Book

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近所の公園。天気もよく、気温も適度で、心よい一日でした。

最近、本は読んでいますが、偏り気味。どうも仕事関係の本中心で、文学的なものをあまり読めていません。仕事系はこんな本を平行して読んでいます。電車の中の空き時間や、昼休みなどに少しつづ読んでいる感じです。

リーン・スタートアップ
エリック・リース
日経BP社
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ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン
プレジデント社
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が、私は思うのですが、人間にとって本当に力のあるものはストーリーでないと伝わらない、と思います。特に、私は、右脳派でエピソード記憶な人間なので。説明文、評論なんかよりも、ストーリーでガツン!とこないと、どうも身体に入ってきません。

仕事に関係なくても、仕事に役立つ本はあります。私は塩野七生の《神の代理人》を読んで、人間の飽くなき遂行力とか粘り強さとか、権力への意志のようなものを学びました。

数年前、新入社員に「仕事に役立つおすすめの本はありますか?」と聴かれて、この本を薦めましたが、結局、彼は読まなかったようです。変人上司を持った新人は気の毒です。

神の代理人 (新潮文庫)
神の代理人 (新潮文庫)

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塩野 七生
新潮社 (2012-10-29)
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それで、今日、反省をしてこちらを買いました。もちろん紙の本では数冊持っています。ただ、最近のKindle生活では、紙の本を持ち歩かなくなってしまいましたので、Kindleにて。というか、どうかお願いですので、辻邦生作品をKindle化して欲しいです!

廻廊にて (P+D BOOKS)
廻廊にて (P+D BOOKS)

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辻 邦生
小学館
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今日はこちら。先日から聴いているSnarky Puppy。これが本当のFusion=融合なんだろうなあ。

それでは、おやすみなさい。

Book

賛否両論あるにせよ、なんとなくAppleの製品は使いたくなる説明できない魅力があります。え、そこまでやってくれるの?という驚きです。しかも、それが押し付けがましくなく、洗練されたやり方でサジェストしてくれるのが驚きなのです。

たとえば、iPod時代からのギミックですが、イヤホン端子からコードを抜き取ると音楽が止まる、という仕掛けは、初めて体験した時に本当に驚きました。もしかしたら、どこか別のところで採用されたアイデイアなのかもしれませんが、私はiPodで初体験でした。

で、こちら。

スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズ

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東洋経済新報社 (2013-05-02)
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10年前の本で本当に今さらですが、安く入手しました。しかも紙の本で。ですので風呂に入りながら読めるという贅沢。

まあ、普通のエリートではなく、アウトローの天才がどうやってAppleを作ったのか、がよくわかりました。

私のようなたかだか2年程度のMacintoshユーザにとっては、基本文献的な位置づけにも思えます。

これ読んだら、もっとハチャメチャなことをやりたくなりました。

実際、これも一つの解釈した歴史にほかなりません。真実が書いてあるかどうかはよくわかりません。何度も書いているあのヴェルディ問題がありますから。歴史なんてどうとでも改ざんされます。改ざんした側が「歴史を改ざんするな」といえば、それで歴史は固定されてしまうぐらいの危険性を帯びたものです。大切なのは真実ではなく、正しい解釈可能性ですが、それすらイデオロギーや偏見によってどうとでもなりますから。

それでは今日はこのあたりで。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

写真 1 - 2015-09-24

今日は辻邦生の誕生日です。9月24日生まれなので、くにお、と名付けられたということだそうです。そして、今年は生誕90年の節目にもあたります。

それにしても、時代はどんどん変わります。世界も変わりますし、私も変わります。辻先生も人生において変転を重ねたものと思います。

ただ、変わらないのは、人間が人間であることを守る、ということぐらいでしょう。辻先生的に言うと、「美が世界を支える」ということだと思います(これも出典が怪しくなってきています)。

