Classical

Brcukner Karajan

今日はカラヤンのブルックナー交響曲第7番を聴いています。ブルックナーを聞き込むのも久しぶりです。ここのところシュトラウスを中心に聴いていましたし、その後はマーラーに進みましたので。 カラヤンの美学の表出という感じです。深く豊かに彫刻された品の良い装飾品を眺めているような感じです。カラヤン的なレガートも健在ですし、彫りの深い印象的な演奏だと思いました。弦楽器が本当に美しすぎます。チェリビダッケのような雄弁さはないかもしれませんが、美しさは絶品だと思いました。

 しかし、久々に聴くブルックナーは素晴らしいですね。僕のブルックナー体験は朝比奈隆さんが大阪フィルを振った交響曲第7番でした。NHK-FMの番組をエアチェックしたのですが、金子健次さんが解説をしておられて、朝比奈さんのテンポ取りが、ほかの指揮者とくらべてゆっくりなのだ、ということをCDを自在にかけながら解説しておられました。

それで、今日思ったのは、やっぱり楽典→和声法→対位法の勉強した方が良いのかなあ、ということ。いまはそういった理論的なことをほとんど知らないまま聴いていますが、理論を知ればもっと楽しめるんじゃないかなということを感じています。きっと、オケに入っておられる方、楽器を弾ける方はきっと別の次元で楽しんでおられるのではないか、と思っています。頑張りますか!



今日は、いつもと違うヘッドフォンで聴いているので、音楽のきこえ方が少し違うような気がしています。いつものBOSE社のノイズキャンセリングヘッドフォンの偉大さが分かった気がします。やはり、普通のヘッドフォンでは、たとえクローズ型のヘッドフォンであったとしても、電車の走行音や周囲のお喋りが思ったより気になるんですよね。電車の中で音楽に没入するには、やはりBOSEのクワイエットコンフォートでなければ、と思っています。

Gustav Mahler

 Gustav Mahler

マーラー:交響曲全集 マーラー:交響曲全集
オムニバス(クラシック)、アルノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1995/07/07)
ユニバーサルクラシック
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今日から気を取り直すようにマーラーを聞き始めました。アバドの振る5番です。5番については、以前にもラトル盤をおすすめしていました。今回、アバド盤をじっくりと聞いてみました。といっても、通勤時間で、少々本を読みながら聞いている感じになってしまったのと、途中でヘッドフォンの調子が悪くなったということもあって、聴きは甘いかもしれませんが。ともかく、アグレッシブにテンポを動かすなあ、という印象が強いです。これは、ほかの交響曲を聴いたときにも感じました。音の波が幾重にも幾重にも打ち寄せるようなイメージです。 明日もすこし聞き込んでみようと思っています。

先だって「マーラーはニーチェが好きだったようだ」と言うことを書いたと思うのですが、その後、別の本を読むと「マーラーはニーチェがきらいだった」ということが書いてあって、混乱しています。もう少し調査を進めてから報告したいと思います。

Richard Strauss: Der Rosenkavalier Richard Strauss: Der Rosenkavalier
Gottfried Hornik、 他 (1990/10/25)
Deutsche Grammophon

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ところが、それだけではないのです。朝、通勤電車からバスに乗り換えて会社まで行くのですが、バスの中で、カラヤンの振る「ばらの騎士」の最後の三重唱を聴いたんですね。執拗に聴いている気もしますが。ところが、満員バスの中でまた涙ぐんでしまったのですよ……。これから会社だっていうのに、いきなり夢の世界に揺り戻されて、あの時の感動が再び……。ニールントさん、美しかったなあ……。そういえば、今日も公演あるんですよね……。そしてこれから会社ですか……。このギャップと言ったら、本当に悲しくなるよなあ……。あー、本当に涙腺緩んでいるなあ……。



ヘッドフォンですが、愛用しているのはBOSE社のクワイエットコンフォート2です。これは少々お高めなのですが、いわゆるノイズキャンセリングフォンですので、通勤時間、騒音の酷い電車の中でも良い感じにノイズを消してくれます。

