Opera,Richard Strauss

3月5日金曜日の夜のNHK「芸術劇場」、ごらんになりましたか? 新国立劇場の11月公演「ヴォツェック」が放映されていましたね。番組冒頭で、所々に舞台の様子や音楽が紹介されて、それだけでもう、ゾクゾク来てしまう。いやあ、あれはマジで凄いパフォーマンスでしたからね。一生忘れません。
でもですね、あのおどろおどろしい舞台衣装と、無調の奇々怪々な旋律は、土曜日の夕食のお供にはあわないから、やめてくれ、と奥さんに却下されてしまった。これは違う機会に見ましょう。
関連ページは以下の通り。ちょっと読んでみてください。
“https://museum.projectmnh.com/2010/01/24202937.php":https://museum.projectmnh.com/2010/01/24202937.php
さて、そう言うわけで、昨夜の夕食には、シュトラウスの「インテルメッツォ」を見ていました。先日も紹介しましたが、1983年のグラインドボーンのライヴ収録でして、フェリシティ・ロット主演です。というか、去年の10月にNHKホールで見たとおり上品な方のですが、意外にも少し戯けた、ユーモアのある表情や演技を見せてくれて、ロットの新しい一面をみた気分です。私にとってロットは、「ばらの騎士」のマルシャリンでなければならなかったのですから。
インテルメッツォの筋書きは非常に簡明なものです。作曲家であるロベルト・シュトルヒ(イニシャルはすなわち、R.Sであり、リヒャルト・シュトラウスを意味しています)と夫人の、とある勘違いによる諍いを取り上げたもの。まあある種痴話げんか的な様相も持つものなのですが、そういう日常的で卑近なストーリーにこれほどまでに華麗で重厚な音楽をつけるシュトラウスの才能はいろいろな意味で凄いです。これは「家庭交響曲」とか「英雄の生涯」にも言えることですけれどね。
旦那のシュトルヒは、仕事で家を外すのですが、当然夫人は家政を取り仕切ったりするのだが、まあ、退屈な生活に飽き飽きしている。自分がどんなに悲惨な境遇にあるか、と泣いているんですが、突然電話が。友人にそり滑りに誘われるんですね。すると、夫人はすぐに泣き止んでご機嫌になってそり滑りに出かける。そこで偶然であったのがルンマー男爵という若い男。夫人の知己の貴族の息子とあって、警戒心をすっかり外れてしまい、ルンマーとまあ舞踏会に出たりして遊び回るんですね。ところが、ルンマーは遊びたい盛りでお金に困っている。ですので、シュトルヒ夫人に1000マルクの支援をお願いする。結局金目当てなんだ、というところ。
ところが、そこに思いも掛けない手紙が舞い込んでくる。それはミッツェ・マイヤーという女性からロベルト・シュトルヒ宛のラヴレター。シュトルヒ夫人は怒り心頭に達し、離婚まで考える。ところが、真相は、シュトルヒの音楽家仲間が、シュトルヒの名前を勝手に使って女を口説いていたというわけ。シュトルヒが浮気をしていた訳じゃなかったわけですね。シュトルヒ夫人は公証人のところに行って、離婚の手続きまでしようとするんですが、この公証人は実は密かにシュトルヒ夫人のことを見張っていというわけ。
ロベルト・シュトルヒが帰宅して、夫人とまあ仲直り。それにもまして、ロベルトは夫人がルンマーとよろしくやっていて、なおも1000マルクの援助をさせられそうになったことをちゃんと知っていて、逆にとっちめてしまう。
まあ、最後は、お互いの愛情を確認し合ってめでたしめでたし。
実は私は2004年の夏に実演に触れているんですよ。指揮は故若杉弘さんで、夫人は釜洞さん。新国の中劇場でした。実に楽しい演奏会でした。シュトラウスの濃厚な音楽とユーモアある喜劇を見るという本当の贅沢でした。良い思い出です。実は釜洞さんと私は高校が同じです。彼女の方がずっと先輩ですけれど。あのときのパンフレットにはリブレットの邦訳が載せられていて、日本語盤が発売されていない現在の状況においては、大変貴重なものなのですが、今朝探しても見あたらない。ちゃんと探さないと。
初演は1924年にドレスデンにて。主役のシュトルヒ夫人はロッテ・レーマンが歌いました。どこで読んだのか思い出せないのですが、確かこんなエピソードが。初演が終わって、シュトラウスと、シュトラウスの奥さんのパウリーネ夫人、それからレーマンがエレベータだかで一緒になったときに、レーマンがパウリーネ夫人に「これはご主人からの素晴らしい贈り物ですね」とはなしかけたのですが、パウリーネ夫人は無言だったとか。恐ろしい。でも、シュトラウスはきっと内心笑っていたはずです(笑)。
先日も書きましたが、このDVDは歌詞が英語です。所々でドイツ語が混ざるんですが。さすがに聴いているだけでは意味が分からないので(お恥ずかしい)、英語の字幕出しながら見ています。それでも難しいです(お恥ずかしい)。でも、英語版も思ったより良い感じ。
でも、サヴァリッシュ盤のルチア・ポップの歌唱が時々頭をよぎりました。あそこでのポップの歌は、ほとんどアクロバット的ともいえる正確で、ピッチが良すぎて怖いぐらい。第一幕最終部の手紙を読んで怒るあたりは、相当な緊張感で、あそこだけでもこのCDを聴けば、買って良かったと思います。ポップの声は鋭角な感じですので、こういうキツイ感じの役柄によくあいますね。
そうそう、先日、METの「ボエーム」を録音して聴いていました。とある方のピッチが意外にも少々フラット気味で少々興ざめな感じでした。ちょっとびっくり。人気のある方なんですけれどね。