これは、実に難しいことです。実践することは果てしなく困難で、ほとんど徒労感に近いものがあります。ある意味、時代おくれとも思えます。

フランス革命で成し遂げたものの大きさは、とてつもないものでしたが、それすら瓦解していくのでしょうか。

賛否はあるにせよ、それは、先日のシリア難民の子供が溺れたシーンすら風刺してしまうということと関係があるでしょう。つまり、これは、ユークリッド幾何学や形式論理などを乗り越えたことで、自らをも疑う西欧の姿なのだと思います。

あるいは、多元世界において、西欧の言う人間という概念すら揺らいでいる、ということもあるでしょう。これもまたポスト・モダンの議論です。

我々は、西欧の外から、こうした事案を見ています。あるいは、西欧を借りて、自ら当事者となって歴史を生きてきました。が故に、さらに事態は複雑なのではないか、と思うのです。

西欧は不変ではなく、少しずつ姿を変えています。西欧をとりまく世界も変わります。

それでもなお西欧の光を浴びることができるのでしょうか。それが、今もなお最善であることは信じることはできるのですが、それがなお世界で生き続けるにはどうすればよいのでしょうか。

などということを考えながらも、それでもなお、やはり辻文学を読み続けるということなのだと思いました。

辻邦生の言葉のなかから、一つ選んでみました。

平和とは美の創造と同じなのだ。そこに新しい見方、考え方を地上につくることであり、ただ戦力を使わないことではないのだから。

辻邦生 千手堂の消失と心の荒廃 辻邦生がみた20世紀末 信濃毎日新聞社 391

この引用だけだと、解釈が難しく、あたかも戦力を使うことを肯定しているだけのようにも思えます。

ですが、そうではないでしょう。

この前後で論じられているのが、フランス、インド、パキスタンの核実験についての論評で、それ自体については否定的であるにはせよ、そこにはリアリズムへの眼差しがあって、「世界戦略の難しさ、奇妙さ」という言葉が綴られているのですから。

戦力を持つとか戦力を持たないとか、そういう議論をさらに飛び越えたものを想定しているということなのだと思いました。

それは、今年の1月に引用した「春の風駆けて」の一文にも通じるような気がします。

https://museum.projectmnh.com/2015/01/15235917.php

私は、別にそれは、ある一定の主義を肯定するようなものではないと解釈しています。

ここで思い出すのが、ワーグナー《ジークフリート》で英雄ジークフリートがとった行動です。ミーメが鍛えられなかったノートゥングを、ジークフリートは一度溶かして鋳直したのですから。そういう創造的進化のような質的変化が必要ということなのだと理解しています。

今日の一枚。

Richard Strauss: Die Liebe der Danae
CPO (2004-02-01)
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来週末に《ダナエの愛》を観に行けるかもしれなくなりました。予習しないと。

しかし、私ももっと頑張らないとなあ、と思います。常に先のことは考えていますが、緩慢過ぎるのかもしれない、などと。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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先日書いた、フォニイ論争の件。辻邦生を始めとした4名の作家を「フォニイ」とした論争だったようです。

ですが、なにか違う位相で、辻文学は現実と戦っていたのだと私は思うのですがどうでしょうか。

私は文学史はあまり興味がありませんでしたが、すこし調べてみると私小説とは、リアリズムの極地とされているようです。反対に、歴史小説は、現代の現実に則したものではないので、通俗小説と取られるということでしょうか。

よく言及されるトーマス・マンのように現実の市民生活を維持しながら芸術作品を産み出すという立場は、現実と乖離しない立場だと思います。社会的生活を維持しながら芸術を生成するという主人公は、例えば「雲の宴」にでてくる詩人の郡司などがそれにあたりそうです。普通の市民生活を維持しながら芸術を生成するというのは、逆に言うと極めて厳しい道のように思います。

フォニイ論争があった1973年のちょうど同じ頃に発刊された學燈社の「國文學」が辻邦生特集ということで、20年ほど前に古本屋で手に入れました。この中に、フォニイ論争の当事者の一人となった平岡篤頼氏による「辻邦生における異国の意味」という論文があります。

その中に、「生きることと書くこと」の対立という議論が登場します。「生きることは書くことよりも早く経過し、書くことは生きる時間をいちじるしく削減する」とあり、この矛盾が「あらゆる文学の根底に横たわる重大問題」とされます。大概は、生きることか書くことかどちらかを選択することになるのだが、辻邦生は「この二つが対立するものではなく、相関的かつ相補的な関係にある」といいます。