と、手放しに褒めたいところなのですが、一つ欠点があります。どうも音量レベルがほかのヘッドフォンと比べて小さい気がします。iPodで最大音量にしても、あまり音が大きくなりません。まあ、耳のためには良いことだと思うのですが、ちょっと物足りなさを感じることがあります。

 それでも購入してから一年、本当に楽しませて貰っています。飛行機に乗ったときは格別ですね。ジェット音をある程度消してくれますので。

 ノイズキャンセリングフォンを買うときには、SONY社のヘッドフォンとも比較したのですが、BOSE社に決めた最大の理由は、音声ケーブルの交換ができると言うところです。ヘッドフォンの音声ケーブルが断線しやすいというのはこれまでの経験で知っていたのですが、SONY社の場合、ケーブルの交換ができるようには見えませんでした(比較したのは3年ほど前なので、いまはできるようになっているかもしれませんが)。

BOSE社の場合は、ケーブルの交換が可能ですので、断線しても丸ごと買い換えなければならない、なんて言うことはありません。 それで、今日、いよいよとケーブルが断線してしまいました。帰りの電車の中でです。バックアップのイヤホンを持っていたので、音楽が聴けなくなると言うことにはなりませんでしたが、すぐにBOSEショップに電話をしてケーブルの取り寄せを依頼しました。今週中には届くそうです。不幸中の幸いでした。


日曜日に「人を傷つけてしまったようだ……」と書きましたが、その方から昨日反撃を食らってしまい、ますます憂鬱になってしまいました。まあ、僕にも非があるので仕方がないですが……。その方との関係上謝罪することもできず、というより、真実を言ったことで傷つけてしまった以上、謝罪するのも的確ではないと思ったりしていて、この件はこのまま塩漬けにするしかないようです。まあ、学んだことはこれからは、これまで以上気をつけよう、というところです。良い勉強になりました。ダメージ大きかったですが、今日一日で何とか落ち着いてきました。


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皆様のおかげで、先ほど8位になっていました! 本当に光栄です! ありがとうございました!

Tsuji Kunio

Tsuji

城・ある告別―辻邦生初期短篇集 城・ある告別―辻邦生初期短篇集
辻 邦生 (2003/02)
講談社

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講談社文芸文庫に入っている辻邦生先生の「城/ある晩年」というを読みました。

目録のとおり、講談社から辻先生の本が出ているのは、これだけだと思います。なぜだかよく分りませんが……。所収されている数ある短編のなかから真っ先に読んだのは、大好きな「サラマンカの手帖から」でした。この小説については何度も取り上げているような気がしますが、それぐらい好きなのだ、ということです。

主人公はパリに来ている日本人、恋人とおぼしき女性もおそらく日本人でしょう。日本人であることが述べられているのは、文中において一カ所のみ。示唆されているのも一カ所(サラマンカでは同国人に出遭わない、といったくだり)のみです。

なぜ、この小説を読んでこんなにも感動するのか、いろいろ考えています。 まず主人公と女は、あることで悩んでいる模様。おそらくは、子供をあきらめたと言うところなのでしょう。それを女はとても後悔しているし、罪悪感を感じている。主人公の男もやはり同じ気持ちを女ほどでないにしても持っている。だから、「誰だって、過失はある。そのたびに何もかも投げだしたら、一生かかっても人は何もできやしない」という名文や、「おれたちだって幸福になる権利があるんだ」という名文において、必死にその過失と対決しているのです。

サラマンカでは、若い踊り子の情熱的な舞踏であったり、その踊り子が盗みをはたらき、警察署から出てくる場面に出くわしたり、地酒を飲んだり、旅館主の夫婦の落ち着いた暮らしぶりをみたり、灼熱の太陽を浴びたりするのですが、そうした体験で、二人は徐々に恢復していきます。 たとえば、踊り子の姿をみて以下のように女が言います。

「私ね、あんなに熱中し、没入できるものがこの世にあることを、なんだか教えられたみたいな気がするの。いままであんなふうに熱中したことがなかったみたい。熱中する前にさめちゃって、ぶつぶつ言ってたみたいな感じね」

