辻邦生「光の大地」を読んだのは、発売されてすぐだったと思いますので、おそらく15年ほど前のことだと思います。
タヒチやアフリカを舞台にしたエキゾチックな物語で、ヨーロッパの香りたかい辻邦生作品の中にあっては異色の作品といえるかもしれません。物語の語り口も親しみやすく、おそらくは新聞小説ということもあり、想定する読者層が違うからだと考えています。
ですが、通底するテーマは辻邦生作品ならではです。生きることの喜び、しかしながら、その喜びを追求しようとするときに性急な改革を求めると必ず失敗するという冷厳な事実。これが私が思う辻邦生作品群の一つのテーマです。
この作品においても、クラブ・アンテルというリゾートをトリガーとして、宗教団体による「性急な改革」が描かれています。もちろんそれは失敗に終わります
このクラブ・アンテルというリゾート企業ですが、おそらくは、クラブ・メッドを下敷きにしているはずです。アンテルは、フランス語で「中」という意味で、クラブ・メッドのメッドは地中海の意味です。アンテルは地中海の「中」をとったのではないか、と想像しています。
私は、辻ご夫妻がタヒチにいらっしゃった時の写真をどこかで見ているのですが、どこだったのか探し出せていません。それをみるとすこしヒントがみえるかも。
先日行ってきたのは、沖縄にあるクラブ・メッドでした。辻作品の中のように、スタッフが活き活きと働いていましたが、現実と小説が違うこともあるようです。
滞在中は楽しい毎日で、帰宅してから社会復帰するのが非常に大変でした。
冒頭の写真は夜明けの海岸から撮ったものです。先日読んだ本によれば「プロの写真家は失敗写真を絶対人に見せることはない」とありました。何百枚と取りましたが、あと数枚しか出せません。。
さて、この「光の大地」ですが、構成が不思議なのです。主人公のあぐりが宗教団体の被害にあって、そこから恢復する場面が他の作品と違うのです。通常の辻作品の「恢復」の場面はもっとみじかく、エピローグほどしかないのですが、「光の大地」の恢復の場面はエピローグよりももっと長いですが、場面としては短いのですね。本当はもっと長い小説だったのではないか、などと思う時もあります。
辻邦生「光の大地」
今日の辻邦生
<楽しさ>のないまま、ただ時間を効果的に使うというのは、いかにも多くを生きたように見えながら、生きることから切りはなされ、無縁な仕事を集積させるにすぎない。いかにすべてを<楽しみ>のなかに取り戻すか──それが<今>に生きる鍵であるに違いない。
辻邦生の言葉です。「風塵の街から」から。
効率は大事ですが、それは楽しみのためにあるべきことなのですね。
ここでいう楽しみとは、おそらくは生きる悦び、と言った意味で、単なる娯楽とは違う意味合いと思います。
効率的に楽しみのために仕事をするのはOKだと思います。仕事でもこうあるべき。実現できるように頑張ります。
写真は辻邦生ゆかりの学習院大学の風景です。
明日は雨の中試験を受ける予定。
アレヴィ「ユダヤの女」からたどるラシェルという4人の女
アレヴィの「ユダヤの女」を知る機会がありました。本当に興味深いのでご紹介です。
こちらの本を参考にしました。素晴らしい本です。別の折に詳しく紹介する予定です。
アレヴィの「ユダヤの女」についても、別の機会に紹介しますが、今回は登場人物のラシェルについて。というか、ラシェルをめぐる面白い事実について、です。
プルーストのラシェルという女
「ユダヤの女」の登場人物の一人が、タイトルロールと言ってもいいのかもしれませんが、ユダヤ人女性のラシェルです。このラシェルという名前ですが、「フランス・オペラの魅惑」においては、プルースト「失われた時を求めて」に登場するラシェルという娼婦の元ネタではないか、と指摘されています。ラシェルはサン=ルーに愛されるのですが、その後女優になるという設定です。
辻邦生のラシェルという女
実は、辻邦生「夜」という作品にもラシェルが登場します。この「夜」という小説は、4人の主人公の独白が組み合わされたもので、そのうちの一人である高級官僚が関係をもつ娼婦の名前がラシェルでユダヤ人の女という設定になっています。
こちらについては、「失われた時を求めて」を読んでいた頃には気づいていたんですが、その時は私はアレヴィの「ユダヤの女」まで辿ることはできていません。
辻邦生がラシェルを登場させたのは、おそらくは「失われた時を求めて」からとおもいますが、作中設定としては、フランス人としてはユダヤ人女性がラシェルという名前であるといういことは、アレヴィからもプルーストからも想起できる共通認識なのでしょうか。
実在したラシェル
さらにおもしろい事実。ラシェルというユダヤ人の女優は実在しているんですね。19世紀半ばに活躍した悲劇女優だそうで、本名はエリザベート・フェリクス。1837年にパリでデビューしています。テアトル・デュ・ジムナーズ マリー・ベルという劇場にて「La Vendéenne」でデビューしたとあります。
アレヴィの「ユダヤの女」の初演は1835年です。
では、1837年にデビューした時に、ラシェルと名付けたのは誰か?
