Miscellaneous,Music

New Year

いよいよ年が明けて2008年となりました。今年も辻邦生師のことや音楽のことなどを書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

写真はヴェネツィアの夜明けです。


昨夜は紅白歌合戦を22時頃まで見て眠ってしまいました。後半は見られませんでしたが、前半で気になる歌手を2人見つけました。

寺尾聡さんの「ルビーの指環」では、寺尾聡さんのスタイルの格好良さと、秀逸なアレンジ、安定したバックバンドに支えられて、スタイリッシュで大人なサウンドを繰り広げていました。

それから布施明さんは、ひとときに比べて多少歌唱力は落ちているのですが、それでも迫力或る曲芸のようなピッチコントロールを見せてくれました。声の美しさ、張り、音域は出演していたどの歌手と比べても絶品でした。もし往年の若き布施明がテノール歌手としてデビューしていたら、という見果てぬ夢。ロドルフォとか、カラフとか、ピンカートンなどプッチーニのテノールをを歌ってもらいたいなあ、と思うのでした。

Classical

J.S.バッハ:ブランデルブルク協奏曲(全曲)
J.S.バッハ:ブランデルブルク協奏曲(全曲)
  • アーチスト: ゲーベル(ラインハルト)
  • レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 価格: ¥ 2,160 (10% OFF)
  • 発売日: 2000/05/24
  • 売上ランキング: 1209
  • おすすめ度 5.0

ブランデンブルク協奏曲第三番を、ラインハルト・ゲーベル指揮のムジカ・アンテイクゥワ・ケルンの演奏にて。強烈なのが第三番の終曲のAllegro。ここまで速い演奏は聴いたことがありませんでした。いくらAllegroと言ったって、ここまで速いのは想定外です。しかもうますぎる。ぴったりそろった演奏。人数が少ないからあいやすいというのもあるのでしょうけれど。先だって聴いたカラヤン盤だってここまで速くはありませんでした。

そういえば、この前図書館から借りてきたクイケンさんの盤も速かったなあ、と。ピリオド系の方の方がテンポをあげるのでしょうか、などと思いました。


これで、今年のブログの更新は終ります。今年もいろいろ試行錯誤をしながら、なんとか毎日とまではいきませんでしたが、8割ぐらいの日にちはかけたのではないか、と思っています。

辻邦生師は「ピアニストがピアノを毎日弾くように、毎日毎日かいて、書くことを意識せずとも書くことが出来るようにならなければならない」といったことをおっしゃっているのですが、まさに「書くこと」を自分に課する場として、このブログを書くことに大きな意味をみているところです。何はともあれ、読んでくださっている皆様のおかげでここまで書くことが出来ているのだ、と思っております。大変感謝しております。

また、今年はブログのプラットホームを、FC2からMovable Typeに変更致しました(※昨年も変更したのですが……)。ご不便をお掛けしてしまった点もあるかと思いますが、どうかご了承ください。

また来年も書きつづって参りますので、どうか暖かくお見守りくだされば、と存じます。良いお年をお迎えください。

Italy2007

Italy2007

駅前広場は、同じユーロスターで到着した旅行客であふれかえっている感じ。イタリア語はよく分らないのだが、なんとか市内交通チケット売り場を見つけて、72時間券を購入し、旅行前に穴が開くほど眺めたヴァポレット(ヴェネツィアの水上バス)の路線図の指示通り、51番のヴァポレットが着く黄色い箱形の浮き桟橋の列に並ぶ。

このときから、何かがおかしいな、と感じていたのだった。サングラスをかけた短髪のブロンドの若者が、仲間とおぼしき黒髪の若者と握手をしている。若者の仲間が何人かいるらしく、知り合い同士大声で話をしている感じ。もちろん何を話しているのか分らない。そんなこんなで、51番のヴァポレットに乗ろうとする人々は浮き桟橋に入りきらずに長い列を作っている。

