なんだか、久々のつれづれでご勘弁を。オペラトークの後半は、ちょっとお待ちください。いろいろ面白かったんですが。

これ、なんだか分かります?
カプリッチョの譜面なんです。この部分、右下のところに台詞が書かれていますが、ここは、伯爵とクレロンがソネットの詩を朗読し合うところです。
シュトラウスの譜面は本当に難しいです。本当はちゃんと譜面に起こして書きたいところですが、ちょっとだけさわりを。
なのであえて題名には「その1」と書いてあります。「その2」以降でもう少し考えていく予定です。
先だって書いた以下の記事にYoutubeの映像を埋め込んであります。フレミングが歌っているもの。泣けます。
“https://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php
最終幕で伯爵夫人マドレーヌが歌うソネットの部分ですが、譜面では四分の三拍子で書かれております。
で、この部分、聞いているだけじゃ、三拍子には聞こえないんです。
普通の拍節じゃないんですよね。四拍子でも三拍子でもない。おそらく、途中で何度も拍子を変えているんだろうなあ、と思って、譜面をみたら、単純に四分の三拍子だったというわけ。
でもですね、一つのソネットの歌詞が五小節に当てはまっている。なので、聴いている側とすると、五拍子的なフレージングに聞こえるというわけです。
もちろん、歌詞の内容と、三拍子という拍節は全くリンクしていません。なので、歌詞の意味と拍節の同期を取ろうとすると、拍子が変わっているように思えるんですね。
すごいですね、シュトラウス。半端なく難しい。
やっぱ、譜面みながら聴くと、いろいろと発見があって面白いです。著作権が切れた譜面はIMSLPというサイトでpdfで見ることができます。
“IMSLP":http://imslp.org/
「ばらの騎士」とか「サロメ」は、ダウンロードできるんですが、カプリッチョは日本からだとダウンロードできない。まあ、ブラウザの設定を変えたりプロキシを使えば何とかなるんでしょうけれど。
さて、わたくし事ですが、7年半にわたってお世話になったThinkpad X30の液晶バックライトがとうとう光らなくなりました。外部ディスプレイにつないで、USBキーボードつないで使ってますけれど。
長い間お疲れさんでした。
第二の人生はウェブサーバーかしら、と思っています。
カプリッチョの楽譜の驚き その1
「影のない女」研究 その3 オペラトーク(1)
連休あけて、すぐに土日に突入ですが、土曜日は会社で仕事するより忙しい感じ。午前は都心に出かけて所要を済ませ、地元にとって返してジムに行って、イギリス人としゃべって、帰宅して、夕食を作るというパターン。まあ充実しているんで苦ではないですけれど。
オペラトーク
新国立劇場5月の演目は、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「影のないの女」です。というわけで、ジムはお休みして行って参りました。
今日のオペラトークでは、一橋大学院教授の田辺秀樹さんのレクチャーと、カバー歌手の方々による聴き所の紹介がありました。これまでのオペラトークですと、指揮者と演出家の方がお話しされるのですが、今回はそういった趣向はなくて残念でした。演出のエーリッヒ・ヴェヒター氏とドニ・クリエフ氏の話も聞きたかったなあ。でも、いろいろもやもやとしていたものがクリアになって、個人的には有意義なレクチャーでした。
総論
まずは、このオペラの位置づけについて。シュトラウスは全部で15曲のオペラを書いておりますが、そのうち「影のない女」は7曲目に位置するオペラです。シュトラウスのオペラ最高傑作と言われていて、シュトラウス自身も相当気合いを入れて書いたとのこと。故若杉弘さんは、シュトラウスオペラのなかでこの曲が一番好きだったとか。だから、なおさら、「影のない女」を今シーズンの演目に入れたのだと思います。本来なら若杉さんがタクトをとるはずだったわけですが、残念ながらお亡くなりになってしまったという感じ。
ともかく、このオペラは非常に難しい。理由は、やはり天才ホフマンスタールが、彼のあらゆる文学知識を総動員してリブレットを作ったというところにあるでしょうし、文学的才能に恵まれていたシュトラウスも、シュトラウス自身、ホフマンスタールが書いたリブレットを大変鷹評価し、その難解さを咀嚼して、音楽的技術的にも彼のもてる力を最大限に投入して作られたオペラであるから、ということにありましょう。
ストーリーの要約
田辺先生のストーリーの要約には少し驚きました。それは以下のようなもの。
*二組の不幸な夫婦が試練を通じて真の幸福に達する*
なるほど、最大限に要約するとそうなりますね。
二組の不幸な夫婦とは
# 皇帝と皇后
# 染物師バラクとその妻
となります。
なるほど。簡潔にまとめるとこうなりますか。確かにそうですね。
