Tsuji Kunio

真に生きるとは、たえず不安、危懼、懸念に心がゆさぶられ、日々を神仏に祈りたい気持ちで過ごすことでなければならぬ。不動心を得たいというのは、誰しもが念願することではあるけれど、高齢になって世の名利の外に立ち、常住平静の心境に立ちいたってみると、若い迷妄の時こそが、生きるという、この生臭い、形の定まらなぬものの実体であったと思い知るのである。

嵯峨野明月記 から。

確かになあ。

いろいろあった頃のほうがきっと充実していたのでしょう。いまもいろいろあるのだけれど。

明日でいったん戦線離脱。昨年のクリスマスは仕事でしたが今年は自宅謹慎の予定。

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今月の贅沢。Microsoft ナチュラルエルゴノミクスキーボード。

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トスカのことを書くのが久々の長文だったので、肩こりがひどくなってしまいました。せめて家では楽に文章を書きたいので試してみることにしました。

 

この本、以前から気になっていたのですが、図書館で見つけていそいそと借りて読んでいます。

驚きに満ちた本で、久々に感動しています。

小澤征爾の半端ない半生はもちろん、村上春樹の衒学的とも言える造詣の深さ。村上春樹ってジャズ畑のかたで、若い頃はジャズバーを持っていたぐらいなんですが、クラシックのききこみ方、こちらも半端ないです。小澤征爾もたじたじな場面もあったり。。

やはり天才は何をやっても天才なんですね。

それにしても思うのは、小澤征爾の人柄です。回想の中で、いろんなビッグネームに可愛がられたり仲良くなったりする話が出てきます。バーンスタイン、カラヤンはもちろん、クライバー、ルビンシュタインなどなど。フレーニやパヴァロッティとも親しいのですね。

小澤征爾が、「レコード・マニア」を余りよく思っていないということも。曰く、高いお金出してオーディオセットなんて買うけれど、お金を持っているということは忙しいと言うことで、結局音楽を聴く暇がなく、実は音楽について分かっていないのである、とのこと。

申し訳ありません。

私の人生、なんども変わっている気がしますが、この本でも変わったかもしれない。

これからは今まで以上にもっとまじめに音楽を聴いて、言語化していかないと、と決意を新たにしました。

そう思えるぐらい充実した一冊でした。大変おすすめです。

 

※ 本当かどうか分かりませんが、ウィキペディアによれば、小澤征爾の名前のうち「征」は板垣征四郎の「征」、「爾」は石原完爾の「爾」なんだそうです。

それではまた。

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昨日の言葉

「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」

ですが、

昨日書いたとおり、これは、辻邦生の大河小説「春の戴冠」でシモネッタとヴェスプッチ家の婚礼の場面で出てくるものです。

「春の戴冠」はルネサンス最盛期のフィレンツェを舞台にボッティチェッリやロレンツォ・メディチが活躍する政治小説、芸術小説、哲学小説です。

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日本人の書いたものとは思えません。小さい頃から外国の児童文学ばかり読んでいた私にとっては、まさに天からの恵みのような小説です。

 

さて、シモネッタは、この「春の戴冠」においてはボッティチェッリ「春」のモデルになった人物とされるヒロインです。

 

シモネッタは、婚礼前に、「春の戴冠」の語り手である古典文学者フェデリゴにある告白をしていました。自分には名も知らぬ好きな男が居るのだが、結局分からないままで、やむなくヴェスプッチ家へ輿入れするのだ、と。

その婚礼の後半の仮面舞踏会の場面。

フェデリゴが、仮面をつけたジュリアーノ・メディチと話をしていると、そこに仮面をかぶった女性が現れます。

ジュリアーノ・メディチは、フィレンツェを支配するメディチ家当主ロレンツォの弟にあたる男です。ロレンツォとともに仮面をつけたまま婚礼会場に現れ、そのまま仮面を取らないでいるわけです。

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仮面をつけていると、誰からも追われず責任をとる必要がない。勝手気ままでそれはそれでいい。でも、仮面をつけた女を愛することは出来ない。

 

だが、仮面の女性は、それに反駁します。

いや、ひょっとしたら、仮面をつけた男を愛せるかもしれない、と。

 

では、この場でお互い仮面を外して、愛せるかどうか試してみようじゃないか。

で、ジュリアーノと仮面の女性は仮面を外します。

 

仮面の女性はシモネッタ。

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で、ジュリアーノは負けたという。婚礼の花嫁が自分のことをを愛せるわけないじゃないか、と。

