Opera

整理するために、アイーダの人物相関図を作ってみました。

 

Aida
Aida posted by (C)shushi

アイーダがエチオピアの王女で奴隷だと言うのに、どうしてラダメスと知り合ったのか、という謎。アムネリスがラダメスに思いを寄せるのはよく分かります。きっとお嬢様で、何でも欲しいものは手に入れてきた手合いなのでしょう。ラダメスは立派ですが、少しお人好しでもあります。だからこそアモナズロの策にはまってしまう。アイーダの心は真っ二つでしょうね。敵国の将と恋に落ちるのですから。いわばウェストサイド物語というかロミオとジュリエットというか、古典的な悲恋物語の範型をとどめています。

Giuseppe Verdi,Opera

先日から隙間時間で少しずつ見ていた「アイーダ」のDVD。ようやく完了です。音楽を聴いてかなり覚え込むと、映像をみるととても愉しめます。

マゼールの指揮はキリッとしている。盛上げるところはテンポを上げてダイナミクスをつけています。まあ、オケや歌手が追随できていないところもありました。それから、第二幕の第一場で少々オケが乱れるところも。カラヤン盤でもやはり少々リズムが揺れるところなので難しいのだと思いますが。裏と表の拍節の取り方が難しいところなのです。ライヴですし仕方がないと思います。ですのでご愛敬です。全体的に割合に濃密な音作りだと思いました。

ラダメスのパヴァロッティは絶好調。張りがあって威力ある歌声はすさまじい。アイーダを歌うマリア・キアーラさんも健闘。アムネリスを歌うゲーナ・ディミトローヴァさんは、悪役なのか味方なのかよく分からないアムネリスの難しい役回りをうまくこなしていましたが、演出の都合もあるのでしょうけれど、もう少しナイーヴなアムネリスも見てみたいなあ、という感想も。

やはり第四幕の前半はアムネリスが悲劇のヒロイン的な状況で、アイーダの悲劇的状況も相俟って見ると、ラダメスよ、しっかりせよ、と言いたくなりました。二人の女性を死に追いやったり絶望の淵に立たせたり、とラダメスはなかなかに女泣かせな男なのです。自分への真偽を貫くのはいいのですが。

アイーダはプロットしてもとても面白いので、いろいろ翻案してみると面白そうです。

今回、アイーダをむさぼるように聞いたおかげで、ヴェルディのオペラが面白くなりました。やはり理解できない楽曲であっても、諦めずに聞き込むと面白くなってきます。この調子で、ヴェルディの他のオペラ群も楽しめるようになれるといいなあ、と思います。

 

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ロリン・マゼール
  • 管弦楽==ミラノ・スカラ座管弦楽団
  • 合唱==ミラノ・スカラ座合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==マリア・キアーラ
  • ラダメス==テノール==フェルナンド・パヴァロッティ
  • アムネリス==ソプラノ==ゲーナ・ディミトローヴァ
  • アモナスロ==バリトン==フアン・ポンス
  • ランフィス==バス==ニコライ・ギャウロフ

Art

昨日の続きです。今更ですが、ちょっとバロックについてまとめてみようと思います。

バロックとは、大まかに言えばルネサンスのあと、ロココの前ということで、16世紀後半から18世紀半ばにかけての美術、建築、音楽、文学の様式概念で、スペイン語で「歪んだ真珠」を意味するbaroccoからきているとも、ルネサンス期哲学者が法外な論証をbaroccoと読んだことに由来するそうです。

美術においては「奇妙でグロテスクなもの」とされているようです。バロック美術で言うと、絵画では、カラバッジョ、ニコラ・プッサン、エル・グレコ、ベラスケス、ルーベンス、レンブラント達が立役者。年代的にはクロード・ロラン(クロード・ジュレ)(1602-1682)もバロックでしょうか。プッサンの影響を受けていると言うことですので、おそらくバロックに分類しても良いと思います。

バロック建築でいうと、ベルニーニとボロミーニのローマでの活躍で絶頂を迎えます。ヴェルサイユ宮殿もバロック建築なのですね。

ベルニーニは彫刻のほうが有名でしょうか。 先日、昔録画していた、NHKの「世界美術館紀行」でローマのボルゲーゼ美術館を取り上げていた回を見たのですが、ベルニーニの、彫刻とは思えない肉感的で透徹とした大理石彫刻を見たところでしたし、カラバッジョも近代絵画の祖として紹介されていましたので先日来バロック付いている感じです

