ブラームスを聴く夜

今朝は5時半に起きて仕事場へ。で、10時に仕事場を出て、新幹線に乗り新大阪へ。1年半にわたって御世話になった方々に会って、再び新幹線に乗り東京へ向かっています。

ともかく、なにか物寂しい気分になる弾丸大阪行きでした。そんな中で、一瞬、太陽の光を浴びたのが幸福でした。瞬間の幸福、でしょうか。

瞬間瞬間の幸福があるからこそ、人間は生きられると言うことです。その瞬間瞬間の幸福を胸にかき抱いて愛おしむことができるということこそが、人間の強さを形成しています。

聴いているのはブラームス。ヴァントが振った2番、3番、4番を聴いています。意外にもアグレッシブに聞こえてしまうのは、今日の私の気分によるところでしょうか。

ともかく、ブラームス聴きながら、真っ暗な車窓に映る自分の顔を眺めながら、なんて、遠くまで来てしまったのか、と思います。窓に映る自分の顔は、なにか重苦しくもあり、積み重なる疲れの幾重もの膜に覆われているようにも見えます。年齢相応でもあり、あるいは年齢を超えて居るようでもあり。こればかりは私にはどうこういえるものでもありません。

ともかく、むこう半年は大阪に行くことはないでしょう。しかし、その後はきっと定期的に新幹線で関西に向かうことになるんだろうな、とも思います。

それにしても。これからまた、一瞬一瞬に少しだけ見えてくる幸福を踏みしめながら生きていくことになるんだろうな、と思います。最近になって、幸福に生きるコツのようなものが分かってきた気がします。幸福というのは、心意気であったり、あるいは身の回りを整えるということから生まれてくるものなのかも、と思います。

つれづれと書いてしまいましたが、なにか、揺れ動くものが腹落ちしつつあるような気分でもあります。すこしずつ物事を変えていく時期なのかも、と思いました。

明日の東京地方は晴れるようです。良い天気もまた幸福の礎です。明日も晴天を楽しめるよう、今日はゆっくり休みたいです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

2+

今年も春が来た

先日の大阪行き、いつものように弾丸出張ですので、朝の新幹線に乗ってお昼前までに大阪へ移動しました。車内ではずっと端末を叩いていましたが、静岡か愛知あたりでしょうか、ふと窓の外に目をやると、梅でしょうか、桃色の花が咲いているのを見つけたのです。

スマホを窓の外に向けてタイミングを見計らったのですが、とれたのは傾いた写真だけ。左側に花をつけた枝がかすか見えます。SNSでは見事な早咲きの桜の写真なども観られますが、私にとっては車窓を流れる花が今年初めての春の兆しでした。

昨年もそうでしたが、なにか冬が永遠に続くような感覚があって、いったいいつまで続くのか、と、その始まりを想定することすらしていないような状況のなかで、ふと春の兆しを見つけたときに、あれ?という驚き、つまり意外なものをみたという感覚がありました。ああ、今年も春が来るのか、という驚きの感覚で、継ぎに来たのがホッとしたような安堵の感覚でした。それは春が来て寒い冬が終わるのだ、という安堵ではなく、今年も無事に季節が回ってくれるのだ、という感覚でした。地球が無事に太陽の周りを公転してくれているという安堵でした。

さらには、そうした天地の摂理が変わらず維持されていることへの感謝のような気持ちさえ感じました。よくぞ、地球を保ち続けてくれている、という感じです。

昨年あるいは一昨年に、天体としての地球の行く末について書かれた本を読みました。太陽の膨張による環境の変化は必ず起きますので、今の地球が未来永劫存在すると言うことは天文学的にはあり得ません。いつかは環境が変わるはずです。そうした中で、いまここにおいて人間が生きられる環境があると言うこと自体が、恩寵的な側面を持っている、と感じたのです。人間が生きられる環境が保持されているのは奇跡的なことです。

昨年は、オオイヌノフグリを見て春の訪れを感じて、同じような安堵を覚えました。今年もまた春の訪れを感じ、この春の訪れを毎回毎回愛おしむことが、生きると言うことです。それは春の訪れでもあり、夏の訪れでもあり、秋の訪れでもあり、冬の訪れでもあります。

日本における時間概念は四季のサイクルによって意味づけられています。四季を楽しむことこそ、人生を着実に歩むということ、あるいは充実した生をかたちづくることです。他の気候帯には、また別の時間概念があるのでしょうが、これは四季がはっきりしたのある温帯地方にある日本文化圏における人生なのだなあ、と思いました。

