Tsuji Kunio

西行花伝 (新潮文庫)
西行花伝 (新潮文庫)

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辻 邦生
新潮社
売り上げランキング: 8,345

幻の作品「浮舟」については、先日も書いたように、「地の霊土地の霊」という文章においてその構想が語られています。その中で、源実朝が、中国へ向けて船を作るが、頓挫する、というエピソードに触れられていて、この船を作るという行為の捉え方として「存在が持つ形ならぬものへの憧れ、同一化への狂おしいまでの思い」がゆえに、船を作って中国に渡そうとしたのだ、というものでした。

船が何か彼岸へ通じる道のように捉えられていたのだと思います。

先日も取り上げた、辻佐保子さんの「辻邦生のために」においては、「浮舟」の題名の由来が、とある屏風絵にあったという話が載っています。「浮舟」というのは源氏物語の巻の名前ですが、その場面を取り上げた屏風絵だったそうです。これを見て、「浮舟」の構想が固まったのではないかとされています。

また、ここでは、辻文学における船として、「真晝の海への旅」であるとか「夏の砦」で主人王たちはヨットに乗ったまま消息を立つ、といった背景が指摘されていました。

それで、今日読んだ西行花伝の冒頭部分に、この「船」が出てくるのでした。

「好きというのはな、船なのじゃ。無明長夜を越えてゆく荒海の船なのじゃ」

53ページ

これは、西行の祖父にあたる源清経が話す言葉です。清経は風流人として描かれています。宴席で今様に打ち込む心意気を語るその最後に語る言葉です。

まさに、この今様=芸術に打ち込むということが、存在への憧れであり、それはすなわち船に喩えられるような、儚く、もろく、不安定でありながらも、未知への期待をもたらすような営為なのだ、ということなのだ、と思います。

それにしても、「西行花伝」の素晴らしさはもちろんですが、世にでることのなかった「浮舟」を読んでみたかった、と思います。あるいは、「浮舟」という作品自体が世に出なかったということは、源実朝の唐船が完成しなかったことが暗示していた、ということなのだとしたら、それはそれで一つの何か完成した物語を見ているようにも思えます。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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先だってなくなった伯父のことを、最近もずっと考えていました。この10年会えずじまいだったのは、最初の半分はこちらの問題ということもあったのですが、ついつい疎遠になって会うきっかけがつかぬままずるずると時が過ぎていき、この数年は伯父が体調を崩して会いに行けるような状態ではなかった、というのが実際のところです。

先日、NHK-FM「世界の快適音楽セレクション」の後悔と反省の音楽の回で、ゴンザレス三上さんが、会うべき人に会えないという後悔についての話を、たまたまされていて、確かにね、と思いました。時機を逃すと何もできなくなるということで、それはそう思った時には既に手遅れなのだ、ということなんだろうなあ、と。

そうした手遅れを何度も何度も重ねるのが生きるということなのかもしれない、と思います。生きれば生きるほど、業を背負っていくということ。このことを二十歳ごろに気づいてしまったのですが、もしかすると早すぎたのかもしれません。業を背負う、なんて諦めてしまったから、こうなったのかも、などと。

伯父には、音楽も教えてもらったし、オーデイオの楽しさも教えてもらったわけですが、何より教わったのは、新しいものを柔軟に取り入れる、という気概だったと思います。それは、私の血や肉になっているはず。

それから、私の理想の生活こそ、定年後の伯父の生活だったんじゃないか、とも。海辺の町に住んで、夏は海で泳ぎ、冬もプールで泳ぐ。夕方早く夕食を食べて、早く寝て、朝は早く起きる。私が、会社帰りに毎日プールで泳いでいるのも、実のところ伯父の真似をしているのだ、ということに改めて気づいたのも、伯父の訃報を聞いてからでした。

それにしても、伯父と見た日本海に沈む夕日は忘れられないです。

これ以上辛くて書けないこともありますし、やろうと思っていることもありますが、今日はこのあたりで。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

写真 1 - 2015-12-25

辻邦生全集を本棚の最前面の近いところに持ってきました。10年ほど経っていて、前の家の湿度の高い部屋に置いていたということもあり、残念ながら少し痛めてしまったのですが、中身は宝の山です。