。 特にベルニーニの彫刻は映像で見る限りすばらしすぎる。ダフネを我が者にしようと迫り来るアポロンから逃れようと、ダフネが月桂樹に変容していく瞬間を捉えた彫刻では、ダフネの指先が木の枝に変わり、足は根付き始めるのが実に細密精緻に彫られていました。このエピソードは、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ダフネ」で取り上げられている題材です。

ベルニーニは、「ダ・ヴィンチコード」の著者であるダン・ブラウンが書いた「天使と悪魔」でも登場しました。あれも面白い本でしたね。

Classical

この数ヶ月のことを思い出すと、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を9冊分を読了、加えて、「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷、「神の代理人」を読了、という感じで、個人的に限られた時間の中で塩野七生作品を結構読んだなあ、という感じ。しかし、今年の目標である、年間100冊には及ばないです。半年が経ちましたが、まだ40冊ぐらい。後半はペース上げないとだめかも。

仕事の方はといえば、今月稼働するはずだったプロジェクトが11月に稼働延期となったものの、6月になかなか手がつけられなかった10月稼働のプロジェクトの方が追い込まれてきていて、少々厳しい状況に追い込まれつつあります。そうはいっても、何とかするのですけれど。

音楽の方はといえば、この一ヶ月弱を「アイーダ」に捧げきりました。

というわけで、いろいろと根を詰めてやっていますので、ちょっと休みたいなあ、ということで、今日はコレッリを聞いてみることにしました。大分前に図書館で借りていたのですが、聞けていなかったものです。Concerti Grossi Op.6です。ディスク二枚組ですね。

イタリア語はあまりよく分っていないのですが、直訳すると大きな協奏曲集となります。しかしながら、辞書を引きますと、Concerto grossoで、「合奏協奏曲」とありますので、Concerti Grossiは合奏協奏曲集ということになりましょう。concertoは男性名詞ですので、語尾がiとなることで複数形となります。勉強になりました。間違いがあればご指摘を。

コレッリは1653年にフジニャーノに生まれ、1713年にローマで亡くなっています。ちなみに、ヴィヴァルディは1678年に生まれ、1741年に亡くなっていますから、コレッリはヴィヴァルディの一つ前の世代ですね。 17歳でボローニャのアカデミア・フィラルモニカの会員になった、とブリタニカ百科事典にありますが、神童ぶりを発揮していたんでしょうね。アカデミア・フィラルモニカは基本的には20歳以上じゃないと入れなかったのだそうです。コレッリの他にもやはり20歳に満たずにアカデミアに入会した音楽家がいるのですが、それはモーツァルトなのだそうです。コレッリ恐るべし。

合奏協奏曲、また本当に良いのですよ。心のオーバーホールということにいたしましょう。これはヴィヴァルディに影響を与えたであろう響きですよ。通奏低音がとても気持ちよいのです。これはちょっと癖になりそうな音楽です。録音もなかなか良いのです。ほどよいリヴァーヴ感が良く出ていて、とても気持が良い。コレッリの音楽は、同じバロックでもバッハとは違いますね。バッハの音楽にはある種の憂愁感、敬虔さ、生真面目さがあると思うのですが、コレッリの場合は、奔放に明るく素直に歌い上げている感じがします。もちろん、愁いに満ちた楽章もあるのですが、それですら、黄昏時の美しさを描写したのではないか、という気がするぐらい、美への透徹とした眼差しが失われていないように聞こえるのです。

バロック音楽ですので、テンポをこまめに変えたりはしないのですが、対旋律を巧く聞かせることでダイナミックな音作りになっていると思います。フーガも気持ちいいです。これは本当にお勧めです。

第8番のPastorale:Largoは、どこかで聴いたことがある曲。クリスマスという題名ですね。記憶間違いでなければ、イギリスのテレビ映画「小公子」だったかなあ、と。アレック・ギネスが伯爵役で出演していた心温まる映画で、最後のクリスマスパーティの場面で演奏されていたような。

