、この芸術のみが与えうる感動的で偉大な意義を窺い知ったあの幾時間かを、私は決して忘れることができません。

29ページ

これは、激しく同意します。あの孤独とも一体感とも言えぬ劇場独特の儀式的パフォーマンスを秀逸に表した一文です。

ヴァーグナーが芸術を一つの聖なる秘薬と考え、社会の障害を癒す万能薬と見なした(中略)。ヴァーグナーにとっては、芸術が持つ浄化し聖化する働きは堕落した社会に対する浄化手段、聖化手段として見なされるものでした。美的聖別という手段によって社会を贅沢から、金力の支配から、愛の欠如した状態から解放しようと望みました。

13ページ

うまくいっているかどうかはともかく、リングの最終幕ヴァーグナーが意図していたことをマンが咀嚼してくれた感じです。でも、そこまで単純化できるかどうかはわからないです。というのも、こうした社会正義、革命的な思想を、若き日のヴァーグナーは持っていたのですが、一方で、借金を重ね奢侈な生活を楽しみ、バイロイトという「ヴァルハラ」を築くという、おおよそ庶民とはかけ離れた行動をしているのですから。

全体感

全体を読んで思ったところ。

ヴァーグナーというのは単なる音楽家であったわけではないということ。詩人でもあり音楽人でもあった故に、楽劇が誕生したのだという事実。両者に秀でていたということが重要。逆に言うと、両方から圧迫を受けていたわけでそれがヴァーグナーの苦しみでもあった、という論調でした。

ヴァーグナーは若き日に革命運動に身を投じますが、あれは、社会を改正するといった動機よりもむしろ、自分の音楽をきちんと発表できる場にしようとするという動機の方が強かったのではないか、という指摘がありました。もっとも、ワーグナーは芸術が人間を救済する手段であると考えていましたので、終着点は同じなのかもしれませんけれど。このあたりは、シュトラウスがナチスに協力した経緯とも少し似ている感じがしました。

ワーグナーをロマン主義者として定義付けするところがあるのですが、ここが実に面白い定義付けをしています。また引用しちゃいますと、

性的オペラの中で芸術と宗教とを結び会わせ、芸術家のこのような神聖なる非神聖さをルルドの洞窟の奇跡劇としてヨーロッパの真ん中で舞台に載せ、退廃した末世がみだらに信仰を熱望するその心をに向けて開示してみせるという能力

99ページ

これ、この前「パルジファル」を聴いたときに引き裂かれるように感じたことと一致するんです。聖化と性化の二律背反(と捉えるのも間違いかもしれませんが)があまりに不思議で不協和音に思える。それが最後に解決するのがブリュンヒルデの自己犠牲であり、パルジファルによるアムフォルタスへの癒しとクンドリの救済というところでしょうか。

ここでいう「性化」とは、一種のセクシャルなものを含むのは事実ですが、それ以上に、いわゆる「愛」と捉えるべきだとも思いました。そういった言説をヴァーグナーがしているということもこの講演の中で述べられていました。

この本は、二回ほど読みましたが、まあ、いろいろと前提知識が必要だったり歴史的背景の理解が必要だったりということで難儀なものでした。折に触れてちびりちびりと、ブランデーを飲むように読むと良い本でしょう。お勧めです。

Opera,Richard Strauss

第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。

で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています

2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。

https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php

でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。

ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。

「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。

R.シュトラウス:4つの最後の歌
シュテンメ(ニーナ) シーゲル(ゲルハルト) ホワイト(ジェレミー) グロドニカイテ(リオラ)
EMIミュージック・ジャパン (2007-08-08)
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おすすめ度の平均: 5.0

5 新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね

ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ(全曲)(DVD付)
ドミンゴ(プラシド) シュテンメ(ニーナ) 藤村実穂子 パーベ(ルネ) ベーア(オラフ) コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
EMIミュージック・ジャパン (2005-10-26)
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そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。

シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。

公式ホームページはこちら

レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。

逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。

それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。

あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。

今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。

Richard Wagner

あの(私の中では)伝説の、シュナイダー&テオリンの黄金の「トリスタンとイゾルデ」のDVD、ブルーレイが発売となりました。うむむ、欲しいぞ。というか、ごらんになっていない方は是非是非。演出には賛否両論あるんだろうけれど、テオリン様の声や演技、表情を見れば、恍惚状態に陥ることは間違いありません。シュナイダーの指揮も絶妙だし。っつうか、私これ買います。はたらきますよ、テオリン様のためなら。

