夏休み2日目──パリの事件、そしてブラームス

もう、何を書いても空々しいものになりそうなのですが、パリの同時多発テロの件については、本当に暗澹たる思いでニュースを見たり記事を読んだりしました。今朝、目が覚めたのが6時半前ごろ。Apple Watchをつけてトイレに行こうとした途端に、BBCのニュース番組の聞きなれたジングルがiPhoneから聴こえ、なんだろうね、またジハーディ・ジョンのニュース? と思ったら、パリのテロのニュースということで、驚いた次第。その後もBBCのアプリはニュースを伝え続け、はてはコンサートホールで100名の方が犠牲になったというニュースや、フランスが国境を封鎖した、というニュースなどがどんどん入ってきました。
BBCの速報に遅れることだいたい20分ぐらいで、日経の速報が入るという感じ。NHKは同じニュースをくりかえす、ということで、日系ニュースのスピード感などになんだか??という思いでした。BBCは、記者のツイートがリアルタイムに流れるというスピード感なんですが、なんだか、時代に遅れる組織と遅れない組織の違いはなにか、という、いつも思っていることを感じたり。
Amazonを夕方に開くと三色旗の画像が。

このスピード感。スピード感。スピード感!

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本当に見習わなければなりません。早ければいいと言うものではない、という言葉をよく聞きますが、それはもう20世紀的な古い考え方に過ぎないのではないか、と。この20年で世界は十二分に変わっているのに、変わらない地域や領域もあり、変わらないことや戻ることを美徳とするという状況。
変わっているのはテクノロジーだけではない、ということも。西欧的な普遍的価値が揺らいでいるのではないか、という思いも、改めて感じるのです。テロがパリで起きたということは、それを象徴しているのではないか、と。フランス革命が起きたパリという地で、大きな反動が起きているのではないか。ウィーン体制が反動と思えないほどのという、なにか底知れない不安です。
絶対真理の存在があることを捨てざるをえなかった西欧文明に、この状況を思想的に支える力はあるのだろうか、とも。学者ではないにせよ、文学をすこしばかり学んだ身にとっては、簡単には答えが出せない状況です。
世界の変化のスピードはどんどん早くなるわけです。情報や人の動きがかつてないスピードになっているわけで、かつての100年スパンの歴史の動きがどんどん短くなっているのではないかとも。だとすると、この激しい動きはどこへ行くのか、それがわかるのはそう遠い未来ではないのかもしれない、などとも思ったり。
もちろん、今回の事件が、報道通りのものかどうかはわかりません。これはもしかすると、真珠湾攻撃のように、今後の展開にとって大きな意味を持つものである可能性もありますから。
今日は、仕事場の同僚が入っているオケの演奏で、ブラームスの交響曲第1番を。この19世紀という西欧文明にとっては稀有な幸福な世紀の記憶が詰まっているものと思います。こうした記憶の意味がどうなっていくのか、見て考えなければなりません。
私は、最終楽章のホルンとフルートを聴いて、世界の変わりようを思い、涙を流してしまいました。
辻邦生が存命ならなんと言ったか、そればかり思います。
では。また。おやすみなさい。