皇帝は、利己的な男で、皇后の愛なんかより自分の大好きな狩猟に明け暮れるような世間ずれした男です。バラクの妻は、現世に疲れ切っていて、夫のバラクにも愛想を尽かしているような女。二組ともうまくいっていないのです、。
ストーリーをちょっと。
というわけで、ちょっとストーリーにおつきあいを。以下のリンク先の人物相関表も見ながら読んでいただくと良いかもしれません。
“https://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php":https://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php
皇后は霊界の出身。霊界の王カイコバートの娘で、いろいろな動物に姿を変えることができたのですが、牝鹿に化けていたときに皇帝に射止められてしまい、皇帝と結ばれることになります。
皇后は霊界の出身であり、「影」を持っていません。「影」とは、要は子供を作る能力を象徴しているわけです。皇帝と皇后が結ばれてから1年経って「影」を手に入れてないとなると、皇帝は石になってしまうという呪いがかけられていますので、皇帝を愛する[1]皇后は、影を手に入れなければならない。そういうわけで、皇后に使える乳母の手引きで人間界に降りていき、バラクの妻から「影」=子供を産む能力を手に入れようとします。(第一幕)
これはすなわち、バラクの妻が子供をもうける、という幸福を、皇后が取り上げると言うことに他なりません。乳母は冷徹なメフィストフェレス的な存在でして、バラクの妻を色仕掛けやら装飾品やらで釣って、「影」を奪おうとするわけです。皇帝は皇帝で、皇后と乳母が人間界に出かけているのを良くは思っておりません。[2]バラクの妻は、乳母の策略にはまって影を失いかけてしまうのですが、バラクは怒り、妻を殺そうとします。その瞬間、バラクとその妻は大地に飲み込まれてしまいます。(第二幕)
そこで、互いへの愛情の重要さを再認識して、歌う二重唱が実にすばらしいところ。皇后の方は、石化した皇帝の姿を見せつけられ、湧き黄金の水を飲めば、バラクの妻の「影」を手に入れることができ、皇帝の石化も溶けるのだ、と告げられる。しかしそれは、バラク夫妻の幸福(=子供ができる)を奪うことに他ならない。そこで、皇后の良心は以下の決断を下します。
「私は、それを望みません! (Ich will nicht!)」ここが、このオペラの最高点の一つ。
すると、石化した皇帝は元に戻り、皇后は影を得ることとなる。バラクの妻も影を奪われることなくバラクとの愛を確かめ合い、二組の夫婦は幸福な結末に達し、めでたしめでたし、ということで幕となります。
(第三幕)
本日はここまで。明日に続きます。
fn1. なぜ、皇后が皇帝を愛しているのかが不明。
fn2. ここの皇帝の歌は、第一幕の歌唱とともに実にすばらしいです。
【短信】プティボン、ザルツブルクでルルを歌う。
http://www.salzburgerfestspiele.at/oper2010/
JTBのパンフレットを見ていたら、見つけました。ルル、歌うんですね。ラジオで録音を流してもらえると良いのですが。
Marc Albrecht, Conductor
Vera Nemirova, Stage Director
Performers: *Patricia Petibon* , Tanja Ariane Baumgartner, Cora Burggraaf, Pavol Breslik, Michael Volle, Thomas Piffka, Franz Grundheber, Thomas J. Mayer, Heinz Zednik, Andreas Conrad, Martin Tzonev, Emilie Pictet, Cornelia Wulkopf, Astrid Hofer, Simon Schnorr
Vienna Philharmonic
「影のない女」研究 その2 カイルベルトを聴く
プロット研究中
今朝になって、影のない女のプロットをまとめに入ったのですが、これが非常に込み入っていて、なかなかまとめられない。私の持っている唯一の日本版であるシノポリ盤のライナーノーツの細かい字を読みながら要約したんですが、まだみなさまの前に発表できる段階にはありません。本当は今日のうちに片付けるつもりだったんですけれどね。
それで、そうこうしているうちにカイルベルトが振った盤を全部聴いてしまいました。
「影のない女」再発見
最近は「影のない女」については、いろいろと発見があって非常に興味深いです。このオペラの主な登場人物は以下の通りです。
* 皇帝
* 皇后
* 染物師バラク
* バラクの妻
* 伝令
皇帝は当然ヘルデン・テノールですが、皇后もバラクの妻もホッホドラマティッッシャー・ソプラノでして、まあブリュンヒルデやトゥーランドット姫と被る声質が求められているわけです。
ショルティのDVD盤ですと、バラクの妻はエヴァ・マルトンなのですが、彼女は、METでドミンゴと歌った「トゥーランドッット」ではトゥーランドッット姫を演じていたし、ハイティンク盤リングではブリュンヒルデを歌っていました。