当時の記事を。

続 バイロイトの「トリスタンとイゾルデ」を

バイロイト音楽祭/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第一幕

バイロイト音楽祭/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第二幕&第三幕

どんどんテオリン様にはまっていくのがわかって面白いです。また聴きたいなあ、テオリン様。

※ で、その後、くだんのDVDは注文いたしました。すまぬ、財務大臣。

Book,Richard Wagner


また桜。そろそろ散り始めているかしら。。。
ワーグナー関連本を二冊を読み終わりました。いずれも新書です。マンの著作を読む前に参考になるかな、と思い手に取った次第。こっちを先に読み終えてしまいました。

はじめての『指環』―ワーグナー『ニーベルングの指環』聴破への早道 (オン・ブックス21)
山本 一太 / 音楽之友社 (2005-10-01)
本・雑誌
堀内 修 / 講談社 (1990-12)

堀内修さんは、今年(2010年)のNHKニューイヤーオペラコンサートのロビーでお姿をお見かけしました。この本は、ワーグナーを巡る情勢がよく整理されていて大変お勧めです。特に歌手の分類記載がよかった。ヘルデン・テノールとかドラマティック・ソプラノなど、歌手の特性とそれぞれの役柄について記載がなされています。たとえば、ヘルデン・テノールはジークフリートやジークムントを歌いますが、シュピール・テノールはミーメを歌う、などなど。これは別記事で取り上げる予定。大変勉強になりました。私、オペラを見始めてもう8年になりますが基本的な勉強はしておりませんゆえ、いまさらながらでお恥ずかしいのですけれど。
山本一太さんの「はじめての<<リング>>」は、リングを一通り見聞きしている方にとっては少し物足りないかもしれませんが、逆に言うと、これから聴かれる方には必読だと思われます。私の場合、里中真智子さんのマンガであらすじをつかむという邪道な道を歩きましたけれど。すでにリングを聴き通しておられる方にとって興味深いと思われるのは、第五章「<<指環>>こだわり篇」ではないでしょうか。
ちなみに、マンガはこちら。

ニーベルングの指環〈上〉序夜・ラインの黄金、第一夜・ワルキューレ (中公文庫―マンガ名作オペラ)
里中 満智子
中央公論新社
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おすすめ度の平均: 5.0

5 文句なしの5つ星
5 いい本です

ここでは、一つわからなかったことのヒントを見つけることができました。つまり、どうしてジークフリートはブリュンヒルデと分かれて、旅立たなければならなかったのか。別に、二人で引きこもっててもいいんじゃない? みたいな。でも、まあ外界と触れないと生きていけませんので、特に資本主義社会においてはなおさら。それで、この本によれば、英雄たる者、各地の王から貢ぎ物を取り立てなければならないのであるから、ジークフリートは、取り立て屋のごとく、各地の有力者を回って朝貢品を求めていたとは。なるほど。

Opera,Richard Wagner


ちと、桜の写真をば。これも先週末に撮りに行ったときのもの。日曜日以降、天気が悪くなりましたので、今年最後のチャンスだったというわけです。
さて、パルジファル。妄念炸裂中なのですが、先だっての「ジークフリート」、「神々の黄昏」の妄想なんて、ワーグナーが亡くなって100年以上も経っている中ですでに論じられていたことではありますが、まあ、パフォーマンスに接することで独力で理解できた部分を再構成しているということで、お許しください。学術論文を書いているわけでもありませんので。ワーグナーのことなんて、もうありとあらゆる説が出回っているでしょうから、何を言っても先人の遺業をなぞるに過ぎない。でも、なぞりたくなってしまう。そういう感じです。
しかし、「パルジファル」は不思議なオペラであります。まあ、真正のオペラではなく舞台神聖祝典劇と称されるだけあって、なぞだらけ。そうしたわからないことは以下のようなもの。
なぜ、クンドリはすべて知っているのか? クンドリは、まるで、ブリュンヒルデがジークフリートの出自を語るかのごとく、パルジファルの出自の秘密を語ってみせるのですが、なぜクンドリはそうした知識を持っているというのでしょう? あまりに謎すぎる。クンドリは、昨日も触れたように、イエス受難を見ているんですよね。時間と空間を超える能力を持っていなければ、そうできないはず。難しい。
あとは、クリングゾルのこと。これも、やっぱりミーメと我々の関係に似ていて、クリングゾルのほうが現代の人間的である。聖杯守護の騎士になろうとしたのだが、ティトゥレルに拒まれたが故に、その仕返しに、色仕掛けで騎士達を堕落させるとは。これって大衆操作と一緒だなあ。我々はパルジファルよりもこざかしいが故に、大衆操作の対象となっているとは。リングもそうですが、じつは悪役の方が自分たちに近いと思ってしまうのはなぜなのか。
あともう一つ。クリングゾルはなぜ自ら去勢したのか。去勢したが故にクンドリの魅力に落ちることなくそれを利用することができるとは何を表しているのか。
先にも書いたようにこのオペラは性的メタファーに満ちあふれていて、それでいながら聖なるものを扱っているので、整理するのが大変です。素人の手には負えない。でもあきらめたくない。 頑張ろう。


