高橋克彦「炎立つ」の第三巻読了。この作品は、1993年の大河ドラマの原作となったものです。高橋克彦氏は、私が中学生のころから敬愛してやまない作家のお一人。中学生当時、NHKの歴史ドキュメンタリー番組に出ていらして、謎の仏像の出自を明らかにする氏のお姿がめっぽう格好良くて、こういう仕事に就ければいいなあ、と漠然と思っていたりしました。
それで、当時手に取った「竜の柩」は、歴史は歴史だけれど、オカルト的な歴史物語でして、そこで繰り広げられる古代史推理にも舌を巻いてしまったのでした。古代日本からメソポタミアにまで広がる古代史の謎。多感な中学生には相当な刺激でした。嘘と知りながらも、日本にキリストの墓があると言うことを信じたくなる本でした。いまでも10%ぐらい信じているかも(冗談です)。
かたや、この「炎立つ」では、そうしたオカルト的な部分は鳴りを潜め、正当な歴史小説として楽しむことができます。これまでの通常の史観だと、源氏は正義の味方で、東北を支配する安部氏が悪者である、というような偏ったものであるわけですが、「炎立つ」ではまったく逆の史観で、実に新鮮なのです。これを読むと、源頼義や源義家のほうが分が悪く読めてしまう。
前九年の役とか後三年の役で、源義家が並々ならぬ働きを見せたのが、後世に伝わって、義家こそ武士の誉れ高い英雄として大きな影響を残すことになるのですが、具体的な事績を小説上でなぞるのは実に興味深いです。
第三巻までは前九年の役が取り上げられ、安部氏では滅亡となりますが、第四巻では、安部と藤原経清の血を引く藤原清衡が奥州藤原氏として復権します。これが後三年の役。第五巻では源頼朝に撃ち滅ぼされるというこれまた悲劇。
大河ドラマでは、少ししか見られませんでした。でも、私の中では藤原経清は渡辺謙以外にあり得ません。安部頼時は絶対に里見浩太朗です。そして、どうしても源義家は佐藤浩市になってしまう。源頼義は絶対に佐藤慶。安部宗任は川野太郎で、安部貞任は絶対に村田雄浩で、そのほかは考えられない。映像の持つ力は恐ろしい。というか、絶妙なキャスティングだったのでしょうね。原作とは違うところが多いようですが、もう一度観てみたいものです。
高橋克彦「炎立つ」
つれづれなるままにひぐらし
連休は、かなりハードなスケジュールで、結局最終日は完全休養日となってしましました。いろいろやりたいことはあったのですがかなわず、というところ。残念。
でも、一昨日に書いたように、この連休の土曜日に、大学時代からお付き合いのある先輩・後輩のジャズライヴに行けて、とても楽しかったのでした。演奏もすばらしいのですが(あんなにキーの難しい曲を美しく吹けるなんてすごい)、久々に会社外の人と話をして、すごく充実したひと時でした。私が勝手に充実していて、ほかの方には迷惑だったかもしれませんけれど。もう17年ぐらいの知り合いなんですが、何時まで経ってもみんな年を取らない。僕だけ歳を取っているのかも。
ライヴの往復の道すがら聞いていたのは、ザルツブルク音楽祭2010年の「ルル」でした。これも一昨日に書いたとおり。
日曜日は、久々に寝不足だったものの、実家に行って、iPodの楽曲をPCに落としたり、iPad購入相談に乗ったり。帰宅したのは22時ごろでしたが、あまりに疲れていて、2時ごろまで寝付けませんでした。何時まで経っても、枯れ葉のコード進行がぐるぐる回っていて、何度も何度も頭の中でソロを取っておりました。なんだか久しぶり。
また、ひとつ思い出したこと。ジャズサークルに大学一年に入りましたが、その冬ごろ、勉強に集中しようと思って、一時期楽器を吹かない時期があったんですが、数ヶ月間の間、抜け殻のようになってひどく辛かったのですね。それで、やっぱり、楽器がないと生きていけない、と思って、また楽器を始めたら、けろっと回復してしまいました。そんなことがありましたねえ。もう17年前のこと。だから、なおさら、楽器の再開をせねばならぬ、と思う次第。しかし、ハードルは高いなあ。EWIがんばろう。
つれづれ
偉大な先輩方、後輩方のライヴを錦糸町にて。実に楽しかったです。血液が逆流した感じ。
なんだか、もうスタンダードナンバーを結構忘れていて、逆に新鮮にも思える。All the things you areとか、今吹けるかどうか。
やっぱり、何事も継続が大事やなあ。私もがんばろう。
朝から、出ずっぱりで大変でした。都心へは、朝と夜、二往復したし。おかげで読書が進む進む。今読んでいるのは高橋克彦「炎立つ」。今更ですが。音楽の方は、今年のザルツブルク音楽祭の「ルル」を第二幕まで。プティボンの凄烈な高音には感服しました。
チック・コリア/Rendezvous In New York (2003)
急に涼しくなりました。明け方の雨で、近所の道路は軽い冠水。
昨夜、ディーン・ブラウンの映像を見たら、なんだかジャズが恋しくなってきました。それで、チック・コリアのRendezvous In New York (2003) の、カルテットNo.2を聴いて、晩年のマイケル・ブレッカーの鬼気迫る演奏にまたまた圧倒されてしまいました。
録音の関係もあるかもしれませんが、フラジオ音域の音の割れ方が極めて良好。少しにごり気味で、ざらざらとした質感を感じるのですが、その音で、ハイトーンを出し切るあたりは尋常ではありません。なんだか、1980年代後半のマイケルの緻密さとか曇りない美しさとは違う、なにか世の芥をも包含する大きさが感じられる演奏だと思いました。いい意味ですれた演奏ということでしょうか。
私もフラジオがもっと使えればよかった。っつうか、またはじめよう、サクソフォーン。時間はあまり取れないけれど、EWIやらでこつこつ練習します。
ディーン・ブラウンの勇姿
短いエントリー。
そういえば、浪人してたとき、この映像を見て、ジャズへの思いをつのらせていたのでありました。
ディーン・ブラウン最高! あの恍惚とした表情は一生忘れません。
サンボーンも最高!