来週で2月は終わり。もう3月ですか。なんとなく、2月の立春よりも、3月に入った方が春になったという気分になります。ことしも良い春が来るといいな、と思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

2+

つれづれ──今週は長く短かった

1月最後の週が終わり、2月に入りました。あまりにたくさんのことがあった一週間で、月曜日が遙か彼方のように思います。けれども、なんだかあっという間に終わった感じもします。

時間の感覚が狂っています。睡眠時間も、4時間の日もあれば、7時間の日もあります。仕事場へ向かう電車のなかも睡眠をとっています。なにか朝なのか夜なのか、あるいは寝ていたのか起きていたのかよくわからない、といったような、そんな感じもします。時間感覚に違和感があり、二ヶ月のスパンがかなり短く感じています。つい二週間ほどまえ、扁桃炎で寝込んでいたような気がします。

本も、時間を見つけて何冊かよめましたし、昨日は500m、今日は400m泳ぎました。まあ充実した一週のかもしれませんが、それにしてはなにか感覚が違います。なにか人生レベルの変化が起きているような気もします。何が起きたのか、もうしばらく眺めてみないと、と思っています。

きょうはこちら。大学でジャズをやっていたときにとてもとても流行っていたIncognito。7年ほど前にもマイブーム的なものがあって、ずいぶん効いた記憶があります。

そうか、Incognitoを聴いていたのは7年前なのか。私はすでに、時がたつのが速く感じることに慣れていた気がしていましたが、なにか、慣れていたということ自体にも違和感を覚えているようです。時間の長さを感じるのは、時間÷年齢という算式によるもので、反比例的な曲線を描くと思っています。ジャネーの法則というそうです。しかし、一年ほど前に読んだ雑誌記事では、人間の代謝の速度に関係しているのではとありました。代謝が落ちると、心的時間が長くなるが物理時間が短くなるとのこと。

イベントが多いと時間の経過は遅いけれど、年を重ねると時間の経過は速くなる、のだとしたら今週はそんな一週間だったのかと思いました。

人生まだまだ加速していくのだとしたら、動きを加速しないと。やるべきことはたくさん。がんばらないと。

それではみなさま、おやすみなさい。

2+

世界は分断しているのか──アバドのモーツァルトを聴きながら

今日は、「分断を示唆する本」と、「分断がないことを示唆する本」、両方に触れてしまいました。まあすべてをフラットに考えた方が良いのでしょう。ニュースにはさまざまな分断が取りあげられますが、どれも誇張されたものなのかも知れない、そう思います。

分断というのは、例えば、西欧と東洋、隣国と日本、先進国と発展途上国などなど。

確かに、仕事においても、単純に、分断のパースペクティブを取り込むと仕事が進むことがままあります。それが正しいのか誤っているのかは別として。そうしないと、仕事が進まないのも事実で、必要悪と割り切るしかないのですが。

そんなことを思いながら、帰宅の電車で、聴いたのがこちら。アバドの振るモーツァルト。

私は、モーツァルトの交響曲でいうと35番が一番好きなのです。あの冒頭の跳躍がすばらしく感じます。アバドのモーツァルトを聴くと、慣れ親しんだアバドの指揮と、同じくかつてから親しんだ35番の音型に、なにか家に帰ってきたような落ち着きを感じました。違和感を感じることなく、落ち着いた気持ちになれるという意味において。

ところが、冒頭に書いた「分断を示唆する本」のことを思い出したのです。何故、西欧の音楽に慣れ親しみ、家に帰ったような落ち着きを感じるのか。私にしてみれば、普通に思うことですが、西欧への勝手な私淑である、という思いをふと感じたわけです。

おそらくは、欧州に行ったところで、なにかつまはじきにされるだけなんだろう、という思い。これは実際に欧州に行ってみて分かることです。こうした異文化との葛藤を、分断と理解すると、その分断が固定化してしまうのでは、と思うのです。

おそらくは西欧は一枚岩ではありません。日本も一枚岩ではないように。あらゆる分断における、彼岸と此岸は盤石ではありません。両岸をフラットに冷静にみるまなざしが必要であり、あるいはフラットに冷静に見ることは難しい、ということを認識しながら、努力すること。これがあらゆる「分断」において必要なことなのだろう、と考えました。

相変わらず冬場の体調不良が仕事場を席巻しています。インフルエンザ、胃腸炎。どうかみなさまもお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