ウィキペディアによれば、舞台監督の監督のポワソンという男のようです。ですが、ラシェルというのは、このエリザベートが普段使っていた「名前」を選んだのだそうです。ですので、ラシェルの原点がアレヴィによるものなのかどうかはわかりません。アレヴィから来ているのか、偶然なのか。
プルーストのラシェルは、もしかしたらこちらのラシェルも関係するかもしれません。女優になるというのはパロディにも思えますし。謎です。
そもそものラシェルとは?
ラシェルとは、聖書においてはラケルと表記されるようです。創世記に登場する人物で、ヤコブの妻に当たる人です。
知れば知るほど面白いです。
というわけで、また明日。書くことがたくさんですが、もっと書く速度を上げないといけないですね。がんばります。
今日の辻邦生から思い至る文化発酵
森さんは日本人が文化の上澄みをすくい取って、それで文化摂取が出来たと思い込む態度に絶望感を抱いていた。文化は、結果ではなく、結果に至る前経験が大事なのだ。
辻邦生「薔薇の沈黙」 7ページ
巨大な経験の堆積であるヨーロッパ文明というものが、こういう人間経験の無限の循環過程、その複雑な発酵過程だと言うことに思い至ったとき、僕はなんともいいようのない絶望感に襲われる。歴史とか、伝統とか、古典とかいう言葉の意味が、もう僕にはどうしようもない、内的な重みをもってあらわれてくる。
森有正「バビロンの流れのほとりにて」 152ページ
西欧文明を理解するなんていうのは、まったく、途方もない話です。
すでに不可能なことは分かっています。試みようとすれば、ろうそくに近づく虫のように焼き尽くされて命を失うことは分かっています。ですので、適度に距離を保って、周りを旋回するしかないわけです。っつうか、危うく焼き殺されるところだったことも。危ない危ない。
辻邦生も森有正も西欧を徹底的に考えた方で、こういう文章の重みは、支えきれないほど。
因果なことに、なんで、西洋音楽を聴いているのかなあ、などと。
先日も、イギリス人に「日本料理は他国のまねだ!」と言われて、非常に腹が立ちまして、イギリス料理批判をしようとしましたが、そこは思いとどまり、「そもそも「独自性」とはなんだ!」と居直って、フランス料理がカトリーヌ・ド・メディシスによってフィレンツェからもたらされことを指摘して、世界に名だたるフランス料理ももともとはイミテーションであると規定し、溜飲を下げました。写真がそのお方。ロレンツォ・メディチの孫娘で政略結婚でフランス王家に嫁いだお方。
音楽も、日本において受容され、そこで引き続き「発酵」を続けているわけで、その「発酵」の過程を見ているのだ、という解釈が、先鋭的ではない解釈なんでしょうね。
明日は、久々の完全オフ。大掃除と年賀状にいそしむ予定。
今日の辻邦生
真に生きるとは、たえず不安、危懼、懸念に心がゆさぶられ、日々を神仏に祈りたい気持ちで過ごすことでなければならぬ。不動心を得たいというのは、誰しもが念願することではあるけれど、高齢になって世の名利の外に立ち、常住平静の心境に立ちいたってみると、若い迷妄の時こそが、生きるという、この生臭い、形の定まらなぬものの実体であったと思い知るのである。
嵯峨野明月記 から。
確かになあ。
いろいろあった頃のほうがきっと充実していたのでしょう。いまもいろいろあるのだけれど。
明日でいったん戦線離脱。昨年のクリスマスは仕事でしたが今年は自宅謹慎の予定。
恋に落ちたジュリアーノとシモネッタ
昨日の言葉
「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」
ですが、
昨日書いたとおり、これは、辻邦生の大河小説「春の戴冠」でシモネッタとヴェスプッチ家の婚礼の場面で出てくるものです。
「春の戴冠」はルネサンス最盛期のフィレンツェを舞台にボッティチェッリやロレンツォ・メディチが活躍する政治小説、芸術小説、哲学小説です。
日本人の書いたものとは思えません。小さい頃から外国の児童文学ばかり読んでいた私にとっては、まさに天からの恵みのような小説です。
さて、シモネッタは、この「春の戴冠」においてはボッティチェッリ「春」のモデルになった人物とされるヒロインです。
シモネッタは、婚礼前に、「春の戴冠」の語り手である古典文学者フェデリゴにある告白をしていました。自分には名も知らぬ好きな男が居るのだが、結局分からないままで、やむなくヴェスプッチ家へ輿入れするのだ、と。