Classical

昨日は所用で学習院大学のキャンパスにいってまいりました。学習院大学は、辻邦生師が教鞭を執っておられたゆかりの場所です。きっとこの道、この風景、この木々を眺めておられたのだろうな、と思うと感慨もひとしおでした。個人的には学習院大学には苦い思い出(受験したわけではないですよ)もありますので、なかなか複雑な気分を味わいました。

本当に暑い一日でしたが、今年の東京は、なんだか蝉の鳴き声が聞こえません。夕方に家の外に出てみると、か細く蝉が鳴いているのが聞こえたぐらい。毎年こんなものでしたでしょうか? なんとなく静かな夏という風情です。

この数週間は緑(Verdi)一色でしたので、たまにはベートーヴェンなども、と思いました。「葉っぱに埃がついたので水をかけて払ってやったでちブログ」さんのrudolf2006さんがベートーヴェンの弦楽四重奏を取り上げておられて、急に聞きたくなった次第。持っているのはアルバンベルク四重奏団の全曲盤で、10年近く前に大枚をはたいて買ったのです。どうやら最近は廉価版で出ているようですね。ショックでかいです……。

Beethoven: The Complete String Quartets
Alban Berg Quartett
EMI Classics (1999-11-16)
売り上げランキング: 11693
おすすめ度の平均: 4.5

5 永遠の金字塔
4 スタンダード

この曲の第三楽章、2分半ほどたったところのフレーズが好きで好きで仕方がないのですよ。長い音符が響き渡って、まるで川が静かに流れているのを眺めている気分だったのが、突然、典雅で優美で上品でたおやかな美しさを持つフレーズが現れる。ABQの演奏は思ったより遅いテンポでカンタービレ、みたいな感じ。7分半ほどのところでも再度登場しますが、微妙に旋律は変奏されていてふくよかな味わいを増している。四人の奏者だというのに雄弁です。これもやはりご馳走ですね。最終楽章も良いですねえ。少し愁いを帯びた旋律が徐々に上昇していって、情感がほとばしっていくのがよく見えてきます。

フランクフルトからケルンへ向かうインターシティに乗ったことがありますが、ライン川の滔々とした流れを眺めていると突然向こう岸の山の頂に古い城があるのが見えてきて、驚いたのですが、そんなことを思い出してしまいました。古き良きドイツの良心だなあ、と思います。

ABQは一度だけ聴きに行ったことがあります。やはりベートーヴェンの弦楽四重奏でした。サインもしてもらったはずなのですが、そのCDは何処に行ったのだろう……。

Opera

Salome in NNTT

昨週の水曜日の新聞に、新国立劇場の次期芸術監督人事についての記事が載っていました。今更ながらご紹介。すでにご存じのように、若杉弘さんは2010年秋に芸術監督を退き、尾高忠明さんが次期芸術監督に就任することが発表されています。2007-2008シーズンから若杉さんが就任したというのにもう次期監督ですか、と少々困惑したのですが、新聞によると芸術監督の任期は三年なのだそうです。そうすると、あと2シーズンで若杉さんが退任すると言うことになる。

うーん、個人的には「軍人たち」上演に代表される若杉さんのチャレンジに期待していただけに、残念だなあ、という感じ。あと2シーズンあるとはいえ、次期監督が発表されてしまうと、劇場の士気にも影響するのではないか、とも思いますね。

ところが、おもしろい(?)ことに、次期監督に「決まった」とされる尾高忠明さんも「そんなの聞いてないよ」という感じなのだそうです。劇場側が根回しが不十分なまま発表してしまったようなのです。尾高さん自身尾高さんは「納得できなければ辞退する」とおっしゃっているそうな。劇場側のネゴが足らなかったんですね。担当者は今頃大変だろうなあ。

理事長の遠山敦子さんは、小泉内閣で文部科学大臣になった方ですが、この方もやはり文部官僚。トルコ大使や文化庁長官も歴任しているそうです。今は官僚に対しては厳しい時代。いろいろ不祥事もあるということもありますが、それに乗じてマスコミも官僚を叩けばニュースになりますから、スケープゴートにしやすい。記事では直接遠山さんを批判してはいないけれど、記事の作りは時流に乗った(?)ものとも言えそうです。

 

