Richard Strauss

サロメな日。三日目。

この曲は、本当にドラマティックで、聞きどころ満載です。昨日も少し触れましたが、サロメがヨカナーンへの愛を叫ぶところ。リズム、フレーズ、オーケストレーションの緊張感が半端ないです。

明日も聞くかもね。。

では。

Richard Strauss

今日から「サロメ」へ。

昔、何回か、実演で聞きまして、その度に予習として、幾つもの「サロメ」録音を聴いたなあ、と懐かしいです。

今回たまたま聴いているのは、シノポリ盤で、これは、まさに素晴らしい。シノボリの指揮は、解像度が高く、結晶化した音作りと思います。ストューダのソプラノも良いです。

「グントラム」、「火の欠乏」と聴いて、「サロメ」に進むと、やはり、そこには明らかな質的な変化があります。ドラマがあり、抑揚があり、さらには、音楽的にも印象深いところが随所に登場します。

特に、ユダヤの法学者たちの論争の場面は圧巻ですし、ヨカナーンの首を所望する場面の迫真は、付点音符の印象的な力強い意志を感じるフレーズと相まって、忘れられないものです。

いやー、シュトラウスは天才です。。

明日は、別の録音を聞こうかな。

それでは。

Miscellaneous

今日も所用で、六本木方面へ。六本木ヒルズに寄って写真を撮ってみました。大昔に美術館にきたことがありましたが。周りにいたのがヒルズ族だったのかしら。森ビルのビルは素敵なデザインです。シムシティのタワーを思い出しますね。

ちなみに、今日も「火の欠乏」が捨てがたく、聴き続けています。

それでは。

Miscellaneous

某所と言いつつ、麻布台飯倉方面ですが、通りがかりでした。坂道もあり、地形としても美しい街だな、と思います。夜はまた風情もあります。大国の大使館もあったりと、趣もあります。東京は、さまざまな地名が重なるようにひしめいています。日比谷、虎ノ門、神谷町、麻布台、そして六本木もやはり何か街がグラデーションのように変化していく過程のようです。森ビルが、幾つものヒルズを建てていることもあり、若さや活気もありますね。

それでは。

Richard Strauss

それにしても、このオペラ、シュトラウスの生産工場的な曲だと思います。後年のオペラの面影に満ち溢れている気がします。今日聞こえたのは、オクタヴィアンや薔薇の騎士の一幕の騒擾のシーン。オックスのワルツも聴こえますし。「英雄の生涯」と「家庭交響曲」に挟まれたオペラでもあり、再評価されてもいいんだろうなあ、と思います。これは、ぜひ実演をいつかは見てみたいな、と思います。

次はサロメにでも行ってみますかね。

それでは。

Richard Strauss

リヒャルト・シュトラウスのオペラを聴いていこうという取り組み。今日は「火の欠乏」。まだ理解は進めませんが、「ばらの騎士」のオックスのワルツが聞こえたり、「ナクソス島のアリアドネ」が聞こえたり、とても新鮮です。しっかりした曲に聞こえます。

指揮はウルフ・シルマー。指揮も良いのかも。この方の指揮は、新国立劇場で聴いてますし、「カプリッツィオ」の映像版でも振っていたはずです。

今日の東京地方は、天気も良く素晴らしい一日だったと思います。早く冬至を回って夏が来ないかな、も待ち遠しいです。。

それでは。

Miscellaneous

今日の午後は所用で飯田橋。この街もずいぶん変わりました。左側に写っているオフィスマンションは昔はありませんでしたね。

今日はとある学術機関における所用の中で、西行の言葉を聴きました。ただ、時間のない中でメモを取るままなく、でしたが、いたく感動しました。多分この歌だと思います。

何事(なにごと)のおはしますをば 知らねどもかたじけなさに 涙こぼるる

そのお話の後で、以下のようなお話を聴きました。

空の鳥は飛ぶことで鳥になり、魚は泳ぐことで魚になるが、人間は何によって人間になるのか。人間は祈ってこそ人間となる。どんな賢い動物でも祈ることができない。人間は、価値あるものとなるためには、魂が必要であり、どんなに優秀な人間であっても、心が歪んでいてはどうしようもない。

そういった話を聞きまして、本当にその通りだなぁと思いました。

本当に心が歪んでいては、仕事をどうしようもありません。どんなに優秀で仕事ができる人間で仕事の権力があったとしても、人を尊敬することなく、人を押しやって仕事していたら、短期的には、その仕事はうまくいくのかもしれませんが、中長期的にはうまくいかないのです。それは個人的にもうまくいかないこともありますし、会社としてうまくいかなくなることもあります。そうした例を何度も見てきました。

10年ほど前に、仕事場で本当に悪いことをする人のほうが力を持ちますよねと言う話をしました。なぜなら、秩序にしたがわない方が、やれることが多く、絶対に有利になるからです。それでもなお、自分の正しさを信じて、そばそばを耐えて、その向こう側に、筋の通ったあるべき世界を求めると言うことなのだと思います。確かに、善悪と言うものは相対的と言う考え方もありますが、コミュニケーションをすると言う観点においては、相対的と言うことに過度によりかかるのは意味がないと思います。一定のコミニケーションのルール、仕事のルール、生き方のルールと言うものは同じ社会に来てると言う観点では、尊重しないといけないのでしょう。 

そういう意味でも、日本はもちろん西洋における過去の規範と言うものは、科学技術が発展しない中においては、本当に重要なことだったのでしょう。科学技術がない状態では、人間は助け合わなければ生きていけなかったのですから。今は、科学技術が発展し、資本主義が発展したことにより、人間は単独でも一定できるようになりましたが、それでも、科学技術やお金だけでは解決できない悩みや問題があります。そういう観点では、最低限の何かがあって、それが人を支えていると言う前提をおいて、信じなければならない、と思います。それは宗教的な信仰なのではなく、生きると言うことの最低限の決まり、あるいはマナーなのかもしれません。

そんなこと思いながら、今日は話を聞いていました。歳をとると、考え方もなんだか古臭いですが、長く残っているものにこそ価値があると言う考え方もあるようなので、古いからといって、全部捨ててしまうと言う事は意味がないんでしょうね。

ということで、今日はすいません。長くなりましたが、こんなところで。おやすみなさい。

Richard Strauss

昔、サバリッシュが、バイエルン州立歌劇場で、シュトラウスオペラ全曲演奏をやったのですが、わたしも、最初から浚っていこうかな、と思いまして、早速実践開始。

まずは、グントラム。タンホイザー的で、ミンネザンクとか出てきます。初演はワイマール。

https://music.youtube.com/watch?v=4Dzj5WnLfbw&si=8lInTVtDSSwg-R8l

何度か聞くと、見えてくるものがありますので、しばらく繰り返し聞いて見ます。

では。

Miscellaneous

昔の曲ばかり書いてしまうこの頃。こういうのが良くないんだろうな、と思います。今の若い方々はどう思っているのだろう、と、思います。何枚もの透き通った壁のようなものが、彼らとの間には立っている気がします。

当然自分の昔の記憶のほうが、鮮明なのもそれはその通りかもしれません。いまこの瞬間の意識から遠いところの出来事が、何かによって喚起されることもあるでしょう。やはり、このアルバムを聴くと、30年前の新大久保の楽器街が暑熱の中に沈みゆらめいているのを想い出します。料理屋から溢れる脂の匂いや、楽器屋に何体も掛けられている鮮やかなエレキギターなど。

最近の若い人たちが聴く新しいジャズはなんなんだろう。私もアップデートしないと、思う瞬間でした。