3+

あの素晴らしい期待感をもう一度──Windowsを使う機会を増やしておもったこと

今年に入ってから、Windowsを使う機会が増えました。きっかけは、お正月に、WIndowsマシンに入っているファイルを取り出そうと思い、数年ぶりにデスクトップマシンを立ち上げたのがきっかけです。デスクトップマシンのなかには、懐かしいファイルがいくらか入っていたり、なくしたと思っていたPDFが見つかったりと、なかなか刺激的だったのでした。一番驚いたのは思いのほか使いやすいということ。仕事場はもちろんWindowsなので、仕事場と同じ感覚でPCを使えるのもいいなあ、とおもったのでした。

この機会に、かつてのように、ディスプレイを3枚つないで、写真のような環境にしてみました。3面ディスプレイは快適ではあります。ただ、無駄に画面が広く、なんだか注意散漫になるような感じも。もう少し試してみたいと思います。

さて、Windows10が出始めたとき、その使い心地はなにかつまらないものに思ったのを今でも覚えています。なんだか、かわりばえのしないプロダクトだなあ、と感じたのを漠然と覚えています。

昔、Windowsが出始めたころ、Windows3.1やWindows95が出たときのわくわく感のようなものは全くありませんでした。それよりもなによりも、Macのほうが全然使いやすいですし、デザインも優れていますので、わくわく感というとMacに勝るものはない、とおもっていました。

ですが、今年に入ってWindowsをつかってみると、なんだか新鮮さを覚えたのでした。2015年だったか、最初に触ったWindows10は、3年のうちに何度かのFuture Updateでずいぶん変わっていました。なるほど、なんだか面白い世界だな、と(ただ、そのうちいくつか(ダークモードや日没後に色温度を調整する機能)はMacの影響だな、ということも感じました)。

Macは、Appleによって構築された完成された世界で、仕事をしている感覚でした。それはそれで快適な世界です。Retinaディスプレイは美しく、iCloudでリンクしたMacとiPhoneやiPadがシームレスに、スケジュールや連絡先、タスクなどが連携する世界は、かつては夢に思えた世界です。また、リリースされているソフトウェアも実に質が高いです。Omnifocus、Scrivener、Ulyssesなど、美しく操作性の素晴らしいソフトウェアがMacで使えるというのは大きなアドバンテージです。

しかし、それはなにかAppleの管理下にあるもので、映画「マトリックスの世界」のように、管理された世界のなかで生きているような息苦しさを微かに感じていたのも事実です。なにか「1984」的とまではいかないまでも、管理され監視されているような感覚です。もちろん、Applenに限らず、プラットフォームを手にした企業であれば、収益のためにはもちろん「管理」をするのはいうまでもないわけですが。

ひるがえって、Windowsはどうか、というと、やはりそこもMicrosoftによって形作られた世界で、快適とはいえないまでも、Microsoftに厳格に管理された一つの世界なのでしょう。

しかし、WindowsにMacにはない自由を感じるのも事実です。マシンは自分でくみ上げることもできますし、Googleのサービスを使うのか、Microsoftのサービスを使うか、選ぶこともできます(もちろん、Macにおいても、GoogleやMicrosoftのサービスを使うことは可能ですが、Apple謹製のサービスを使うことを前提としている以上、その選択肢がベストチョイスになるのは事実)。

この点に関しては様々な意見があるのは事実で、これは個人的な現時点での感想に過ぎませんので、特にどちがら優れているとかそういう議論をするつもりは全くありません。また、すべては「波」ですので、個人的な関心がWindowsに向いているということにしか過ぎないわけで、また来月になると「やはりMacだよね」となるにちがいないのです。

以下のURLにあるように、Appleの業績が低下しているとか、昨今、イノベーティブなプロダクトがあまり出てこない、とか、そういう背景がこうした個人的な感想に結びついているのだ、とも思っています。これもよく言われていることですが、ジョブズがいなくなったAppleからイノベーティブが失われているのではないか、という論調。たしかに、Apple Watchなどのプロダクトが生まれて、わくわくしたものですが、さて、それ以降はなにがおこるか、想像できません。中国での売り上げ減少に言及したティム・クックのコメントを見ると、確かにイノベーションに関する言及ななく、ただ、「店頭で電話の下取りをしやすくしたり、割賦販売を行なったり、お使いの電話から新しい電話へのデータの移行をお手伝いしたりすること」とのみが、マクロ経済の条件が変わったとしても、実行するAppleのイニシアティブ、と語られているのが残念、という論調を読むと、そういう感想になってしまいます。もちろん、そう簡単にイニシアティブに関する企業秘密を語ることもできないのでしょうけれど。