Japanese Literature

ローマ人の物語、「賢帝の世紀」に入っていますが、これがどうしてなかなか進まない。理由は、寝不足でしょうか。暑くなったからかもしれませんが、最近明け方に目を覚ますことが多いです。日が長くなったというのも理由でしょうか。暑くなって睡眠の質が悪くなっているのかも知れません。

ともかく、早く起きて、本を読んだり書き物をしたり。家を出るのは7時前ですので、ゆったりとした明け方です。ところが、やっぱり寝不足らしくて、通勤電車で本を集中して読むことができずにいて困っています。仕事も結構忙しいですからね、最近は……。

ともあれ、微速前進ながらも読んでいます。トライアヌスが死に、ハドリアヌスの治世となり、ダキアの攻略もなる。ハドリアヌスは休むことなく帝国内を視察して回っています。

トライアヌスは初の属州出身皇帝でしたが、ハドリアヌスも同じく属州出身皇帝。トライアヌスはハドリアヌスの後見人といった立場だったのですね。このあたりのハドリアヌスの皇帝継嗣も少しく不可解なことがあったようなのですよ。

普通なら生前にトライアヌスを養子にして後嗣として扱うものですが、そうではなかったらしい。トライアヌスが死の床で養子にしたといわれているようなのです。トライアヌスの死の床には、数人の供回りと后のプロティアしかいなかったというのですから。だから不透明感はあった。しかもプロティアとハドリアヌスはプラトニックなものであるにしても互いに意識しあう仲だったということも言われているらしいですし。 もっとも、元老院もやはり推すならハドリアヌスという意見でもあったようです。経歴的にも十分だし、年齢も40歳過ぎだった、ということもありますし。結果として、良かったのではないでしょうか。ハドリアヌスもやはり賢帝の一人に数えられていますから。

こういう人間くさいエピソードは実に面白いですね。こういう部分をすかし彫りのようにじわりと表現するのがうまいと思います。決して情感的な表現ではなく、研究者かあるいは旅行者のような目線で描いていくわけで、真実味もあり情感もあり、ということになりましょうか。

Opera

この一ヶ月弱は、ヴェルディばかり聞いている気がします。これまでは本当にヴェルディが苦手でした。ですが、ちょっとした理由により、アイーダを聞き続けているうちに、なんとも面白くなってきたのです。

以前にも書いたのですが、迫力のある音響、情熱的な旋律、人間心理を抉り出すプロット、などなど魅力がたくさん。これまでは、レストランの外から、紳士淑女がヴェルディ作品をめでているのを眺めているだけでした。ですが、ここにきてようやくレストランの敷居が下がってきて、紳士淑女にはならずとも、ヴェルディ作品を楽しめるコース料理にありつけた、といった感じでしょうか。

今朝も、オテロを聞いて出勤したのですが、導入部の迫力音響に深い感動を覚えましたし、なにより、デル・モナコのテノールが雄雄しくてすばらしいのです。どこかでモナコの声をトランペットに喩えていた文を読んだ記憶があるのですが、まさにトランペットですね。すばらしい。ちょっとピッチがおかしいところもありますが、それもご愛嬌でしょう。 ともかく、オテロもまだまだ聞き込まないといけません。まだまだご馳走を味わうだけのレベルに達していませんので。これはまたひとつ楽しみが増えました。

ちなみに、これまで実演で接したベルディ作品は以下のとおりです。

  1. イル・トロヴァトーレ(2003年@新国立劇場)
  2. オテロ(2003@年新国立劇場
  3. 椿姫(2004年@新国立劇場)
  4. ファルスタッフ(2004年@新国立劇場)
  5. マクベス(2005年@新国立劇場)
  6. 運命の力(2007年@新国立劇場)

予定では、リゴレットを今年の11月に見に行くことができそうです。

一応本番前に予習をしていますので、本番だけではなくCDもきちんと聴いているはずでした。しかし、これだけ聴いても、理解できなかったのがどうしてなのか分かりません。楽しむことができるようになるには少々時間がかかるということなのでしょう。

そういうわけで、ほとんどヴェルディばかり聞いているので、ほかの曲を受け付けなくなっています。特にジャズ。iPodにはジャズも結構入っているのですが、今度はジャズに入っていくことができなくなってしまいました。僕にとっては、今はヴェルディを聞く季節なのだ、ということなのでしょうか。うれしいですね。感謝しないと。

