ドイツ敗戦のころを思う──リヒャルト・シュトラウス《メタモルフォーゼン》を聴いて

引き続き、緩くトーマス・マン「ファウストゥス博士の成立」を読んでいるのですが、本当にたまたま聴いたCDにリヒャルト・シュトラウスの《メタモルフォーゼン》が入っていて、流れた途端に、これはシンクロニシティだなあ、と思いました。

このアルバムは、ヤノヴィッツが歌う「最後の四つの歌」が聴きたくて購入したものですが、メタモルフォーゼンもなかなかの演奏だと思います。

「ファウストゥス博士の成立」は、戦争末期に米国に亡命していたトーマス・マンが、戦況に触れながら「ファウストゥス博士」をどのように執筆したかの回顧録であり、この《メタモルフォーゼン》は、ドイツ敗戦の直前にシュトラウスがミュンヘンやドレスデンが戦火に崩れたのを悲しみながら書かれたとされています。

いや、それはもう、いままで半世紀を超えて親しんできた街が破壊されるのを見るのは耐えがたいですよね、きっと。これが若者ならまだしも、70歳を超えてこれをやられると相当に厳しいはずです。よく気が狂わなかったな、と思います。まあ、トーマス・マンも同じだとは思います。

手元の資料によれば《メタモルフォーゼン》は、ドイツ敗戦直前の1945年3月に着手され、4月12日に完成。ドイツ敗戦は5月ですが、そのときラジオ放送でベートーヴェン《英雄》第二楽章「葬送行進曲」がながれたそうですが、この《メタモルフォーゼン》の最後もコントラバスが「葬送行進曲」のフレーズを弾いて終わりますので、シュトラウスは未来を予言するかのような曲を書いたと言うことになります。第二次世界大戦のことは、もうしばらくすると記憶が喪われると思われ、名実ともに「歴史」になっていくわけですが、そういう辛さや悲しさは、過去の記録だけではなく、こういった音楽の中にも遺されていくのだろうなあ、と思います。

シュトラウスはゲーテを読んでこの曲の着想に至ったということも手元の資料においては触れられており、これも、なにかトーマス・マンとの親近感を覚えます。「ファウストゥス博士の成立」においては、「ワイマールのロッテ」からの引用がゲーテその人の文章としてニュルンベルク裁判で使われたという逸話がマンによって面白おかしく取り上げられていましたし(「新潮世界文学35 トーマス・マンⅢ『ファウストゥス博士の成立』639ページ)。

「手元の資料」は「作曲家別名曲解説ライブラリー⑨R.シュトラウス」で、四半世紀前に渋谷のタワーレコードで買ったものです。当時、音楽評論家になりたい!と思っていた記憶がよみがえりました。楽理科をうけてみようか、とネットを調べたりしたなあ、と。

それにしても、リヒャルト・シュトラウス、あらためて大好き、と思いました。このウェブログのカテゴリ別の記事数をみると、2021/06/02時点で、ワーグナーが170本、リヒャルト・シュトラウスが161本になっていました。まあ、ワーグナーはさておき、シュトラウスへの愛情はこのあたりの記事数にも表れているのではと思います。魅力は語り尽くせないですが、一言で表せ、と言われれば「洒脱」ですかね……。

それではみなさま、おやすみなさい。

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