到着時間になったというのに、なかなかヴァポレットが現れず、気をもんでいると、ようやくとオレンジ色の電光掲示に51番を表示させる象牙色のヴァポレットが到着。この時点で、待合い客であふれかえっていて、ヴァポレットに全員乗れるかどうか分らない状態。次の便は20分後だったので、待っても良かったのだけれど(後から思えばだが……)、早くホテルについて落ち着きたかったので、重いスーツケースを引きずりながら満員のヴァポレットに乗り込むことになる。

この時点で、待合い客に圧迫されて、連れとはぐれてしまう。まあ、おそらく乗れただろうと思い、甲板から一段下がった船室に降りてしまう。なんとかスペースを確保する。階段の横に設えられた一人分の座席には、黒いアタッシュケースを持った銀髪の初老のビジネスマンが座っていて、彼と眼が合ったのでニッコリ笑って挨拶。

ヴァポレットはようやく動き出すのだが、何か騒がしい。さっきの若者達が甲板の船室の間を言ったり来たりしている。そうこうしているうちに、船室の後ろの方で、若者達が天井を叩きながらわめき出す。何かの歌を歌っているらしい。これは、サッカーファンなのか? いわゆるフーリガン的な若者達なのではないか、これはちょっと嫌な連中と一緒になってしまった、と思う。さっきのビジネスマンが、手招きして、こっちの方が空いているよ、と彼の座席前に入ってくるように勧めてくれたので、若者達から待避するような格好で、ビジネスマンの座席前に移動。

次の停留所に到着。降りる乗客、乗る乗客でヴァポレットはごった返す。若者達、降りてくれないかな、とおもうのだが、まだ騒いでいる。船室内へと入っていく乗客達は、若者が騒いでいることなど全く知らぬまま。舫綱を解いて、ヴァポレット出発。

ここからだった。騒ぎは大きくなる。麻薬をやっているからなのか、酒に酔っているからなのか、よく分らないが、完全にラリっている若者二人が船客に絡み始めている。そのうち一人は、手から血を流していて、手のひらは血糊でドロドロになっている。その血がどうやら、船客の服を汚したらしい。怒った船客が、甲板にあがって、操舵室の船長になにかを訴えている。

ラリっている若者が、僕の目の前に立つ。眼があったので、ニッコリと笑ってやる。なにか呆けたような目つきをしていて、これは常人じゃないな、と思う。だが、全然恐怖感なし。驚くぐらい冷静だった。若者は、初老のビジネスマンになにやら話しかける。厳しい顔をしていたビジネスマンも、ニッコリと微笑みながら若者を睨んでいる。ものすごく格好がよい。映画の一シーンを観ているような錯覚に陥る。あの落ち着きを払った微笑みは賞賛に値する。一生忘れないと思う。

ヴァポレットは次の停留所に舫をかける。そのまま動かない。起こった船客が船長に捲し立てている。ヴァポレットは動かない。何かが起こったのだ。そのうちに乗客が浮き桟橋に移動しはじめる。ビジネスマンもやはり船を降りていく。これは、なにかがあったな、ということで、スーツケースを担いで一旦、ヴァポレットを下りる。ここで連れと再会。連れはおびえきっている。

Tsuji Kunio

辻邦生全集〈1〉
辻邦生全集〈1〉
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 7,350
  • 発売日: 2004/06

昨日に引き続き今年のまとめ。今回は、今年読んだ辻邦生師の本です。

  • 嵯峨野明月記
  • モンマルトル日記
  • 詩と永遠
  • 小説への序章
  • 江戸切絵図貼交屏風
  • 黄昏の古都物語
  • 言葉の箱
  • 小説への序章
  • サラマンカの手帖から
  • 春の戴冠(上)
  • 春の戴冠(下)
  • 美しい夏の行方
  • サラマンカの手帖から
  • 春の風 駆けて
  • 言葉の箱
  • 夏の光 満ちて
  • 雲の宴(上)
  • 雲の宴(下)
  • 夏の砦(再読中)
  • 樂興の時(再読中)

