今日は早起きです。6時からNHKのBS-3で「第76回日本音楽コンクール本選会」をやっていますね。早起きをすると良いこともあるようです。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をやっています。やはりここまで残っておられる方は相当巧いですね。私も下手に老け込まずに頑張ろう。
※ テクノラティのブログURLを変更すると、新しい記事をポストするよう要求されたので、朝早いですが投稿してみました。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
今日は早起きです。6時からNHKのBS-3で「第76回日本音楽コンクール本選会」をやっていますね。早起きをすると良いこともあるようです。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をやっています。やはりここまで残っておられる方は相当巧いですね。私も下手に老け込まずに頑張ろう。
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今日も相も変わらずバッハです。どうもたまに浮かされたように作曲家にはまっていくようですね。先だってはヴォーン・ウィリアムズでしたが、最近はバッハです。
今日は、ミュンヒンガー指揮の音楽の捧げものです。ゲーベルさんがピリオド楽器でしたが、ミュンヒンガーさんの場合は弦楽合奏を中心とした現代的な響きです。とはいえ、清々しい透明感のある演奏ですね。冒頭のテーマの部分はゆっくりと弦楽合奏が奏でる感じです。大好きなのはソナタ・アレグロで、テーマのコード進行がスピード感のあるテーマで奏でられているあたり、バッハの職人芸だと思うのですが、演奏する方も素晴らしいと思います。しばらくはこの曲だけ聴いていてもいいなあ、と思うほどです
先だって、コンサートに行ったとき、隣に座った初老の男性に声をかけられた。よくお話を伺ってみると、その方はかつて某交響楽団付属の合唱団で歌っておられたそうだ。今日の曲目にバッハの「ヨハネ受難曲」のなかから選ばれた曲がありますね、と話を振ってみると、マタイ受難曲がお好きな風。でも、マタイは少し長いので聞くのにもなかなか躊躇してしまって、ついついヨハネを聞いてしまうんですよ、と言うと、男性は、やっぱりマタイですよ、とおっしゃる。
というわけで、今日はマタイ受難曲を聴いてみる。演奏は、ロ短調ミサ曲を振ったオットー・クレンペラー。演奏は重厚で、ピリオド楽器隆盛な今となっては古風な演奏家もしれないけれど、僕はこういう重い演奏は嫌いではない。むしろ好きなぐらい。リヒター盤も持っているけれど、いざ聴くとなると今日はクレンペラーを選んでしまった。僕にとってバッハ演奏で最大の衝撃だったのは、クレンペラーのミサ曲ロ短調の冒頭なので。
ディースカウさん、シュヴァルツコップさん、ゲッダさん、ルートヴィヒさん、といった高名な声楽家を揃えたレコーディングはやはり圧倒的。マタイのことを語るほど僕は聞き込んでいないから、何を書けばいいのか分からないけれど、とにかうディースカウさん、若いです。でも、円熟期へ至る道筋が見える。若くてもやはりディースカウさんはディースカウさんの個性を持っておられる。
今週はバッハを聴く機会が多かった。というのも、森麻季さんが出演されたドレスデン室内管弦楽団のコンサートに出掛けたから。曲目がバロック以前のものが多かったと言うこともあり、すこしバロック的なオンタイムな音楽を聴こう、と思ったのだった。このコンサートのことについてはまた後日ご報告したいと思う。
それにしても、幾ばくかの愁いはあるとしても、こうして静かな休日の午後にバッハを聴くという贅沢は、身に余る贅沢に思えて仕方がない。これこそ感謝しなくてはならないことなのだなあ、と思ったりしている。
先だって観に行ったドレスデン国立歌劇場来日公演の「ばらの騎士」。
「カットされていない部分が多くて全体的に長い印象だった」と書いたのですが、ちょっと間違ったことを書いてしまったかな、と思っています。
http://museumshushi.blog77.fc2.com/blog-entry-462.html
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/2007/11/1983.html
拠所となったのは、マルシャリンがゾフィーに顔色のところを問いつめる場面と、マルシャリンの部屋でヴァルツァッキがオックスに自分を売り込む場面がなかったのではないか、という思いだったのですが、カラヤン盤のライナーを見ると、どちらもあることに気づきました。ごめんなさい。
しかし、やはりどうしても聞いたことのないばらの騎士を聞いた気がするのですよ……。凄く新鮮な気分で聞けた気持だったのです。あれはなんだったのだろう? 指揮のファビオ・ルイジの音楽の作り方のせいなのか、あるいは、ばらの騎士を聴き続けた僕の中で何かが変わったのか? あるいは、僕がはっきりと認識できなかったところでノーカットになっていたのか……。
ともかく、すこし安易に書いてしまったことはお詫び致します。
サンタ・マリア・デル・フィオーレの次は、サンタ・クローチェ教会へ。サンタ・クローチェ前の広場では欧州物産展が開かれていて、ドイツビールやオランダのチーズ、オーストリアのケーキなどの屋台が出てにぎわっている。かつて、ここで馬上槍試合が繰り広げられ、ジュリアーノ・メディチがロドルフォ・パッツィを打ち負かし死に至らしめるという故事があったことは、辻邦生さんの「春の戴冠」で取り上げられているとおり。物産展が開かれていたせいか、意外と狭い広場だな、と感じた。ここで馬上槍試合が行われたというのが俄には信じがたい感じを持つ。
