バッハ:ヨハネ受難曲
posted with amazlet on 07.12.04
リヒター(カール) ミュンヘン・バッハ合唱団 リアー(イヴリン) テッパー(ヘルタ) エンゲン(キート) プライ(ヘルマン) ヘフリガー(エルンスト) ミュンヘン・バッハ管弦楽団 ヘルテル(バレンティン) ウール(オスバルト)
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今日はヨハネ受難曲を聴いています。初めて聞いたのは中学生の頃だったと思いますが、冒頭の通奏低音と合唱の不気味さに驚愕し、これはもう「はげ山の一夜」ぐらいおどろおどろしい情景だ、と思った記憶があります。受難曲ですので、受難や磔刑の暗いイメージが冒頭からにじみ出していると言うところでしょうか。イエスという肉体が滅びる哀しみと絶望を表現するためには、これぐらい肉的でどろどろした汚濁を描いて見せなければならないと言うことなのだと思います。この曲を聴いてバッハの清純イメージ僕の中で急展開し、キリスト教の持つ肉的な部分──それは、聖遺物の展示や、聖者の遺骸がガラス張りの棺に収められていたり、という部分なのですが──をも表現することが出来る作曲家なのだ、と思った次第でした。
しかしそんな中にもオアシスのような美しいアリアがあります。フルートが先導しソプラノへバトンを渡すこの部分です。
この部分、本当に美しくて、ついつい涙ぐんでしまうこともしばしばです。
リヒターの演奏は、ピリオド的なものでは当然ないのですが、バッハの「肉的」な部分をうまく表現していると思います。それは、リヒターのチェンバロ協奏曲を聴いたときにも抱いた感想でした。リヒターは50歳半ばにして病に倒れるのですが、その後のバロック音楽演奏情勢を知らずになくなったのは少し残念かもしれません。