初めて読んだ本は「黄昏の古都物語」、「春の風駆けて」「夏の光満ちて」の三冊で、それ以外は全て再読ですが、読む度に新しい発見があって刺激的です。辻邦生さんの文学の大きなテーマに、イデアールとリアルの狭間をいかに埋めるか、というものがあると思うのですが、もちろん答えが出る問題ではなく、考え続けることが重要なわけで、そうした契機や示唆を特に数多く受けた一年間だったと思います。

特に、今年はフィレンツェに旅行に行けたと言うこともあり、「春の戴冠」が最も印象的でした。サンドロ・ボッティチェッリの美を求める飽くなき追求と、ロレンツォ・ディ・メディチの理想と現実の狭間に立つ苦悩に満ちた生涯は、フィクションとノンフィクションの溶け合った歴史小説の中の物語の構成要素と言うだけではなく、アクチュアルな意味を持って立上がってきているのだと思います。

辻邦生さんが亡くなったのは1999年7月29日ですので、亡くなられてもう9年も経つのですね。その間に社会は様々な変化を遂げてきました。9.11以降においては、世界はガラリとその様相を加え、温暖化の影響と思われる天変地異もますます増えてきて、日本の社会も厳しさを増しています。

ただ、いつの時代、どんな時代にあっても、この先、事態を解決するのだ、という強い意志をもって生きる必要があるのは同じです。「春の戴冠」のロレンツォ・ディ・メディチを見習わなければなりません。そう言うことも辻邦生師の文学の中でのテーマの一つであると思います。それを辻邦生師は「戦闘的オプティミズム」と言っておられたと思います。

来年もまた難しい年になりそうですが、「戦闘的オプティミズム」を実践しながら、いろいろ取り組んでいきたいと思っています。

以下のリンク先に、今年読んだ本をまとめておきました。機会があれば是非どうぞ。
辻邦生師の文学

Classical,Opera

Concert Hall

今年見に行ったオペラ・コンサートをまとめてみました。

  • 2月10日;ダフネ(若杉弘、二期会)
  • 3月4日;さまよえるオランダ人(ボーダー、新国立劇場)
  • 3月24日;運命の力(バルバチーニ、新国立劇場)
  • 3月31日;蝶々夫人(若杉弘、新国立劇場)
  • 4月21日;西部の娘(シルマー、新国立劇場)
  • 6月9日;ばらの騎士(シュナイダー、新国立劇場)
  • 7月4日;森麻季さんリサイタル
  • 9月2日;ばらの騎士(ウェルザー=メスト、チューリヒ歌劇場)
  • 10月14日;トリスタンとイゾルデ(バレンボイム、ベルリン国立歌劇場)
  • 11月3日;ブルックナー交響曲第5番(ティーレマン、ミュンヘンフィル)
  • 11月23日;ばらの騎士(ルイジ、ドレスデン国立歌劇場)
  • 12月;ドレスデン室内管弦楽団、森麻季
  • 12月22日;くるみ割り人形(新国立劇場)

今年はやっぱり、新国立劇場の「ばらの騎士」と「蝶々夫人」が圧倒的でした。あそこまで涙したのは初めてでした。歳を重ねて涙腺がゆるんでいるのかな。

辛かったのは「トリスタン」で、風邪で熱出した状態で6時間缶詰になったのはさすがにヘトヘトでした。でも良かったのですけれど。

今年は結構行ってますね。行き過ぎかも。その分CDの購入は押さえています。最近は生演奏を聞くことの意味がよく分ってきた気がしますので、来年も時間的、経済的な面をクリアできれば、引き続き行きたいと思っています。

来年は、1月に関西二期会の「ナクソス島のアリアドネ」、2月に新国立劇場で「サロメ」、4月に同じく新国立劇場で「魔弾の射手」を観に行く予定。それから2008/2009年の新国立劇場も注目ですね。トゥーランドットに、ラインの黄金、ワルキューレなど話題の公演が既に発表されています。特にトゥーランドットは是が非でも観に行きたいです。