サンタ・クローチェ教会には、イタリアの偉人たちの墓がたくさん。ロッシーニ、マキアヴェッリなどなど。深閑とした静寂が聖堂内に広がっている。
中庭に出たときの清浄感たるや感動的。教会前広場の喧騒も聞こえず、ただ小鳥のさえずりが聞こえるだけ。中庭をゆっくりと散策する贅沢。申し訳ないぐらい。
バッハ晩年の「音楽の捧げもの」を聴いています。ラインハルト・ゲーベル指揮のムジカ・アンティクワ・ケルンの演奏にて。毒々しさがなく清浄な流れのバッハ。心が安まりますね。それでいてSonata Allegroのように躍動感があって、元気付けてくれる演奏でもあります。なかなかすばらしいです。
この曲は、高校のころはレンタルCDで借りたのをテープに録音してよく聴いていました。
この曲のテーマは以下の譜面の通り。これがどんどん変奏されていくわけですが、まさに妙技ですね。同じテーマ≒同じコード進行を展開させていくあたりは、ジャズ的でもありますね。
お恥ずかしながら、本日初めて聞いた「キージェ中尉」。なかなか軽妙な曲ですね。軽快でユーモアの溢れる曲想が全体を支配していますが、ロシア民謡的な旋律がバスクラリネットやピッコロなどで不気味に演奏されて、軽妙な旋律とポリフォニックに動いたりポリリズムを刻んだりするあたりがおもしろいですね。きっと演奏するのは骨が折れると思います。もともとは映画音楽のために作られた曲で、交響組曲に編曲されたそうです。
聞いていると、ブリテンの「青少年のための音楽入門」を思い出します。あれも強烈にポリリズムになるところがありますよね。ポリリズムと言えば少し苦い思い出が。かつて、先輩のバンドでサックスを吹いたことがあるのですが、私の他はみんな理系の先輩方で、リズムに対する意識が僕には分からないぐらいに凄いのですよ。ドラムは7拍子で、ベースは4拍子で、1拍目が合致するのが28小節目で、みたいなイメージ。正直ついていくのが大変でした。というよりついて行けなかったかも……。僕の才能不足だと思います。はい。
音楽を極められる方は、理系の方が多い、というが僕の持論ですが(「ド文系」の僕だからこそ言えることだとは思いますが)やはり数学的なセンスがないと、リズムを体感したり、調性の移行感覚や、コードの数字の積み上げといった記号論的な理論を習得するのは難しいです。もちろん、文系の方でも優秀な方はこうした面をクリアされておられるとは思うのですが。すこし自虐的になってしまいますので、このあたりで止めておこうと思います。
今日はヨハネ受難曲を聴いています。初めて聞いたのは中学生の頃だったと思いますが、冒頭の通奏低音と合唱の不気味さに驚愕し、これはもう「はげ山の一夜」ぐらいおどろおどろしい情景だ、と思った記憶があります。受難曲ですので、受難や磔刑の暗いイメージが冒頭からにじみ出していると言うところでしょうか。イエスという肉体が滅びる哀しみと絶望を表現するためには、これぐらい肉的でどろどろした汚濁を描いて見せなければならないと言うことなのだと思います。この曲を聴いてバッハの清純イメージ僕の中で急展開し、キリスト教の持つ肉的な部分──それは、聖遺物の展示や、聖者の遺骸がガラス張りの棺に収められていたり、という部分なのですが──をも表現することが出来る作曲家なのだ、と思った次第でした。
しかしそんな中にもオアシスのような美しいアリアがあります。フルートが先導しソプラノへバトンを渡すこの部分です。
この部分、本当に美しくて、ついつい涙ぐんでしまうこともしばしばです。
リヒターの演奏は、ピリオド的なものでは当然ないのですが、バッハの「肉的」な部分をうまく表現していると思います。それは、リヒターのチェンバロ協奏曲を聴いたときにも抱いた感想でした。リヒターは50歳半ばにして病に倒れるのですが、その後のバロック音楽演奏情勢を知らずになくなったのは少し残念かもしれません。
聖堂の左手奥にクープラへの上り口がある。簡単なチェックのあと、薄暗い階段を昇り始める。思ったより疲れないのは、毎日ウォーキングを欠かさなかったからかな、などと思っていると、クープラの内側の通路に出る。円錐の円周の内側に設けられた通路というべきか。ここから聖堂内が見渡せる。大きい。思った以上に大きい。頭上にはフレスコ画。これもすごい。ルネサンス的描写製を持つ絵で、ここまで書くのは本当に大変だと思う。
クープラの天頂部分への通廊と階段はまだ続いていく。あまり疲れないのがとても嬉しい。昔に比べて大分と体調が戻ってきたのだなあ、と思う。
天頂部に到着すると、一気に視界が広がる。360度フィレンツェの煉瓦色の屋根瓦と淡いカーキ色の壁を持つ建物がアルノ河の作った渓谷いっぱいに広がっているのが見える。ああ、あれがサンタクローチェ教会だ、あれがメディチ家礼拝堂だ、などと地図を見ながら風景を楽しむ幸せ。屋上に小さな庭をもつ家が見える。あんな家に住めたらどんなに幸せだろうか。
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以下のリンクが参考となります。
http://www.sixapart.jp/pronet/developers/movabletype/mt4_comment_authentication_methods.html