愛好家にとっての音楽の愉悦
山のように積み上がった仕事。時間切れで帰宅中。
絶対音感を持たないと、音楽なんてわかったうちに入らない、ということをおっしゃった方がいるそうですが、そうかもしれないとはいえ、この感覚は、そうは言っても音楽を分かるということにおいてすこしは示唆的かも、と思ったり。
この感覚というのは、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」聴いた途端に、ぎゅーっとなにかが身体の中に入ってきた感覚で、なんだか身体がしぼられて音楽になってしまう感覚。
いまとなっては、当時の感覚を思い出しながら書かざるをえず、認識と反省の問題のようではあるのですが。
そういう意味では、なんとか音楽を楽しめているのかも、と思ったり。
今朝、無上の幸福感に包まれて目を覚ましました。夢の中で、楽器演奏を褒められてしまい、そのままの状態で目覚めたから。そんなこと現実ではないのですが、あの幸福感は極め付けでした。やはり、音楽を聴いて、楽器を演奏するというのが、幸福には欠かせないということなんだろうなあ、と、夢はもちろん夢のままで、楽器の世界は、天才ですら到達できないところですから、演奏を褒められるということはないにせよ、受容と表現は不可分なんだろうなあ。
昨年末に、とあるバンドにお誘いを受けたのですが、事情がありお断りせざるをえませんでした。さすがに、コンスタントなバンド活動は今の私には無理なのですが、やはり、いつかは復活したいなあ、と思いました。あと5年はかかりそうですけれど、まだチャンスはあるかも、と思っています。あるいはセッションぐらいはいかないと…。
今日はこちら。ベルクをがっつり聞くのはかなり久しぶりです。かつて、私がもっともっととんがっていた頃の熱気のようなものをふたたび感じました。懐かしい感覚。
Deutsche Grammophon (2004-03-09)
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それではみなさま、グーテナハトです。
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