Jazz

たまにはジャズの話を。
何度か触れましたが、私はサクソフォニストでした。これも何度か書いたことがありますが、耳が肥えてきましたので、自分の演奏にまったく良いところを見出せなくなっていて、封印しているところ。まあ、時間や体力があれば、なんのこれしき! と練習しまくるんでしょうけれど、学生ころのようの練習時間は持っていませんので。悲しいものです。
とはいえ、今でもジャズは良く聴いているのかもしれません。「リング」に疲れたときには、例のシャカタクを聞いたり、マイケル・ブレッカーを聴いたり。私のジャズ嗜好は異端ですので、ほかの方から見たら、なんじゃい、という話になりましょうけれど。
本日は来年度の人事発表の話ということで、来年度はこれまで以上にずいぶん大変な年になりそうで、朝から少々気分が悪かったのですが、ブレッカーブラザーズの「サムスカンクファンク」と、チック・コリアの「ハンプティ・ダンプティ」に癒されました。いずれの曲も学生時代にお世話になりながらバンドで演奏しました。
特に「ハンプティ・ダンプティ」は思い出深い。後輩のベーシストのバンドでテナーを吹くはずだった方が、ライヴの日にちを間違っておられて、来られなくなってしまったのです。途方にくれる後輩。それで、私にお鉢が回ってきました。急遽、後輩のテナーを借りて、「ハンプティ・ダンプティ」と「インプレッションズ」を吹きましたねえ。1997年冬のことだと思います。
「ハンプティ・ダンプティ」とは、「不思議の国のアリス」に登場するキャラクターですが、ピアニストのチック・コリアが、「マッド・ハッター」というすばらしいアルバムの中で、実に複雑な転調を含みながらも、ドライヴ感のあるスタイリッシュな曲に仕上げています。「ハンプティ・ダンプティ」は、コード進行の難しさもさることながら、テーマフレーズも少々難しいのです。ちょうど楽譜はなくて、(あっても初見でふけませんし)、出番寸前までCD聞いてコピーして、なんとか本番に間に合わせました。
この演奏、ピアノがチック・コリア、ベースがエディ・ゴメス、ドラムがスティーヴ・ガッド、テナーがジョー・ファレルという、私にとって理想ともいえるカルテットです。ジョー・ファレルのインプロヴァイズは、複雑なコード進行をメロディアスに処理する実にすばらしいもので、これ、ほとんど一緒に歌えるぐらいまで聞き込みました。
さて、今日気づいたのは、ベースのエディ・ゴメスのピッチのこと。ベースはフレットレスですので、ピッチの正確さが要求されます。同輩のベーシストは、修正ペンでネックにしるしをつけてましたからね。ゴメスのピッチ、必ずしもいいとは思えないのですが、なぜだか違和感を感じない。この感覚、ディートリヒ=フィッシャー・ディースカウ氏の歌を聴くときの感覚に似ているんですね。ピッチの微妙なずれすら計算されているのではないか、という感覚です。
そういえば、マイケル・ブレッカーとランディ・ブレッカー兄弟は「トランペットとテナーのピッチは必ずしも正確に一致させる必要はない」とインタビューに答えていたのを思い出しました。ピッチのずれすらも美的価値に高めることができている、ということでしょうか。
とある録音の「ヴァルキューレ」と「ジークフリート」を聞いたのですが、とある方のピッチが狂っていて(そんなに激しくはないのですが)、違和感を覚えた後だけに、そうじゃない場合もあることを再認識した次第。ピッチがずれるとはどういうことなのか、そうそう簡単に結論が出るものではないのだなあ、と考えています。