バラクの妻のプロット上の重要度は理解していたつもりでしたが、第三幕の最初のところで、バラクと一緒に歌うあたりの歌唱の内容からみて、これはもうブリュンヒルデ級が求められているんだなあ、ということが理解できました。
おなじく、伝令は、プロット上には一切登場しない霊界の王カイコバートのメッセージを届ける役に過ぎないんですが、カイルベルト盤ですと、ハンス・ホッターが歌っている。ショルティ盤DVDだとブリン・ターフェルが歌っています。
バラク役の重要度は言うまでもありません。あの第三幕前半のこの世を超絶した甘く悲しみを湛えた美しいところがありますから。カイルベルト盤ではフィッシャー=ディースカウが歌っていて、これがまた素晴らしい。
カイルベルト盤
この盤、1963年11月21日のバイエルン州立歌劇場でのライブ録音。少々古い年代ですが、音質的にもこなれていますし、なにより歌手が良いですし、値段もお手頃なので予習にはもってこいでしょう。みんなパワフルな歌唱です。ですが、この盤、Brilliantでして、いまいまネットで探せないです。
というか、この甘くりりしいバラクを歌うディースカウとか、第三幕で乳母を突き落とす伝令の激しさを歌うハンス・ホッターのすばらしさは筆舌に尽くしがたいパワー。ハンス・ホッターって、やっぱり凄いんだなあ。ショルティ盤のリングを思い出しました。
出演者の方々は以下の方々です。
* Chorus==ドレスデン国立歌劇場合唱団
* Composer==リヒャルト・シュトラウス
* Conductor==ヨセフ・カイルベルト
* Orchestra==ドレスデン国立〔歌劇場〕管弦楽団
* 皇帝==Tenor==ジェス・トーマス
* 皇后==Soprano==イングリート[←イングリッド]・ビョーナー[←ビョーネル]
* 乳母==Mezzo-Soprano== マルタ・メードル
* バラク==Bariton==ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
* バラクの妻==Soprano==インゲ・ボルク(←ボルイ)
* 伝令 ==Bariton==ハンス・ホッター
明日で連休も終わりですが、疲れはとれませぬ。明日はヨガに行く予定です。
「影のない女」研究 その1 人物相関図
さしあたりわかったことですが、「影のない女」は人生三回目に見るオペラではありませんでした。作曲家リヒャルト・シュトラウスも、台本作家のホフマンスタールも、この作品が難解きわまることをすでに承知していて、ホフマンスタールは自ら筆を執って解説文を書いたほどなのですから。
といって、8年前の自分を慰めましょう。
というわけで、残り一ヶ月を切っていますので、早速勉強して参りましょう。本日は人物相関図です。
これまた難しい。表現をどうすべきか。
私なりに、あらすじを書くしかなさそう。
今日から「影のない女」モードになります。
5月の新国立劇場は「影のない女」です。
苦い思い出
何度も書いたように、このオペラには苦い思い出があります。
生涯第3回目のオペラがこの「影のない女」でして、予習を十分にできないままパリに飛んで、翌日の夜にバスティーユに出かけたのはいいのですが、激務と時差ぼけでもうろうとした状態のまま数時間が過ぎ去ってしまったのでした。指揮者はあのウルフ・シルマーだったというのに!!
鷲のライトモティーフだけが、なんだか頭の中に先入観のようにこびりついたり、今聴けば、あんなに感動的な皇帝のアリアに心を動かすことができなかっただなんて。皇帝が歌っているのをなにか別世界のテレビのように感じていました。本当に残念。
予習の始まり
確かに、このストーリーを、今、私自身がきちんと咀嚼できているか、というとそんなことは全くないです。故若杉弘さんが、このオペラを理解するには、まずはホフマンスタール自身がノベライズした小説版を読んだ方がよい、と進めておられたのを思い出して、先だってくだんの本を古書店で入手しました。
というわけで今日から重厚で品のある邦訳版を読み始めた次第。ちょっと本が読めない状態だっただけに、久々の散文は本当に気持ちいいです。
ショルティ盤
で、もちろん音楽は「影のない女」です。今日はショルティ盤を選択してみました。それで大変重要なことに気づいたのです。それは、プラシド。ドミンゴがドイツオペラを歌う時に覚える言い得ない違和感の原因。私は、それはどうやらドイツ語の鋭利な子音をドミンゴが柔らかく解きほぐしているからではないか、と思ったわけです。ドイツ語は読み書きもできないし、話すこともできませんが、昔は語学学校に通っていましたので、愛着だけはあります。ドイツ好きですから。
ショルティ盤は、アマゾンでは取り扱っていないようです。私もたまたま入手できたのでラッキーでした。DVD盤もありますがこちらはCDとはキャストが違います。
これからのこのブログの行く先は?