 

ですが、シモネッタは気絶してしまう。

 

シモネッタの名も知れぬ好きな男とはこのジュリアーノ・メディチであったのだから。。

 

思うに少女漫画的な場面と言われるかもしれないです。だれか漫画化すればいいのに。なんて。

でも、ずいぶんと仕掛けのある場面で、一つの「春の戴冠」の中のクライマックスのひとつです。

 

もちろん、史実はそうではないと思いますけれど。

「春の戴冠」のなかのジュリアーノとシモネッタは、芸術的存在に昇華されていて、天使のように描かれています。本当はジュリアーノには隠し子が居て、その子が後に教皇クレメンス七世になる、とか面白い話がたくさんあるんですけれどね。

 

また読まないとなあ、「春の戴冠」。

 

またしばし夢の中でした。

 

それではまたあした戦場でまみえましょう。

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うーん、やっぱり辻邦生は素敵だ。

大河小説「春の戴冠」の中の一節です。

 

「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」
全集138ページ

 

この大河物語のヒロインであるシモネッタが、ヴェスプッチ家へ嫁いだ婚礼の場面で、仮面をかぶったロレンツォ・メディチが歌う歌詞です。

現代日本において、こんな言葉を持ち出すなんて、ほんとうにきれい事なんでしょうけれど、それを忘れてしまったらおしまいだと思いました。

辻邦生が亡くなったときに、盟友の菅野昭正がこう言ったのを思い出しました。

その小説があまりに理想主義的だという人があるとすれば、それは日本の文学に理想主義が薄弱すぎるからである。
(日経新聞 1999年7月31日)

しばしの夢を見た気がします。

明日からまた戦場へ。

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相変わらずトスカを聴きつつ、新国の次の演目「セヴィリアの理髪師」を聴いたりしています。今週はちょっとしたお祝い事で飲み過ぎました。反省。

最近、読んでいる森有正の「バビロンの流れのほとりにて」。10年ほど前にちくま学芸文庫から出たのを読んでいたんですが、最近また読み始めました。通勤電車で読む森有正はメチャメチャ刺激的です。

1953年に書かれたもの。終戦後8年絶った頃。ということは、感覚としては2005年頃に戦争が終わって、という感じになりますね。そんなときに、パリに渡ってこの思索ですか。天才は凄まじい。

辻邦生の「パリの手記」は明らかにこの「バビロンの流れのほとりにて」を意識しているんだなあ、と思ったり。

読めば読むほど含蓄のある言葉に呻き戦きひれ伏すのでした。

仕事とはいったい誰のためにするのだろう? 仕事自体のため、と答える人もいるし、自分自身のため、という人もある。どちらも決して本当ではない。仕事は心をもって愛し尊敬する人に見せ、よろこんでもらうためだ。それ以外の理由は全部嘘だ 。
70ページ

ここでの「愛し」というのは、神への愛をさしているんですけれどね。ここまで喝破されると、笑うしかありません。あはははは。

巨大な経験の堆積であるヨーロッパ文明というものが、こういう人間経験の無限の循環過程、その複雑な発酵過程だということに思い至った時、僕は何ともいいようのない絶望感に襲われる。歴史とか、伝統とか、古典とかいう言葉の意味が、もう僕にはどうしようもない、内的な重味をもってあらわれてくる 。
152ページ

いや、森先生、あなたがそうおっしゃるのならば、私はどうすればいいのでしょうか、といいたくなります。

文学は真実をまざまざと現前させ、苦痛と快楽を喚起するという感じです

明日から幸いにも三連休。貯まった家での仕事をこなす予定。写真も撮りに行きたいなあ-、などと思っています。

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はじめに

辻邦生「ある告別」を久々に読みました。試験勉強もあって最近は実学の本しか読んでいませんでしたので、辻ワールドの甘美さに心打たれて、ショックが強すぎです。会社勤めには辛いです。

 

城・ある告別―辻邦生初期短篇集 (講談社文芸文庫)
辻 邦生
講談社
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この作品がちゃんと分かるようになったのは、おそらく30代になってからです。10代、20代のころは全く分かりませんでした。それは至極当然で、なぜなら、この作品のテーマのひとつが「喪われた若さと以下に訣別するか」だからです。

