Classical

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小学校の頃FMのクラシック番組で「プレリュード、フーガとリッフ」を初めて聞きました。当時ジャズの存在をあまりよく知らなかった僕は、これがジャズなんだ、といたく感銘を受けたのを覚えています。今から思えば、あれが初めて聞いたスイングだったのだな、と思います。同じ番組の中ではポール・ホワイトマンの曲も演奏されていて、ビックバンド・サウンドに胸を衝かれました。こんな音楽があるなんて!と…。
エアチェックしたテープはすり切れるぐらい聴いていたのですが、ある日、間違えてマーラーの復活(指揮はやはりバーンスタインでしたが…)のエアチェックをしようとして上書き録音してしまい、色を失ったのを覚えています。当時感銘を受けた演奏はいったい誰のものだったのか、今となっては探し出すのは不可能になってしまいました。
大人になってからCDを買ったり、テレビで録画してみたりしたのですが、当時の演奏のようなスイングした演奏を探し出せずじまいになっています。今回聞いた盤での演奏は、ウィーンフィルをバーンスタインが振っているのですが、スイング感やグルーヴ感は小学校の頃聴いた演奏に到底及ばないのが悲しいところです。バーンスタイン自身が振っているので期待したのですが…。ウィーンフィルも健闘はしているのですが、聞き手に「健闘している」と言ってしまた時点で駄目なのでしょうね…。やはりウィーンフィルとジャズというのは全く水と油の関係なのか、バーンスタイン自身が振っても駄目なのだなあ、と少しがっかりしてしまいました(それでも健闘しているだけウィーンフィルは偉大なのだと思いますが)。
この曲をジャズ畑の演奏家が演奏している盤を聴きたくなってきます。今年は良い機会なので物色してみようかな、と思います。
ちなみにこの盤の「シンフォニックダンス」の演奏ですが、「フーガとリッフ」に比べれば良質な点が見つかります。"Somewhere:Adagio"や"Finale:Adagio"の弦楽部の美しさが際立つので救われています。オケのハーモニーも美しいです。しかし"Mambo:Presto"や"Cool",Fugue,Allegrettoのグルーヴ感は少々足らないかなと……。リズムが重いのですね。もたり気味というか……。特にスネアのノリが……。頑張って「Mambo!」と楽団員が叫んでいるのがほほえましいのですが……。
めずらしく辛口気味になりました。どうもジャズ関連ですと生意気にもいろいろ言いたくなるものでして…。本当にすいません。一日も「プレリュード、フーガとリッフ」の好演盤を知りたいところです。アマゾンでもタワーでも見つからないのです……。どなたかご存じでしたら是非ご教授ください。

Tsuji Kunio

辻邦生全集〈8〉 辻邦生全集〈8〉
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「風越峠にて」を大晦日に読みました。昨年の読み納めでした。この短篇を読むのは5年ぶりぐらいになると思いますが、いつ読んでも、気品と情熱を感じる薫り高い短篇だなあ、と思いました。また、今回もまた新たな発見をいろいろとした次第です。

今回は、この短篇に登場する土地について考えてみたいと思います。

風越峠のモデルは?

風越峠は全国に点在しているようです。以下の県にその地名が見られるようです。

  • 宮城県
  • 福島県
  • 長野県
  • 静岡県(二つ)
  • 愛知県

「日本の峠一覧」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2006年12月31日 (日) 07:10 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

辻先生は旧制松本高校に通っていらしたので、おそらく松本市北部にある風越峠が、辻先生にインスピレーションを与えたのではないか、と想像します。こちらに写真が載っていました。

軟弱派峠道紀行(2007年1月1日アクセス)

「私」と谷村が泊ったホテルは?

文中には「東山に近い」ホテルに泊ったと在ります。以下の理由から、これは現在の「ウェスティン都ホテル京都」ではないかと思われます。ホテルのロビーには外国人が居るという描写があることから、比較的規模の大きいホテルではないかと想像されます。また、「私」と谷村は再会の夜、南禅寺近くの料亭で食事をしています。南禅寺はウェスティン都ホテルのすぐ傍ですので、自然と近くの料亭で食事をとることになったのでしょう。
地図のAの地点がホテルです。ホテルの北東に南禅寺があります。
「ウェスティン都ホテル京都」は、かつて「都ホテル」という名称でしたが、ウェスティンホテルの系列下に入り現在の名称となりました。おそらく二人が泊った頃は「都ホテル」という名称だったのでしょう。

「私」と谷村が乗った電鉄とは?

間違いなく近鉄京都線だと思います。京都から奈良へのアクセスは近鉄とJR奈良線の二通りが考えられますが「電鉄にゆれられ、いくつか乗り換えをし」という言葉から、近鉄を使ったのではないかと想像されます。JR奈良線を使ったのならば、電鉄ではなく国鉄と表記をしたのではないでしょうか?
二上山の麓の駅は、近鉄南大阪線の二上神社口駅と思われます。ここから1時間30分山を登ったところに大津皇子陵があります。したがって、以下のような旅程だったのではないでしょうか?

●京都
|  8:40発
|    近鉄京都線(急行)41分
↓大和西大寺
|    近鉄橿原線(急行)26分
| △9:50着
○橿原神宮前
|  9:55発
|    近鉄南大阪線(普通)22分
| △10:17着
■二上神社口

二上神社口駅は「にじょうじんじゃぐち」と読みます。駅と大津皇子陵の位置関係はこちらの地図・航空写真の通りです。

先日も書きましたが、僕が「風越峠にて」を初めて読んだのは近鉄京都線の車中でした。京都駅から京田辺市へ向かうために乗っていたのです。これも一つのシンクロニシティと言えるのではないかと思った次第です。

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