新国立劇場のオペラトークでトゥーランドットの謎は深まる

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新国立劇場2008年/2009年シーズンの冒頭を飾るのが、プッチー二のオペラ「トゥーランドット」です。今日は、指揮者のアントネッロ・アッレマンディ氏と、演出のヘニング・ブロックハウス氏、そして音楽評論家の黒田恭一さんの司会で催された「オペラトーク」に行って参りました。

会場は新国立劇場中劇場。お客さんは半分ぐらいでしょうか。 結論から申し上げますと、実に濃密な90分で、これで1000円の入場料だなんて信じられないぐらい。私にとっては、「オペラトーク」に出てから聴く「トゥーランドット」は、以前の「トゥーランドット」ではなくなっています。

黒田恭一さんといえば、小さい頃からNHK-FMで親しんできた音楽評論家でいらっしゃいますが、もう七十歳のお歳だそうで、時の流れを感じます。まずは最初にお一人で壇に上がられて、イタリア・オペラにおけるプッチーニの位置、あるいはプッチーニにおけるトゥーランドットの位置についての概論が示されます。

ヴェルディの「アイーダ」、「オテロ」で頂点を見たイタリアオペラですが、「アイーダ」後、「オテロ」後のイタリアオペラ作家にとって新しいこととは何かという問いに、ヴェリズモという流れがあり、レオンカバッロ「道化師」やマスカーニ「カバレリア・ルスティカーナ」が生まれるわけです。プッチーニもヴェリズモの文脈において「ボエーム」を作り、プリママドンナオペラを導入することで「トスカ」を完成させます。

それでも飽きたらず、次は「異国情緒」の導入をすすめ「蝶々夫人」を完成させ、「西部の娘」へと続きます。 そして、「トゥーランドット」で目指したものは、19世紀末から20世紀にわたる新しい音楽です。プッチーニが、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の詳細を研究していたのはもちろんのことですが、それ以外にもマーラー、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ラヴェルなどの影響などが「トゥーランドット」において現れている、と指揮者のアッレマンディは述べていました。

「トゥーランドット」は、イタリアオペラが最後に咲かせた大輪の花です。国破れ流浪の王子となったカラフが、氷の冷たさをもつ美しいトゥーランドット姫の三つの謎に答えて、晴れてトゥーランドット姫と結ばれるというお伽噺的オペラ。ですが。そんなに事情は簡単ではありません。問題はいろいろあります。

「トゥーランドット」の問題のうち最大のものが、未完のオペラであったということ。プッチーニは「トゥーランドット」を完結させることができませんでした。うかつにも、私は、喉頭癌が悪化して、手術に失敗して死亡したがゆえ、と信じていました。 ところが、演出のヘニング・ブロックハウス氏はの指摘は、実際のところプッチーニは死の「二年前」(注:おそらくは1923年の夏にはリュウの場面にたどり着いており、死去するのは1924年11月であるから、ブロックハウス氏は二年とおっしゃったけれど、実際には一年半ぐらいは時間的猶予があったのではないか、と思われる)に、問題の「リュウの死」の場面を書いて、そこから先に進むことができなかったのです。プッチーニはスケッチに「ここから先は『トリスタンとイゾルデ』になる」といって絶筆しているというのです。ヘニング・ブロックハウス氏は、つまりは、トゥーランドットとカラフの「和解」にはもう一つオペラが必要である、という示唆ではないか、と述べておられました。

指揮者のアッレマンディは、プッチーニの「トゥーランドット」においては、他の作曲家、たとえばモーツァルトと比較して、実生活とその作品には断絶がないのだ、ということを指摘します。モーツァルトは貧窮や病気に悩まされながらも、明るい曲調の音楽を書くことができました。しかしながら、「トゥーランドット」においては、プッチーニの置かれた状況を色濃く反映しているのだ、というのです。

リュウのモデルとなったのはドリアという小間使いで、プッチーニ家にきたときには十六歳でした。確かにプッチーニはドリアを気に入っていたことや、後にプッチーニの妻エルヴィラからの執拗な追求に苦しみ自殺したというエピソードは有名です。そして、私が知っている限り、ドリアとプッチーニの間には肉体関係はなかったとされていて、それはドリアの司法解剖によって明らかにされたのだ、というエピソードだったはずです(※1)。 しかし、ヘニング・ブロックハウスは、実は司法解剖にあたった医師は、プッチーニの友人なのであるから、プッチーニの意を汲んで真実を明らかにしなかったのではないか、と言うのです。真実は謎のままですが、プッチーニとドリアの間になにもなかったはずがない、とヘニング・ブロックハウス氏は示唆していました。

※1:それが不思議なことに、このエピソードをどこで読んだのか分からないのです。家にあるプッチーニの伝記数冊を当たったのですが発見できません。

リュウの最後の場面で、合唱は「眠っておくれ! 忘れておくれ! リュウよ! 詩のような娘よ!(dormi ! Oblia! Liu! Poesia !)」と歌います。リュウを「詩」と呼ばせているのです。そしてその詩は永遠の眠りにつく。つまり、プッチーニの詩的感興はここで潰えたのです。もうこれ以上書くことはできなかった。妻のエルヴィラを象徴するトゥーランドット姫(※2)と、自らの象徴であるカラフの和解(※3)を描くことはできなかったのです。ですから、フランコ・アルファーノやルリアーノ・ベリオの補遺盤が不完全であるのは仕方がないのです。

※2:トゥーランドット姫の冷たい高貴さは妻のエルヴィラの象徴ではないか、という解釈も示されました。

※3:ただ、現実世界では、プッチーニとエルヴィラは和解するのですが、時はすでに遅く、プッチーニは病に倒れるわけで
す。

ほかにも興味深い話しがたくさん。ヘニング・ブロックハウスの演出プランも種明かし的に披露されました。詳しく書くのは道義上問題がありますので詳しくは触れませんが、どうやら劇中劇を導入した入れ子構造のプランのようです。10月の公演がすごく楽しみです。