まあ、本は読んでなんぼで、飾っておくものではありません。とはいえ、あるだけで意味のある本のようなものもあるとも思います。

辻邦生全集の目録はこちら。

辻邦生全集目録(私家版)

なんだか部屋の雰囲気も変わったような気がします。明るくなったというか、重くなったというか。

今日は「西行花伝」を読みながら会社へ。昔のように、速度を速めて読めなくなってしまいました。まるで哲学書を読むように少しずつ読むような、あるいは考古学者が土を少しずつ削りながら発掘するような、そんな読み方になってしまい、ちっとも前に進みません。

最近、短いエントリーが多いです。「たえず書く人」になるのはとても難しいことだ、ということも頭の中に入れておかないと。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

辻邦生のために (中公文庫)
中央公論新社 (2012-12-19)
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今日も辻邦生の奥様である辻佐保子さんによる「辻邦生のために」を読みました。当初はKindleで読んでいましたが、最後は手元にある紙の本で読んだわけですが、いや、本当に重い本でした。

一番最後、幻の小説「浮舟」についての部分。本当に示唆的でした。2002年刊行された当時に一度読んだことがあるはずですが、どうもそこまで認識することができなかったのでしょう。13年も経ちましたから、私もずいぶん変容している、ということなのだと思います。

この「浮舟」については、辻邦生が1999年に書いた「地の霊 土地の霊」にその構想が書かれているわけですが、この「辻邦生のために」の「『浮舟』の構想をめぐって」の中で、「地の霊 土地の霊」の内容に加えて、辻邦生自身の様々なエピソードから、「浮舟」の構想が紐解かれています。

私の中では、全体直観のようなもの、西田幾多郎の純粋経験のようなもの、個と普遍のようなものが、辻文学の一つのテーマだと思っていますが、「浮舟」では、「人間の実在は、男と女がそうであるように、存在のこちら側にあるのではないということだ」という直観にまで到達していたということのようです。彼岸と現実をつなぐものを考えること。それが世界認識の絶対直観のようなものだったということなのでしょうか。

もっとも、佐保子さんはこう書いて締めくくっていました。

「浮舟」のような実在と非実在の極限を捉えようとする試みは、おそらく生命のある間は実現不可能だったのかもしれない。

187ページ

ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものは語ってはならない」という言葉がありますが、それは単に、科学や哲学の仕事ではないと言っているだけであり、それはまさに文学の仕事である、ということなのだと思いました。

「地の霊 土地の霊」は、辻邦生全集の第17巻に収められています。もちろん、かつて読んだことがあるものではありましたが、もう一度ざっと読んでみたところです。これは後日ここで書かなければならないものです。

辻邦生全集〈第17巻〉エッセー2
辻 邦生
新潮社
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今日の夕食は、一日早いご馳走をいただきました。本当にありがたいことです。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

まだ、辻邦生がご存命だった頃。本屋に出かけて、思いがけず辻邦生の新著を見つけた時に幸福感と言ったら筆舌に尽くしがたいものがありました。

1999年に亡くなられてからしばらくはご遺稿が何冊も出版されましたが、それも終わり、続いて、奥様の辻佐保子さんの著書が二冊出ました。それがこちらです。

辻邦生のために (中公文庫)
中央公論新社 (2012-12-19)
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「たえず書く人」辻邦生と暮らして (中公文庫)
中央公論新社 (2012-12-19)
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いずれも、Kindleで読むことができるようになっています。

「辻邦生のために」の方は、Kindle版を買っていなかったので、今朝、電車の中で購入しました。もちろん紙の本は読んでいますけれど、いつでもどこでも読めるようになったのはなかなか感慨深いものがあります。

いろいろと興味深いことが目白押しなのですが、今の天皇皇后両陛下が、どうやら何度か辻邦生の軽井沢の別荘に訪れていた、と思しき記述を見つけました。

皇太子時代の夏休みに毎年のようにご一家で山荘におでかけ下さったことを記念して

No. 708

なるほど。だから、軽井沢高原文庫で開催された辻邦生の展覧会に、両陛下がお越しになったというわけなんですね。特に皇后陛下は辻邦生がお好きだった、という記事をどこかで読んだことがあります。