ティム・クックからAppleの投資家への手紙https://www.apple.com/jp/newsroom/2019/01/letter-from-tim-cook-to-apple-investors/

どうしたアップル? 売上高の伸び悩みに関するティム・クックCEOの説明https://www.gizmodo.jp/2019/01/apple-shock-ceo.html

一つ心配なのは、やはりAppleもMicrosoftも大きくなりすぎた、ということなんだろうな、とも思います。大きい企業に身を置くと、これも実にたくさんのところで語られるような、大きい企業ならではの問題を感じます。こうした組織でイノベーションを起こすのは極めて難しいのでしょう。たくさんの人間がいると、派閥ができ、部門間で構想し、人間の嫉み妬みに横溢しているのでは、と想像してしまいます。規則に従うことが善となると、規則に反しないことが仕事となり、枠を変えた発想は抑圧されるでしょう。

職場がよどむ手続き優先上司 規則順守は「バカの壁」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO38859350S8A211C1000000?channel=DF200920184399&n_cid=DSPRM1489

ともかく、Appleなのか、Microsoftなのか、あるいはGoogleなのかFacebookなのか、Nvidiaなのか、いやここまで挙げた企業はすでに成熟してしまいましたので、もっと別の企業なのかわかりませんが、あの90年代初頭のような、これからなにが起こるのかわからないという感覚を覚えるようなものを、また見せてくれる企業が現れないかなあ、いや、現れるはず、あるいは私が知らないだけ、あるいはあの分野?あの会社?、と期待を持つ今日この頃です。

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つれづれ

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今日の東京地方は本当に寒い一日。朝、通りを歩くだけで本当に体の表層からじわりじわりと絶対零度が浸透してくる気配すら感じました。うまくいかないことが多いのですが、それでも、なんとか、なんとか、一日をやり過ごしました。朝から晩まで会議とその準備に忙殺され、ようやくと、終わった感じ。何をやっているんだか。

今日もApple Musicのプレイリストで新しい音楽を見つけようとしました。先日のジェイコブ・コリアーほどの衝撃はなかなかないものですが、それでも気になる音楽がいくつか。そういう楽しみはあります。明日もいい音楽を見つけたいなあ、と思います。

ともかく、先に進まないと。なんとかつくりださないと、という感じになってます。そのために今日は何ができたのだろう? そういう自問自答も。まあ、少しずつ前には進んでいるはずです。

本当につれづれなエントリー。どうぞみなさまも風邪などめされませぬようご自愛ください。おやすみなさい。グーテナハトです。

 

 

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謹賀新年

2019年初日の出。 本年もよろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございます。
今年は「変わる」ことを目標にしようと思います。何がどう変わるか……という問題はありますけれど。ともかく変化できなければ生きていけないのがこの世の中です。適応していくものが一番強いわけですから。

ともかく今年も辻文学や音楽のこと、あるいはさまざまな本のことを書いていきたいと思います。

2019年もよろしくおねがいいたします。

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2018年という年を振り返って

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2018年という一年をみなさまはいかが過ごされましたでしょうか。

人生というものは良いこともあれば悪いこともあるわけで、もちろん私の2018年も、良いこともあれば悪いこともありました。ただ、何か、悪いことを、そのまま「悪いこともあるものだ」と放っておくのもあまり良くないことではないか、と思うようにもなりました。

悪いことを是正するためには膨大な労力が必要になりますが、そろそろさまざま考えなければということと思います。

なんだか変な話になりましたが、それだけ悪いことのほうに意識が向いてしまう一年間だった、ということとも思いました。その悪いことというのも、実際にはそうそうたいしたことではないわけですし、あるいは、それも年が経てば思い出になってくるもの、とも思うのですが。

良いことに意識を向けるとすれば、たくさんの出会いの機会があったなあと。それが本当にありがたかったのです。それが2018年を思い出深い一年にしてくれるように思いました。

私は、幸い、12月28日から休日となりました。12月26日頃から、また喉の痛みが始まり、扁桃炎が再発したようですが、葛根湯を飲んで、なんとか治まったようです。やはり、日頃の疲労は隠しようがないようで、今日は休ませてもらいました。明日からまた再始動できるように務めます。

