Tsuji Kunio

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辻邦生ミニ展示「春の戴冠・嵯峨野明月記」展と、講演会「辻邦生のボッティチェリ観をめぐって―小説と歴史のあいだで」に行ってまいりました。

またいろいろと考えることが出てきてしまいました。

14時からの講演会の前に展示を見ようと思いましたが、予想通りたくさんの方が来場しておられましたので、昨年のようにじっくりとみることができませんでしたが、それでも、いくつもの発見がありました。

辻邦生のきめ細かい字の日記やノート、自筆原稿をみると、神々しさのようなものもかんじますが、それと同時に、もし辻邦生が今の時代を生きていたら、ITを使いこなして小説を書いていたのでは、などと想像しました。自動車で軽井沢までどれぐらい早く行けるか競争したり、新しいタイプライターにとても興味を示していたり、カメラで丹念に教会建築を撮影したり、というエピソードを読んだことがあり、多分、パソコンやスマホなどを使いこなしていたのでは、となどと想像してしまいました。

講演会も、「春の戴冠」についての解説や、ボッティチェリの日本における受容状況、メディチ家に関する史的事実の解説など、「春の戴冠」を読む方にとっては貴重な内容だったと思います。

今日は、このあたりで。明日ももう少し書こうと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。

Tsuji Kunio

Googleアラートに仕掛けておいた辻邦生ニュース検索が発動し、今日、以下の記事を察知しました。というか、3日遅れです。

Topics:春の戴冠・嵯峨野明月記展 辻邦生、美的感性を解明 – 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160716/ddm/014/040/026000c

やはり、根強い愛好家層がいるということなのでしょうか。こうして記事になるというのも素晴らしいことだと思います。記事内には、11月にはパリ日本文化会館で初の海外展覧会が開催、との情報もありました。これはさすがに行けないか。。

今週末の講演会前後の展示会場は混み合いそうです。昨年のようにゆっくり見られないかも。

今日は取り急ぎ。おやすみなさい。

 

Tsuji Kunio

昨日、学習院大学史料館より、こちらをいただきました。写真 1 - 2016-07-05

美しいお葉書です。

それにしても、辻邦生の世界は夢のようです。夢すぎて覚めるのが辛いです。そんな世界です。また夢を見たくなります。

日伊国交樹立150周年記念 園生忌 辻邦生ミニ展示「春の戴冠・嵯峨野明月記」展

春の戴冠と嵯峨野明月記のミニ展示と、7月23日に「辻邦生のボッティチェリ観をめぐって―小説と歴史のあいだで」という講演があります。また、7月29日には「遠い園生」の朗読会があるそうです。

7月15日(金)~8月12日(金)までの開催で、月~土 10:00~17:00が開室時間とのことです。7月31日は日曜日ですが特別開室とのことです。

詳しくはリンク先をご覧ください。

とりいそぎ、おやすみなさい。

Tsuji Kunio

天草の雅歌(新潮文庫)

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北の岬(新潮文庫)

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6月17日発売のようですが、辻邦生作品が収められた新潮文庫2冊がKindleで発売されるようです。いずれももちろん絶版でしたので、よかったなあ、と思います。

「天草の雅歌」は、おそらく3回ほど読んだはずです。鮮やかな展開や、鎖国寸前の日本のグローバリズムのようなものを感じたりしました。それから「北の岬」も名作で、かつて稚内に出かけてなんとなく風情を感じたりしたのを思い出しました。

辻邦生関連でいうと、ニュースがいくつかあります。少し気分が盛り上がります。

今日は取り急ぎ。おやすみなさい。

SF

まあ、男子の若い頃というものは、SFに入れ込むもので、普通はガンダムとか、あるいはエヴァなんだと思いますが(私はエヴァはよく知りません)、もう少し本を読む方だと、田中芳樹の「銀河英雄伝説」あたりまで食指を伸ばしたりするわけで、さらにコアな領域に進むと、ハヤカワ文庫に進むことになります。私もファウンデーションシリーズを高校時代に読んだものです。

そして、そうしたハヤカワ文庫群の中で外せないのが谷甲州の航空宇宙軍史シリーズです。(最近は中公文庫になっているようです)

私がこのシリーズを知ったのは、当時読んでいたOhFM!の読者コーナーでオススメのSFとして紹介されていたから。80年台後半だと思います。確か、宇宙船の軌道計算まで緻密に行うハードSFみたいな記載があって、何冊か買ったのですが、本当にハマりました。「宇宙戦艦ヤマト」のようなこれまでのSFは、宇宙を舞台にするもののテクノロジーに対する裏打ちのようなものが省かれています。ですが航空宇宙軍史シリーズにおいては、確かに軌道計算が行われていて(邂逅軌道、という言葉には本当にシビれました)、リアル感満載なのです。コンピュータの描写も秀逸で、打ち捨てられたハードディスクから保存されたデータを回復する、というエピソードは、おそらくはその後10年後のデータサルベージを予見していて、コンピュータテクノロジに関する一定の視座のようなものをこの小説群からもらったような気がしています