それから、オペラ歴ももうそろそろ8年になりますが、初めてオペラを聴く方に役に立つコンテンツを作ってみようかなあ、と思案中。それから、新国立劇場の公演をまとめるような仕組みも作りたい。やりたいことはたくさん。でも、きっと僕は全部やるんですよ。間違いなく。そう思うようになりました。
今日はつれづれ風。
リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大
この本、25年前に読むべき本でした。全く、若き私は怠惰な人間でございました。でも、この本はヴァーグナーの楽曲に触れていないと理解できないのも確か。若き貧乏な日々に、オペラのCDなんて買うことは能わず、ましてやオペラに行くなんてことは難しいことでしたので仕方がないというところでしょうか。まあ、今もお金持ちではありませんけれど。
はじめに
トーマス・マンは、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」と題された講演ををミュンヘンで行ったのが1933年2月10日のこと。その後、マンはアムステルダム、ブリュッセル、パリを回ったのですが、その間、ドイツにおいてはナチスが全権を掌握してしまい、マンはドイツに帰ることができなくなるという時代背景があります。
ナチスがワーグナーの音楽を利用したという事実は消えることのないことですが、マンが必死にヴァーグナーとナチズムの相違点を整理しようという意図が見えた講演録でした。
心惹かれる文章。
このたぐいの本の書評を書くのはきわめて難しいのですが、私の方法論は引用をつなげていくという者になってしまいます。まだ書評能力が低いのです。まあ、それはそうとして、気になったところを。
劇場の聴衆の只中で味った深い孤独な幸福のあの幾時間、神経と知性とのおののきと喜びとに充ち満ちた幾時間、この芸術のみが与えうる感動的で偉大な意義を窺い知ったあの幾時間かを、私は決して忘れることができません。
29ページ
これは、激しく同意します。あの孤独とも一体感とも言えぬ劇場独特の儀式的パフォーマンスを秀逸に表した一文です。
ヴァーグナーが芸術を一つの聖なる秘薬と考え、社会の障害を癒す万能薬と見なした(中略)。ヴァーグナーにとっては、芸術が持つ浄化し聖化する働きは堕落した社会に対する浄化手段、聖化手段として見なされるものでした。美的聖別という手段によって社会を贅沢から、金力の支配から、愛の欠如した状態から解放しようと望みました。
13ページ
うまくいっているかどうかはともかく、リングの最終幕ヴァーグナーが意図していたことをマンが咀嚼してくれた感じです。でも、そこまで単純化できるかどうかはわからないです。というのも、こうした社会正義、革命的な思想を、若き日のヴァーグナーは持っていたのですが、一方で、借金を重ね奢侈な生活を楽しみ、バイロイトという「ヴァルハラ」を築くという、おおよそ庶民とはかけ離れた行動をしているのですから。
全体感
全体を読んで思ったところ。
ヴァーグナーというのは単なる音楽家であったわけではないということ。詩人でもあり音楽人でもあった故に、楽劇が誕生したのだという事実。両者に秀でていたということが重要。逆に言うと、両方から圧迫を受けていたわけでそれがヴァーグナーの苦しみでもあった、という論調でした。
ヴァーグナーは若き日に革命運動に身を投じますが、あれは、社会を改正するといった動機よりもむしろ、自分の音楽をきちんと発表できる場にしようとするという動機の方が強かったのではないか、という指摘がありました。もっとも、ワーグナーは芸術が人間を救済する手段であると考えていましたので、終着点は同じなのかもしれませんけれど。このあたりは、シュトラウスがナチスに協力した経緯とも少し似ている感じがしました。
ワーグナーをロマン主義者として定義付けするところがあるのですが、ここが実に面白い定義付けをしています。また引用しちゃいますと、
性的オペラの中で芸術と宗教とを結び会わせ、芸術家のこのような神聖なる非神聖さをルルドの洞窟の奇跡劇としてヨーロッパの真ん中で舞台に載せ、退廃した末世がみだらに信仰を熱望するその心をに向けて開示してみせるという能力
99ページ
これ、この前「パルジファル」を聴いたときに引き裂かれるように感じたことと一致するんです。聖化と性化の二律背反(と捉えるのも間違いかもしれませんが)があまりに不思議で不協和音に思える。それが最後に解決するのがブリュンヒルデの自己犠牲であり、パルジファルによるアムフォルタスへの癒しとクンドリの救済というところでしょうか。
ここでいう「性化」とは、一種のセクシャルなものを含むのは事実ですが、それ以上に、いわゆる「愛」と捉えるべきだとも思いました。そういった言説をヴァーグナーがしているということもこの講演の中で述べられていました。
この本は、二回ほど読みましたが、まあ、いろいろと前提知識が必要だったり歴史的背景の理解が必要だったりということで難儀なものでした。折に触れてちびりちびりと、ブランデーを飲むように読むと良い本でしょう。お勧めです。
ニーナ・シュテンメの「ばらの騎士」を聴いてみよう。
第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。
で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています
2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。
