シベリウスな日々──今日はヴァイオリン協奏曲+α

忙殺とbotherって似てるなあ。なんて。

今日もシベリウスな一日。朝は後期交響曲を聴いて、昼休みはヴァイオリン協奏曲を聴いています。ヴァイオリン協奏曲は、1904年にいったん発表されましたが、批判を浴びてしまいます。その後、シベリウスがブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いて、そのシンフォニックなサウンドに触発されて改訂版を出しました。この改訂版の初演が1905年。なんと指揮者はリヒャルト・シュトラウスらしい。僕は、このシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、交響曲群より欧州中央部の旋律との親和性が高いと思っています。甘く美しくちょっとコケティッシュな感じ。するりするりと手のひらから逃れ出ようとする小鳥のよう。
それにしても、美しさは絶品。夜半前の10時ごろ、きっとまだスカンジナヴィア半島は輝く太陽の内にあって、湖は金色に輝いているに違いない。そんな風景。私は北欧に一度いったことがありますが、それはすばらしい旅でした。純粋に楽しんだ旅行はあれだけかも。ほかの旅行は勉強だったか、今一つだった気がするので。
シベリウス自身は、初期はヴァーグナーやチャイコフスキーの影響下にあったようですが、その後は独自の展開を見せていったようです。ヴァイオリン協奏曲は1903年ごろに作曲でしょうか。ですので、交響曲第2番と3番にはさまれています。
それにしても、第二番も凄いですね。ちょっと忘れないうちに書いておきますが、最終楽章のマイナーフレーズが怒濤のように繰り返され、最後にメジャー和声で華々しく終わるところ、あれ、ショスタコーヴィチの「レニングラード」と同じぐらい偏執的だ、と。