Opera,Richard Wagner

文庫クセジュに入っているこの本。ジャン=クロード・ベルトン氏によるリングの簡便な入門書です。購入したのはずいぶん前でしたが、実際にリングを見聞きしないと理解は進まなかったです。今回は良い時期に読んだと思います。
やはり、指環や黄金は資本主義を象徴しており、アルベリヒに支配されたニーベルング族が働かされている情景は労働者階級のそれを思わせるとの記載がありました(127ページ)。私の仮説の裏づけになりました。読んで気づかされたのが、黄金についての考察が私に足りなかったこと。指環と黄金を同一視しすぎていました。でもやはり黄金もしもべこそ資本主義ですし(金本位制だった昔を思い起こします)。また、この本でもユダヤ系財閥のロスチャイルドについての言及が見られました(112ページ)。
ライトモティーフ(示導動機)の位置づけについての記載もありますが、ちゃんとライトモティーフを整理しないといけません。勉強がてらMIDIに落としてまとめたい、という欲求はかなり前からあるのですが。まあ、これだけ聴いていればなんとなくはわかってくるのですが、ちゃんとまとめたいところです。
けれども、やはりジークフリートの死と、ブリュンヒルデの自己犠牲こそ、権力への激しい欲望に対する愛の勝利を象徴する、というくだり(72 ページ)は、どうにもまだ理解ができません。このカタストローフ的な破壊は、二つの大戦を予言していたとも取れますが、その結果が「愛の勝利」だとしたら、そんなものはまだどこにもありません。完全な破壊はまだ起きていないということでしょう。また、それを期待するのはあまりに無節操で馬鹿正直です。
この最後の問題は、わからないまま。今月の「神々のたそがれ」を聴くことになりそうですが、なにがわかってくるのか楽しみです。
それから、それに関連して、少し感動した一節を。二重引用は学術論文ではタブーですが、ブログではいいですかね。
生命、幸福、栄光と人間の努力は、地上を影のようによぎり、そして消え去っていく。美の刻印のみが、素材の上に永久に彫り刻まれて残るのである。(ニコス・カザンツァキス(1885~1957)) (158ページ)
この「生命、幸福、栄光、努力」は、逆の意味も含んでいるはず。「死、滅亡、不幸、凋落、恥辱、倦怠」は、影のようによぎるだけ。後に残るのは、なんらか美的なものである、という直感。危険を承知で、あえて引き付けると、辻邦生の「美が世界を包む」、「美が世界を形成する」という考えと通じ合っている。
そうなんですよ。メディチ家の男たちより、ボッティチェルリやミケランジェロの作品こそが現代も大きな力を保っているのですから。
しかし、とはいえ、食べて眠り起き上がらなければならないということも事実。難しいものです。だが、ジークフリートとブリュンヒルデの死がもたらしたものが、美だとしたら……。
もうすこし考え続けましょう。