しかし、人間というもには、日々新たな決心をするのですが、それを実現することができる人は限られているということなんでしょうね。ともかく、性急な改革は必ず失敗しますから、粘り強く、じわりとことを進めていきたいものです。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

今日は、仕事場のお世話になっている方々と夕食。

それにしても、月に何度か会議で一緒になる方々なのですがやはり何かしっくりくる感じがあって、前々から話ししたいなあ、と思っていたのですが、やはり話していて、しっくりくるなあと、私は勝手ながらに思いました。本当にありがたい経験です。

帰り間際に、その中の一人の方が、クラシックがお好きだ、とおっしゃって、少し驚いたのです。というのも、私の場合、クラシックを聴き始めたのが10歳で、それ以来30年以上、「クラシックが好きです!」ということを周りにいうことができないという状況が続いているので。本当に新鮮です。何かをカミングアウンドしているような気分にすらなります。

クラシックには、アウトローの哀しみのようなものを感じるわけです。本来なら、アースとか、ボン・ジョビとか、そういうメジャーな音楽でキラキラいるべきなんじゃないか、みたいな感覚というものがあるからかなあ、と思います。

今日はこちら。Apple Musicで聞いたのですが、実にキビキビしていて驚きました。この切迫感は時代のなせるものでしょうか。

ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
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今日はここまで。ありがとうございます。
おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical,Miscellaneous

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今日も休ませていただきました。やはり色々と疲れていたようですが、よく寝て、ひと泳ぎしたら持ち直してきたようです。

写真は、ちょうど3年前に撮った払暁の写真です。朝焼けで、ウロコ雲とくれば、天気が崩れる前兆だということはその後知りました。この日以降天気が崩れたのを覚えています。

Apple Watchには、日の出日の入りの時間が表示されます。購入以来、日の出日の入りに対する感覚が鋭敏になりました。

今日気付いたのですが、日没時間が数日前よりも早まりました。確か、16時26分ぐらいまで早まっていたのですが、今日見てみると16時30分となっていて、ああ、やっと暗い夕方が明るくなり始めるのか、と胸をなでおろしたのです。

とはいえ、冬至は12月22日なので、少し早いなあ、と思い、いろいろと調べてみました。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2015/hdni13154.html

どうやら、東京地方の場合、12月14日の16時28分が最も早い日没時間で、その後少しずつ遅くなって言うようです。

一方、日の出の方は、まだまだ遅くなります。12月14日は6時42分ですが、一番遅いのは1月13日の6時51分のようです。

当時の定義は、日中の時間が一番短い、ということのようですので・12月22日の6時47分の日の出、16時32分の日の入り。つまり、9時間45分というのが最も短い日中時間ということになるみたいです。

こういう常識のようでいて知らないことを、AppleWatchが気づかせてくれた感じです。

そういえば、小学2年生の夏休みの自由研究は、日の出日の入りの時間を毎日新聞を読んで記録しグラフ化する、というものでした。母親に「自由研究は毎日やるものにせよ」と厳命を受けた結果です。ですが、毎日やるのは意外と辛いのですね。。日の出日の入り、という言葉は、私にとってある種の苦味のようなものを感じさせるものです。

それにしても、今日も17時半に家を出て泳ぎに行ったのですが、夏のあの頃はまだまだ暑い盛りだったわけで、全く不思議なものです。当たり前ではあるのですが、同じ時間だということが信じられません。季節、場所で、こんなにもかわるということは、公転のスケールの大きさということもあるでしょうし、地軸の傾きがなせる不思議のようなものでもあり、本当に興味深いです。

辻邦生は、日没を見にご自宅のマンションの屋上に上がられたそうですが、住民の方に、変わり者だと思われていたそうです。高輪のマンションから見る日没はさぞかし壮麗なものだと思うのですが、そういう感性も辻邦生に教わったのかもしれません。あるいは元からそうだったのかもしれないです。あの自由研究のおかげかも。