Italy2007

 フィレンツェからヴェネツィアへは、イタリア国鉄のユーロスターにて。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅へは列車出発の30分前には到着する。構内は旅客で混雑していて、高い天井のロビーに人々の声がこだましている。プラットホームへ続くガラス扉の上に発着案内板が掲げられていて、確かにヴェネツィアへ向かう列車は表示されているのだが、 到着ホームの表示は空欄で、どのホームで待てばいいのかわからない。構内放送はしきりにミュンヘン行きのユーロシティが遅延することをわびているだけで、ヴェネツィア行きのユーロスーターについて言及する気配さえない。構内放送を聞き漏らすまい、と必死に耳をそばだてる。

Italy2007

そういえば、今年のGWにみた「踊れ!トスカーナ」でフィレンツェ駅が出てきたことを思い出す。確かに、映画そのままである。

出発予定時刻寸前になって、ようやく構内放送と案内板が、9番線へ到着することをつけるや否や、大勢の旅客が9番線へと移動を始める。流れに遅れまいと9番線へ急ぐのだが、いったいわれわれの乗る7号車がホームのどこに着くのかがわからない。日本の鉄道ならば、号車番号をホームに表示するのが常なのだが、そういった心遣いをする風潮はないようだ。

Italy2007
灰色のユーロスターが到着する。すばやく号車番号を見抜いて、トランクを引きずりながらホームを駆けて、目的の7号車に到着。いよいよと乗り込む。今回は、日本でチケットレスで予約と決済を済ませているけれど、ダブルブッキングがないか、などと不安に思う。座席は四人がテーブルを挟んで向かい合って座るスタイル。窓側に連れと向かい合って座り、通路側にはフィレンツェ在住の老夫婦が座る。連れが「隣が席に着いたら笑顔で挨拶するのよ」と言うので、座席に着いた老夫婦に笑顔で「ボンジョルノ」と挨拶を交わす。

列車はゆっくり動き出す。ダブルブッキングはなかったようで一安心。車掌の改札時には、ネットで予約をしたときに送られてくるPDFを印刷したペーパーを渡す。車掌は二次元バーコードを端末で読み取って決済状況、予約状況を確認する。当然問題ない。イタリアのチケットレス列車予約はよく出来ているものだ。

車窓はフィレンツェ市街を抜けてオリーブ畑のなかを進む。僕の隣に座る老婦人がSposare? と指輪を見せながら聴いてくる。辞書で調べるとmarryの意味とわかった。つまり、僕らが結婚しているのか、という問いだったらしい。Si Siと応える。それからしばし英語とイタリア語のちゃんぽんで老夫婦と話をする。ご夫婦はフィレンツェ在住だそうで(うらやましい!)、ヴェネツィアから客船に乗ってギリシアクルーズへ出かけるところだと言う。かろうじてRodiという単語を聞き取る。ロードス島だろう。物静かな旦那さんと、上品に着飾った奥様で、実に気持の良い時間を過すことが出来る。

列車は、ボローニャ、ロヴィーゴ、パドヴァ、フェラーラ、メストレとイタリア半島を北東へと進んで行く。メストレを出るとラグーナをわたる長大な橋。その向こうがわにヴェネツィアのサンタ・クローチェ駅がある。ほぼ定刻どおりに到着。隣の老夫婦と別れの挨拶をして、駅前広場へ出る。

ところが、このあと、とんでもない事件がわれわれを待っていたのだった。

Classical

Bach Brandenburg Concerto No. 5, Orchestral Suite No. 2/ Emmanuel Pahud
Bach Brandenburg Concerto No. 5, Orchestral Suite No. 2/ Emmanuel Pahud
  • 発売元: EMI
  • レーベル: EMI
  • 価格: ¥ 2,201
  • 発売日: 2001/03/13
  • 売上ランキング: 12860
  • おすすめ度 4.5

今日は、先日に引き続き管弦楽組曲第2番を聞いてみよう。

前回はオーレル・ニコレさんのフルートだったが、今回はエマニュエル・パユさんのフルートにて。やはり一番の衝撃は、最終曲Bandinerieでしょう。テンポは中庸。しかし、恐るべしは、二回目の主旋律にほどこされた装飾音符。超絶技巧。