グレアム・グリーン「ヒューマン・ファクター」
ふう。3日で読了。
これも、実に読み応えがありました。
「第三の男」を書いた手練れのグレアム・グリーンのスパイ小説は、単なるスパイ小説ではない。
だいたい、主人公のモーリスの妻が、南アフリカで知り合った元工作員の黒人女性であるということが、完全に定石を外した独創性。関係のないエピソードと思ったものが、最後に一カ所に集まって、ぱっと弾け散る様は実に見事でした。
これぐらい骨のある小説だと本当に唸ってしまいます。
スリリングな場面などないのですが、この方がよっぽどリアリティがあります。グリーンは、第二次大戦中に実際に情報機関に所属していたとのこと。官僚的、組織的、スノッブ……。そういうイギリス情報機関の雰囲気が濃厚に漂っていました。
次は高橋克彦氏。私はこの方も大好きなんですねえ。
最近は、アラベラ漬けです。あ、来週、新国のオペラトーク「アラベッラ」を聴いてきます。
Proms な一日
あづい。。。
だが、午後からは暗雲が犇めいている。夜には一雨来るようです。涼しいなら、何でも良いです。
今日はPromsな一日でした。Last Nightは、昨日だったようですが、おそらくはNHKで放送されると思いますので、それ以外の演奏を。

ジャナンドレア・ノセダ
まずは、ジャナンドレア・ノセダがBBCフィルハーモニックを振った演奏会。BBCフィルハーモニックはマンチェスターのオケで、まずはシューベルト「未完成」、シューマンのピアノ協奏曲第一番第一楽章を。
っつうか、シューマンを弾いたFinghin Collins、1977年生まれの33歳なんですが、もたる感じがジャズに聴こえてならないのです。さすがに若いだけあって、やること違うなあ。
それから、面白かったのが、シューマンの「女王メアリー・ステュアートの詩」のオケ編曲版。編曲はRobin Holloway。これ、シューマンっぽくなく、ものすごく現代的にアレンジされているので、聴き始めは違和感を覚えたのですが、いやいや、これはこれでなかなか面白い。
あとは、モツ40。スマートな演奏で、あれ、ここってスラーでやるんだ、みたいな新鮮な部分が何カ所かありました。
Promsの観客は、楽章ごとに拍手しますねえ。あとは、実況中継がワイドショー的で面白い。
ステファヌ・ドヌーヴ
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナルオーケストラをステファヌ・ドヌーヴの指揮にて。ジェイムス・マクミランの「サクリファイス」から「Three Interludes」。
偉くカッコイイですねえ。幼き頃、ただひたすらカッコイイクラシック音楽を求めていましたが、あの頃聴けば卒倒するぐらい感動したんだろうな。今も大好きですが。
「サクリファイス」は2007年に発表されたオペラで、ウェールズ神話を元にしたオペラらしい。マクミランはスコットランドの作曲家で、スコットランド議会の292年ぶりの再開がなった1999年の議会開会式の女王入場ファンファーレを作曲しているらしい。それをフランス人のドヌーヴが選ぶというのもなんだか歴史的背景も相まって興味深いです。
次は大好きな「ローマの松」ですねえ。いやあ、快速テンポが実に気持ちがよい。レスピーギ・ラヴ。ローマに行ったときに、レスピーギの名前が刻まれた聖堂に入ったけれど、あまりに多くの聖堂を訪れたこともあって記憶が定かではないのですが、ちゃんといわれを調べておくんだった。また行きたいが、しばらく無理だろうなあ。やっぱり、「アッピア街道の松」が大好き。観衆があまりに熱狂的で驚きます。きっと、いつもは音楽を聴かない方も来ているんじゃないかなあ。だって、悲鳴にも似た歓声ですから。
おまけ
どれみふぁ・ワンダーランドをみたんですが、この番組もちゃんと観ると面白いです。ワグネル・ソサイエティーが「宇宙戦艦ヤマト」を演奏してました。
「居眠り磐音江戸双紙」などなど読書三昧
今日もつれづれ日記。
暑さの戻った関東。フラフラでした。西日本の方が厳しいと思いますけれど、あの頭痛は熱中症に違いありません。