現代人的な「分別」とでもいいましょうか、そうしたものが、熱中することを妨げていた。そうではなく、もっと人生に没入していかなければならない、ということを行っているのだと思います。

さらに、終幕部に続きます。 盗みをはたらいた踊り子の娘が、オレンジを齧りながら、警察署からでてくる。それも堂々と。それは「野生の獣のような純粋な感じ」と表現されています。野生の獣は、日々生きるために対決しています。そうした空気を踊り子の娘が持っていたわけですね。 そして、この下りへ入っていきます。もう何度もこのブログに書いているかもしれませんが、ここだけはどうしても書かないわけにはいきません。

「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね、裸足で」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かにむかってゆくのさ」

この主人公達は、冒頭においては、もう生きることが辛くて仕方がない風だったのです。それはある種の後悔の念や罪悪感によるものだと思うのですが、正面から対決し、生きていこうとしている。そういうある種の解決感、もちろん生やさしい解決などではなく、現実や社会との対決という、途方もなく辛苦に満ちた解決への道程が含まれていると思うのですが、対決する意志、野生の獣のような強い意志をもって生きようとする剛毅な態度への志向を感じるのです。

そう思うと、日頃、生きるためとはいえ、従順になって、まるで柵に囲まれた羊のように生きている自分って何なのだろうか、と思わずには居られません。柵の中にはオオカミは入ってきませんが、柵の外にでることは決してありません。

…… 少々、思考が暗くなっていますね。どうやら昨日の失敗が尾を引いているようです。 僕も、少し休んだ方が良いのかもしれません。


今日はフォーレを聴いています。プラッソンの振る管弦楽全集の第二巻です。

フォーレ:管弦楽曲全集

フォーレ:管弦楽曲全集

posted with amazlet on 07.06.11
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団 シュターデ(フレデリカ・フォン) トゥルーズ・カピトール国立管弦楽団 フォーレ プラッソン(ミシェル) アリックス・ブルボン・ボーカル・アンサンブル ゲッダ(ニコライ)
東芝EMI (1997/03/05)
売り上げランキング: 88908

僕はいつも第一巻を聴くことが多いので、第二巻を新鮮な気分で聴くことが出来ました。よかったのは チェロと管弦楽のためのエレジー ハ短調 作品24 ピアノと管弦楽のための幻想曲 ト長調 作品111 ですね。フランスのエスプリって感じだなあ、と。

今日も、昨日のショックから完全に立ち直れていなくて、少々憂鬱な一日だったのですが、このCDを聴いてなぐさめられた気分です。いいですね、フォーレ。


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皆様のおかげで、先ほど観たら9位になっていました。ありがとうございます。

Opera

Strauss

Richard Strauss: Der Rosenkavalier Richard Strauss: Der Rosenkavalier
Gottfried Hornik、 他 (1990/10/25)
Deutsche Grammophon
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昨日の余韻に浸るべく、カラヤンのばらの騎士を聴きました。昨日の演奏の印象が消えてしまうのではないか、と少し不安だったのですが、かえって昨日のことが思い起こされてきました。いやあ、思い起こせば起こすほど本当に夢のような時間でした。パフォーマンスに求められるのは、やはり現実を忘れさせてくれる甘美な体験です。それが結実していたのだなあ、と改めて思いました。

さて、昨日貰ってきたパンフレットに秋のドレスデン来日の案内が入っていました。それをみてびっくり。昨日のマルシャリンを歌ったニールントさんがサロメに出演されるとのこと。さっそくぴあで調べてみたのですが、一番安い席でも三万円を越えています……。諦めました。

ですが、家人と相談をして、違う贅沢をすることに。9月2日のチューリッヒ歌劇場のばらの騎士にも行くことにしてしまいました。ウェルザー=メストさんの指揮です。しかし、やっぱり海外オペラは高いですね……。かなり勇気がいりました。これで、今年はばらの騎士を三つ観ることになります。出費が増えるのは痛いですが、頑張って働きます。