それで、最近気づいたのですが、昨年の7月にこの「航空宇宙軍史」の新シリーズが始まっていたのですね、ということ。確か90年代初頭に、一旦中断していて、寂しい思いをしたものですが、いよいよ新しいシリーズが、ということで、先日Kindle版を買って読み進めています。

コロンビア・ゼロ: 新・航空宇宙軍史
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それにしても、実世界を写し取るような内容で本当に素晴らしいです。この作品群の枠組みは、外惑星(木星以遠の惑星群)の居住者と、内惑星の居住者の戦争の歴史ということにあるのですが、その戦争が、第一次世界大戦あるいは第二次世界大戦を敷衍したものだったりするわけで、そう言った大戦の当事国と、小説の中の当事国をくらべながら読むと、現代にもつながる教訓めいたものを感じ取れたりするので、本当に面白いのです。

SFの世界も、本当に芳醇で、学ぶことが多いです。多分すぐ読み終わってしまうのだと思いますけれど。

明日から週末。いろいろ整頓したいところです。

ではみなさま、おやすみなさい。

 

Book

昨日以下のようなことをツイートをしました。

齢を重ねてもっとも残念に思うのは、本を心底ゆっくり読む時間を「感じられない」ことだなあと。きっと時間はある。細切れ時間が。けれども、幼い頃の底なしの読者の時間のようなものは全く「感じられない」です。

なんだったんですかね。図書館に入り浸って、日が暮れるまで本を読んだり、あまりに本が面白いがゆえに、徹夜してしまったり、という経験はもう帰ってはこないのでしょうかね。

今となると、情報収集かお勉強の頭で本を効率的に読もうとしてしまいます。時間がないので、効率的に読まないと、と思ってしまうわけです。

昨日、図書館で書棚から本を取り出して、ぱらぱら読んでいた時、何かに追われている感覚に苛まれていました

月並みな話ですが、深刻ですね。

哲学の教授が「もう、小説は読めない」と言っていたのと思い出すしますが、それは、小説の情報量と哲学者の情報量を比べていたから、なのか、あるいは、効率的に研究を進めるための話なのか。そこはよくわからないですね。

まあ、そう分かっているからできることもあるはずなのですが。あるいは放棄するべきなのか。ただ、本を読むことぐらいは許してほしいです。あるいは、そういう社会があえて作られているのでは、ということなのでしょうかね…。

といいつつ、今日は身体を休めるために早く寝ることにします。お休みなさい。

Tsuji Kunio

風雅集

風雅集

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先日よんだ辻邦生の「風雅集」。

これも、「日本的なもの」の一環であらためて手に取ったということだと思います。

冒頭の東歌を廻る旅行のエッセイはなかなかのものでした。万葉の昔の古風な歌なのですが、辻邦生がそこから描き出す描写は、万葉の人間の息遣いや情念が横溢していて、なにか唸ってしまいました。なんとなしに読める歌が、今も昔も変わらない人間の愛欲のようなものに溢れているわけですから。

それで思い出したのが「風越峠にて」という辻邦生の中編小説です。これもやはり万葉集を題材にしながら、戦中の暗い時代に息づいた恋愛模様を描くものでした。この「風越峠にて」でもやはり、短歌の解釈が本当に生き生きとしていて、そこまで膨らませることができるのか、というぐらい見事で魅力的な解釈を書いていたように思います。

見知らぬ町にて (新潮文庫)
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(新潮文庫だと、この「見知らぬ町にて」に所収されています)

さて、にしても、なんだか刺激のない毎日が刻々と過ぎている感じ。それはそれで意味があることなのですが、こうやって人間は牙を抜かれていくのか、という思いもあります。

ではみなさまおやすみなさい。

 

 

 

Literature

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今日は本当に初夏の風情です。太陽高度、日の出日の入りは8月と同じですので、空気感はまさに夏と同じです。今日、二時間ほど自転車に乗りましたが、腕が真っ赤に日焼けしてしまいました。

岩波講座 文学〈1〉テクストとは何か
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先日から少しずつ読んでいる岩波講座文学。第1巻の冒頭部分からして本当に興味深く、気づきがたくさんあります。

藤原定家が土佐日記や源氏物語の写本を作る際の出来事が語られているのいですが、いわゆるオリジナルと思われる紀貫之のテキストを、写本を作る過程で定家が何かしらの付け加えをしていたようです。本文の改変、あるいは漢字をあてる、などが見られるようです。

また、源氏物語の写本を作るにあたって、定家は日記に、その底本が何かしらの改変がなされているということを指摘している、という内容でした。

その後、そもそも物語というものは、口伝の中で徐々に変質していくということも物語の性質なのではないか、とされています。

物語テクストは容易に読者の声の介入を許容しただろう。それは今日から見れば改作ないしは改ざんという行為だが、しかし改作や改ざんの前提となる本文という認識が、そもそも物語テクストには希薄だったはずなのだ。