日没といえば、小学生の頃に住んでいた武蔵野からだと、ちょうど富士山に太陽が沈む時期があり、みんなでそれを眺めた記憶があります。実は、今日、その太陽が富士山に沈むダイヤモンド富士が見られる日だったようなのですが、私が写真を撮ろうとしたところからは残念ながら見えませんでした。

今日はこちら。

チャイコフスキー:交響曲第5番/地方長官
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アバドのチャイコフスキー交響曲第5番。アバドの演奏というのは、本当にたおやかですね。絶妙なボリュームコントロールは甘すぎない生クリームのような微細な気遣いがあります。今日のNHK=FMの「きらクラ」で流れたベートーヴェン《運命》もやはりアバドでしたが、その時にも感じたことです。

それでは、お休みなさい。グーテナハトです。

Classical

先日、放送されたNHK音楽祭の映像を見ました。

hr交響楽団とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を五嶋龍が弾いていたのですが、なかなか楽しめました。

五嶋龍は、まるでアスリートみたいな弾き方をするなあ、と。マッチョで男らしい。あるいは男らしすぎるという方がいいのかも。なんか体格も立派で、鍛えているとしか思えない感じ。十分すぎる筋力を、あえて使わず絶妙なコントロールで楽器を鳴らしているような印象を受けました。フレージングも微妙なタメのようなものがあるのですが、日本人っぽさのようなものを感じるほどまででもなく、スタイリッシュでかっこいいです。

調べてみると、今年、レコーディングもしていました。AppleMusicでも聞くことができます。

https://itun.es/jp/qW-O-

レジェンド(初回限定盤)
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五嶋龍
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今日は、家にずっといて家事を。明日も、家事が満載の予定。

今日は取り急ぎ。おやすみなさい。

Miscellaneous

Photo

昨夜から東京はずいぶんと寒くなって、いよいよ冬もクライマックスに向けて動き始めた感じです。

昼間は、晴れ渡っていて、いつまでも日差しを浴びていたい感じ。でも、すぐに仕事場に戻らないといけないというところ。昔から、日差しが好きで、仕事場のブラインドを開けてしまうのですが、いつも顰蹙を買っています。

夕方、仕事場から、沈む夕日を眺めましたが、これが仕事場以外の別の街で見られればきっといいのになあ、と思いました。前にも書きましたが、これがドイツかスウェーデンだったらもっと感動するのに、なんて思ったり。逃避。

今日はこちら。Apple Musicのプレイリストから、「スムース・ジャズ:ヴォーカリストが素晴らしい曲」というもの。

スクリーンショット 2015-12-19 00.32.18

なんだか、こういう形でキュレーションしてくれるのはありがたいですね。

特に、冒頭のアル・ジャロウは素敵ですね。1983年のアルバム「Jarreau」からで、音作りが黄金の80年代サウンドで素敵です。

それから、アニタ・ベイカーもいいっすね。深いアルトの声。音作りももちろん80年代。

週末は天気が良いようです。今週末は、家の仕事がたくさん。

それではみなさま、おやすみなさい。

Movie

カルテット!人生のオペラハウス [DVD]
ポニーキャニオン (2013-11-02)
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面白い映画でした。

音楽家のための老人ホーム。存続資金を得るためのガラコンサートを、老いた音楽家たちが企画している。そんな時に、ホームに入ってきた老ソプラノ歌手は、ガラコンサートに出演する老歌手のかつての妻だったのだが…。

というストーリー。

一番驚いたのは、あのグィネス・ジョーンズが出演していたことです。エンドロールで気づいて、本当に驚きました。物語の中で、年を重ねてもなお歌うことを恐れる、という主題が出てくるのですが、グィネス・ジョーンズは、映画のなかで、実際にその恐れを克服している、あるいは感じていないかのようにおもいます。 
実際、グィネス・ジョーンズと同じく、高名な演奏家が出演していて、演奏を披露してくれます。リアルです。

今日はこちら。

Salome

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Gwyneth Jones Richard Cassilly Mignon Dunn
Polygram Records (1994-08-16)
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グィネス・ジョーンズの豊潤をサロメを聞くことができます。フィッシャー=ディースカウのヨカナーンも最高。
それでは、おやすみなさい。