これ、会場で売っていたリブレットなんですが、凄く秀逸。四段組になっていて、左から、音楽的考察→原文→邦訳→解釈 という構造。すばらしい。2500円じゃ安いぐらいです。

Opera,Richard Wagner



さて、昨日の「パルジファル」、先日の「神々の黄昏」と同じく、あまりにも強い雷撃を受けてしまいました。今朝は起き上がれず、いつもなら始業80分前には会社にいるんですが、今日は20分前にようやく到着。さすがに心身ともに大ショックだったらしいです。
私が泣いたところ。

私が泣いた1カ所目

一カ所目は、第二幕、パルジファルが「アムフォルタス!」と絶叫するところ以降。あそこのパルジファルの叫びが一つの頂点で、その後のクンドリの「笑った」の絶叫ももう一つの頂点。
クンドリが「あの人」というのはイエスのことで、彼を見て泣くのではなく笑ったのだという。「笑った!」、って、あの「ジークフリート」の最終幕の「笑って死を!」を思い出すじゃないか。「笑い」って、哲学的には非常に難しくて私は理解しておりません。古くはアリストテレスに「笑い」に関する著述があったのでは、というミステリになったのが「薔薇の名前」でした。ニーチェやらベルグソンやら。ただ、この「笑う」という言葉にはグサリと胸を貫かれましたですよ。しかもあの絶叫ともいえる強烈なフォルテで。
クンドリがイエスの受難を見た、という事実も私の胸にぐさりと来ました。何百年もクンドリは呪われ傷つき苦しんでいたのだということ。死ぬこともなく生きることもなく。ああ、なんということか。救いが死とは。

私が泣いた2カ所目

二カ所目は、第三幕でパルジファルが来歴を語るところ。なんというか、人間の根源的な罪状を突きつけられている気がしてきて、完全に感情移入しちまいました。苦労して遍歴し彷徨し、聖槍を使うことなく、聖金曜日に聖杯の元にたどり着くという労苦。まあ、私の苦労なんてどうということもないんですが、なんだか辛い十年間を過ごしていて、まあ、まだ状況は変わらないのですが、なんだかまだ希望があるかのように思ってしまいまして、ボロボロと涙が頬を伝って言ったというわけ。
私の同世代以上の方々は、みんなして涙腺が緩んでくるとおっしゃいますけれど、私もしかり、です。前に「涙が出ないと、入場料の元をとった気がしません」と書いた覚えがあるのですが、今回の「パルジファル」は、そう言う意味では元を取りまくりました。

Opera,Richard Wagner

今日は復活祭。
小学生低学年の時分は、リンドグレーンの「やかまし村」シリーズにのめり込んでいました。親からは早く寝なさい、と叱られていたのですが、豆電球をつけて布団の中でこっそり読んでました。昔から本は大好きということのようです。
で、「やかまし村」シリーズに、復活祭の描写があるんです。イースターエッグを探す場面でした。小学校の時分は全く何のことかよく分からなかった。
当時は、伝記もたくさん読んでいて、シュバイツァーとか、ニュートンとか、まあ、よんでるわけで、それに加えて「ロビンソン・クルーソー」なんかも読んだりすると、自ずとキリスト教文化に触れることになります。で、どうも復活祭というのはキリストと関係するらしい、という風に思って、親に「キリストの伝記を買って」とお願いしたら、拒絶されました。まあ、うちは葬式仏教ですので、抹香臭いのがいやだったんでしょうね。
とはいえ、復活祭の定義とは以下のようなものらしい。
# 春分の日を過ぎている
# 春分の日の直後の満月を過ぎている
# その直後の金曜日が聖金曜日で受難の日
# その直後の日曜日が復活祭
というふうに、購入した大変秀逸なブックレットには書いてありました。ウィキにはそこまで厳格には書いていないのですが。で、先日、撮った満月の写真、あれ、偶然撮ったんですが、今日を暗示していたように思えてくる。