若さを喪わないとこの作品の価値が分からないというのは、私の想像力不足なんで、いまいちなんですけどね。

この作品の魅力

「若さと見事に訣別したものだけが、永遠の若さを造形することが出来る」

これがこの作品の中で示される最も大きなテーマのように思います。

これは歳を重ねようとも、若さの中に生き続けようとする処世術のようなものを感じると、すこし穿った見方になってしまいそうです。

そうではなくて、おそらくはこの作品は、辻邦生の文学宣言のひとつなのでしょう。

最後に綴られる以下の文章に、

「こんどは、彼女たちの映像にみちた世界への旅立ち」

という一節をみると、この「彼女たちの映像」というのが、文学世界において永遠の若さというイデアールな概念を体現していこうという、意気込みのように感じるのです。

ちなみに「映像」には傍点がふられていますので、何かしらの意味を見て取るのが普通だと思います。

辻文学全体における位置づけ

これは何度も書いているように辻邦生の原初体験というのが3つあるのですが、この作品に描かれるパルテノン神殿との邂逅がその1つめの原初体験に当たります。この邂逅において、辻邦生は「美が世界を支える」という直観に到達します。

ですが、個の作品においては、パルテノン神殿との邂逅については深く言及されることはありません。ただ「どうしてこんなものが地上にありうるのか。どうしてだろう。どうしてだろう」という一文があって、そのあとに、それが何かの啓示なのだろうが、何かは分からない、と書かれています。

個の作品の主人公はおそらくは辻邦生本人だと思いますので、素直に読めば、この時点では「美が世界を支える」という直観に到達せず、徐々に醸成されていったものだったといえるでしょう。

ただ、ここで手の内をすべて飽かすと、若さに関する主題が弱くなるので、あえて隠蔽しているともとれますが。

終わりに

最近、いわゆる小節をあまり読んでいませんでした。なんだか小節なんてあまりに浮世離れしている、とおもったからです。

ですが、時には立ち止まってみないとなあ、と思います。

また、辻邦生を読みはじめないとなあ、と思います。

Tsuji Kunio

また今年も辻邦生の命日が参りました。

ご存命なら86歳でしょうか。

13年の年月が経ってしまいました。

変わるものは変わり、変わらないものは変わらない。

 

こちらは、かつて某所で撮影した辻邦生の作品ノートです。

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それから、辻邦生が教鞭を執った学習院大学の校門。

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画質は悪いですが、自筆原稿の写真。手ぶれしています。

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なんだか、時代はすっかり変わってしまいました。

ですが、こうも世の中がめまぐるしく変わり、(私事で恐縮ですが)職場の方針が機動的に変わり続ける激動の世にあると、レベルは違うかもしれませんが、終戦時の辻邦生の思いが少し分かるかもしれません。

昨日までは皇国史観一辺倒だったマスコミや教師が、一日経つと、米国流民主主義者に変貌したという事実です。

あれで、学生だった辻邦生は世界を信じられなくなったのだそうです。

だからこそ、文学においては理想という高みを目指したわけです。

西欧の二千年に及ぶ文明に築かれたイデアールな価値を求め続けたのは、不変な価値をを求める旅であったわけです。

しかし、そうした不変なもの、あるいは普遍的なものが存在し得ないと言うことが分かってしまった私にとっては、辻邦生の歩んだ道でさえも、手の届かない高みへ昇って行ってしまった感があります。

私が辻邦生に出会った90年代初頭にも、世界にはそうした相対主義の萌芽があったはず。

ですが、情報の拡散と情報の爆発は、普遍を超えた気がします。その行く末が、これも卑近な例で申し訳ないのですが、10年ほど前に流行った、世界でたった一つの花、なのかもしれません。

などと考えるにつけて、やはり、辻邦生の歩んだ道は、まだ閉ざされることなく世界に開いているのだ、と思います。

 

明日は、社命により公休。熱いですが都内に出る予定です。

Tsuji Kunio

この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生まれるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。(中略)この世の背理に気づいたものは、その背理を受け容れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。(中略)それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。


辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、413頁

いつぞや、この一節を読んで、私は生まれ変わりましたが、今日、それに関連する辻邦生の言葉を見つけました。

私が戯曲を書く場合、つねに喜劇になってしまうのは、世智辛い世の中に、なんとか一晩でもいいから毒のない朗らかな笑いを笑って貰いたいと考えるからだ。喜劇の本道はシラーの言うように「人間の背理を笑う高みに立つ」ことだし……(略)