書くこと=芸術活動と、生きること=現実の活動を一つにまとめようとした文学ではなかったか、と思うのです。

また、辻邦生はトーマス・マンの市民的生活を模範として、破滅的な生活ではなく、規則正しい市民生活を送りながら活動をしていたはずです。

そうした意味からも、文学活動の源として、現実世界と向きあうということを課していたのではないか。が故に、大学で教え、サークル活動で学生と交流したのではないか、と思うのです。

(こうした記憶は、20年も前にいずれかのエッセイで読んだものですが、さすがに歳月の流れには抗えず、出典を探すのに苦労します。当時からノートをつけたりカードに記録していればよかったのですが、さすがにそこまではできておらず、というところです。)

先日、NHKの番組で、藤子不二雄Fのドキュメンタリーを見ました。そこでは、常に市民と同じ目線を忘れない、ということをモットーにしているということが語られていました。もしかすると、辻文学もそうした現実世界との密接な関わりを忘れないようなとっかかりが常にあったのではないか、などと思うのです。

辻文学は決して、現実と一切乖離したロマンではなく、現実と対峙するリアリズムなのだ、と私は思っています。

明日からまたウィークデーの始まり。お盆休みの皆様も多いかと思います。きっと、朝の電車は空いていると思います。読むべき本が多いのですが、最近は時事問題もかなり重要で、ついつい電車の中で新聞などを読んでしまいます。まあ、先日も書いたように、大事な時期ですので、そうした新聞を読むことも大切なのですが、通常の読書が進みにくく、難儀です。

それではおやすみなさい。グーテナハト。

Tsuji Kunio

IMG 1018

暑熱に満たされた毎日です。みなさまお元気でしょうか。

4回目のご報告です。今回が最終回です。

私は今日から「西行花伝」を読み始めました。10年以上ぶりになると思います。また、その他の長編、たとえば「廻廊にて」、「安土往還記」、「背教者ユリアヌス」、「春の戴冠」、「フーシェ革命記」なども読み返してみようと考えています。

思うに、どうやらそれらがなにか辻文学自体を象徴した構造を持っているように思えるのです。

学習院大学史料館での展示は昨日終わりました。本当に沢山の気づきを得ることができた大変素晴らしい展示でした。

何人かの方も書いておられましたが、日記の出版の要望はあると思いました。ですが、まだまだ存命の方もいらっしゃると思いますので、「パリの手記」のように、作者ご自身の編集がない限り難しいのでは、とも思いました。

ここに詳しくは書きませんが、今回展示されていた自筆日記にも興味深いことが書かれていたのです。ですが、さすがにこれは出版できないと言われても仕方がないなあ、ということも、書かれていました。
(実際、それはそれで実に勉強になりましたし、辻先生がより身近に思えるものだったのですが)

ただ、私が今回気づいたような、モームに関する考えなど、辻文学を理解する上でも重要なことがいくつもいくつも詰まっているのだろう、とは思います。

アンケートに答えたところ、はがきを頂きました。右下の絵は辻邦生によるものです。可愛らしい絵を書かれるのだなあ、と思いました。さすがに気安く使うことはできませんので、私の手帖に挟んでおくことにしました。

写真 1 - 2015-08-07

今回のシリーズはこれで閉じようと思います。ですが、先に触れたように、あらためて長編などを読み返す必要があることにも気づきました。そちらはまたこちらで取り上げていこうと思っています。

史料館の方に伺ったところでは、来年もなにかしらの展示をされるとのことでした。来年は一体どんな展示になるのか、楽しみです。そして、2025年の生誕100年には大きな展示を行う予定とのことでした。

今年も、9月24日の生誕90年というイベントがありますので、そこに向けて私もできることをやろうかなあ、などと思っています。

明日も暑そうですが、みなさまどうか体調にはお気をつけ下さい。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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暑い毎日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。この数年、冷房にやられることがおおく、必ず上着を来て仕事場に行きます。寒い冷房のなかで上着を持っていると、なにか安心をします。