Chamber

大好きな「クラシック名曲探偵」を見ました。今回見た回で取り上げられていたのはアストル・ピアソラ。10年ほど前に池袋のHMVのクラシックコーナーで、ピアソラがプフィツィナーの近くにおいてあったのに衝撃を覚えたことを思い出しました。我が家のCDラックでもやっぱりプフィツィナーの隣がピアソラです。
当時はピアソラブームで、ご存知のとおりヨーヨー・マやクレーメルがピアソラを取り上げていた時代。大学の後輩キーボーディストが、最も敬愛するミュージシャンがピアソラだ、といっていたりしたことも。ピアソラは、パリ留学中にあのナディア・ブーランジェに習っていたんですねえ。彼の音楽こそまさに真正のフュージョン音楽といえましょうか。
私がはじめて聴いたのは、今日ご紹介の「タンゴ・ゼロ・アワー」。このアルバムには苦い思い出がありますが、ちと今は触れないでおきましょう。
# Tanguedia III
# Milonga del Angel
# Concierto Para Quinteto
# Milonga Loca
# Michelangelo ’70
# Contrabajisimo
# Mumuki
* Astor Piazzolla, bandoneon
* Fernando Suarez Paz, violin
* Pablo Ziegler, piano
* Horacio Malvicino, Sr., guitar
* Hector Console, bass
ピアソラについて語る資格はないかもしれませんが、ちょっと書かせてください。
当時、この曲を初めて聴いた途端に浮かんできたイマージュは、大変月並みですが雨に打ちぬれた欧州だか南米だかの古い都会の風景でした。人々の暗い情念、焦燥、憂鬱、諦念などなど(なんだか、村上龍とかこういうこと言いそうですよね)。
人通りのない夜の欧州建築が立ち並ぶ交差点で、道路は絶対に石畳。オレンジ色のナトリウムランプが交差点から互い違いにワイヤーでつり下げられている風景。誰もいなくて静まりかえっている。聞こえるのは雨が傘にたたきつける粒状の音。時折、水音を立てながらヘッドライトが走り去っていく。明かりの漏れた窓から、誰かの怒鳴り声とか、叫び声、赤ん坊の泣き声が聞こえる。ずっと、そこに立っているんですよ。ずっと。
このアルバムでは、ピアソラのバンドネオンがすばらしいのは当然なのですが、それにもましてヴァイオリンの使い方が実に独特で衝撃を覚えたものでした。ヴァイオリンがクラシック以外で使われた例といえば、まあステファン・グラッペリとか有名ですけれど、そういう正統的な使い方じゃないんですね。特に一曲目ヴァイオリンの使い方、初めて聴いたときはショックでした。
昨夜、この曲を聴いて、まあ「リング」疲れもあって、一日聴いていたんですけれど、気分はブルーな感じ。
ちょっとシャカタク聴きたくなりました。あはは。

Book


はやいもので、もう3月になりました。早速先だって立てた"読書計画":https://museum.projectmnh.com/2010/01/19063029.phpの達成状況を。2月は3日少ないので大変でしたが、まあなんとか読めたかなあ、と。冊数は8冊ですが、雑誌を結構読みましたので、9冊の目標達成と言うことにしたいと思います。ふう、なんとかなりました。
読んだ本は難しい本ではありませんので、お恥ずかしい限りなのですけれど。
“http://mediamarker.net/u/shushi/read/fin/date/201002/":http://mediamarker.net/u/shushi/read/fin/date/201002/

期間 : 2010年02月
読了数 : 8 冊
ニーチェ入門 (ちくま新書)
竹田 青嗣 / 筑摩書房 (1994-09)
読了日:2010年2月28日
航空無線のすべて2009 (三才ムック VOL. 215)
ラジオライフ / 三才ブックス (2008-09-20)
読了日:2010年2月21日
着陸拒否 (新潮文庫)
ジョン・J. ナンス / 新潮社 (1997-07)
★★★★☆ 読了日:2010年2月20日
超音速漂流 (文春文庫)
ネルソン デミル , トマス ブロック / 文藝春秋 (2001-12)
★★★☆☆ 読了日:2010年2月16日
本・雑誌
ジョン・J. ナンス / 早川書房 (1995-06)
読了日:2010年2月5日
本・雑誌
ジョン・J. ナンス / 早川書房 (1995-06)
★★★★☆ 読了日:2010年2月14日
拒絶空港
内田 幹樹 / 原書房 (2006-06)
★★★★☆ 読了日:2010年2月17日
機長の三万フィート―グレート・キャプテンへのライセンス (講談社プラスアルファ文庫)
田口 美貴夫 / 講談社 (2004-09)
読了日:2010年2月2日

でも、本当に楽しい本ばかりでした。J.J.ナンスの「着陸拒否」が2月のベストレコメンドです。もちろん、完璧ではありませんけれど、とても参考になりましたし、むさぼるように読むという読書快楽を十全に味わうことが出来ました。
今月も読むべき本は山積してます。あと、辻邦生の本を読まないといけませんね。それから、ニーチェ関連と、ワーグナー関連も。少しは難しい本を混ぜていかないと、いつまで経っても勉強にならないですしね。
今月も頑張りましょう!