今日は4時半に起きました。最近、早起きするようにしています。22時から23時の間に布団に入ってぐっすり。4時過ぎに携帯電話に仕掛けたアラームが鳴り始めると、なんとか起きあがって、顔を洗って、果物やプリンを食べて、額に凍らした保冷剤を当てて、ブログの元ネタを書いたりしています。朝は確かに眠たいですが、夜に比べれば疲れも少ないですし、周りも静かなので、はかどるような気がします。でもさすがに読書は厳しいかなあ、と……。文章を書くといった、手を動かす作業のほうが眠たくならず、良いみたいです。もうすこしこの習慣を身につければ、早朝でも本を読めるようになるかも知れません。

Richard Strauss

  1. Strauss
R.シュトラウス:歌劇「バラの騎士」(全曲) R.シュトラウス:歌劇「バラの騎士」(全曲)
カラヤン(ヘルベルト・フォン)、フィルハーモニア合唱団 他 (1999/07/16)
東芝EMI

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Hab mir’s gelobt, Ihn lieb yu haven in der richtigen Weis´. Dass ich selbst Sein Lieb´ yu einer andern noch lieb hab! Hab´ mir freilich nicht gedacht, dass es so bald mir aufgelegt sollt´ werden! Es sind die mehereren Dinge auf der Welt, so dass sie ein´s nicht glauben tät´, wenn man sie möcht´erzählen hör´n. Alleinig wer´s erlebt der glaubt daran und weiss nicht wie ß da steht der Bub´und da steh´ ich, und mit dem fremden Mädel dort wird er so glücklich sein, als wie halt Männer das Glücklichsein verstehen. In Gottes Namen.
私が誓ったことは、彼を正しい仕方で愛することでした。だから彼が他の人を愛しても、その彼をさえ愛そうと。でもそんなに早くそれが来ようとはもちろん思いませんでした。この世の中にはただ話を聞いているだけでは信じられないことがたくさんある。けれども実際にそれを体験した人は信ずることができるけれど、でもどうしてだかは分からない──
ここに「坊や」が立ち、ここに私が立っている。そしてあそこにはほかの娘が。あの人はあの娘と幸福になるでしょう。幸福と言うことをよく知っている男達と同じように。

ばらの騎士第三幕より

行って参りました、新国立劇場の「ばらの騎士」。結論から申し上げますと、圧倒的なパフォーマンスに終始驚かされ続け、涙を流さずには聴いておられないほど感動の連続で、現実を忘れ、夢のなかをさまよった四時間半だった、と申し上げましょう。僕は、先だっての「蝶々夫人」でも、滂沱の涙で、あんなにも感動したことはない、と書きましたが、それと同じく、いや、それに勝るほどの公演ではなかったか、と思います。オペラを聴き始めてからまだ五年弱で、まだまだ聴いているかずも少ないのですが、感動係数自己最高に並んだ、ないしは越えたと言っても過言ではありません。

まず、ペーター・シュナイダーが棒を振り下ろして、あの序奏を演奏し始めた途端に涙が溢れました。なぜだか分かりません。弦楽部の美しがすばらしく、シュトラウスのオーケストレーションの甘美さに胸を激しく揺さぶられるのでした。

オクタヴィアンのエレナ・ツィトコーワは、以前書いたように、2003年に新国立劇場でフィガロの結婚にケルビーノ役で出演していますが、そのときの感動が再び訪れます。ツィトコーワの声質は、女声の美しさと言うよりボーイソプラノ的なのです。芯のあるしっかりした声で。圧倒され続けまそた。そして演技が巧い。男らしい挙措が本当に様になっているのです。マルシャリンのカミッラ・ニールントは、その品位ある姿に感銘を受けます。歌も巧いのですが、それ以上に溢れ出る魅力に圧倒去れ続けている感じでした。オックス男爵のペーター・ローゼの歌、演技ともに、慣れたるものと言うことで余裕な感じ。オックス男爵という笑いを誘いながらも歌唱力を要求される役柄を完璧に演じていたと思います。声も良いですしね。