Opera

仕事、なかなか進みません。こんなにうまくいかないのは、見積と実績が乖離しているから。それと、人さえ投入すれば仕事が出来上がると見られているから。結局、負荷が集中するキーパーソンがボトルネックとなり、プロジェクトはなかなか進捗しない。しかも、キーパーソンですから、いろいろなプロジェクトに横断的に関わっていて、被害はそのほかのプロジェクトにも飛び火する。

「ローマ人の物語」では「ローマは兵站(ロジスティック)で勝利する」というくだりが何度も出てきました。ただ攻めあがるのではなく、食料や兵器はもちろんのこと、道路を整備し補給路を確保する。それをやらなかったのが旧日本軍。精神力だけで飛行機を迎撃できませんから。 もちろんローマ軍にだって精神力はあった。それは、確かな兵站力の上に成り立っているもの。後ろで支えている人がいると思うだけで、ずいぶんと励まされるものですし、目先の敵に集中できるんですよ。

だれにも支えられていないと感じながら敵に向かうのでは、戦う前から足かせをはめられている感じ。何とかしたいものです。 まあ、いろいろといいたいことはありますが、ここは、仕事の話をする場ではないので、このあたりで。

引き続きアイーダを聞いております。DVDのほうは、第二幕へ突入。アムネリスとアイーダの対決が終わり、これから凱旋行進で盛り上がるところです。今日見る予定です。CDのほうは、テバルディとベルゴンツィが歌うカラヤン盤を狂ったように聴いています。もう大分と曲も覚えてきました。しかも飽きが来ない。何度聞いてもおもしろいです。小さい頃はこういうことがありましたが、近頃ではこんな聴き方をしていませんでした。珍しく一曲に没頭しています。カラヤン盤が実はとてもすばらしいということも原因の一つ。あそこまでドラマティックに盛り上げられると何度聞いても血が沸き立つ思いです。

こういう状態でDVDや実演を見るのが効果的なんですよね。

それにしても、アムネリスの言動は複雑です。恋敵のアイーダがいなくなったと喜んでいたら、ラダメスさえも失うことになるとは想像もつかなかったようです。第四幕前半の主人公は間違いなくアムネリス。アムネリスが、ラダメスに慈悲を、と願う台詞がある種の哀感すら漂わせる。あの第一幕、第二幕の強気なアムネリスは何処へ行ってしまったのでしょう。

以前にも書いたかもしれませんが、アムネリスにとってのラダメスの死は、おそらくは、初めて大切なものを失う瞬間なのでしょう。そういう意味では、同じくお嬢様(?)的お姫様であるトゥーランドットにも似ている。やはりトゥーランドットも謎かけにおける誇りを失い、挑戦者のなすがままになろうとしているのですから。

ラダメスとアイーダが地下牢で逢う場面、ここはトゥーランドットのカラフとリュウの掛け合いの部分に似ている。カラフは、トゥーランドットを選びリュウを選ばないのですが、ラダメスはアムネリスを選ばずアイーダを選ぶ。対照的でいながら要素は良く似ている感じを受けます。舞台はどちらもいわゆるオリエント(東方)ですし。

ヴェルディのオペラとプッチーニのオペラは似ていないのではないか、と常々思っていたのですが、やっと似ているところに出遭った感じです(むしろプッチーニはワーグナーに似ていると思っていました)。

Miscellaneous

愛用しているiPodですが、コンクリートの床に落としてしまいました……。ですが、全く問題なく動いています。さすが、と言いたいところですが、無防備も怖いのでシリコンケースを買ってみました。購入したのはsimplismという会社のもの。値段と形状で選びました。比較した他社製品ですと、ホイールの部分もシリコンケースで覆ってしまっていましたので、ホイールの操作性に影響するのでは、ということで、ホイールに穴の開けられているこのたいぷを選びました。埃がつきにくい、という触れ込みなのですが、そちらのほうは比較したことがないのでよく分りません。まあ、やはり埃はつきます。とはいえ、これで万一落としたとしても衝撃は少しは減らすことができるのでは、と思っています。