その婚礼の後半の仮面舞踏会の場面。
フェデリゴが、仮面をつけたジュリアーノ・メディチと話をしていると、そこに仮面をかぶった女性が現れます。
ジュリアーノ・メディチは、フィレンツェを支配するメディチ家当主ロレンツォの弟にあたる男です。ロレンツォとともに仮面をつけたまま婚礼会場に現れ、そのまま仮面を取らないでいるわけです。
仮面をつけていると、誰からも追われず責任をとる必要がない。勝手気ままでそれはそれでいい。でも、仮面をつけた女を愛することは出来ない。
だが、仮面の女性は、それに反駁します。
いや、ひょっとしたら、仮面をつけた男を愛せるかもしれない、と。
では、この場でお互い仮面を外して、愛せるかどうか試してみようじゃないか。
で、ジュリアーノと仮面の女性は仮面を外します。
仮面の女性はシモネッタ。
で、ジュリアーノは負けたという。婚礼の花嫁が自分のことをを愛せるわけないじゃないか、と。
ですが、シモネッタは気絶してしまう。
シモネッタの名も知れぬ好きな男とはこのジュリアーノ・メディチであったのだから。。
思うに少女漫画的な場面と言われるかもしれないです。だれか漫画化すればいいのに。なんて。
でも、ずいぶんと仕掛けのある場面で、一つの「春の戴冠」の中のクライマックスのひとつです。
もちろん、史実はそうではないと思いますけれど。
「春の戴冠」のなかのジュリアーノとシモネッタは、芸術的存在に昇華されていて、天使のように描かれています。本当はジュリアーノには隠し子が居て、その子が後に教皇クレメンス七世になる、とか面白い話がたくさんあるんですけれどね。
また読まないとなあ、「春の戴冠」。
またしばし夢の中でした。
それではまたあした戦場でまみえましょう。
辻邦生「春の戴冠」から一節。
うーん、やっぱり辻邦生は素敵だ。
大河小説「春の戴冠」の中の一節です。
「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」
全集138ページ
この大河物語のヒロインであるシモネッタが、ヴェスプッチ家へ嫁いだ婚礼の場面で、仮面をかぶったロレンツォ・メディチが歌う歌詞です。
現代日本において、こんな言葉を持ち出すなんて、ほんとうにきれい事なんでしょうけれど、それを忘れてしまったらおしまいだと思いました。
辻邦生が亡くなったときに、盟友の菅野昭正がこう言ったのを思い出しました。
その小説があまりに理想主義的だという人があるとすれば、それは日本の文学に理想主義が薄弱すぎるからである。
(日経新聞 1999年7月31日)
しばしの夢を見た気がします。
明日からまた戦場へ。
辻邦生「ある告別」
はじめに
辻邦生「ある告別」を久々に読みました。試験勉強もあって最近は実学の本しか読んでいませんでしたので、辻ワールドの甘美さに心打たれて、ショックが強すぎです。会社勤めには辛いです。
講談社
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この作品がちゃんと分かるようになったのは、おそらく30代になってからです。10代、20代のころは全く分かりませんでした。それは至極当然で、なぜなら、この作品のテーマのひとつが「喪われた若さと以下に訣別するか」だからです。
若さを喪わないとこの作品の価値が分からないというのは、私の想像力不足なんで、いまいちなんですけどね。
この作品の魅力
「若さと見事に訣別したものだけが、永遠の若さを造形することが出来る」
これがこの作品の中で示される最も大きなテーマのように思います。
これは歳を重ねようとも、若さの中に生き続けようとする処世術のようなものを感じると、すこし穿った見方になってしまいそうです。
そうではなくて、おそらくはこの作品は、辻邦生の文学宣言のひとつなのでしょう。
最後に綴られる以下の文章に、
「こんどは、彼女たちの映像にみちた世界への旅立ち」
という一節をみると、この「彼女たちの映像」というのが、文学世界において永遠の若さというイデアールな概念を体現していこうという、意気込みのように感じるのです。
ちなみに「映像」には傍点がふられていますので、何かしらの意味を見て取るのが普通だと思います。
辻文学全体における位置づけ
これは何度も書いているように辻邦生の原初体験というのが3つあるのですが、この作品に描かれるパルテノン神殿との邂逅がその1つめの原初体験に当たります。この邂逅において、辻邦生は「美が世界を支える」という直観に到達します。