この演奏をはじめて聴いたのは、ANAの国際線の機内放送だったのだが、そのときからこの演奏の空恐ろしい演奏が印象に残っていて、いつかきちんと聞きたいと思っていたわけだが、今回それがかなったかたちだ。

この曲で好きなところは、下記の譜面の赤い部分。フルートは八分音符で刻むだけなのだが、透かし彫りのように背後から弦楽器が現れ、十六分音符と八分音符のフレーズを演奏するのである。ここでなにか浮き上がるような高揚感と酩酊感を覚えるのだ。

青い部分はパユさんの超絶技巧(?)装飾が聞けるところ。このCDのここに惹かれたのである。刺激的なバッハを求める向きにはとてもおすすめのCDである。

Bach

Bach_Badinerie.mid

Tsuji Kunio

雲の宴〈上〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/01
  • 売上ランキング: 565691
雲の宴〈下〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/02
  • 売上ランキング: 671447

かねがね、バルザック、ディケンズ、ドストエフスキーといった小説全盛時代の、作家と読者の熱い関係を、このジャンルの本来的な在り方ではなかろうか、と考えていた。この時期、小説は知的に読まれるものではなく、一喜一憂しながら、主人公と運命を共にしてゆくものだった。小説がこうした本来の一喜一憂性を失ったために、それはいつか認識の道具になり、また文体意識の自閉的存在となっていった。

「『雲の宴』を書き終えて」『永遠の書架にたちて』、新潮社、1990年、195ページ

昨週末に「雲の宴」を読了しました。久々に「おもしろい」冒険小説を読んだな、ということもありますし、より根源的な「生きること」を考える契機にもなりました。

すべて心なのよね、この世の幸不幸を決めるのは。物がいくらあったって、心が不満なら、ぜったいに人間て幸福にならないもの

『雲の宴(上)』、朝日文庫、1990年、177ページ

いくら、CD持っていても、本を抱え込んでいても、なけなしの預金があっても、心が不満じゃあ、幸福にはなれないなあ、と。今の境遇を強制的に満足なものである、と認識を変えていくか、あるいは、今の境遇を捨て去って、思うがままに生きていくか、どちらかしかないなあ、と思うのでした。おそらくは前者の道を取ることになるのでしょうけれど。全ての事象は人間の認識であるが故に、認識を変えれば、境遇も変わるという感じでしょうか。

それにしても、この小説は、辻文学の中にあっては異質な光を放っていると思います。そのあたりのことも「永遠の書架にたちて」に所収されている「『雲の宴』を書き終えて」のなかにヒントが書いてありました。辻邦生さんは、いつもは事前にあらすじが決まっていて、そこに向かって書いていくから、だいたいは事前の意図通りに仕上がることが多いのだそうですが、「雲の宴」に関して言えば、そうではなく、登場人物が勝手に動いていったのだそうです。最初は意図通りに戻そうとしたのですが、途中であきらめて、なすがままに書いていったのだそうです(「『雲の宴』を書き終えて」『永遠の書架にたちて』、新潮社、1990年、194ページ)。そう言うことを、高橋克彦さんのエッセイでも読んだことがあります。高橋克彦さんは、まず登場人物の身上書を書き上げるのだそうです。そうすると自然に登場人物が行動をはじめるのだとか。そういう憑依的な小説の書かれ方というのも、部外者から見ればとても不思議に見えますが、そうそうあり得ないことでもなさそうです。

確かに、他の辻文学のような堅牢強固な石造りの建造物のような堅さはありませんが、奔放に動き回る登場人物と一緒にパリからルーマニアへいたり、地中海を縦断して西アフリカへと向かう喜びを味わうことができるのです。

Classical

ニューイヤー・コンサート1989&1992
ニューイヤー・コンサート1989&1992
  • アーチスト: クライバー(カルロス)
  • レーベル: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 価格: ¥ 2,457 (10% OFF)
  • 発売日: 2004/11/17
  • 売上ランキング: 1956
  • おすすめ度 5.0