というわけで、本日はパルジファルに行って参りましたですよ。写真は明日。
先日の「神々の黄昏」以来、ワーグナー漬けな毎日ですが、もうしばらくそれは続きそう。詳しい話は明日から少しずつ書いていきますけれど、ソリストの方にはみんなブラービと言いたい。つうか、今日の主な出演者の方のお名前を。
* 指揮:ウルフ・シルマー
* パルジファル:ブルクハルト・フリッツ
* クンドリ:ミヒャエラ・シュスター
* アムフォルタス:フランツ・グルントヘーバー
* グルネマンツ:ペーター・ローズ
* クリングソル:シム・インスン

クンドリ

ブラーヴァはやっぱり、クンドリのミヒャエラ・シュスター。あの圧倒的な第二幕のダイアローグは涙が止まらない。強力無比なワーグナーソプラノ。ジークリンデがレパートリーと書いてあるけれど、どちらかと言えばブリュンヒルデだと思います。

パルジファル

それから、もちろんパルジファルのブルクハルト・フリッツも。クンドリと接吻した直後に「アムフォルタス!」と絶叫するんですが、あそこ以降で、もう涙涙。私、今日は前から四列目だったんですが、シュスターもフリッツも私の涙が見えていたと思う。客席の照明はあまり落とされていませんでしたので。

アムフォルタス

アムフォルタスのグルントヘーバーは、なんだか疲れ死を望んでいるのですから。でも、ここぞというところのパワーはすごいものがあった。苦悩をうまく表現しておられるのですよ。それがですね、蝶ネクタイを外したりつけたりしていることで表している。第一幕の冒頭部ではネクタイを着けていない。なぜなら水浴するから。その後の聖餐の場面では蝶ネクタイを着けている。第三幕では、疲れ切っているのでネクタイを着けていない。うーむ。考えられている。

グルネマンツ

グルネマンツのペーター・ローズ氏は、2007年の私の中ではすでに伝説となっているペーター・シュナイダーの「ばらの騎士」でオックスをやっている。そのときより少し太った感じ。でも、圧倒的な存在感でした。もちろんクルト・モルとまでは行かないですが、完全に掌握している。歌手の中でスコア(総譜)を見ていたのは彼だけ。ほかの方はパート譜を見ておられました。

ウルフ・シルマー

以前も触れたように、シルマーの指揮には結構触れています。
“https://museum.projectmnh.com/2010/04/02221204.php":https://museum.projectmnh.com/2010/04/02221204.php
ですが、指揮をする姿を見るのは初めてでした。なぜなら、すべて、彼はピットに入っていたから。私の席、前から数列目で、ちょうど指揮台の真後ろというなぜかすばらしい席だったんです。シルマーの動き、すごいっすよ。鋭角でエッジの効いたタクトで、Twitterにも書きましたが、あれはもう阿修羅です。きっとマーラーの指揮ってこんな感じだったんじゃないかな、と。あのマーラーの有名なカリカチュアを思い起こしました。
もちろん、演奏自体も優れていました。思ったよりテンポは動かさなかったけれど、ゲネラル・パウゼの緊張感はすごかったし、デユナミークもすばらしかった。何はともあれ、気合いとパワーがすごい。あれ、絶対ジム通っているはず。そうじゃないとあの動きを5時間近く保てないはず。

N響

シルマー氏とN響の組み合わせも今回の楽しみの一つ。いやあ、これが実にいいんですよ。NHKホールの、なんだか散漫な響きとは違って、弦楽器の分厚さとか豊かさが十全に発揮されていました。私の席からは木管や金管は見えなかったんですが、某オケの不揃いなんていう事故はあまりなかったと思います。ロスフィルの映像を見た直後だったんですが、がんばれ追いつけるかも、と思いました。
というわけで、ざっくり感想をば。明日からは私の妄念を考えていきます。