ですが、さすがに今日は上着をあまり使いませんでした。年々耐熱性が下がります。熱に順応する訓練をしないと。

さて、一昨日、昨日に引き続きです。

それにしても、今回の展示は、なにか私の中の辻文学観のようなものが大きく変わったように思えます。

しばらく前に触れた「フォニイ論争」の件を調べている時に、このような文章を読んだわけです。

日本でも西洋でも、歴史小説は「通俗」の疑いを掛けられがちだし、『背教者ユリアヌス』は、いま読んでも、シェンキェヴィチの『クオ・ヴァディス』のような通俗歴史小説に見えるし、その後の辻は、井上靖より薄味な通俗歴史小説を書きつつ、それを純文学として通用させて終わった人だった。

小谷野敦『現代文学論争』筑摩選書 70ページ

この文章を読んで以来、引っかかりを覚えていむした。これは、一つの見解ですので、なにかネガティブな感情を持つということはあまりありません。ですが、このような見解がある、ということはわかっておいたほうがよい、とは思います。

私が調べていたこの「フォニイ論争」は、小谷野さんの『現代文学論争』において詳しく取り上げられており、前述の引用も、「フォニイ論争」の章からのものです。

フォニイ論争というのは、1973年に、評論家の江藤淳が、辻邦生、加賀乙彦、小川国夫の「73年三羽烏」に丸谷才一を加えた4名を、「フォニイ」と評したというものです。

「フォニイ」とは、まがいものであり、「うちに燃えさかる火を持たないもの」、という意味ののようです。

小谷野さんは、『現代文学論争』において、フォニイ論争とは、文壇における私小説をめぐる論争だった、というように捉えておられます。江藤淳は、紆余曲折はあったようですが、純文学を正当な日本文学と捉えていたようです。

つまりは、辻邦生のような歴史小説は通俗であり、私小説こそが本物だ、と捉えられていたのだと思います。リアリズムですね。

私は、あまり文学史のようなものに詳しいわけでもなく、これまではあまり興味もなかったのですが、この「フォニイ論争」を調べて以来、端的ではありますが、やはり文壇のメインストリームから辻文学へ向けられたある種の視線のようなものを感じていたのでした。

ですが、本当に繰り返しになってしまいますが、谷崎潤一郎賞を受賞したということこそが、こうした「視線」に一つの終止符をうったということにならないか。そういう捉え方をしたのでした。辻文学を理解するための史観を理解した、とも言えると思います。

ここに、辻文学の歴史の大きなうねりのような曲線を感じるのです。

今日もここまでです。どうかみなさまごゆっくりお休みください。グーテナハト。

Tsuji Kunio

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暑熱のなかにたたずむ学習院大学史料館の遠景です。昨日に続き、辻邦生──西行花伝展についてです。今日は展示されていた自筆の日記から。

辻邦生が日記を書いていたことはもちろん知っていました。ですが、実物を見たのは初めてでした。

JOURNALという標題がついていて、ローマ数字でナンバリングされていることも初めて知りました。私が見た1990年の日記は、方眼(今風に言うとグリッド)のノートに縦書で丹念に書かれていました。

見開きで展示されていた日記は1990年11月4日(だったと思いますが)でして、「西行花伝」の書き出しに苦心している記述があるもの、と紹介されていました

ですが、私はその前日である1990年11月3日の日記に心が奪われたのです。

ここには、モームが自身の文学を悔恨するセリフが書いてあったと記憶しています。モームは通俗作家として名前が残っています。つまり大衆文学を書いていたということです。日記には「大衆文学は面白さは、文学は真実を求める」と書いてあります。細かい記述までは残念ですが記憶から薄れつつありますが、そうした切り分けについて、大きな問題意識を持っているということが書かれていたはずです。

おそらくは、辻邦生にとって、面白い物語を創るということが、最上だったはずです。「背教者ユリアヌス」も「春の戴冠」も、そうした、ストーリーの面白さが横溢する作品です。そして、そのなかには哲学的とも言える真実の探求が織り込まれているわけです。ちょうど、美しい絵画のなかに、様々なアトリビュートが織り込まれていて、その作品の中の隠された意味が立ち現れるように。