幕が開くと、ジョナサン・ミラーの品の良いセットが出てきます。新国立劇場の「ファルスタッフ」の演出も手がけているミラーさんのセットは、淡い色調の寝室で、左側の大きな窓から朝日が差し込んできています。 第一幕の最後、マルシャリンが煙草を吸って、窓の外を眺めます。オクタヴィアンが馬に飛び乗って行ってしまったのを引き留められなかったのです。キスをせずに追いだしてしまったことを激しく後悔するマルシャリンなのですが、よく考えれば、もうキスをする機会を喪っているのですね。このあと、オクタヴィアンはソフィーと結ばれ、マルシャリンはひきさがるわけですから。我々観客はそのことを知っているから、窓の外を眺めているマルシャリンの心情を慮らずには居られません。そして秀逸な演出は、窓の外に雨が降っていることを表現するのです! 窓ガラスを雨水が伝っているのです。その雨の流れが影となって室内に動く影を投げかけます。マルシャリンの心象風景を完璧に表現しています。

第二幕の聞き所はバラの献呈と、オックス男爵の歌うワルツだと思うのですが、バラの献呈のところ、ここでも泣きましたよ。本当に。テンポはかなりゆったりとしていて、豊かに歌いあげている感じ。幸福の絶頂でした。生きていたら良いことあるなあ、と。 第三幕、オックス男爵を仕掛けで驚かせて警察が来るドタバタの後、黒いドレスを着てマルシャリンが登場。いやあ、本当に威厳があるんですよ、ニールントさんは。その美しさ、気品、威厳に圧倒されて、もうオケの音はほとんど聞こえていない(すいません)。ずっとオペラグラスで眺めていましたが、微妙な表情の変化などをつけて、オックス男爵に対するときは威厳に加えて怒りの表情を品位を保ちながら示す。本当に素晴らしい。 演出も秀逸で、マルシャリンの登場後もドタバタして、舞台上はカオティックな状態になるんですが、その中にあっても、オクタヴィアンはマルシャリンを見つめ続けている。実に秀逸です。

そして最後の三重唱。上品で、甘美で、とけてしまいそう。この曲、シュトラウス先生のご葬儀に歌われたんだよなあ、と思うと、もう涙が止まらない。お恥ずかしながら……。 そうして、最後にファニナルとマルシャリンが手を携えて部屋を出て行く。マルシャリンは、手を取り合うオクタヴィアンとゾフーの方を一瞬振り返るんですね。オクタヴィアンを手放して、身を引いた大人のマルシャリン。でも、最後一瞬だけ心が揺れている。それを振り返ることで表わしている。うーん、素晴らしい。マルシャリンの心情が分かります。

幕が下りた後、当然のようにカーテンコールがあったんですが、新国立劇場でここまで盛り上がったカーテンコールの記憶は僕にはありません。僕もはじめて「ブラボー」と叫んでみました(少し小さい声でしたが……。次はもっと大声出せると良いんですけれど……)。

華麗な舞台、理想的な美へと立ち上ってゆく薫り高いパフォーマンス。うーん、こういう舞台って、なかなか観られないんじゃないでしょうか というわけで、先だっての「蝶々夫人」に続いて、感動にうちふるえた公演でした。いやあ、本当に生きていてよかったです。


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Richard Strauss

Strauss

R.シュトラウス:歌劇「バラの騎士」(全曲) R.シュトラウス:歌劇「バラの騎士」(全曲)
カラヤン(ヘルベルト・フォン)、フィルハーモニア合唱団 他 (1999/07/16)
東芝EMI

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Ich weiss noch was. Was weiss Sie noch, sag’ Sie mir’s, ma cousine.
Quiquin.
Weiss Sie den Namen auch?
──何をご存じですか、どうぞおっしゃってください、従妹さん
──カンカン
──その名前までご存じですか?