辻邦生『<笑い>について』「時刻の中の肖像」新潮社、1991、201頁

二つの引用には、少し位相がずれる面があるように思えますが、どうやらこの「背理を笑い飛ばす」という芸術と現実の関係性についての考察には、シラーが源流にあるのかもしれない、と気づいたのでした。
このところ、この「世界は背理である」というテーゼの中にだけ生きている気がします。そして、毎日のように笑っています。これはいつもの皮肉ではありません。本当に笑いながら仕事をしているのです。

Tsuji Kunio

寒い一日。
今日は少し長いです。

 でも私たちって、日常、同じ生活を繰り返しているうちはまるで気がつかないけれど、ほんとうは、日々、いま私が感じているような刻々の変化を受けているのね。ふだんはそれが目立たないし、自分では、前の日の繰り返しだと思っているので、それに気がつかないだけなのね。そのことを考えると、ねえイトウ、私ね、なんだか、とてもこわい気がするわ。誰だって自分の人生を歩きはじめるとき、漠然と、こんなふうな人生を送ろうと夢みているわ。男の子たちなら冒険家の生涯とか、学者や芸術家の生き方に憧れるわ。女の子だったら、誰だって満たされた家庭を考えるわ。ところが、何年か、何十年かたって、何気なく自分の歩いてきた道をふりかえることがあるのね。ちょうど旅人が峠で一息入れるとき、いま来た道を振り返るみたいに。そうよ。そんなときが誰にでもあるのね。そしてそんなとき、私たちは自分がかつて漠然と思いえがいていたのと、まるで違った人生を歩いているのにひどく驚くのね。驚いて、それから寂しい気持ちを味わうのね。どこから、こんなふうに違った人生になってしまったか、思わず考えこまずにはいられないわ。そういうとき、私たちの心に苦い悔恨がしのびこんだり、口惜しさやあきらめが感じられたりするのね。
 でも、ほんとうは、人生に何か曲がり角のようなものがあって、そこで左右にわかれたのではなくて、日々刻々私たちは変化しているのね。日々刻々、運命の岐れ道に立たされ、その一つをえらんでいるのね。

これは、「夜」という作品の一節です。日本人留学生イトウ、その恋人の人妻アンヌ、アンヌの夫で高級官僚ジャン・ドリュオー、イトウとともに、秘密警察の目をかいくぐりアルジェリア戦線への戦略物資を運ぶエレーヌ。この四人のモノローグが折り重ねられた見事な中編作品です。
その中に登場するアンヌのモノローグです。
これ以上、あえてあまり多くは語りません。
今日、久々に読み直してみて、私はまた新しい切り口を見つけてしまいました。なぜ今まで気づかなかったのか、という重要な要素でした。
ちなみに、このアルジェリア戦争を巡るフランスの物語というのは本当に魅力的です。フランスにおける政治闘争あるいはテロリズムという今は考えられない事実なのですから。スタンリー・エリンの「カードの館」や、フォーサイスの「ジャッカルの日」を思い出します。
明日は夜勤なので、残業しました。っていうか、毎日残業ですが。今月は休みが多いので、休日出勤しても残業代が出ませんので、思い切り働けます。明日は、神社に参拝して今月のプロジェクト稼働成功をもう一度祈願する予定です。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

今年の目標。毎日辻邦生を少しでも読もうと決めました。
今日心にとまった一文を。

酒台にもたれて、ビールを前に話し合っている労働者や船員たち、それに時々話を差しはさむ店のふとった主人、テーブルで喋っている老嬢たち、新聞をひろげている独身の会社員、それに棚に並んだ細い壜や太い壜、磨かれたコップ、ミュージック・ボックス、鏡、仕切り扉などが、なぜかじつもとは違ったように感じられるんです。

夏の砦で、支倉冬子が肺炎で倒れる前に感じた外界との違和感を表現しようとしているところです。
こういう、たたみかけるような描写の連結、辻邦生の小説の中でよくあらわれる手法です。「パリの手記」などの日記ものでもよく出てくると思います。
読んでいると、欧州に旅行した若い頃の記憶がよみがえりました。日本ではちょっと見かけない風景です。労働者や船員達の会話に時々加わる店の主人のくだりとか、それに見向きもしないで、新聞を広げる会社員というのも、本当に良く分かります。
旅先でみた欧州の人々(ドイツ、イタリア、北欧界隈を想定)というのは、ともかく他人とよく喋る気がします。日本人よりも頻繁に。目が合えばニコリと笑うぐらいの洒脱さは誰もが持ち合わせている気がします。国民性の違いだなあ、といつも思います。
そういう、あちらで感じた驚きのようなものや安堵感を思い出させてくれて、懐かしい気持ちになりました。