ですが、文壇からはそうは取られていなかった、ということなのでしょう。歴史小説自体が、おそらくはそうした純文学側からは、異色に見えていたのではないでしょうか。(これも出典が不明確で申し訳ないですが)、四半世紀ほど前に、井上靖の「孔子」が、「あれは文学的だが、文学ではない」という評論を読んだことがありました。あれこそが、「純文学」からみた歴史小説観であったのではないか、と想像しているのです。

がゆえに、辻文学の文壇での評価が分かれていたのではないか、と思うのです。純文学において、こうした物語文学が異色であったのは、おそらくは、この「面白さ」というものに対する、違和感のようなものがあったのではないか、ということです。

(歴史とはつまり物語ではないでしょうか。ドイツ語のGeschichteが物語と歴史という両方の意味を持つように)

ですが、私は、この「西行花伝」が評価されたという点において、面白さと真実が結合した、あるいは、面白さと真実の壁を超えた、と、文壇に捉えられた、ということを示唆しているのではないか、と思うのです。がゆえに、昨日書いたように、「廊下に立たされていたが呼び返された」ということになるのではないでしょうか。

なにか、その事実が、「西行花伝」を書き始めた前日の日記に書かれていたということが偶然には思えないのです。

次回も引き続きです。

暑熱が続きますが、どうかみなさまご自愛下さいませ。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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昨日、熱暑でしたが、学習院大学史料館で開催されている「辻邦生──西行花伝展」に行ってまいりました。

白い光が東京を覆っていて、都心へ向かう電車の外には、輝きながらも空虚なコンクリートの建物が、まるで甍の波のようにどこまでも連なっているように思いました。

午前に学習院に到着しましたが、訪れるのは1年ぶりです。

資料館への道すがらは、ちょうど高校生向けのオープン・キャンパスが開催されているということもあり、暑いさなかでしたが、学生たちで溢れていました。テニスコート脇を通ったときには、辻先生がテニスサークルの顧問だったことを思い出し、数十年前にはこの辺りを歩いておられたのか、などと想像するのでした。

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史料館の入り口を入って右手の奥に展示スペースがあります。「西行花伝」をスコープとした展示ですので、そんなに沢山の展示というわけではありません。ですが、逆に言うと、「西行花伝」だけでこのスペース、とも言えるわけです。

それにしても万感の思いでした。

スペースの一番奥の方のパネルに紹介されていた谷崎潤一郎賞スピーチのやりとりを初めて知ったのです。

谷崎賞が、異色作家か中堅作家に与えられるとして、辻邦生を「中堅作家」と言ってしまった丸谷才一の後を受けた辻邦生は、「廊下に立たされっぱなしで、忘れられたと思ったところで、呼び返された」と返したというのですから。
(そのような趣旨だったと思います。メモを取れませんでしたので、記憶で書いております)

フォニイ論争などの経緯があったと思いますが、純文学のメインストリームから外れたように見えた辻文学が、メインストリームに戻ってきた、という文脈で捉えるべきだ、とその時思いました。

何かのエッセイで、辻邦生は批評されないことを嘆いていたように記憶しています。たしか、批判されることの方が、批評すらされないことよりマシだ、といったことを書いておられたように思います。それが、谷崎賞を取ったことで、ようやく帰ってこれた、ということなのだと思います。

辻邦生は、これで、手応えをつかみ、自信を得て、次の作品に取り掛かろうとしたのであり、それが源実朝を主人公とする「浮舟」です。おそらくは「西行花伝」の発展だったはずですが、それは叶わなず、1999年7月29日に終わってしまったのです。次の「高み」を世界は見ることはできなかった、という深い喪失感であり、決して埋めることのできないものであるがゆえに、喪ったものの大きさをあらためて思いました。