ばらの騎士第二幕より

Heut oder morgen opder den übernächten Tag. Hab’ ich nicht ein Gelübde tan, dass ich’s mit einem ganz gefassten herzen ertragen werd’ … Huet morgen oder den übernächsten Tag.
 今日か、明日か、あさってか。私は前に言ったではないの? どの女にも一度は来ることです。私は知らなかったのだろうか? 私は誓ったのではなかったの? 強い覚悟を持ってこれを堪え忍ぶために。今日か明日か、それともあさってか

ばらの騎士第三幕より

 長いようで短い仕事に勤しむ一週間は終りました。いよいよ、明日、新国立劇場のばらの騎士です。予習と言うことで、カラヤンが1956年にフィルハーモニア管弦楽団を振ったばらの騎士を一日聴いていました。

  • 元帥夫人はシュヴァルツコップさん
  •  オックス男爵はエーデルマンさん
  • オクタヴィアンはクリスタ・ルートヴィヒさん
  •  ゾフィーはテレサ・シュティッヒ=ランダルさん

シュヴァルツコップさんの声は、柔らかくふくよかな感じですね。これは、サヴァリッシュ盤のカプリッチョでマドレーヌを歌っている声を聴いたときの印象と同じです。お顔のイメージとは少し離れていますが、僕のきらいな声質ではありません。エーデルマンさんはオックス男爵の野性味溢れる感じを巧く出していると思います。聴いていて楽しいぐらいです。ルートヴィヒさんも巧いですね。高くて倍音を吹くんだ良い声です。第三幕で女装して出てくるところ、本当に泣いているような声を出されています。 歌手が脇役で登場しますが、ニコライ・ゲッダさんなんですよ! まだそんなにメジャーではなかった頃の録音なのでしょうね。

ばらの騎士で一番好きなシーンは、ばらの献呈からゾフィーとオクタヴィアンがしばし二重唱で歌うところ。Quinquin、とゾフィーが伸びやかに歌うところ、このオペラの美しさの頂点の一つと言っても良いと思います。その後舞曲風のリズムが軽やかに始まって、タンバリンが二拍打たれるところの疾走感もたまらなく好きです。 それから、一幕の後半部分で元帥夫人が諦観する場面、そして最後の三重唱も聞き所ですね。しかしその美しさはオックス男爵のある意味下卑た(ちょっと酷い言い方ですが)性格が対極にあるからこそ生まれるものです。そして決して忘れてはならないのは、オックス男爵が歌うウィナーワルツ。オックスにこんな名旋律を歌わせるなんて本当に良い思いつきだと思います。

明日、楽しみになってきました。


今日で仕事は終わりでしたが、先だってのトラブルがまだまだ尾を引きそうな気配。少し憂鬱。でも週末に楽しみがあるから良いですね。今日もミーティングが多くて少し疲れました。家人も疲れたと言うことで夕食はスーパーで買ってきたお弁当に。一週間に一回はこういう感じで家事を休むような恰好になっています。明日は体調を万全に整えてばらの騎士に望みたいと思います。


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Gustav Mahler

Gustav Mahler

マーラー:交響曲全集 マーラー:交響曲全集
オムニバス(クラシック)、アルノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1995/07/07)
ユニバーサルクラシック
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今日もマーラー。行きも帰りも交響曲第6番を聴きました。この曲、何度も聴いているはずなのですが、アバド盤で改めて聴いたということと、集中的にマーラーを聴いているということで、今までと違った聴き方ができているような気がします。聴けば聴くほど複雑な楽想のひだのなかに吸い込まれていってしまいそうな気分です。

それにしても、第一楽章の第二主題、これは、妻のアルマをイメージした主題なのだそうですが、本当に美しいです。でもマーラーの場合は美しいだけではなく、冒頭の兵士の行進と言いましょうか、ある種グロテスクな動機も含まれています。美しいだけが現実ではないのです。それにしても、第一主題と第二主題のかけ離れていることと言ったら。すさまじい分裂だと思います。

僕は8番が最も好きだ、と書いたことがあったと思いますが、今日一日6番を聴いて、かなり良いなあ、という印象を持ちました。8番ぐらい聴きこなして理解を深めていけば、もしかしたら一番好きな交響曲になるかもしれません。