ですが、個の作品においては、パルテノン神殿との邂逅については深く言及されることはありません。ただ「どうしてこんなものが地上にありうるのか。どうしてだろう。どうしてだろう」という一文があって、そのあとに、それが何かの啓示なのだろうが、何かは分からない、と書かれています。
個の作品の主人公はおそらくは辻邦生本人だと思いますので、素直に読めば、この時点では「美が世界を支える」という直観に到達せず、徐々に醸成されていったものだったといえるでしょう。
ただ、ここで手の内をすべて飽かすと、若さに関する主題が弱くなるので、あえて隠蔽しているともとれますが。
終わりに
最近、いわゆる小節をあまり読んでいませんでした。なんだか小節なんてあまりに浮世離れしている、とおもったからです。
ですが、時には立ち止まってみないとなあ、と思います。
また、辻邦生を読みはじめないとなあ、と思います。
辻邦生の命日
また今年も辻邦生の命日が参りました。
ご存命なら86歳でしょうか。
13年の年月が経ってしまいました。
変わるものは変わり、変わらないものは変わらない。
こちらは、かつて某所で撮影した辻邦生の作品ノートです。
それから、辻邦生が教鞭を執った学習院大学の校門。
画質は悪いですが、自筆原稿の写真。手ぶれしています。
なんだか、時代はすっかり変わってしまいました。
ですが、こうも世の中がめまぐるしく変わり、(私事で恐縮ですが)職場の方針が機動的に変わり続ける激動の世にあると、レベルは違うかもしれませんが、終戦時の辻邦生の思いが少し分かるかもしれません。
昨日までは皇国史観一辺倒だったマスコミや教師が、一日経つと、米国流民主主義者に変貌したという事実です。
あれで、学生だった辻邦生は世界を信じられなくなったのだそうです。
だからこそ、文学においては理想という高みを目指したわけです。
西欧の二千年に及ぶ文明に築かれたイデアールな価値を求め続けたのは、不変な価値をを求める旅であったわけです。
しかし、そうした不変なもの、あるいは普遍的なものが存在し得ないと言うことが分かってしまった私にとっては、辻邦生の歩んだ道でさえも、手の届かない高みへ昇って行ってしまった感があります。
私が辻邦生に出会った90年代初頭にも、世界にはそうした相対主義の萌芽があったはず。
ですが、情報の拡散と情報の爆発は、普遍を超えた気がします。その行く末が、これも卑近な例で申し訳ないのですが、10年ほど前に流行った、世界でたった一つの花、なのかもしれません。
などと考えるにつけて、やはり、辻邦生の歩んだ道は、まだ閉ざされることなく世界に開いているのだ、と思います。
明日は、社命により公休。熱いですが都内に出る予定です。
今日の辻邦生文学その3 「嵯峨野明月記」より
この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生まれるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。(中略)この世の背理に気づいたものは、その背理を受け容れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。(中略)それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。
辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、413頁
いつぞや、この一節を読んで、私は生まれ変わりましたが、今日、それに関連する辻邦生の言葉を見つけました。
私が戯曲を書く場合、つねに喜劇になってしまうのは、世智辛い世の中に、なんとか一晩でもいいから毒のない朗らかな笑いを笑って貰いたいと考えるからだ。喜劇の本道はシラーの言うように「人間の背理を笑う高みに立つ」ことだし……(略)
辻邦生『<笑い>について』「時刻の中の肖像」新潮社、1991、201頁
二つの引用には、少し位相がずれる面があるように思えますが、どうやらこの「背理を笑い飛ばす」という芸術と現実の関係性についての考察には、シラーが源流にあるのかもしれない、と気づいたのでした。
このところ、この「世界は背理である」というテーゼの中にだけ生きている気がします。そして、毎日のように笑っています。これはいつもの皮肉ではありません。本当に笑いながら仕事をしているのです。