実際、私は、涙をこらえることができませんでした。なにか、その無念さのようなものに勝手ながら共感したから、なのだと思います。

その涙の向こう側に、何本もの削った鉛筆や、使われなかったカードが分厚い束となっておかれているのを観ていただけでした。

明日に続きます。本日はおやすみなさい。明日もよい一日でありますように。

Tsuji Kunio

今週、辻邦生のご命日ということで、Kindleであらためて読み返しました。

やはり、人気作品であり、高校の現代文の教科書に採用されたということもあって、素晴らしい作品なのは、これまでも書いてきたとおりです。

「夏の海の色」

特に、夏の白い光の中に静かに沈む城下町の風情は、我々にとっての日本の原風景の一つです。以前も書いたかもしれませんが、自分たちの親の世代の風景が、原風景となるのではないか、と思い、そういう意味では、いま働き盛りの方々にとっては、戦中戦後の風景が原風景になるはずです。

それにしても、この城下町の風情の中には、戦国や江戸の記憶も残っているわけです。剣道の師範の黒川が藩の家老だったり、あるいは、主人公が宿泊する田村家に、天草島原の乱で先祖が褒美として得たというキリシタンの墓石がある、といった故事は、なにかめんめんと受け継がれる日本の歴史をも含んだものなのでしょう。

また、キリシタンという要素は、なにか「天草の雅歌」で取り上げられた問題、つまり、江戸期において、日本のグローバルなうねりが失われたという歴史的経緯を思いおこさせるものです。

また、田村家の当主が元陸軍少佐で、部下に思想犯を出したため退役した、という記載もなにか時代を感じさせるものです。いつもは柔和なのに、ときおり厳しい表情を見せるという描写も、なにか暗い時代の空気や匂いを感じさせるものです。

原風景は原風景として、そこに郷愁はあったとしても、戻るわけには行きません。次の世代は、我々のような働き盛りとは違う原風景があるはずです。そうした良き原風景を作るのが、世代世代の責任なのではないか、と考えています。

さて、明日も全国的に熱暑でしょうか。明日はお昼にかつてお世話になった方々と会う予定があります。個人的には、人生における原風景のようなものをもう一度見ることになるのかもしれません。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今年も今日という日が参りました。辻邦生のご命日です。

毎年、何度も、当時の思い出を書きましたので、今年はあまり語らないようにします。あれから16年となりますね。早いものです。

「人間であること」を除いたら、いったい何のために生きているのか。太陽を、河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通り過ぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか ──

3月にも紹介した一文ですが、何度読んでも心を打たれます。

https://museum.projectmnh.com/2015/03/28235647.php

辻邦生の言葉を読むたびに、真剣に生きるということはどういうことなのか、ということを教えられます。ただ、それは、真に純粋なものであるので、この世界では簡単には得ることのできないものなのだと思います。

ですが、その真剣に生きる、ということも、時代に沿って変わっていくものでもあるのでしょう。

おそらく、ですが、そこにあるのは、一貫して、人間が人間であることの証明としての芸術、ということだったのだと思います。

地球上の存在の中で芸術を作れるのは人間だけです。物を食べ、歩き、呼吸し、争い、会話し、喧嘩をするのは、人間以外でも可能です。が、芸術作品だけは、人間だけしか作れません。がゆえに、芸術作品こそが、人間を人間たらしめているものなのである。芸術作品とは、芸術作品そのものではなく、おそらくは何かを美として認識するそのプロセスにおいてあるものでもある。

(我々がわからないだけで、動物も芸術作品を作っているかもしれませんが、それがないとして、ですけれど)

これが、私の捉えている辻先生のメッセージなんですが、まあ、出典なども不明瞭ですので、多分に私の曲解が入っているんだとは思います。

であるがゆえに、私たちはどうすればいいのか。真剣に生きるということとは、別に社会を投げ出してどうこうすることでもないはずであり、今ここでできる生きることをすれば良い、ということなのです。

が、具体的にはどうすればいいのかは、探すしかないんでしょうけれど。

最近、本が読めないというのは、先日書いたとおりです。少し、頭を冷やしたうえで、生活を乗り越えていかないと。

などというかたちで、今日はここまで。明日からまた頑張ります。

ではグーテナハトです。