今日も良い天気でしたが、少々疲れ気味。昨日、少々仕事をやってしまいましたので、そのせいかもしれません。バッハを聞き込んでいたら、バッハ疲れに陥ったようで、久々にヨハン・シュトラウスを聴きたくなりました。リヒャルト・シュトラウスもヨハン・シュトラウスもやはりカルロス・クライバーさんですね。というわけで、ちょっと気が早いですが、1989年のニューイヤー・コンサートのCDを聴くことにしました。

「こうもり序曲」の冒頭の緊張感と流麗な弦楽部は、本当にカルロス・クライバーさんらしいです。それから、微妙なリズムの取り方も。三拍目を少しもたらせるワルツのリズムの取り方は素晴らしい。もう0コンマ何秒の世界の話なのですが。すごいですね。

カルロス・クライバーさんの略歴をウィキペディアで見たのですが、やはり理系の大学に入っていらっしゃる。チューリッヒ連邦工科大学というところだそうですが。やはり音楽をやる方は理系の頭も持たねばならぬ、ということでしょう。というより、文系、理系双方において優れた人物でなければならぬ、と言うところでしょうか。

僕の場合、ニューイヤー・コンサートといえば、「美しく青きドナウ」につきるのです。理由は二つあって、なぜか中学校の時に合唱編曲版を歌わされた歌ったことと、やはり中学生の頃に「2001年宇宙の旅」を必死に見入っていたということもあり、この曲を聴けば聴くほど、優雅な宇宙船とか、キャビンアテンダントがコックピットに宇宙食を運ぶときに180度廻転する場面とか、そういうことが思い出されるわけでして、音楽を聴く態度としては不純なものであるわけです。

しかし、このウィーン風のノリは素晴らしいものがあります。平常時はあまり聴く機会のないヨハン・シュトラウスですが、今日のように落ち着いた日に聴くのも良いものでした。バッハ疲れには良い薬になりました。

次回は、バッハの管弦楽組曲第2番を取り上げようと思っています。

Climbing

先週の土曜日(15日)に、小田急電鉄が主催している「のんびりハイク&ウィーク」に参加してきました。今回の目的地は伊豆北部に位置する発端丈山と葛城山です。それぞれの標高は400メートルぐらいですので登山というわけではないのですが、少々キツい上り坂もあって、連れはヘトヘトになっておりました。僕はといえば、夏に3回登った大山に比べれば上り坂の角度は緩いですし、距離も高さも短く低いですので、個人的には思った以上に余裕があって、驚きました。

だいたいのルートは以下の通りです。

沼津市三津(「みと」と読む)から、発端丈山山頂を経由し葛城山頂を経て小坂共同みかん園へと至る約3時間強のルートでした。天気が非常に良く、駿河湾の向こう側に聳える富士の高嶺が蒼い海に映える姿をみて心を動かされましたし、杉木立に差し込む太陽の光に慈愛に満ちた暖かさを感じて本当に癒されました。

発端丈山

発端丈山から伊豆の山々を眺めたのですが、幾重にも重なる山の尾根が果てしなく広がっていて、まるで人跡未踏の山の中に迷い込んだかに思えてしまいました。そのとき思い出したのは源頼朝のこと。陸続きであるとはいえ、この山の連なる伊豆半島に流されたときの心情はいかばかりかと思いました。やはり頼朝についての伝承が残っているらしく、葛城山界隈で鷹狩りなどをしたとのことで、葛城山頂には頼朝の小さな像が建てられておりました。

今回は、小田急電鉄と東海バスの共同企画と言うことで、集合場所の小田原駅から東海バスの観光バスに乗り込んで、1時間半ほどかけて箱根新道と国道一号線で箱根を超え、三島市で国道136線に入り、そのまま伊豆へと南下して登山口へと向かいました。三島市内を通るのはもちろん初めてだったのですが、国道沿いは、どこの街もほとんど同じ風景ですね。国道沿いにはたいがい郊外型のチェーン店が軒を連ねていますので、たとえばこの風景を写真に撮ったとしても日本のどこで撮ったのかは分らないでしょう。それぐらい街々は没個性になりつつあるのだ、と思いました。

富士山と紅葉の写真を載せておきます。

発端丈山
発端丈山