https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php
でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。
ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。
「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。
EMIミュージック・ジャパン (2007-08-08)
売り上げランキング: 301794

新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね
ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。
EMIミュージック・ジャパン (2005-10-26)
売り上げランキング: 498524
そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。
シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。
レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。
逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。
それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。
あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。
今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。
【短信】テオリン様の「トリスタンとイゾルデ」発売!
あの(私の中では)伝説の、シュナイダー&テオリンの黄金の「トリスタンとイゾルデ」のDVD、ブルーレイが発売となりました。うむむ、欲しいぞ。というか、ごらんになっていない方は是非是非。演出には賛否両論あるんだろうけれど、テオリン様の声や演技、表情を見れば、恍惚状態に陥ることは間違いありません。シュナイダーの指揮も絶妙だし。っつうか、私これ買います。はたらきますよ、テオリン様のためなら。
当時の記事を。
バイロイト音楽祭/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第二幕&第三幕
どんどんテオリン様にはまっていくのがわかって面白いです。また聴きたいなあ、テオリン様。
※ で、その後、くだんのDVDは注文いたしました。すまぬ、財務大臣。
ワーグナー関連本2冊

また桜。そろそろ散り始めているかしら。。。
ワーグナー関連本を二冊を読み終わりました。いずれも新書です。マンの著作を読む前に参考になるかな、と思い手に取った次第。こっちを先に読み終えてしまいました。
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山本 一太 / 音楽之友社 (2005-10-01)
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| 本・雑誌 |
堀内 修 / 講談社 (1990-12)
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堀内修さんは、今年(2010年)のNHKニューイヤーオペラコンサートのロビーでお姿をお見かけしました。この本は、ワーグナーを巡る情勢がよく整理されていて大変お勧めです。特に歌手の分類記載がよかった。ヘルデン・テノールとかドラマティック・ソプラノなど、歌手の特性とそれぞれの役柄について記載がなされています。たとえば、ヘルデン・テノールはジークフリートやジークムントを歌いますが、シュピール・テノールはミーメを歌う、などなど。これは別記事で取り上げる予定。大変勉強になりました。私、オペラを見始めてもう8年になりますが基本的な勉強はしておりませんゆえ、いまさらながらでお恥ずかしいのですけれど。
山本一太さんの「はじめての<<リング>>」は、リングを一通り見聞きしている方にとっては少し物足りないかもしれませんが、逆に言うと、これから聴かれる方には必読だと思われます。私の場合、里中真智子さんのマンガであらすじをつかむという邪道な道を歩きましたけれど。すでにリングを聴き通しておられる方にとって興味深いと思われるのは、第五章「<<指環>>こだわり篇」ではないでしょうか。
ちなみに、マンガはこちら。
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文句なしの5つ星
いい本です
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ここでは、一つわからなかったことのヒントを見つけることができました。つまり、どうしてジークフリートはブリュンヒルデと分かれて、旅立たなければならなかったのか。別に、二人で引きこもっててもいいんじゃない? みたいな。でも、まあ外界と触れないと生きていけませんので、特に資本主義社会においてはなおさら。それで、この本によれば、英雄たる者、各地の王から貢ぎ物を取り立てなければならないのであるから、ジークフリートは、取り立て屋のごとく、各地の有力者を回って朝貢品を求めていたとは。なるほど。