Opera,Richard Wagner

まずは、嬉しい出来事! ぎゃー、あのあこがれの、テレビでおなじみの音楽学の某先生にお会いしました。レストランで食事をしていたら、たまたま入ってこられたのです。カミさんが、「挨拶しておいでよ!」って、「そそのかす」もんですから、意を決して話しかけてみました。いつもテレビで拝見しています。これからも楽しみにしています、とご挨拶。気さくな先生で、本当にびっくりでした。僕たちの方が先にレストランを出たんですが、出口で振り返って会釈したら、先生も僕たちに会釈してくださったんです。嬉しい。凄く気持ちの良い先生です。今度、街ですれ違ったら挨拶できるかなあ。とても良い思い出ができました。また会えると良いなあ。
でもですね、今朝は強風で電車が遅れまくって大変でした。私なんて、6時15分に家を出たというのに、会社に着いたのは8時55分でした。いつもなら7時40分には到着するというのに。2時間ほど立ちづくめで大変でした。まあ、それでも気合いで乗り切りました。まだまだ若いモンには負けませぬ。
皆様の「神々の黄昏」のブログ記事を拝読していて、ちょっとハイティンク盤の「神々の黄昏」最終部分を浮気して聞いていたら、思い出してうるうるしちまった。うーん、リングの世界は奥深い。ワーグナーの世界も奥深い。それにてしても、「 “さまよえるクラヲタ人":http://wanderer.way-nifty.com/poet/ 」さんのブログは秀逸です。私はここまで覚えていない。すごいです。永久保存版。
さて、パルジファルの予習はなかなか進まない。私の場合、予習に関していえば、まずは音楽を覚えることから始めるんですが、どうもまだ第一幕しか覚えられてない感じです。なので、第三幕から何度も聞いている状態。
以前、書いた記憶もあるのですが、私のオペラの聴き方、をまとめてみると。
# まずは、音源を入手。
# おおまかなあらすじを把握。
# 音楽を覚えるために、ひたすら聴きぬく。
# 余力あれば、複数の指揮者バージョンで聴いてみる。
# 時間があれば、リブレットを読みながら音源を聴く。
# あらすじ理解のため、人物相関図を作る。
# 実演で、音楽と演出とリブレットの融合を楽しむ。
# 実演後は演奏や演出についての感想や妄想をブログに書いて記録する。
こんな感じです。
しかし、「パルジファル」におけるグルネマンツの圧倒的な存在感には感嘆するばかりです。狂言回しという感じではないです。狂言回しというと、「オテロ」のイアーゴとか、「ラインの黄金」のローゲなんかを思い出すのですが、グルネマンツはオペラの存立を支える強靭な土台でしょう。
で、私の聴いているカラヤン盤のグルネマンツはクルト・モル。レヴァイン盤もやっぱりクルト・モル。私は本当にクルト・モル御大が大好きでたまりません。クルト・モル御大の初体験は、もちろんクライバーの「ばらの騎士」オックスです。で、カラヤン盤でも歌っておられて、もう完全にデフォルト化している感じ。あとはクライバーの「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王も印象的。あとは、サヴァリッシュ盤DVDの「ヴァルキューレ」のフンディングのすばらしさ。グルネマンツという難しい役柄を咀嚼吸収し個性として発露しているところは本当にすばらしいです。
さて、明日も引き続き予習予定。頑張ります。