兵藤裕己 (2003). 「はじめに」 小森 陽一,富山 太佳夫,沼野 充義,兵藤 裕己,松浦 寿輝 岩波講座 文学1 テクストとは何か 岩波書店 7ページ

私は、オリジナルと解釈、という文脈が、実に興味深いものだと思います。音楽における楽譜の変遷とか、オペラ演出とか。明日以降さらに続けようと思います。

明日も良い天気のようです。皆様、良い休日を。

おやすみなさい。

 

 

Tsuji Kunio

Photo

写真は、やはり西行花伝っぽい桜の木。先週の土曜日に撮った写真です。

西行花伝。ずっと読めずにいたのですが、また再開しました。

それにしても、素晴らしい場面に出くわしてしまいました。もちろん、初めて読んだ20年近く前の記憶はかなり曖昧になっています。その後の人生経験のようなものにおいても随分と良い方は変わっていると思います。そういう背景があって、読むのが二度目でありながら、本当に感嘆していまいました。つまり言葉の芸術の極致なのかなあ、と。

それは、女院と義清が出会う瞬間です。この感動は、映像では絶対に表現できません。本当に言語芸術の極致を見た気がします。

語らないことの重要性です。

女院は、それまで鳥羽上皇や白河法皇との関係で登場するのですが、顔についての描写はないわけです。ですので、読み手は義清と一緒に、女院が義清の母であるみゆきの前と似ているという事実に驚くことになるのです。

映像作品であれば、女院と義清の母が似ているということは先んじてわかっているはずです。ですが、言語芸術の場合、語らなければいいわけですね。女院の顔を初めてみた義清の驚きと、我々読者の驚きは、義清に移入していれば、まさに義清と一緒に驚くことになるのですね。

確かに、映像や漫画のような芸術に小説は負けるのではないか、と思うこともしばしばなのですが、何か映像芸術ではない言語芸術のプライオリティを実感した、と思いました。

まだまだ希望はあるのかも、などと。

でも、さすがに最近は色々あるなあ。早く落ち着きたいものです。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Tsuji Kunio

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私の記憶では、1998年ごろからだったと思いますが、週刊朝日百科が「世界の文学」と題して、全120巻の世界文学案内のようなものを刊行していました。文学に関する話題を、映画の場面などを使いながら、一望できる画期的なものだったと思います。

その、第100号に辻邦生が取り上げられています。歴史小説に関する評論で、書かれたのは辻邦生の親友だった菅野昭正さんでした。

前半は、ひたすら森鴎外の歴史小説論を書きながら、後半にかけて、歴史が本に記されているものである以上、歴史小説は本の小説であるといいつつ、いわゆる、森鴎外の「歴史其儘」と「歴史離れ」の融合が歴史小説であり、その顕著な実例が「背教者ユリアヌス」である、とします。そうした小説を書くための方法論が、「小説への序章」であり、それがいわば、小説についての本であるがゆえに、「小説の本」というわけです。「本の小説」を書くために「小説の本を書いた」というまとめ方は、辻邦生が創作ノートと哲学ノートの二つを駆使しながら小説を書いたという話が敷衍されているものと思われます。

ただ、菅野昭正さんの文章は、前半の歴史小説に関する論説が少し長いのです。多分、もっと書くべきことはあったのでしょうが、無理やり文字制限に押し込めたのではないか、と思うようにも思えるものでした。きっと、「西行花伝」や「春の戴冠」にも触れたかったに違いないのですが。そのせいか、「西行花伝」について言及されていないにもかかわらず、西行が文章中に突然登場し、「西行と遊女図」という絵が紹介されているという唐突感に気づきました。わかっている人が読めば、「西行花伝」を敷衍したものであることはわかるのですが。確かに欄外に注記などはあるのですけれど。

この第100号は「日本文学の現在」というテーマです。独立して取り上げられている作家は、中上健次、辻邦生、村上春樹、筒井康隆、宮本輝、宮尾登美子、河野多惠子です。その他に、村上龍、高橋源一郎、浅田彰、田中康夫、小林恭二、島田雅彦、吉本ばなな、など。ポストモダンやグローバリズム、といった観点で2000年頃当時の「日本文学の現在」を取り上げられている中で、辻邦生の「背教者ユリアヌス」が取り上げられているというのも、また何か不思議な感覚を覚えます。辻邦生だけが異色に思えるのです。

この号では、辻文学の特性は「高い理想的な何者かを目指す意志を支えとして、日々の現実を生きることに意味を発見する」、「辻邦生の小説は、現在の日本文学にはめずらしい理想主義と崇高な色調にいろどられる」と書かれています。別段、何十年も辻邦生を読んでいる私にとっては何ら不思議ではないことですが、この「めずらしさ」こそが辻文学の変わらぬ価値なんだろうなあ、と思います。

東京では桜咲く。私の近所でも一輪ほど咲いているのを見つけました。昼下がり私の街を1時間半ほどかけて自転車で縦断したときのことです。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。