Alma

アルマ・マーラー―ウィーン式恋愛術 アルマ・マーラー―ウィーン式恋愛術
フランソワーズ ジルー (1999/02)
河出書房新社

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今日届いたフランソワーズ・ジルーの著作「アルマ・マーラー──ウィーン式恋愛術」を、ぱらぱらとめくってみたのですが、アルマは本当に恐ろしい女ですね。結婚したのは、マーラー、グロピウス、ヴェルフェルの三人。恋愛相手といえば、ツェムリンスキーや、クリムト、ココシュカなどなど。魔性の女です。最後の夫、フランツ・ヴェルフェルはこういっています。「彼女はこの世では滅多にお目にかかれない本物の魔術師の一人だ……」 ちなみに、マーラーはニーチェを好んでいたようですね。これについてもまた機会があれば書きたいと思います。


今日は平穏な日。月曜日に起きたトラブルも粛々と解決へと向かっています。ただミーティングが多くて疲れてしまいましたが……。しかし、明日行けば、会社も終ります。そして明後日は、楽しみにしていた新国立劇場「ばらの騎士」です! 明日は、マーラー漬ではなく、ばらの騎士漬にしようと思っています。


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Gustav Mahler

Gustav Mahler

マーラー:交響曲全集 マーラー:交響曲全集
オムニバス(クラシック)、アルノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1995/07/07)
ユニバーサルクラシック
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今日も通勤時間はマーラー一色。家に帰ってきてからもマーラーを聴いています。グラモフォンのアバドさんが振った全集を聴いています。第1番、第2番、第6盤、第9番をつまみ聴きしているところです。というのも、昨日ご紹介した柴田南雄さんの「グスタフ・マーラー」を読みながら、読み返しながら聴いていると、取り上げられている曲をついつい聴きたくなるんですね。 アバドさんのマーラーは、これまで書いてきたように、テンポが遅めな気がします。僕のマーラー体験はショルティ盤に始まっていますので、それに比べれば遅いのは当然だとは思います。繰り返しになりますが、実によく歌っているのです。情感豊かに、ふくよかに。この数日聴いてあらためて好きになった感じです。 マーラーといえば、テンシュテットさんも評価が高いですね。タワーレコードでEMIの廉価版ボックスで全集が出ていたので、今週末買ってしまうかもしれません。 Shibata_Mahler

グスタフ・マーラー―現代音楽への道 グスタフ・マーラー―現代音楽への道
柴田 南雄 (1984/10)
岩波書店

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柴田南雄さんは、凄い経歴の方ですね。東京帝国大学理学部を卒業して理学部大学院へ。中退して東京科学博物館の嘱託、そして東京帝国大学文学部美学美術史学科に再入学して卒業。凄いですね。親族も学者だらけで「一族で大学が作れる」と豪語されていたとか。ウィキペディアに詳しいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%8D%97%E9%9B%84

 それにしても思うのは、音楽を理解するためには理系的な考え方が必須だなあ、と。音楽理論なんて、ほとんど数学パズルのようなものですから。ジャズ系の話で言うと、やっぱり理系の人の方がインプロヴァイズが巧かったりしますし(ほとんど理系の方で占められていました。文系の私は少数派だった気がしますね)、外に目を向けても、東京理科大の方なんて本当に素晴らしい演奏をされていました。 もっとも、哲学も数学的な思考が必要なんですけれど。僕の祖父が数学の教師だったと言われているのですが、僕は全く数学ができません。お恥ずかしながら……。だから、哲学を理解できなかったのでしょうね。でも、それでいて今はシステム開発やっているのですが……。まったくよく分かりません……。


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Classical

Gustav Mahler

マーラー:交響曲第9番 マーラー:交響曲第9番
ラトル(サイモン) (2002/10/25)
東芝EMI

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今日のマーラーは、ラトルの9番です。帰りの電車の中で聴きました。ラトルの指揮は、想像以上に刺激的で、テンポがとてもよく動いていると思いました。歌わせるところは、ラトルらしく能動的に動かしている感じ。特に第四楽章は、静謐な感じを巧く出していると思います。老成した感じというよりは、若々しく挑戦的な演奏なのではないでしょうか?ただ、ここのところアバド盤をよく聴いていますので、ちょっと違和感を感じるところは仕方がないですね。