European Literature,Opera,Richard Wagner


こちらの写真は、2008年に訪れたヴァチカンのサンピエトロ大聖堂にある天才ベルニーニの手になる聖ロンギヌスの彫像。聖ロンギヌスは十字架にかけられたイエス・キリストの脇腹に槍をさしてとどめを刺した人物。キリストの血を浴びて、白内障が治ってしまい、後に列聖されるという人物。とはいえ、実在したかどうかはわからない。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%8C%E3%82%B9":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%8C%E3%82%B9
もちろん、この彫像の右手で持っているのが聖なる槍。すなわち聖槍。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%A7%8D":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%A7%8D
ということは、もちろんパルジファル。
パルジファルまであと三日。予習予習。
っつう感じで、この一週間はパルジファル漬けなんですが、東京春祭のこの以下の4つの記事が予習用として秀逸です。
“http://www.tokyo-harusai.com/news/news_443.html":http://www.tokyo-harusai.com/news/news_443.html
“http://www.tokyo-harusai.com/news/news_449.html":http://www.tokyo-harusai.com/news/news_449.html
“http://www.tokyo-harusai.com/news/news_459.html":http://www.tokyo-harusai.com/news/news_459.html
“http://www.tokyo-harusai.com/news/news_520.html":http://www.tokyo-harusai.com/news/news_520.html
リブレット読んだり、カラヤン盤の解説を読んだりしているんですが、実に興味深い。演奏会形式で見るのはもったいない。演出付きで見てみたい、という思いが強いです。
たとえば、「ダ・ヴィンチ・コード」をお読みになれば、聖杯と聖槍がなんのメタファーなのか、というのはおのずとわかりますし、そうすると、リングにおけるノートゥンクのメタファーとの関連性も見て取れる。
第二幕でクンドリがパルジファルを誘惑する場面は、「ジークフリート」のブリュンヒルデ覚醒の場面のミラーリングにも思えてなりません。クンドリは「私の接吻があなたに叡智をもたらしたのでしょうか?」とか「あなたに神性をもたらすでしょう」という。ブリュンヒルデもやっぱりジークフリートに知識を授けているし、ブリュンヒルデの神性は逆にジークフリート誕生に寄与したために失われていますし。
それから前述のリンク先に指摘されていたんですが、この物語には、キリストその人についての叙述がなく、典礼の言葉もないという不思議さ。おそらくは、ワーグナー自身がそれにあたるものとしているんじゃないか、と。
トーマス・マンの「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」を読んでいるところなんですが(これもめっぽう面白くて、何で今まで読んでいなかったんだ、という自己批判)、その中で愛情についての考察がいろいろ書かれていて、めちゃくちゃ興味深いんです。で、どうも、この愛と美というものが複雑に織り込まれている、あるいは織り込もうとしているのがヴァーグナーなのである、という直観に支配されています。
それと、ナチズムとの関連とか、ドイツ的なものとの関連とか考え出すと、身震いするぐらい面白い。この世界を20年前に知っていれば人生変わっていたと思います。
ちなみに、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」の後半に書かれている「リヒャルト・ヴァーグナーの『ニーベルングの指輪』」の結語が、ゲーテの「ファウスト」第二部の最後の一節なのです。
「永遠の女性なるものがわれらを高みに導く」
これ、もうご存知のとおり、マーラーの交響曲第八番の最後ですよね。もう、なんだか、頭の中が興味深い妄念で満ち溢れていて、仕方がありません。
明日からはマンに没入しつつ、パルジファルを聴く予定。マンの前述の本ではクンドリのことが分析されていたりして大変興味深いのです。

Opera,Richard Wagner

4月4日は、上野でパルジファルを聴きます。というわけで、最近はパルジファルの予習ばかり。カラヤン盤とレヴァイン盤が主です。この曲、まだ理解しきれているか、不安は大きい。なんともかんとも頑張らないと。
というわけで、人物相関図を作りましたが、物語は複雑ですので一枚の図表で表現するのは難しいです。けれども、私のようなパルジファル・ビギナーにとっては、作るという行為が有意義でした。

指揮をするウルフ・シルマー氏の指揮は、結構な頻度で聴いています。実演でいうと、
* バスティーユ:「影のない女」[1]
* 新国:「フィガロの結婚」
* 新国:「エレクトラ」
* 新国:「西部の娘」
映像では、
* パリオペラ座:「カプリッチョ」
 "https://museum.projectmnh.com/2010/03/19045206.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/19045206.php
* ブレゲンツ音楽祭:「ラ・ボエーム」
音源では
*ウィーン国立歌劇場:「カプリッチョ」
“https://museum.projectmnh.com/2009/11/24230223.php":https://museum.projectmnh.com/2009/11/24230223.php
シルマー氏の棒は、結構たくさん聴いていますね。今まとめてみても、ちょっとびっくり。いつも感動しています。
「パルジファル」情報や、氏の写真はこちらに載っていますね。
“http://www.hmv.co.jp/news/article/1002070002/":http://www.hmv.co.jp/news/article/1002070002/
シルマー氏の指揮は、あまり極度にテンポを動かさないのですが、メリハリをつけた意図を強く感じるものだと思います。N響と分厚い弦がどのように料理されるのか。本当に楽しみです。
fn1. ただ、何度も書いておりますが、バスティーユオペラでの「影のない女」は、仕事と飛行機疲れと時差ボケで意識を失っていたのですが……。勿体ないことです。