佐伯泰英「居眠り磐音江戸双紙」、三巻まで読了しました。この本は、極上のエンターティメント小説の王道です。やはり、主人公は常勝の正義の味方ですし、江戸市中庶民の悲喜こもごもは、現代社会が投影されていて、他人事とは思えないぐらい。組織と個人の葛藤も描かれているあたりで、会社勤めにとっては合点のいくことばかりです。それから、構成も王道的です。短篇として完結した物語と、バックグラウンドの大きな物語の混交が、読み手を牽引しています。完成度も極めて高く疵が見あたらないです。もちろん、制作上上の都合で、史的事実と離れていることもあるのでしょうけれど、物語内で完結していれば、全く問題ありません。歴史書を読んでいるわけではありませんから。
えーっと、来週の木曜日(9月16日)に、第34巻が発売なのだそうです。マジですか。どうやったら、こんなに長く書けるのでしょうか。凄い持久力。
公式ホームページもあります。
“http://inemuriiwane.jp/":http://inemuriiwane.jp/
ドラマもちゃんと見たかったです。再放送しないかな。
次に読んでいるのは、グレアム・グリーン「ヒューマン・ファクター」。
今聴いているのは、ハイドンの交響曲第96番。NHK-FM「名曲のたのしみ」にて。100曲以上交響曲を書いたハイドンも凄いけれど、中原中也の友人だったという吉田秀和さんが、未だにパーソナリティを勤めているということも凄いこと。少なくとも私が小学校の頃にはこの番組やっていたからなあ。
気づいたこと──楽器やめちゃいけなかったんだ。。。

英語の勉強で、天才たちと趣味の関係について書いた記事を読んでいました。ノーベル賞受賞者のほとんどが、趣味を持っていて、絵を描いたり、楽器を弾いたりしていたらしい。
で、自分が楽器をやめたことと、頭の回り具合を比べてみると、なんだか、楽器をやめた途端に、呆けてきた気がしてならない。
やっぱり、やめちゃいけなかったんだなあ。。。
頭の回転と楽器演奏って、相関関係があるんじゃなかろうか。
昔読んだ本にもあったなあ。ピアノをやってた高校生が、学業に励もうとピアノをやめた途端に成績が落ちたっていう話。
再開したいのですが、アンブシェアを鍛え直さなければならないので、しばらくはEWIでアンブシェアを鍛えることにします。しばらくはスクウェアでも吹きまくろうかなあ。
あるいは、シュトラウスのオペラを吹いて自己満足に耽るとか。なにか新しい発見があるやもしれない。
いまさらながら「陽炎ノ辻―居眠り磐音 江戸双紙」
今年の正月に、NHKで佐伯泰英さんのドキュメンタリーを見ました。佐伯さんは今をときめく時代小説作家でいらっしゃいますが、ストイックな執筆姿勢や、挫折を乗り越えた人生に感銘を覚えて、代表作の居眠り磐音シリーズを読まねば、と思ってはや8ヶ月。ようやく一冊読み終えました。
いやあ、面白かった!
佐伯さんは20日で一冊の文庫本を書くほどの職人的プロフェッショナルですが、一冊読み終えても、あまりにも疵がない完成度に驚きました。たまに読む邦人小説では、疵だらけ、ということもあるのですが、そうは思えませんでした。実に素晴らしい。
このシリーズ、ご存じのようにNHKでドラマ化されていましたので、私の中ではもう、磐音は山本耕史であり、おこんは中越典子なわけですが、それが実にしっくり来る。ああ、ドラマも良いできだったなあ、と思い出すことしきり。また再放送しないかな、などと。
そういえば、ドラマ版のキャスティングが妙にサラリーマンNEOとかぶっているのは気のせいでしょうか。。。
この本は、私の父親に借りました。父は、佐伯さんの本にはまっておりまして、実家の文庫本棚は佐伯作品であふれかえっております。また借りて参りたいと思います。
時代小説も良いものですね。そういえば、最近読んでいた辻邦生作品も時代物でした。「嵯峨野明月記」、「天草の雅歌」。あとは、永井路子作品にものめり込んだ時代もありましたし、澤田ふじ子作品の「はんなり菊太郎」も好きでしたねえ。意外と時代物も好きかも。良いものに限りますが。