みなさまもお身体におきをつけてお過ごしください。おやすみなさい。

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急性扁桃炎で療養

はじめに

11月23日のエントリーで「風邪気味」と書いておりましたが、風邪どころか、急性扁桃炎でして、入院寸前のおおごとになってしまいました。

どなたかの参考になるかも知れませんので、以下記録して書いておこうと思いました。あくまでわたしの個人的な経験ですので、参考にとどめていただきたいと思います。医療機関で診察を受け指示に従ってください。

言えることは、とにかくいつもと違うことがあれば、すぐにお医者の診察を受けるべし、です。

11月20日(火)

明け方、軽い喉の痛みを感じました。いつもの風邪の前兆のように感じました。やれやれ、今年は何度も風邪をひくな、と思い、マスクをかけて出掛けたのでした。夕方、出張先の会議中、悪寒と熱っぽさを感じました。翌日、打ち合わせ予定だった後輩に「明日、風邪で休んだら悪いね」と冗談を言って帰宅しました。

11月21日(水)

特に喉の痛みは変わらず、37度近辺の微熱のみ。これでは仕事場を休めないね、と思い出発。今から思えば、朝の電車で、嫌な汗をかいていたのがいつもの風邪とはちがう点でしたが、微熱のせいだと思っていました。で、変わらず、仕事。帰宅すると、37度5分ほどで、風邪薬を飲んで就寝。

11月22日(木)

朝、熱は36度台に下がっていたので、まあ、また仕事に行けるね、ということで、出発。この日は肉体的には少しハードでした。午後、出張で外出し、また仕事場に戻って打ち合わせ、という感じ。少し疲れていましたが、まあ、なんとかこなして帰宅。熱はそんなに上がっていません。

11月23日(金)

23日は勤労感謝の日。祝日なので、かかりつけ医はおやすみ。で、午前中は外出し、午後は昼寝。ただ、そろそろ喉の痛みが激しくなっていて、食事が食べにくくなってきたように感じました。

11月24日(土)

明け方、喉の痛みが激しくなり、どうにも眠りが浅くなる感じ。仕事場で論争をする夢を見たりしました。で、朝一にかかりつけ医(内科)へ。

喉が痛く、微熱が続く、と言って診てもらうと、扁桃炎ですね、という想像していなかった診断でした。かつて父からは、「患者は病名を言うな。病名を言うと医者から嫌われる」と言われていましたので、この日も「風邪をひきまして」と言いそうになるのを控えて、よかったな、と思ったり。

で、溶連菌の検査。どうも、腎炎になる可能性や、他の人にうつる可能性があるとのこと。結果は陰性。ペニシリン系の抗生剤と痛み止め、うがい薬、トローチを出してもらい、帰宅。これで、なんとか週末に良くなりそう、とホッとして、帰宅。さっそく、抗生剤を飲んで、痛み止めを飲み、休ませてもらいました。ですが、どうも良くなる気配はありません。熱も37度前後を行ったりきたり。

食事も喉を通りにくく、おかゆを食べるのみ。痛み止めがないと、唾液すら飲み込めない状況。鎮痛剤が切れた夜は本当につらい状況でした。

11月25日(日)

明け方、酷い喉の痛み。たまらず指定以上に鎮痛剤を飲まざるを得ません。熱も38度近くまであがってしまいます。

おかしい。何かがおかしい。

夜になると、熱は38度を超え始めます。口の中をみてみると、口蓋垂付近が酷く腫れ上がっていて、いままで見たことのない状態に。

身体を横たえると、腫れ上がった口蓋垂が気道を塞ぐらしく、呼吸が出来なくなる状態。痛みは、鎮痛剤でなんとかするにせよ、呼吸が出来ないのは本当に問題。救急車を呼ぼうか迷いました。熱も38度を超えていて、つらい状況。

11月26日(月)

かかりつけ医へ朝一番で駆け込みました。喉の中をみた途端、内科では埒があかず、耳鼻咽喉科、それも総合病院の耳鼻咽喉科へすぐに行けとなりました。看護師さんがいくつかの総合病院に電話であたってもらいましたが、なかなか診てくれない感じ。すこし遠い総合病院でようやく診てくれることになり、バスを使って1時間ほどかけて病院に到着。