それで、思い立ってアバドのマーラーを一曲ずつ聴いていこうかな、と思っています。まずはiPodに入れていく作業から始めないと行けないですね。

それから、今週末9日土曜日は、新国立劇場で「ばらの騎士」を観る予定です。そちらの予習もしなければ。いまやろうとしているのは、カラヤン盤の古い方、シュヴァルツコップさんやクリスタ・ルートヴィヒさんが出演している盤をきいてみようというところ。こちらもiPodに入れて予習する予定です。そう言う意味で言うと、新しいカラヤン盤(シントウさん、モルさん)の第一幕の後半部分の予習もやっているところです。

Shibata_Mahler

グスタフ・マーラー―現代音楽への道 グスタフ・マーラー―現代音楽への道
柴田 南雄 (1984/10)
岩波書店

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いま柴田南雄さんが書かれた「グスタフ・マーラー──現代音楽への道──」を読んでいます。最初に日本におけるマーラー受容の歴史が書かれていて、それからマーラーの生い立ち、「嘆きの歌」からはじまって一つ一つ交響曲を紹介していく内容なのですが、本当に秀逸です。私は音楽理論はほとんど分からないので、書いてあることを完全には理解しきれていないと思いますが、交響曲の拍節的分析、旋律の分析などをしていてくれて、どうしてマーラーの音楽が、ドイツロマン派的音楽と違った響き・旋律を持っているのかと言うことを理論的に説明してくれています。本当に秀逸で、この本を理解するために楽典の勉強をもう一度やってみようか、と思ったぐらいです。激しくおすすめする一冊です。


仕事、ですが、なんとか山を越えました。発生したトラブルを収束に向かわせるべく、午前中はステークホルダーと折衝を重ねて、昼明けには、対応方針が決定。ようやくと収束に向けた具体的な動きになってきた感じです。影響範囲は思ったよりも小さく収まると言うことで、胸をなで下ろした感じ。それで、午後は結構疲労感と闘いながら仕事をしました。帰宅前はもうフラフラです。こういうときには、珈琲を飲みたくなるもので、現にいつもよりも多く珈琲を飲んでしまったのですが、却って肉体疲労と精神疲労のバランスが崩れてしまい、なんだかよく分からない朦朧とした感じに陥ってしまいました。疲れているからと言って珈琲を飲み過ぎてカフェインの過剰摂取になるのは危険です。


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Gustav Mahler

Gustav Mahler
マーラー:交響曲全集 マーラー:交響曲全集
オムニバス(クラシック)、アルノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1995/07/07)
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今日の通勤時間ですが、マーラーの8番を聴きました。マーラーの8番は、おそらくはマーラーの交響曲の中で最も人気がない曲と思うのですが(とあるホームページでの投票結果ですが……)、僕にとってはマーラーの作品の中で最も好きな作品だったりします。

  いつもは、もっぱらショルティ盤を聴いているのですが、今日はアバド盤を聴いているというわけです。ショルティ盤は比較的テンポが速いと思うのですが、アバド盤はそれに比べてテンポは遅い印象です。その分、一つ一つの音を伸びやかに豊かに歌い上げている印象を受けます。ショルティがスタイリッシュであるとすれば、アバドは豊潤に愛を歌いあげていると言うイメージですね。

  この曲自体、マーラーが献呈をした唯一の曲なのですが、その献呈された相手というのは妻のアルマ・マーラーだったわけです。初演は1910年でマーラーがなくなる前年ですが、そのころから二人は上手くいかなくなっていて、アルマは不倫していたりします。なんだかマーラーの一方通行の愛という感じで心打たるものがあります。人間の愛情というものは本当に難しいものです。天才マーラーといえどもやはり人間ですからね。どうしようもないものはどうしようもない。でもそこに果敢に挑んでいってある程度の勝利を収めたと言えるとは思います。ウィーン休廷歌劇場の音楽監督に昇り詰めたのですから。


今日からまた仕事です。今日は僕が属しているユニットのリーダーが研修で不在。水曜日までの三日間です。ところが、そんなときに限って起こるトラブル。それも最近まれに見るトラブルでして、結構大変な状況になりそうです。幸いなことに、僕の組織の起因ではないですのでまだ気が楽なのですが。というか、トラブルについて一つ一つめげていては人生幾らあっても足りません。


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