血圧と心拍を看護師に測ってもらうと、いつもより高いです。Apple Watch の高心拍警報も出続けていて、やれやれ、と言う感じ。

耳鼻咽喉科の先生、まずは水が飲めるか、と聴かれ、飲めます、と答えました。次に、口の中を覗くなり、「これから喉の検査をしますが、検査次第では、入院することもありますがよろしいか?」とおっしゃる。実際のところ、昨夜の感じだと、入院しかないな、と思っていたので、承諾。で、検査は、鼻からファイバースコープを通して、気道が確保されているかを確認。それから、喉頭に腫れが生じていないか確認。ここで問題がなかったので、さしあたり入院は免れました。

後から調べると、喉頭(食道と肺をつなぐ)が腫れて気道が確保できないと呼吸困難となり気管切開(首に直接穴を開ける)ことになるらしく、それを確認していたものと思われます。

で、抗生剤を増量しつつ、腫れを抑えるステロイド剤が追加されました。翌日に診察の予約。腫れが広がっていないか確認したい、とのこと。

で、帰宅し、安静に過ごしました。夜は、少しだけ、楽になった感覚はありましたが、やはり寝ていると、喉が塞がれる感覚があって、身体を起こして眠ったり、頭を高く持ち上げて眠ったり、と、なかなか落ち着いて眠れませんでした。

11月27日(火)

朝起きて、口の中を診てみると、少しだけ腫れが収まっているように思いました。医者の予約は9時30分から。9時過ぎに病院に着くとすぐに診察開始。腫れは喉頭には達しておらず、想定通り、と言うことで、投薬を継続とのこと。

仕事に行って良いか、尋ねると、「若いし、食事もとれてはいるけどね……」というフレーズを二回繰り返される。で、「まあ、入院を迷うぐらいだから、自宅安静で」と言うことになり、仕事場へ行くのは次の診察までは諦めました。

それにしても、とにかく、喉が痛いです。鎮痛剤を飲まなければ、水を飲むのことも出来ません。

11月28日(水)

明け方は、まだ2時間おきに目が覚める状況。喉の痛みと呼吸のしづらさがその原因。昼間はひたすら安静。ロキソニンを昼間飲んでしまうと、夜はカロナールで乗り切るしかないのですが、カロナールは、効果のある時間がロキソニンより短いので、夜がつらくなるわけです。

で、この日から、昼間はカロナールを使い、夜はロキソニンを使うことにしました。21時過ぎにロキソニンを飲んで就寝。夜中の2時半頃、喉の痛みが激しく起きたタイミングでロキソニンを飲んで、また眠る、という感じ。そうすると、睡眠時間が4時間程度はまとまってとれるようになったというわけです。この日を境に、治るかも、という実感がわきました。

11月29日(木)

ひたすら安静。このあたりから、のどの腫れがおさまりはじめ、眠りについてもなんとか呼吸が出来るようになってきた感じがしました。

11月30日(金)

午前中に診察。腫れも引いており、もう大丈夫です、とのこと。若いと治りが早いね、というコメントもあり。なるほど、若いのか、と勝手に納得。若いという評価もあくまで相対的なものでしかありませんが。

診断書を書いてもらい、晴れて放免。ただ、抗生剤は飲みきること、とのこと。Webなどを検索して呼んでいる中で分かったのは、抗生剤を勝手にやめると、再発リスクがあるらしいです。

午後は粛々と安静に過ごしました。ただ、妙な疲れを感じました。病気疲れなのか、あるいは薬の副作用か。

12月1日(土)

久々に長い時間眠れました。痛みも少し減って、食事もずいぶんとれるようになってきました。しかし、疲労感が半端ないです。おそらくは抗生剤の副作用ではないか、と想像しています。

就寝後、夜中に身体が気持ち悪くて起きてしまいました。シャワーを浴びると身体に発疹が。これはおそらくは抗生剤の副作用かと思われます。

さしあたりおしまい

きりがないのでここまで。おもったより長くなってしまいました。

とにかく、つらい一週間でした。今は、痛みがなくなりつつあり、なにか喉元過ぎれば熱さを忘れる、という感も否めませんが、薬の副作用も出始めていて、やれやれ、と言う感じです。週明けからはたまった仕事もあるし、など。

結局は、風邪をずいぶん引き続けていたところに、疲労が相まって、かかってしまった、と言うことなんでしょう。毎年この時期に風邪は引きますので、きをつけているつもりですが、思ったより疲れていたと言うことなのかな、と。こちらの文脈では、もう若くはないので、ということになるのだと思いました。

みなさまもどうかお気をつけください。

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